第21話:破棄

「これが……さっきのダソク……?」


 ダソクがマホロを飲み込んだ現場に辿り着いたファミルは、開口一番そう呟いた。


 大仰に待ち構えているダソクの姿を想像していたファミルだが、そこにいたのは、遭遇した当初の迫力がまったくない、ぐったりとしたダソクだった。


 表情などないように思える爬虫類なのに、あまりの生気のなさに、別人、もとい別蛇のような顔に見えた。


「なんで……こんなことに……」


 理解しがたい状況に困惑するも、ファミルに一つのアイデアが浮かぶ。


「でも、今ならもしかして……」


 警戒や興奮といった状態にあると無用の長物であるファミルの能力だが、相手がリラックスしている状態、もしくは警戒や興奮ができないほど弱っている状態であれば、コミュニケーションを取ることができる。


 通用するかどうかわからなかったが、とにかく試してみることにした。


「(ダソクさん、聞こえる? 聞こえたなら、返事をして)」


 そう念じるが、ダソクはピクリとも動かない。

 うつろな顔をしたまま、依然横たわったままだ。


「(ダソクさん、お願いだから反応して。私はファミル。人間よ。あなたたちと会話をすることができるの。聞こえてるなら返事をして)」


 その時だった。


 ダソクの大きな体がピクリと動き、頭部が少しだけ持ち上がった。

 その目は、ファミルを見ているように思えた。


「(もしかして、私の言葉に反応してくれてるの? もしそうなら、何か話して。私は、あなたたちの言葉がわかるから)」


 さらにダソクの頭部が持ち上がったと思った途端、ファミルの脳内にメッセージが流れ込んできた。


「(オマエハ、オレノコトバガワカルノカ?)」


 きた! とファミルは歓喜した。

 一旦こうして繋がってしまえば、何らかの妨害がない限りはコミュニケーションを取り続けられるのだ。


 間髪を入れずにファミルもメッセージを送る。


「(答えてくれてありがとう! 私は、あなたの言葉がすべてわかるから安心して。どうしたの? やけに疲れているみたいだけど)」


「(キモチガワルイ)」


「(え?)」


「(サッキニンゲンヲタベタンダガ、ソイツガアバレテイルヨウダ)」


 ファミルは瞬時に察した。

 一旦は食べられたマホロだが、その無敵さゆえに消化されず、ダソクの体内で暴れることによって活路を見出そうとしたのだ、と。


 状況を把握したファミルは、すぐさま交渉に入る。


「(ごめんなさい。あなたが飲み込んだのは私の仲間で、マホロ君っていうの。特殊なスキルを持ってて、どんな攻撃も通用しない人なのよ。あなたの消化液でもマホロ君を溶かすことはできないから、このままだと、一生あなたの体の中で生き続けて暴れまわることになるかも)」


「(ナンダト……?)」


「(だから、お願い。マホロ君を吐き出してくれない? どうせあなたの栄養にはならないし。そのお礼に、あなたたちにプラスになるような提案をさせてもらうわ)」


「(オレタチノプラスニナルテイアン……?)」


「(そう。絶対に約束は守るから、まずはマホロ君を返してくれない? お願いだから)」


 ダソクは、しばらく沈黙した後にメッセージを送ってきた。


「(ワカッタ。コンナヤツガズットハラノナカニイタンジャタマッタモノデハナイ。カエシテヤル)」


 メッセージ受信後、ダソクはすぐに苦しそうな嗚咽を漏らしながら、吐き戻すような動作を始めた。


 ファミルがその様子をしばらく眺めていると、ダソクがピタリと動きを止めた。


「(イマ、クチノナカマデハモドシタ。アトハハキダスダケダ。オマエハ、ホントウニオレタチニトッテプラスニナルテイアンヲデキルノカ?)」


 ファミルが迷いなく答える。


「(もちろんよ。私は、あなたたちと一緒に仲良く暮らしていきたいと考えている人間なの。今あなたの口の中にいる人もそう。だから、安心して。もし約束を破るようなことがあれば、私はどんな責めも受ける)」


