第7話 フーテンの冒険

「ニャー、ニャー」と、猫の鳴き声が聞こえた。

「勝手口の前辺りね……」

と、座敷に腹這いになって、エラリー・クインの『スペイン岬の謎』を読んでいた、中学生の少女が呟く。文庫本に栞を挟んで、視線を声のした方向に向けた。

「シズカ、あの声は、サンシロウ?」

と、同じ座敷の上の座布団に丸くなっていた、白猫に少女は問いかけた。

「オト、残念ね!あの声はリョウよ!」

と、左右の眼の色が違う白猫が、人間の言葉で答えた。

「ええっ!リョウなの?あいつ、また、猫語を喋りだしたのか……。恥ずかしいから、止めろ!って言ったのに……」

「どうやら、見知らぬ猫がいるようね。警戒心を解くのに、猫の鳴き声をしているのよ。リョウは本当に優しい児(こ)なのね……、シロウの時もそうだったわ……」

と、白猫はこの家の飼い猫になった時のことを思い出して、呟くように言った。

「わたし、様子を見てくる」

と、言って、オトは土間のサンダルを突っ掛けて、勝手口から、表に出た。

勝手口を出たすぐ前に、ボーっと、突っ立ったままの弟の背中があった。

「リョウ、何、ボーっと突っ立ったっているのよ!猫がいたんじゃない?」

と、オトがその背中に声をかける。リョウは返事をしなかった。

いつもと違う弟の様子に、視線を少し、前方に向ける。

勝手口は、車一台が通れるくらいの路地に面している。その道を挟む格好で、黒猫を胸に抱いた長い髪の少女が立っていた。

(外国人?)と、オトが思ったのも無理はない。その少女は、髪の色が金髪に近い、茜色で、瞳はハシバミ色をしていたのだから……。

「ありがとう!クロベーを捕まえてくれて……、リョウ君ね?そちらは、お姉さんのオトさんかしら?また、改めて、ご挨拶に伺います……」

流暢な日本語で、そう言って、少女はペコリとお辞儀をすると、背中を向け、路地を離れていった。

「誰?あんたの知り合い?あんな外人の友達は……、いないよね?」

と、オトがリョウに尋ねる。リョウは少女の背中をボーっと突っ立ったまま、見送っている。

「オードリー・ヘップバーンだ……、妖精のような……、理想の少女……」

「へえ?あんた、大丈夫……?」

「姉御、ちょっと、相談事があるんですが……」

寂れた稲荷神社の社殿で、大きなトラ猫が、床に丸くなっていた、シャム猫に声をかけた。

「なんだい?あたしゃあ、疲れてるんだよ!たいしたことない相談だったら、承知しないよ!」

と、丸まったまま、顔だけを向けて、リズが言った。

「たいしたことない、って言われりゃあ、そうなのか、って思いますがね……。いや、デェじな話でさあ。フィリックスの野郎のことなんで……」

「フィリックス?そういやぁ、あいつ、どうしたんだい?あたしに挨拶なしで、元の住処(すみか)へ帰っちまったのかい?」

「そ、それが……」

フーテンは、ゾロ(=リョウ)をやっつける作戦が失敗して、フィリックスが猫屋敷に人質ならぬ、猫質になったことを話した。ただし、自分は見逃してもらったのではなく、自力で脱出してきたことにしている。

「フウン、フィリックスの催眠術が通用しなかったのかい?あいつらも、進化しているようだね?三毛猫にも、不思議な能力があるみたいだし……。それで?相談というのは……?フィリックスを助け出す作戦を授けて欲しいのかい?」

「いえ、それより、フィリックスがルビーを集めて、どうするつもりだったのか?誰かに渡すつもりだったようなんですが、フィリックスが監禁されているんじゃあ、取引ができねえでしょう?なんとかしてやりてぇんでさぁ……」

盗んだルビーをどうするつもりだったのか?黒幕という、取引者がいるのか?それを調べる約束をクロウとしているのだ。フーテンは、義理堅くも、約束を守るつもりなのだった。

「へえ、フーテン、おまえが、フィリックスの代わりに、ルビーの取引をしようというのかい?フィリックスと義兄弟の盃でも交わしたのかい?」

「い、いや、盃は交わしちゃあいねえが、あいつとは、何故か、前世から関わりがあったような……、妙な気分なんで……」

「フウン、フーテンとフィリックスが、前世でね……。現世なら、関わりがありそうだけどね……」

「あ、姉御!何か知っているんですか?」

「ああ、たぶんだけどね。あいつは、クロウの孫だよ!」

「な、なんですって!クロウの孫って……、クロウの子供は、今、シロウって名前の子猫だけ、シロウはまだ、子供を作れる歳にゃあ、なってませんぜ!」

「と、思っているのは、おまえだけ……」

「しかし、クロウの子供はあの時、皆殺しにしたはずですぜ!」

「残念だけど、一匹だけ、おまえが息の根を止め抜かった黒猫がいたのさ。その子をシズカが屋敷から逃がしたんだよ!フィリックスは、その黒猫の子供さ」

「逃がした?いや、それをどうして姉御が知っているんで……?」

「フフ、わたしも若かったんだねぇ。クロウそっくりの子猫が不憫になってね。黙って見逃してやったんだよ!怪我をしていたし、生き延びるかどうかは、半々、いや、三、七で助からないほうだったんだ……」


「今日から、このクラスに新しいお友達ができました……」

黒板の前の教壇に、両手をついて、リョウのクラス担任の華子先生が言った。

教壇横のドアが、横にスライドして、廊下から、副担任の若い康男先生に導かれて、少女が教室に入ってきた。

「あっ!」

静まりかえっていた、教室の中に、リョウの驚きの声が、響いた。

「新しい、お友達よ!お名前は……」

と、華子先生がその少女を紹介し始める。

「ルナ・オオモリ・ロパンといいます!父はフランス人、母は日本人。つまり、ハーフです。よろしくお願いいたします!」

と、元気よく、自己紹介をして、大きくお辞儀をした。ポニーテールの茜色の後ろ髪が、獅子舞のタテガミのように前方に揺れた。

「パチパチパチ!」と、ひとりが叩く、拍手が教室に響く。それにつられるように、ふたり目が拍手を送る。そのあと、生徒全員が拍手をし始めた。ふたりの教師が、唖然とした表情を見せたあと、気を取り直したように、拍手の輪に加わった。

