第6話:ルハンという男

 たった今、目の前で起こったことに対して、脳内の処理が追い付いていないことを自覚するマホロ。


 大きな二つの肉塊となって地面に横たわっている乱獣の姿。

 その横に立つ、剣を持った人間。


 構図を見れば、起こった現象は理解できる。


 しかし、なぜ今、どんな理由で、誰がこんなことをしたのか、それらの答えがまったくわからない。糸口さえ掴めない。


 ロンズたちも、静かに立ち尽くしているだけだった。


「きゃぁーーー!」


 ファミルの悲鳴が静寂を破る。


 慌ててロンズがファミルの肩を抱く。「落ち着けファミル! 仕方がない。ルハンは九騎聖の一人なんだから、乱獣を狩るのも仕事の一つだ」


 ルハン! 先ほどの村人たちとロンズとの会話の中で出てきた名前だ。


 話の内容から、強い男であることはマホロにも容易に想像できたが、まさかあの巨大な乱獣を一刀のもとに仕留めるほどだとは予想外だった。


 しかし、そんなことはどうでもいい。

 今重要なのは、目の前で起こった理不尽を許さないことだ。


「あいつがルハンっ……」拳を握り締め、ルハンのもとへ早足で向かう。「勝手なことしやがって。せっかくファミルが説得してくれたってのに」


「待て、何をする気だ」ロンズがマホロの腕を掴んで制止する。


「何って、決まってるだろ。あの野郎に文句言ってやるんだよ。場合によっちゃ文句だけじゃ済まさねぇ」


「バカ! お前まで殺されるぞ!」


「おいおい、見てたんだろロンズさん。あの乱獣の連打がまったく効いてなかった俺の雄姿をよ」


「自惚れるなよ。相手は九騎聖だぞ。九騎聖ってのは、世界で九人にしか与えられない最強の称号で、強さだけでなく、人間性や品性も兼ね備えた超一流の人間たちのことだ。特に戦闘力は異常で、普通の乱獣が何匹集まろうと相手じゃない」


「へぇ、そんなすごい奴がこんな村にいらっしゃるとはねぇ。好都合だ。己の無力さをきっちり指導してやる」


「待って!」じっと様子をうかがっていたネルフィンが唐突に入ってくる。「マホロっちの方から行く必要はなさそうだよ」


「へ? マホロっち?」


「あ、ごめん。ついさっき、勝手に愛称を決めちゃった」


 そう言って、テヘ、と笑うネルフィン。小悪魔的なのは見た目だけではなかったようだ。


「そんなことよりマホロっち、どうすんの? ルハンがこっちに来るよ。まさか、本当に仕掛けたりしないよね……?」


「さぁてね。相手の出方次第だな」


 そうこうしているうちに、ルハンとの距離は目と鼻の先というところまで縮まっていた。


 ここでマホロは、じっくりとルハンを観察する。


 防具の類は身に付けておらず、先ほどの村人たちと出で立ちは大して変わらない。

 圧倒的に違うのは顔面の作りだ。

 シャープな輪郭に、キリっとした目や整った鼻が理想的に配置されている。

 男のマホロでも思わず見惚れるほどだった。


 体つきは、身長百八十をゆうに超える痩身で、服越しからでも足の長さが伝わってくる。

 美男であることを否定する材料探しに腐心するマホロだったが、その努力は実らなかった。


「やぁ、無事だったかいファミル」


 にこやかに放たれたルハンの第一声に、つい毒気を抜かれるマホロ。

 ファミルは表情を強張らせながら、無言で静かに頷いた。


「ロンズさんもネルフィンも無事でよかった。到着が遅れてしまって済みません」


「なんだよルハンにい! あたしらはついでかよ!」


「ごめんネルフィン、そんなつもりじゃなかったんだよ」


「まあ、わかるけどね。まずは許嫁いいなずけの心配をするって気持ちもさ」


「あははは……」


「いや、なんにしてもよく来てくれたルハン。やっぱりお前は強ぇなぁ」


「いえ。若輩ゆえ、まだまだ修行不足です」


「何言ってんのルハン兄! あんなデカいのを一撃で倒したくせに。いつもながら謙虚だねぇ」


「ネルフィンは相変わらずお転婆をしてるのかい? 鉤爪なんかつけて」


「えっへへぇ。まあね~」


 一気にいろいろな情報が飛び込んできたことで混乱し、思考停止状態になってしまったマホロは、四人のやりとりをただ茫然と視界に入れておくことしかできなかった。


 この男は世界TOP9の強さを持っていて、ロンズ一家とはやたらと親しそうで、挙句ファミルはルハンの許嫁で……。


 少しずつ情報を整理していく。


 ここまでの情報については何も問題ないが、どうしても見過ごせないことがある。乱獣の一件だ。


 忘れかけていた怒りが再燃する。


「おい、ルハンさんよ。さっきから随分と楽しそうだなぁ? 俺もいるんだぜ。少しぐらい気にかけたらどうだ? せめて目ぐらい合わせろよ」


 するとルハンは、柔和な笑みを消し、ゆっくりと首をマホロへ向ける。「もちろん気にかけてるよ。これ以上ないほどにね」


「あん? どういう意味だよ」


「まさか、こんなところに転移者がいるとはびっくりだよ」


 あまりの驚きに、マホロは二の句が継げず、口を半開きにしたまま固まってしまった。

 ロンズ一家の三人も同様だった。


「なんでわかったか、って? 簡単な話だ。僕はね、少し前にここへ着いていたんだよ。ちょうど、君が乱獣から壮絶な連打を喰らっている時にね」


「あ……あの場面……を?」


「そう。普通の人間なら、一発喰らえば即死だろうという拳を、何度喰らっても平然としていたあの場面から、だよ」


「……」


「あんな真似ができるのは、特殊な魔法使いか、もしくは魔獣くらいだ。でも、君からは法力も魔力も感じない。となると、出てくる答えは一つしかない」


 どうしていいかわからず、ただ棒立ちになってしまっているマホロに代わり、ロンズが答える。


「ちょ、ちょっと待てよルハン。こいつはそんなんじゃねぇって」


「へぇ。どうしたんですロンズさん。なんで転移者なんかに肩入れするんですか」


「だ、だってこいつはよ、体を張って俺たちと家を守ってくれたんだ。俺たちと、亡くなった妻との思い出が詰まったあの家をよ」


 ロンズが家にこだわっていた理由が、これでわかった。

 どうやら、何らかの理由でロンズの妻は亡くなってしまったようだが、今でも愛しているのだろう。

 そんな思い入れのある家を壊されたくなかったのだ。


 しかし、ルハンは意に介さない。


「だとしても、転移者だとわかった上で生かしておけばどうなるか、当然ご存じですよね」


「……」


「いかなる理由があろうとも、転移者だと判明した場合は即座に殺害すること。これは、世界法の第一セクションに記載されていることです。つまり、逆らえば世界的逆賊という扱いを受けることになります」


「そりゃわかってるがよ……。こいつはどうも、悪い転移者には見えねぇし……」


「三年前のあの悲劇を、この国で起こしたいのですか?」


「あっ……いや……」


「異世界の人間と我々が分かり合えるなどあり得ない。殺すしかないのです」


 言い終わると同時に、ルハンは剣を抜き、マホロへ鋭い眼光を向ける。


 己の無敵さを自覚したはずのマホロだったが、あまりの迫力に思わずたじろいだ。向かい合う二人の距離は、2メートルもない。

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