「(ソウカ。ジャア、シンジヨウ。ドウセ、コンナニンゲンヲハラノナカニハイレテオケナイシナ)」


 その直後、ダソクは口を開けてボトリと何かを落とした。


 ファミルが急いで駆け寄り確認する。

 そこにいたのは、紛れもなくマホロだった。


*********


「あれ……ファ、ファミル……」


 何がどうなった? 三十分ぶりに外の世界に出たマホロの最初の感想は、それだった。


 どうせこのままだとダソクの体内で飼い殺しにされるだけなのだから、せめて元気のあるうちは一切諦めず、できるだけ派手に動き回りながら、口の方へ戻る努力を全力で続けよう。

 そうすることで、ダソクにだって少しは影響が出るのではないだろうか。

 いつまでも動き続けるエサを「不快」だと捉えてくれれば、自分を吐き出そうとしてくれるのではないだろうか。


 そんな発想から、体力の続く限り力いっぱい動き続けることにした。


 自分が意志を持って攻撃しても相手にダメージを与えられないことはわかっていたが、口からの脱出を目指す「逃げの行為」ならば攻撃には該当しないだろうから、ダソクにも何らかの影響を与えられる可能性があるのではと踏んだのだ。


 その結果、今いるのは外の世界、目の前にはファミル。

 そして……ファミルの膝枕。


 あまりの急展開に、脳内での処理が追い付かなかった。


「大丈夫、マホロ君!?」


 膝枕、か。

 ファミルの真剣な声掛けよりも、マホロにとってはそちらの方が重要事項だった。


 これまでのマホロは、異性に相手にされてこなかっただけで、異性に興味がなかったわけではない。

 健全な十八歳として、このシチュエーションにはそれなりに感じ入るものがあった。


「どこ見てるの? ほら、私、ファミルだよ! わかる?」


 今の状況にうっとりしてしまい、定まらない視点。

 それを心配されたのか、ファミルから揺さぶられてしまったマホロ。


「あ、大丈夫大丈夫、見えてるよ。ファミルでしょ」


 半開きの目で、ふわふわとした夢見心地のまま返答する。

 その言動は、表情同様に締まりがない。


「本当に大丈夫なの? しっかり喋れてないよ?」


「だーいじょぶだって。段々状況が理解できてきたから。どうやら、俺の絵図が見事に成功したみたいだな……ってうわぁ!」


 ついつい、驚嘆の悲鳴を上げる。


 それもそのはず、驚くべきことに、マホロとファミルのすぐそばにダソクがおとなしく鎮座しているのだ。

 いや、鎮座という表現が適切かどうかはわからない。

 とにかく、静かに横たわり、ジッとこちらを見ていた。


 ダソクがその気になれば、一秒で二人とも食われてしまう位置関係だ。


「大丈夫、安心してマホロ君。ダソクとは話がついてるから」


 ダソクと話がついてる? 一瞬混乱するも、すぐに理解する。

 そうだ、ファミルは条件次第で乱獣との会話が可能だったのだ、と。


「話、できたんだ?」


「うん、マホロ君のおかげでね」


「俺のおかげ?」


「そう。マホロ君、ダソクの体の中で暴れ続けたんだって? それがすごく嫌だったみたいだから、『じゃあ吐き出して』ってお願いしたの。そしたら、すぐに了承してくれたわ」


 自分の絵図通りではあったものの、最後はファミルに助けてもらったことを知り、複雑な気持ちになった。

 結局ファミルに救われてしまった、と。

 本来ならば、自分が守りたいと思っている人なのに。


 守りたい人間から守られてしまうのは歯がゆいものだ。


「ファミル!」


 突如聞こえてきたその声にビクリとし、声の方向へと脊髄反射で首を向けるマホロ。

 思った通り、声の主はルハンだった。


「わ! ちょ、ちょっと待て!」慌ててマホロが飛び起きる。「違うぞこれは。その、なんつーか、不可抗力っつーか、その……」


 怒り心頭で鬼の形相を浮かべているのだろう……と覚悟しながらルハンの表情を確認するも、ただ唖然としているだけだった。


「マホロっち、無事だったんだね!」


 やや遅れてネルフィンが来た。


「よぉネルフィン。俺がそんな簡単にくたばるわけがねぇだろ」


「待て、マホロ……」ルハンが、狼狽を隠せない震えた声で問う。「なぜ君が無事でいるんだ。ダソクに飲み込まれたはずだろ? 自力で脱出などできるわけがない。それにダソクのその様子は……?」