ルナと名乗った少女は、前日、リョウの家の勝手口前の路地で、黒猫を胸に抱いていた、妖精だった。

最初に拍手をしたのは、リョウだった。ふたり目は、マユミだった。

「ルナさんの席は……」

と、華子先生が教室内を見回す。

「あの子の横が空いていますね!あの席にします……!」

「フウン、リョウのクラスに、妖精のような転校生か……。それで、その少女の席は何処になったんだ?まさか、リョウの隣が空いていた、なんて結末かい?」

従兄の政雄がオトから転校生の話を訊かされている。話の途中で、オトが煎餅に手を伸ばしたので、結末を尋ねたのだ。

「残念、空いていたのは、マユミちゃんの隣、でも、隙間はあるけど、リョウの隣でもある席らしい……」

と、煎餅をパリっと音を立てて、噛み砕きながら、オトが答えた。

「そいつは、ラッキーだね!リョウの奴、女性運に恵まれているんだ……」

「フフ、マサさんには、無いからね、羨ましいか……?いや、ラッキーとは、言えないのよ……」

「ええっ!それ、どういうことだ?」

「女難の相がある!か、どうかは知らないけど、少なくても、レイコとショウコからは、冷たい、どころか、針で刺すような視線が送られたはずよ」

「ああ!ライバル出現?しかも、リョウがメロメロ……?」

「そういうことよ!あいつ、お祓いしたほうがいいかもね」

「なんだい?リョウのガールフレンドの話かい?」

と、祖母がお茶を運んできて、会話に加わる。

「うん、転校生がきたんだって!しかも、外人、というか、ハーフ。赤毛のアンなのよ!」

「外人さん?そういえば、大森さん家(ち)に孫が帰ってきた、って訊いたわね」

「大森さん?例のルビーの指輪を盗まれた、お金持ちの未亡人のこと?孫がいたの?」

「そうだよ!未亡人っていったって、未婚じゃあない。旦那さんは早く亡くなったけど、娘さんがいるのさ。なかなかの美人で賢い娘(こ)で、東京の大学へ入ったんだよ。そこで知り合った男と恋をして、結婚、って話になったんだけど……」

「ばあちゃん、話が長いね!まさか、その娘さんの相手がフランス人で、できた孫が、ルナって名前じゃあないでしょうね?」

祖母が話の途中で、お茶を口にした。そのタイミングで、オトは話の結末を予測したのだった。

「おや、オトは知っていたのかい?」

と、祖母は驚く。

「知らないけど、リョウのクラスの転校生の話に、ばあちゃんが乗ってきて、大森さんの話をする。転校生のミドルネームが確か『オオモリ』だったから、簡単な推理よ」

「そうかい?オトは頭が、いいんだねぇ……」

「リョウでもわかるよ!マサさんもわかっていたよ!ねえ……?」

と、祖母の横に座って、お茶を飲んでいた従兄に確認するように言った。

「ブッ!ま、まあ……ね」

と、お茶にむせながら、政雄が答える。実は何も考えてなかったのだ。妖精のような美少女でも、小学生。政雄の恋愛対象外の話なのだから……。

「それで?ばあちゃん、簡潔に、わかりやすく話して。ルナちゃんのご両親と、転校してきた理由を……」

「あたしも詳しいことは、知らないよ……」

と、いいながら、祖母はかなり詳しい家庭の事情をふたりに語った。

ルナの母親は、大森清華(さやか)。父はフランス人で、ミシェル・ロパンというそうだ。ロパンの父は外交官で、大使館に勤めていた。ミシェルは次男坊。清華と大学のサークルで知り合い、恋に落ちて、子供ができた。つまり、できちゃった結婚なのだ!大森家では、大反対。結局、ふたりは、駆け落ち同様に籍を入れた。そして、ルナが生まれ、大森家では、主人が亡くなった。未亡人、且つ、独居人になった大森夫人、清子(きよこ)さんは、主人の遺言を守って、娘を勘当したままだった。

ミシェルは、フランス料理の店に勤め、数年後、独立して、店を開いた。清華は、子育てをしながら、才能を活かし、作家活動をしていた。

順調だったミシェルの店が経営難に陥った。ミシェルの父が国に帰り、その後亡くなった辺りから、運命の歯車が、下降線を描き始めた。続いて、母親が夫の後を追うように亡くなると、資金援助は期待できなくなった。そして、次第に顧客離れが起こり、赤字が膨らみ、清華のささやかな執筆の原稿料では、生活できない状況に陥った。

そんな時、ミシェルの浮気が発覚した。清華とミシェルは、協議離婚。収入のない──慰謝料も払えない──父親ではなく、裁判所は母親の清華にルナの親権を認めたのだ。

清華の収入は、何冊かの書籍の印税と、週刊誌や雑誌、新聞に小さなコラムやエッセイを書いての原稿料。ミシェルからの養育費は、滞りがちだった。

最後の頼みの綱が、勘当扱い継続中の実家だけだった。清華は、母親に頭を下げた。母親の清子は、主人の遺言を頑なに守って、娘は許さなかったが、孫の面倒はみることを認めた。

清華は、今、ミシェルが滞っている、慰謝料と養育費の請求の裁判中である。裁判の結果次第で、娘を手元で育てることができるのだ。大森未亡人も、可愛い孫のためには、夫の遺言を無視することにした。

