第2話 それなら、安心だな
「うう、またお祈りメール」
千晶がスマホの前で突っ伏している。猫のキャラクターのクッションに顔をうずめているため、あまり悲壮感はない。けれど、本人はそうではないようだ。一応、それは私が大事にしているクッションなのだが、今は注意するのも忍ばれる。
お祈りメール。
つまり、企業からの不採用通知が届くのはこれで……。
「お祈りメール、何通目だっけ」
「傷を抉らないで」
「……ごめん。単純にどれくらいだったっけと思って。ほら、大学でもみんな話してるし。もう何通目とかよく聞くから」
「それは、そうだけど。だからと言って私の辛さが和らぐわけではない」
「そうだね。ごめん」
「いいなあ。弥生はもう決まってるもんね」
「うん」
頷くもののこれは少し気まずい。千晶が顔を上げて私を見ている。恨めしそうな顔をしていると思うのは気のせいだろうか。
「そう言われても、私だってたまたま受かっただけだし運がよかったんだよ。さっさと決まってる方が珍しいんだから」
「そうかもしれないけど」
「さっきも言ったけど、みんな決まってないし」
「でも、弥生は決まってる」
私は黙る。黙ってしまう。堂々巡りだ。千晶はいつも細かいことを気にしないように見えるし、他の友人たちにもそう思われている。だけど、本当は落ち込み始めるととことんまで言ってしまう性格だということを私は知っている。
「それだけで焦る」
「……うん」
私にもなんとなくわかる。これが逆だったら、私だってきっと居心地は悪かったと思う。
「ねえ、私がこのままニートになったらさ、弥生が面倒見てくれる?」
「なに言ってるの」
「ほら、弥生って面倒見がいいじゃん」
「まだ全部落ちるとは決まってないでしょ」
「ここまで来たら全部落ちる自信がある」
さっきまで弱々しい声を出していたくせに、こういう時だけやけに自信に満ちているところが困る。
「でも、別にどうしてもって言うならフリーターとかでもいいんじゃないの?」
「それは、大学卒業してもずっと二人で暮らせるってこと?」
「……もちろん、そうだったらいいなとは思ってるよ」
「私もだよ」
ごろん、と千晶が床に転がる。
「もう少し、がんばろ」
「うん」
千晶の呟きに答えながら、私はふわふわの猫っ毛を撫でた。千晶の髪の毛は私の指をさらさらとこぼれ落ちていく。
* * *
「おう、また落ちたか
「そうなんですよ~」
大学の廊下で、角を曲がろうとすると千晶の声がした。田辺千晶。彼女のフルネーム。
千晶は教授と話しているようだ。
「ま、でも田辺のことだから大丈夫だな。まだまだチャンスはある。諦めなければなんとななるだろ」
「あはは、その通りですね」
「全くお前ってやつは、笑ってる場合か」
教授の言葉に、一際大きく千晶が笑う。なんで気付かないんだろう。千晶だったら大丈夫だなんて言うんだろう。
誰だって、こんなの大丈夫なはずないのに。
「え、千晶ちゃんまた落ちたの? 大丈夫?」
廊下の向こうから歩いてきた千晶の友達が話し掛けている。
「聞かれちゃったか~」
へらへらと千晶は笑っている。平気そうな顔をして笑っている。なんでもないって顔をして笑っている。
「夏休み入るまでには決まるといいんだけどね」
「だね。それまでには決まるでしょ。大丈夫だよ、千晶ちゃんなら」
出ていこうかと思った。出ていって、千晶と引き離そうかと思った。
私はそこで立っていたままだった。
千晶の友達に当たっても仕方ない。
「もうすぐお昼だしお腹空いたよ。千晶ちゃんも行く? 今ならまだ空いてるよ」
「おー、行く行く」
「そうだな。腹が減ってると思考も鈍るしな。行ってこい行ってこい」
教授が千晶の背中をいかにも親しげに叩く。私の千晶に気安く触らないで欲しい。千晶はどこかみんなに可愛がられがちなところがある。猫みたいに。
「痛い。力強いっす」
「おお、すまんすまん」
二人で笑い声を上げる。なんで男なんかに触られて笑っていられるんだろう。無理に? それとも自然に?