 ダソクの体内へ幽閉し、二度と相まみえることのなかったはずの男が生きて脱出しており、かつファミルとの絆を深めている様子まで目の当たりにしてしまい、気が動転しているのだろう。


 身を震わせ、眉は垂れ下がり、口は半開き。

 みっともないほどの動揺だった。美男が台無しだ。


 そんなみじめな様子がカンフル剤となり、逆にマホロは急速に余裕を取り戻す。


「別に。ファミルと俺との合わせ技で無事脱出成功、ってところだ。詳しく知りたきゃあとでファミルに聞けよ」


「あ……ぐぅ……むぅ……」


 呻き声をあげるだけで、それ以上のことは何もできないようだ。


 マホロのテンションに更なるガソリンが注がれた。


「それと、この場で宣言しておきたいことがある」


 もはや、たかぶる自らの気持ちを抑えられなくなっていた。


 唐突すぎることは頭のどこかでわかっている。

 今ここで言うべきことではない、それもわかっている。


 だが、それでもマホロは止まれなかった。


「俺は、ファミルに対して特別な感情を持っている」


 明らかな暴走。


 今この場でこんなことを言って何になる。

 言い終わってからそんな正論が頭をよぎるが、もう知ったことではない。

 こうなったら突っ走るしかないのだ。


「今まではお前にビビって俺らしさを失ってたけど、もうやめた。俺は俺らしく生きる。周囲に疎まれようとも言いたいことは言うし、やりたいことはやる。それが俺だ。俺を拉致りたいなら拉致れよ。どこかに閉じ込めたいってんならそうしろ。でも俺は、全力で足掻く。どんな困難が待っていようと切り抜けてやるし、あと、俺はずっとファミルの近くにいるしファミルを守るし、一緒に同じ夢を見るし、だから、その……なんつーか……お前になんかぜってぇ負けねぇからな!」


 落ちる沈黙。


 マホロもルハンも、ファミルもネルフィンも、ダソクですら身じろぎ一つしない。


 そんな時間が十数秒ほど続いただろうか。


「嬉しい……」


 体から思わず溢れ出てしまったようなファミルの一言が、波紋のようにこの場に広がっていく。


 直後、ファミルは口を両手で抑え、下を向く。

 声に出して言うつもりのない一言だったのだろう。

 表情はうかがい知れないが、赤く染まっていることは想像に難くない。


 ファミルの喜びの一言を噛みしめながら、キッと射抜くようにルハンへ視線を送るマホロ。


 しかしルハンは、美男の面影を大幅に失ってしまうほど、この短時間のうちに急激に憔悴し、その顔にはいつものような凛とした自信みなぎる様は一切見て取れなかった。


「ファミル……」


 蚊の鳴くようなルハンの声に、ファミルは伏せていた顔を上げる。


「君との婚約だけど、今この場を持って解消してもいい。君が望むなら」


 言い方から察するに、言外にはファミルの翻意を期待していることが伝わってくる。


 しかし、ファミルはルハンの一縷の望みを迷わず断ち切る。


「ありがとうルハン。そして……ごめんなさい。あなたとは、本当に結婚するつもりだった。でも、今は――」


「もういい。いいんだ」


 細い希望の糸さえ切れてしまったことで、ルハンの心を支えるものは何もなくなってしまったのだろう。


 開いた右の掌を突き出し、まるでファミルがこれ以上何か言葉を発することを拒絶するかのようだった。

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