「フウン、複雑な家庭環境ね……」

「しかし、それじゃあ、いつまでこの街にいるかも知れないよ。裁判で勝って──たぶん勝つと思うけど──母親の元へ帰る……。リョウの初恋は、むなしく、散っていく……」

「まあ、初恋だからね、キレイなままで、淡い想い出で、終わればいいのよ……」


「あ、姉御、その格好は、どうしたんで?まるで、フィリックスそっくりじゃあねえですかい……?」

稲荷神社の社殿の板の間で、フーテンは賽銭箱の下から出てきた、ほぼ黒猫に驚きの声をあげた。

リズがいつも、賽銭箱の下で、いろんな猫に変身しているのを、事前に知らなければ、その猫を姉御ではなく、フィリックス、と呼んでいただろう。

「あたしが、アメリカン・ショート・ヘアーのトミーに変身して、あの娘(こ)にテレパシーを送っているのは、知っているだろう?だから、フィリックスに変身すれば、あいつと通信ができるはずさ!」

「でも、フィリックスとつながって、どうするんで?あいつにルビーの取引のことを訊きだすんですか?あいつは喋りゃあしませんぜ……」

「フフフ、喋ってくれなくてもいいのさ。心がつながりゃあ、秘密の一部が垣間見える。ヒントをもらえるさ。しかも、あたしには、少しだけ、思い当たる節があるんだよ!」

「ヒエー!姉御、そこまで、能力が進化しているですか?」

「ああ、フーテン、お前が嘘をついていることもね……。屋敷から逃げてきたんじゃなくて、見逃してもらったんだよね?しかも、条件付きの取引をして……」

「あ、姉御!も、申し訳ございません!」

と、フーテンは頭を床に押し付けるようにして、謝った。

「いいんだよ!お前が無事だったことのほうが大事なことさ……」

「あ、姉御!それほど、俺のことを……?」

どづかれる、か、愛想づかれる、か、と覚悟していた、フーテンは、予想外のリズの言葉に感動の涙をこぼした。

「バカだね、泣くんじゃないよ!お前には、命を救ってもらったからね。死ぬ時ゃあ、一緒だよ!」

「姉御!俺の命なんざぁ、惜しくもねえ!姉御のためなら、いつでも、命を張りますぜ!」

元気を取り戻したフーテンが、胸を張って宣言する。

「ああ、フーテン、頼りにしているよ。これから、ヤバいことが起きるかもしれないからね……」

「姉御が言ってた、ハチの住処ってのは、この辺の筈だが……」

フーテンは繁華街から少し離れた、川沿いの小路を歩いている。

リズがフィリックスとのテレパシーによる、通信を試みた。フィリックスは、最初は猫屋敷のクロウか、他のエスパー・キャットが、リズを装って話しかけているのかと疑っていた。だが、稲荷神社の賽銭箱の下の空間のパワーのことなど、リズしか知らないことを訊くうちに、リズからのテレパシーだと確信したのだった。

リズがフィリックスを助けるために、ルビーの取引先を教えてくれ、と言ったが、フィリックスは拒否をした。今、教えれば、どっちにしても、自分は助からないからと……。

リズは話題を変えて、フィリックスの弟分のハチに頼みがあるんだが、どこへ行けば会えるか、と、尋ねた。フィリックスはそれについては、隠さず教えてくれたのだ。

その場所にフーテンは向かった。フィリックスの元の住処は、ハチに訊けばわかるはずだ。リズはその近くに、ルビーを欲しがる何者かがいる、と感じていたのだ……。フィリックスの心の隅を、覗き込んで……。

「フーテン、気をつけるんだよ!フィリックスの取引先は、ただの宝石マニアじゃないよ!かなり、ヤバい……、生き物……」

最後は、予言のような言葉をリズは伝えたのだ。

「おい、兄さん!この辺りにハチって名前の白黒の野良猫がいねぇか?」

ちょうど、路地から現れた、キジトラの年寄のオス猫に、フーテンは声をかけた。

「ハチ?ああ、額に八の字に似た毛のはえてる、ヤクザな野郎か?お前さん、あいつの身内かい?」

「身内じゃあねえが、知り合いでね。ちょいと、用があるんで……」

「知り合い?敵か味方か?」

と、キジトラが警戒気味に言った。

「敵?あいつに敵がいるんですかい?」

素直に驚いて、フーテンは答える前に尋ねる。

「野良猫だからな、縄張り争いがあるんだよ!ハチってのは、元々、この辺に縄張りを持っていたんだけどね。何かうまい話があって、出ていったのさ。ところが、うまくいかなくて、帰ってきたんだが、その間に、別の野良猫たちが蔓延ってきたんだよ」

と、キジトラは、この地域の状況を語った。

「へえ、ハチの縄張りは、フィリックスって兄貴分が仕切っていたんじゃないのか?」

と、フーテンは独り言のように呟いた。

「お、お前さん、フィリックスを知っているのか?いやいや、その名前は、口にしちゃあいけない名前だぜ!その名前の黒猫は、化け猫だからな……。ハチはそいつがバックにいたから、縄張りを仕切っていたようなものだぜ!」

