第三章 再会
『私は自殺するには利己的すぎるから』
これはどういう意味だろうか。利己的という語感からリチャード・ドーキンスの「利己的な遺伝子」が思い浮かんだ。読んだことはないがタイトルだけは知っている。インターネットで調べるとそこそこの値段をしているため、斜め読みできれば十分だと思い図書館で読むことにした。三交代が日勤の日の終わりにその足で図書館に寄った。
図書館の隣にある運動場のうち、テニスコートは大学生の頃よく利用したのを覚えている。中学、高校、そして大学と、部活やサークルでテニスを続けていたが、社会人になってからはグループに属しておらず、相手がいないことや時間が取れないことが原因でめっきりプレイしなくなってしまった。元々成績が良かったわけではなく、ただなんとなく続けていただけなので特に悔いはない。それに、激しい運動は片頭痛を引き起こしかねない。
図書館の中は蒸し暑く、本にとっても人にとっても良い環境とは言えないものだった。中学生の頃、司書になりたかった僕は学校の職場体験学習に地元の図書館で働かせてもらったことを思い出す。田舎の図書館は利用者数が少ない、いわゆる箱物施設であったが、空調はしっかりとしていて快適だった。時代の違いだろうか。ともかく、用事を済ませてさっさと帰ろう。
受付近くの端末で「利己的な遺伝子」を検索すると、残念なことに貸し出し中のようだ。そこまで熱心に読みたいとは思っていなかったためがっかりはしなかった。それに、読書など久しくしていないので難しい本は読めないだろう。後でインターネットで解説でも見てみよう。しかし、収穫もなしで帰るのは
図書館二階の窓際の通路の一角に、一つだけぽつんとある机と椅子。二階を訪れる人はただでさえ少ないのに、そのほとんどが階段近くの棚をうろうろするだけで、郷土風俗の古い本ばかりのこの辺りには誰も来ない。
図書館からの帰り道、僕はいつもの公園を通るか迷った。ミキに会いたくなかったからだ。彼女のことは好奇心の観点から魅力的だとは思うが、僕には手に負えない、一度動き出したら暴走しかねない儚さがあった。しかし、どうしても確かめたいことがあった。僕は公園の土の道へ歩みを進める。
やはりと言うべきか、ベンチには彼女が座っていた。
「ミキさんは、なんのために生きていますか?」
「私はあなたのために生きています、竹見さん」
「そういうロマンス詐欺みたいなおだて上げる臭い台詞はいらないです」
「本当です。では竹見さん、あなたはなんのために生きていますか?」
この質問返しは予想できていた。しかし答えは用意していない。用意できていない。二十年以上考え続けた今でも答えは見つかっていない。有り体に言えば、生きる目的や意味などないのだろう。それを探すためというのも論点先取しているだけで根本的な答えになっていない。人生は苦しい。これは事実だ。苦しみから逃れるために苦しみの存在を否定しても、それ自身が苦しみを認識することであり、苦しみからの解放のためには苦しみを意識しないことという大きな矛盾がある。だからこそ僕は……。
「『なんのために生きるか』に執着しないため……ですかね」
「あはは、苦しい答えですね。それでは執着しないことに執着していることになりますね」
執着しない、執着しないことに執着する、執着しないことに執着することに執着しない、……。
「竹見さん、『人それぞれ』にしろ、『やってみないとわからない』にしろ、『常識で考えろ』にしろ、その論の否定をも取り込んで初めてその論足りうるんです。無矛盾律の否定を論そのものを含む論として高次元化して成り立たせていますが、自己言及するとさっき竹見さんが考えた通り論点先取で無味無臭のトートロジーになってしまうんです。評価を行う理論は対立する理論に対して退歩することを要求することによってしか自身を正当化できないんです。つまり、どういうことか、わかりますよね……?」
「わ、わからない……わかりたくない……」
「うふふ、もうとっくにわかってるくせに」
ミキは僕の耳元でささやく。
「死にたいから生きてきたあなたは、生きるために死ぬのです。自分で自分を殺し、自分が自分に殺されること。自分自身と心中することで、画竜点睛が完成するのです」
そのままミキは僕に近づき、
『私は自殺するには利己的すぎるから』
今ならわかる。死にたいから生きる。執着しないことに執着する。生きるために死ぬ。これ以上は言葉にできない。感覚、概念で理解した。もしもこの体験を小説に書こうとしたならば、文字にできないなど小説という媒体を根本から否定する表現で、駄作間違いないだろう。しかし、言葉で伝わることなどせいぜい全体の二割ほどで、お互いの解釈で復号して上っ面だけをそれっぽく理解しているだけにすぎない。そして真の理解は自分自身ですら理解できない領域にある。ジグソーパズルを完成させたと思った僕は、現実という名のジグソーパズルの一ピースをようやく手に入れただけだった。理解というのは百か零かではない。アンビバレントな感情のもと、複数の矛盾し相対する物差しが交差し合い、立体的、より高次元的に重ね合わせてようやく形を持てるものだ。僕は理解した。自殺しよう。画竜点睛をしよう。
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