千晶は就活のことも教授に触れられたことも忘れたように友達と連れ立って歩いてく。何かを話して楽しそうに笑っている。後ろ姿を私は見送る。また誰かが千晶に声を掛けた。千晶は当たり前みたいにそれに答える。千晶は知り合いが多い。私と違って。
猫みたいに自由な千晶が好きだ。だけど、私以外の人と笑って話しているのを見るのは少し、辛い。独り占めしたいと思ってしまう。誰も知らない千晶を知っているだけでも幸せだと思うのに、感情が抑えきれないときがある。
教授がこっちに向かって歩いてくる。私は顔を引っ込めて踵を返した。千晶のことなんて見なかったことにして、そういうフリをしてさっきから普通に歩いていたみたいに千晶とは逆方向へ歩いていく。
* * *
夏休みは一緒に過ごした。一緒に住んでいるのだから当たり前なのだが。
千晶はお盆も実家に帰らなかった。だから、私もそうした。
「面倒だし」
千晶は言った。そして付け足すように呟いた。
「それに、少しでも弥生と一緒にいたいし」
私も千晶と二人で過ごす時間が多いのは嬉しい。けれど、そう言った千晶の顔が少しさみしそうだった。
大学生活最後の夏だ。
私は言った。
「これからも一緒にいる?」
そうだと思っていた。私も千晶も、大学進学のために地方から東京に出てきた。
私は東京で就活した。千晶もそうだ。だから、当たり前のように来年も二人でここにいるのだと思っていた。
千晶の就職先はまだ見つかっていない。
千晶はまだ答えない。
「私、この部屋気に入ってるし、就職先もここから通えるしさ。ほら、二人で暮らそうって言われたときにはびっくりしたけど、親にも友達と一緒ならって言ってもらえたし。女友達なら安心だって。本当は恋人とかそんなこと言わなきゃいいだけだし。家賃だって安く済むし」
私はまくし立てるように言う。
千晶は困ったように笑う。
「でも、私が就職浪人になったらただのヒモになっちゃうよ」
「それはバイトでも何でもしながら就職先ゆっくり探すことだって出来るんじゃない?」
私はムキになっていた。この先が聞きたくなかった。なんとなく、ここまで来ると想像が付いた。
「あのさ、就職先が見つからなかったら帰って来いって」
「え?」
「東京でぶらぶらさせてるような金は無いってさ。それなら帰ってきて就職先探せばいいって」
「そんなの。向こうに帰ったからって、うまくいくわけでもないのに」
「だけど、そっちの方が安心なんだよ」
「安心のために帰るんだ」
言ってしまったと思った。いつも適当にしているように見える千晶が黙り込んでしまったからだ。責めているように聞こえたと思う。
千晶はぽつりと言った。
「がんばってるんだけどな」
千晶はあの猫柄のクッションを引き寄せて顔をうずめた。
それから何かを言った。
「……になろうかな」
「なに?」
聞き取れなかった。
「ううん。なんでもない」
千晶はただ首を振った。
「私も弥生と一緒にいたいよ」
それはくぐもった声だったけれど、ちゃんと聞こえた。
「だったら、ヒモでも構わないよ。ずっとは、困るけど」
「うん」
クッションごと千晶が頷く。
「私、猫だったらよかったな。そしたら、いるだけで可愛いって言ってもらえるし。猫、なろうかな」
「そりゃ、猫ならいるだけでも可愛いけど」
「だよね」
「まあ、元々千晶なんて猫みたいなものだけど?」
好き勝手しているくせに時々妙に真面目な顔をして、よくしてくれている人にほいほいすり寄っていく。それなのに私にだけ懐いているような弱みを見せる。
千晶が顔を上げる。そして、笑った。
千晶はズルい。
猫みたいに、いるだけで可愛い。世話を焼きたくなる。私はいつも甘やかしてしまう。私は誰にでも可愛がられるような千晶が、私の前でだけ見せてくれる顔が好きだから。
「あのさ、弥生は猫になろうとか思わない?」
「えー」
私は考える。考えて。
「私はいいや。猫になったら猫を愛でられないでしょ。可愛がる方が私はいいな」
「そっか。そうだよね。弥生は、そうだよね」
私の返事に満足したのかしていないのか、千晶は笑った。そして、言った。
「それなら、安心だな」
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