「化け猫?ああ、少しは変わった能力を持っているな。だが、化けものじゃあねえ!この辺りの猫には、化け猫に感じるかもしれねえが、俺たちには、普通の猫だよ」

「へえ、兄さん、それじゃあ、兄さんも、化け……、いや、特別な猫なんで……?」


「オトちゃん、リョウ君、ちょっと、お時間いただけるかしら?」

上品な白髪混じりの老女が声をかけてきた。夕刻、スーパーマーケットからの帰り道である。

「あら、大森の、おばあ……、おばさん……」

と、オトは老女の呼び方を咄嗟に変えた。

「いいのよ、十分、おばあさんだし、リョウ君と同い年の孫がいるんだから……」

と、大森清子は笑って言った。

「はい!では、大森のおばあさま、少しのお時間でしたら……、どんなご用でしょうか?」

と、オトが尋ねる。

「実は、その孫のことでね……」

「ルナさんが、どうかしたんですか?」

と、リョウが、姉の背中から、身をのり出して尋ねた。

「髪を切るって言い出してね……。どうやら、イジメにあったようなんだよ……」

「イジメ?誰が、どんなことをしたんですか?」

「三人組の男の子らしいの。髪の毛の色とか、長さが校則違反だ!と、言って、ポニーテールの髪を引っ張って、猫の尻尾か?ってからかわれたんだって……」

「三人組?ははぁん、三馬鹿大将か……、髪の色は、染めるのは、ダメだけど、地毛は認められているし、長い髪もきちんと、束ねて結んでいれば、OKだよ!」

「リョウ、言いがかりだよ!悪ガキ三人組は、可愛い転校生にちょっかいをかける口実に校則を使っただけさ!それで、ルナさんは、髪を切るって言い出したのですか?担任の先生に相談すれば、切る必要などありませんよ!」

「いや、髪を切る気になったのは、それがきっかけだけど、別の理由があるのよ。髪の毛を引っ張られているところへ、女の子が通りかかってね。強い言葉で、ルナを庇ってくれて 、先生に言い付けるって言ってくれたら、三人組も引き下がったらしいの」

「女の子?誰かしら?勇気がある娘(こ)ね……」

「何でも、ルナの隣の席の子で、とても親切にしてもらっているそうよ」

「マユミか?おとなしそうな娘なのに、やる時は、やる娘なのね……」

「でも、それなら、髪を切る必要はなくなるんじゃないですか?」

「リョウ君、あなたは、長い髪と、ショートヘアーと、どちらが好き?」

「僕ですか?いや、髪の長さは……どちらでも……」

「でも、あなたはオードリーのフアンなんでしょう?『ローマの休日』の王女さまの髪型が……」

「ま、まさか、ルナさんはリョウの好みの髪型にしようとしたんですか?」

「姉貴、それはないよ!」

「それがね、そのマユミさんと仲良くなって、マユミさんがリョウ君がルナを好きになっているって言い出して、リョウ君の理想は『ローマの休日のオードリー・ヘップバーン』で、ルナはそのイメージどおりだって……」

「ああ、そういえば、『ローマの休日』の映画の中で、髪を短くするシーンがあるわ!彼女が『妖精』のように見えるのは、あの髪型が評判になったから……」

「フウン、リョウの初恋は、かなり有望な状況か……」

オトの家のいつものちゃぶ台を囲んで、政雄が、ルナのイジメから、髪の毛を切る話を聞かされている。

「マサさん、かえって、サヨナラが辛くなるよ!可哀想だけど、未来は確定的なのだから……、片想いのままが幸せだった気がするのよ……」

「そうかな?オトは失恋の経験がないから……、片想いや失恋はやっぱり辛いよ!結ばれなくても、好きだった同士なら、素敵な想い出になるし、もっと先の未来で、再会する可能性だってあるだろ?」

「フウン、片想い、失恋経験者は、そう思うのか……」

「あのね!僕は失恋したことはないんだ!片想いはあるけどね」

「オクテで、告白したことがないんだから、失恋はしないか……」

「いや、それより、僕に用があるんだろう?リョウの初恋の話じゃあなくて……」

従妹の嫌味をかわすように、政雄は話題を変えた。

「そうそう、大森のおばあさまの話には、続きがあるのよ!」

「続き?ルナちゃんのイジメ以外にかい?」

「そう、ルナの飼い猫のことでね……」

「飼い猫?ああ、クロベーとかいう、黒猫かい?まさか、フィリックス同様の泥棒猫なんて言わないよね?」

「近いかも?まだ、泥棒猫とは確定していないけど、おばあさまの話だと、クロベーがルナちゃんと会話していたらしいのよ!」

「会話?つまり、クロベーも猫屋敷の猫たちと同様に、死んだ猫の魂が乗り移って、『二重人(猫)格』の猫で、人間の言葉を喋る、ってことかい?」

「わからないわ、クロベーが『二重人格』かどうかはね。ただ、おばあさまはルナちゃんが、イジメにあって帰ってきた後、心配して、部屋を覗きにいったのよ。そしたら、話し声がして、ルナちゃんとは違う男の声が聞こえて、ルナちゃんがその相手をクロベーと呼んでいたそうなの。部屋には、ルナちゃん以外に人間はいない……」

「フウン、それで、その会話の内容は?」

「髪型の話で、リョウの好みの短い、オードリーカットにした方がいい、って男が勧めていたんだって……」

「クロベーがね……?それで、僕にどうしろ、というのかな?」

「出かけるのよ!」

「何処へ?」

「クロベーが捨てられていた、という場所へね……」


「おい!ハチ、ずいぶん探したぜ!」

フーテンが小さな水神さまを奉った祠の床下で、毛繕いをしていた、白黒猫に声をかけた。

「こりゃあ、フーテンの兄貴、お久しぶりです!俺を探していた、って、何かご用ですかい?」

「ああ、おめえの兄貴分のフィリックスのことでね……」

「あ、兄貴、その名前は、大きな声で言っちゃあいけねえ……」

と、ハチが慌てて、辺りを見回す。

「何だ?この地域じゃあ、フィリックスは、化け猫扱いなのか?キジトラの年寄もそんなこと言ってたぜ……。だが、おめえの兄貴分なんだろう?なんで、おめえまで怖がるんだ?」

「兄貴じゃあねえんで……。俺は手下というか、一兵卒にすぎないんですよ。人間の世界でいうと、ヤクザの幹部があいつで、俺は遣い走り、か、良くて、鉄砲玉なんです……」

「でもよう、おめえ、この前の猫屋敷を襲撃したあと、何匹かの野良猫を連れていったじゃねえか?あいつらは、どうしたんだ?」

「全滅でさあ……」

「全滅?何があったんだ?」

「ここら辺は、俺ともう一匹の猫で、牛耳っていたんですがね……」

と、ハチは語り始める。

バックに、フィリックスがいたおかげで、敵対する勢力はなかった。だが、ハチがリズの誘いで、この場所を離れたとたん、縄張りを荒らす集団が現れた。ちょうどその時期、フィリックスもルビーを盗む初期段階にあって、敵対する勢力に、張り合うことはなかったのだ。

ハチが数匹の野良猫を連れて帰ってきた時には、縄張りは残ってなかったのだ。そればかりか、ハチたちは待ち伏せに合い、ハチ以外の猫は、ほぼ全滅か、一匹か二匹が逃亡したくらいだった。かろうじて、ハチは囲みを破って逃げだしたのだ。

「へえ、縄張りをすっかり、取られちまった、ってことかい?それで、あのキジトラの爺さん、おめえの居場所を知らなかったのか……?と、したら、俺が途中で因縁をふっかけられた、猫たちは、おめえのいう、敵対勢力ってわけか……」

「兄貴、ここへ来るまでに、いざこざがあったんで?」

「ああ、三匹ほどの人(猫)相の悪いガキどもが、行く手を遮りやがったから、軽くあしらってやったのよ!」

「いけねえ!兄貴、三匹のバックには、二十匹のヤクザな猫がいますぜ!ここもすぐに見つかる!仕方がねえ、取っておきの場所へ逃げ(ズラカリ)ましょう!」

「逃げる?そんな必要があるのか?それと、取っておきの場所、っていうのは……?」

「フィリックスの元の住処ですよ……」

「ここが、クロベーを拾ったという場所かい?」

カワサキのバイクを停めて、ヘルメットを外しながら、政雄がオトに尋ねた。

そこは、街外れの、川の対岸に建てられた洋館だった。

「パッと見は、教会風ね。十字架に風見鶏……。でも、空き家のようね?」

キャットウーマンの衣装のオトが、ヘルメットを小脇に抱えたままで言った。

「こんな所へ、ルナちゃんは何の用があって来たのかね?」

「この家は、大森のおばあさんの実家の所有だそうよ。ルナちゃんのお母さんの清華さんは、子供の頃、この屋敷や、前の川で遊んでいたの。それで、ルナちゃんをおばあさんに預ける前に、懐かしい場所へルナちゃんとふたりで来た、ってことね……」

「なんで、空き家になったんだ?」

「殺人事件があったらしいの。ここは、元々、別荘として建てられたのよ。で、普段は、閉められていて、近所の人を管理人に雇っていたのよ。その管理人の娘さんが、殺されていたのよ!この家の中でね……」

「それで、犯人は、捕まったのかい?」

「お宮入り……。ゆきずりの犯行だと思われたのよ……だって、娘さんはまだ、中学一年生。それに、乱暴された形跡があったそうよ」

「乱暴?それは、性的な乱暴ってことだね?と、したら、変質者の犯行の可能性が高い!それなのに、お宮入りかい?」

「犯人につながる、遺留品はなかったのよ!乱暴されたけど、最後までの行為には至っていない。抵抗して、それで刃物で刺されたようなの」

「まあ、殺人事件があった屋敷ってことはわかったけど、それだけで、空き家になったのかい?」

「悲劇が続いたのよ……。娘を殺された管理人の夫婦が、この屋敷で……、首吊り自殺……。いや、無理心中かもしれないわ。奥さんが首を斬られて血だらけで死んでいて、旦那さんが、梁にロープを縛って、首吊り自殺していたそうよ……」


「ここが、フィリックスの元住処という場所かい?空き家のようだが……」

と、フーテンがハチに案内された場所を見上げて尋ねる。

「人間が住まなくなって、二十年ほどですかね……?」

「ほおぅ、幽霊屋敷とでも、呼ばれているのかい?」

「別名『猫喰らい屋敷』で……」

「なんだって?『猫暗い屋敷』?猫が暗闇で暮らしているのかい?」

「兄貴、明るい、暗い、じゃあなくて、喰らう、つまり、食べるってことですよ!」

「なんだって?家が猫を食べるっていうのかい?」

「ええ、人が住まなくなって、ネズミが増えて、それを狙って、野良猫が集まった。その猫たちが殺されたんで……」

「殺された?それは人間の仕業だろう?家が食べたってことには、ならねえだろうが……?」

「兄貴は見てねえから、そう言うんですぜ!」

「おめえは、見たのか?」

「ええ、サビ猫だったか、両目をえぐられて、ハラワタが……飛び出した死体でした……。過去にも、数匹は同じような死にかたをした、猫がいるそうです。殺されかたが異常ですし、この屋敷には、人間は近寄らないんです。ネズミと猫以外の動物も……」

「それで、犯人はこの家、そのもの、ってことになったのか……。しかし、フィリックスは、ここを住処にしていたんだろう?」

「だから、あいつは、この家に気に入ってもらって、化け猫になった……っていう噂が広まったんですよ」

「ほかに、この屋敷に入って、無事な猫はいねえのか?」

「いえ、屋敷に侵入した猫が全部殺されたわけじゃあない。俺だって、何回かはありますけどね……。やっぱり、気味は悪いですよ、この屋敷は……」

「じゃあ、大丈夫だ!俺さまが入って、もし、猫を喰らう化け物がいたら、退治してやらぁ……」

「猫喰らい屋敷か……、別に変わった感じはしないね?クロウたちがいる『猫屋敷』より、小ぢんまりした、洋風の建物だ。まあ、常ばあさんのような、管理人がいないから、清掃はしていない。蜘蛛の巣があちこちにあるけど、思っていたより、明るいね」

屋敷の鍵は、オトが大森のおばあさんに借りてきた。清子ばあさんの実家の親族は、県外に移住し、縁起の悪い、この屋敷の管理をただ一人市内に住む、彼女に押し付けたのだった。

玄関を入った部分は吹き抜けで、外光が射し込んでいる。二階部分は、一階部分の半分もない。三つの扉が、テラスのような廊下の先に見えている。その中央に玄関に向かって、広い階段がつながっている。

「猫屋敷ね……、確かに、わたしが初めて入った時に感じた感覚に似ているわ」

「やっぱり、猫の能力を高める何かがあるのかな?それとも、霊魂が憑依しやすい環境なのかな?」

「マサさん、猫屋敷は直弼さんが、猫のために色々、研究した結果なのよ!まさか、直弼さんのような人間が、何人もいるわけないでしょう。それにここは、猫が殺されているのよ……」

「そうだね、人間には、害がないことを祈りたいね。ここでは、アーメンかな……」

「ちょっと、待って、キチヤを出すから……」

と言って、オトは背中に背負っていた、ナップサックを床に下ろし、中から、子猫を取り出した。

「フウ、メッシュタイプで、呼吸はできるが、窮屈だし、揺らされるし、早く出して欲しかったぞ!」

「猫がしゃべった!」

「キチエモン!人間語は禁止のはずよ!」

床に下ろされた子猫が、身体をブルブルと振るわせながら、愚痴っぽく言葉を発し、その声に対し、政雄は驚き、オトは叱責したのだ。

「シロウがシズカに変身したら、言葉を喋る、って訊いてたけど、こんな子猫が喋るなんて……。やっぱり、この屋敷は、霊界か異界につながっているのか……?」

政雄は、猫が人語を喋るのを、初めて訊いたのだ。

「どう?キチエモン、霊界につながっているの?」

「ニャーァ!」

と、子猫は猫語で答えた。

「もう、マサさんには、バレたから、人間語を喋りなさいよ!」

自分が人語を禁止したことを棚に挙げ、オトは叱るように言った。

「オト、霊界ではないが、ここは、猫屋敷と似ている。特殊な空間、オトの言う、異界に近い場所につながっておるぞ!」

「子猫のくせに、爺臭い喋り方だね?」

「マサさん、それについては、あとで教える!それより、異界って、ナニ……?」


「この部屋がフィリックスの住処だったのか?」

と、『猫喰らい屋敷』の二階の玄関から見て、右側の部屋に窓から侵入したフーテンがハチに確認するように言った。

「そうなんで、ほかにも、部屋があるのに、この部屋が気に入ったようでしてね」

と、ハチが答えた。

「確かに、この部屋は、俺が以前暮らしていた、猫屋敷の角部屋に似ているな。庭に松の木があるのも、同じだ。しかも、角部屋で、北東の位置だ……」

「兄貴、猫屋敷って、俺たちが襲撃して、やられちまった、あの屋敷ですよね?」

「ああ、ちょっと変わった屋敷だったろう?ここも、同じ感じがするぜ!」

ガランとした部屋の中には、あのクロウが横になっていた、壁から生えているような棚が、ひとつだけあった。フーテンはその棚に飛び上がり、その棚の匂いを嗅いで、再び、床に飛び降りた。

「あの棚の上に、フィリックスは乗っかっていたようだな?匂いが残っている……」

フーテンはそう呟いて、部屋の隅々まで、匂いを嗅いでいった。

「デテイケェ……!」

と、突然、部屋に人語とも、獣の声とも、とれる声が響いた。

「おい、ハチ、おめえ、何か言ったか?」

「いえ、俺はなんにも……。兄貴じゃあねぇんで……?」

と、言って、ハチが怯えたように、周りを見回した。

「オマエタチノヨウナ、カトウナイキモノガ、ハイルバショデハナイ」

今度は、はっきりとした、人語だった。

「だ、誰だ!何処にいる?文句があるなら、姿を現して、正面で言え!」

ハチは、もう完全に怯えている。フーテンは、慣れているかのように、見えない敵に威勢よく言い放った。

「ギャアー!」と、ハチが叫び声を上げる。

「どうした!ハチ……?」

ハチの身体が、電流で痺れたように、痙攣している。

(スタン・ガンか……?)

フーテンは、ゾロのマントに仕掛けられていた、電流に当たった、フィリックスを思い出していた。フーテンは、咄嗟に、ハチの首筋を咥えて、窓から飛び出した。ハチを安全な松の木の根元に寝かせて、再び、窓から、部屋に飛び込んだ。

「やい!卑怯な手を使わず、タイマン勝負をしようじゃねえか……」

「誰の声かと思ったら、フーテン、あんただったの!」

突然、部屋のドアが開いて、黒づくめの人間が飛び込んできた。

「な、何者でェ?おめえみたいな人間は知らねえぜ!」

「あら、もう忘れたの?正義の味方『スペード・クイン』よ!」

と、オトが言った。

「スペード・クインだと?バカを言うな!スペード・クインってのは、一尺ぐれぇの大きさの、黒マスクのメスだぜ!おめえみたいな、デけぇ尻はしてねぇや!敵ながら、ほれぼれするくれぇの別嬪だ!」

「あっ!そうか、身体が五分の一じゃあないものね。それに、マスクもしてないし……。でも、お尻がデカイなんて、失礼よ!いやいや、それより、あんた、ほれぼれするって、わたしに惚れたってことなの?人間の男には、もう、嫌になるほど言われたけど、猫のオスに言われたのは、初めてだわ……」

「オイオイ、誰が、てめえみたいな、デけぇ人間のメスに惚れるか!俺が惚れた、いや、惚れたんじゃあねぇ!まあ、いいメスだと認めてやったのが、クインってことよ!」

「まあ、どっちでもいいわ!ところで、フーテン、あんた、こんなところで、何をしているの?それと、誰に向かって、タイマン勝負、なんて、怒鳴っているの?」

「待てよ?おめえが、スペード・クインを知ってるってことは、さっきのハチを襲った電流は、おめえの仕業か……?」

フーテンは、キャット・ウーマンになっていたオトに、スタン・ガンでしびれさせられた記憶がよみがえり、邪推してしまう。

「ハチ?仲間がいるの?ああ、前に、直弼さんの屋敷を襲撃した時に、最後まで残ったけど、マタタビに気づいて、逃走した猫ね?」

「な、なんで、ハチの、そんなことまで知っているんだ……!おめえ、人間の形(なり)をしているが、ゾロと同じ、化け狐か?」

「ああぁ!まだ、そんなこと言ってるの?あの時、教えてあげたでしょう!孫子の兵法『敵を知り……』ってやつ……」

「ええっ!おめえ、や、やっぱり、スペード・クインなのか……?おめえたちは、身体の大きさを、自由に変える能力を、持っているのか……?」

「さあ、それは企業秘密ね……」


「オマエタチハ、ナニモノダ!ハヤクデテイケ!サモナイト、イノチノホショウハナイゾ!」

と、オトとフーテンの、会話を遮るように、気味の悪い声が部屋に響いた。

「何?今の気味悪い声?人間の声じゃあないわね?フーテン、あんたの声?」

「バカヤロウ!俺は美声で通ってるんだ!そこの兄さんじゃあねえのか?」

と、ドアの前で、子猫を抱いて立っている政雄を視線で指して、フーテンがオトに言った。

政雄は、大きなトラ猫と、オトが人間の知り合いのような会話をしているのに、現実の出来事と思えず、頭の中がパニック状態だったのだ。

「オト、この部屋は、猫屋敷のあの部屋と同じじゃ!しかも、邪悪な生き物が居るぞ!フーテン、集中しろ!敵対心を抱いている、気配を探るのじゃ!」

と、政雄の腕から、床に飛び降りた子猫が忠告するように言った。

「な、なんだこの子猫?まるで、爺さんみたいな、口を効きやがって……」

「フーテン、ワシじゃよ!キチエモンじゃ!今は、曾孫の身体を借りとるがのう……」

「キチエモン?死んだ、キチエモンの伯父貴か?俺を可愛がってくれた……」

「ええっ!キチエモンがフーテンを可愛がっていた?嘘でしょう?だって、キチエモンは、リズとフーテンの叛乱で死んだのよね?」

「オト、ワシを殺めたのは、フーテンではない、リズ?でもないか……、戦いは、泥試合で、敵味方が入り交じっていた。誰が味方で、誰が敵かもわからぬほどにな……。ワシを噛み殺したのは、味方だったかもしれないのだ。乱戦の中、背中から、襲われた。リズではない!リズは、クロウにやられ、それをフーテンが身を呈して、助けておった。ワシはつい、それに見惚れていて……、油断したのじゃ……」

フーテンは直弼の飼っていた猫では、最後のほうに生まれた猫だった。母親は、キジトラ模様だったのだが、生まれてきた子猫は、トラ猫だった。しかも、どんどん、大きくなった。母親以外の猫に、鬼っ子のように無視された。そして、母親は亡くなった。味方になってくれたのは、よそ者のリズと、母親の兄に当たる、キチエモンだけだった。

キチエモンとフーテンが懐かしさに浸っていると、

「エエイ!イツマデムシスルツモリダ!」

と、癇癪玉が破裂したような、罵声が聞こえた。

「オト!壁に何かいる!虫のようだ!」

と、政雄が、突き出している、棚のある壁を指さして言った。

「ええっ!ゴキブリ?」

「いや、黄金虫みたいに、輝いている。観たことのない虫だよ……」

「待て!そいつから、邪悪な気配がプンプンしてくるぜ!おい!ゴキブリ野郎!さっきの声はおめえの声か?」

と、壁に止まっている、輝く虫に近づこうとしていた、政雄を制して、フーテンが虫に向かって、話しかけた。

「む、虫が喋るのか……?」

政雄は、再び、頭の中がパニックになった。

「虫じゃあない!虫に似た、邪悪な生き物じゃ!しかも、人間以上に知恵がある……!」

「そ、それって……、宇宙人?」

「宇宙人と、いうより、地球外生命体と、呼ぶほうが、妥当じゃろうのう……」

「おい!ゴキブリ野郎!と言ったら、失礼か?ゴキブリさんよ!ひょっとして、フィリックスって猫の黒幕、ルビーを欲しがる野郎ってのは、おめえさんかい?それなら、敵対する前に、取引しようじゃねぇか。おめえさん、こういうものが欲しいんだろう?」

と、言って、フーテンは首輪にくくりつけていた、小さな袋から、赤い宝石を床に転がした。それは、挨拶代わりにフィリックスが稲荷神社に持ってきたルビーの指輪だった。

「オマエハ、フィリックスノ、ナカマカ?」

「ああ、兄貴分さ!一緒に宝石を集めていたんだ。フィリックスによれば、あと少しで目標の数になるところだ、と言ってたぜ!」

「ソウカ、フィリックスノナカマナラ、テキデハナイ!トリヒキニ、オウジヨウ。ナニヲノゾムノダ?」

「望む?対価はお金じゃなくて、望むもの?なんでもいいの?」

「オマエハ、ブガイシャダ!」

と、オトの質問は無視された。

「フィリックスは何を望んだのだ?」

と、フーテンが尋ねる。

「人間を操る術だ!」

と、やっと普通の会話に聞こえる音声になった。

「じゃあ、俺は、おめえたちの目的を教えてもらおう!ルビーを集めて、どうするつもりか?それから、おめえたちの正体ってのを教えてもらうぜ!」

「ブ、ブレイモノ!オマエタチ、カトウセイブツガ、センサクスルモノデハナイ!」

会話が再び、不明瞭になった。虫のような生命体が、興奮しているのが、手に取るように伝わった。

「ユルサヌ!トリヒキハ、ヤメダ!」

そう言って、虫は、壁を離れ、フーテンに向かって飛んでいった。ただし、黄金虫のような羽根はない。ただ、楕円形の金属が、回転しながら、飛行していったのだ。

「ガキ、バキッ」

「い、痛かぁねえ!」

という、擬音と呼び声が響いた。

「サンシロウ!フーテンをテレポートして……」


「それで?フーテンと、その虫のような、地球外生命体はどうなったの?」

と、いつものちゃぶ台の前に座って、リョウが、オトと政雄に尋ねた。

『猫喰らい屋敷』の出来事から、三日が経っている。

「いや、僕はまだ、夢を見ていた、としか思えないんだ!非現実すぎる!猫が喋るのはともかく、虫まで人語を喋って、それが地球外生命体だなんて……、あり得ない話だろう?」

「まあ、マサさんは、探偵小説マニアだから、論理的な解決を求める傾向があるわね?でも、この世界には、人間の想像を超えるものが存在するのよ!宇宙人だって、空飛ぶ円盤だって、存在を否定できないでしょう?」

「ああ、僕は幽霊とかも、信じないタイプだからね……」

「それより、話の続き!」

と、リョウが催促する。

「そうね、でも、結末は、呆気ないのよ……。謎が残っただけで……」

虫のような生命体がフーテンを襲った。フーテンの眉間を狙ったようだったが、何故か、軌道が変わり、フーテンの開いた口に飛び込んだ。フーテンはそれを鋭い牙で噛み砕いた。同時に虫は強力な電流を流し、フーテンを気絶させた。

フーテンの口から、こぼれ落ちた、虫は、まだ生きているようだったが、動けない、瀕死の状態に見える。

フーテンの身体は、いつの間にか、部屋にいた三毛猫がテレポートの能力を使って、猫屋敷に送り届けた。

その時、虫の身体から、光が照射され、その光はレーザー光線のように、壁紙に当たり、みるみるうちに、炎と変わった。部屋の壁が燃え始める。

「危ない!」

と、政雄がオトの腕を引っ張って、ドアから飛び出した。キチエモンは、サンシロウと共に、テレポートをして、部屋を離れたのだった。

「不思議なくらい、火は回りが早くてね。消防車が到着した時には、屋敷は全焼。でも、類焼はまったくなし。庭の木々も燃えなかったんだ……。屋敷だけが、跡形もないほどに、燃えつきたってことさ」

「証拠隠滅ね!たぶん、地球外生命体が痕跡を残さないために、そういう装置か、何かを事前に用意していたのよ!」

「それで、謎だけが、残った……。虫の正体も、ルビーを集める目的も、わからないままか……。それで、フーテンはどうしたの?あいつは不死身だから、電流くらいでは、死なないだろうけど……」

「フーテン、今回は、大活躍だったな。電流で気を失ったようだが、怪我はないようだ!まったく、たいした心臓だよ……」

猫屋敷の角部屋で、フーテンは横たわっている。今回は檻の中ではなく、座布団の上である。だが、身体は思うようには動かせない。クロウのいうとおり、心臓が強かったおかげで、一命を取り留めたのだ。今は、口を開くことも億劫だった。

「クロウ、お前が、俺を助けて、ここに運んだのか?」

「助けたのは、三毛猫のサンシロウだが、助けよ!と命じたのは、オ、いや、スペード・クインだよ」

「なに?スペード・クインが俺を……?あいつは、最高のメスだぜ!決めた!化け狐でもいいや!俺の嫁にしてみせる……」

「はあ?何を寝ぼけた夢をみているんだ?天地がひっくり返っても無理な相談だ!」

「わかるもんか!俺の魅力を知りゃあ、惚れ直すさ!まあ、それより、あの虫ケラ野郎はどうなった?俺の牙で噛み砕いてやったはずだが……?」

クロウは、あの後、屋敷が消滅した経緯(いきさつ)を語った。

「焼け落ちた?それで、ハチの野郎は?俺が、松の根元に寝かせ置いたんだが……」

「大丈夫だ!ハチもこの屋敷に連れてきて、治療した。電流はお前ほど強いものではなかったから、もうすでに元気にしている」

「そうか……、しかし、お前との約束は果たせなかった……。ルビーを集める目的も、あの虫ケラの正体も、わからないままだからな……。フィリックスは解放してもらえねえよな……?」

「フーテン、お前にそれほどの男気があるとは思ってもいなかった!フィリックスだけでなく、ハチの心配までするとは……よかろう、お前の男気に免じて、フィリックスも解放しよう!お前が元気になったら、ふたり、いや、三匹一緒に好きな場所へ行くがよい……」

「これで、七度目か……?孟獲は降参するんだったな……。いや、今回は、敗けたわけじゃあねえ!また、リベンジをさせてもらうぜ……」


10

「虫のような地球外生命体、そうだな、名前をつけよう、『スカラ』はどうだい?」

ちゃぶ台の前で、政雄が提案した。

「Scarab、から採ったのね?」

「さすが、オトだ!英語も得意なんだ?」

「英語じゃなくて、古代エジプトの聖なる虫、『スカラベ』。黄金虫の一種だったはずよ……」

「ああ、装身具のデザインにもなっている。黄金虫というより、糞コロガシかな?」

「うんちくは、いいよ!名前もスカラでいいけど、マサさん、話を戻してよ!」

と、語源の話についていけない、リョウが怒ったような口調で言った。

「ゴメン、ゴメン、話を戻そう。結局、スカラの正体も、ルビーを集める目的も、わからないまま、ってことになった……」

「スカラは、一匹だけなのかな?」

「そうね、どういう生命体かわからないから、繁殖力とか、生態系とかも……。虫の仲間としたら、一匹だけとは考えないほうがいいわね……」

「クロウが、言い淀んだ、お伽噺の住人、っていうのが、スカラのことだったのかな?シズカ!どう思う?」

と、リョウは、同じ座敷の隅の座布団に丸まっている、白猫に声をかけた。

「ニャアー」

と、シズカは猫語で答えた。

「シズカ、マサさんは、キチエモンが喋るのを聞いたから、もう人語を使ってもいいわよ。ただし、小さな声でね。おばあちゃんには、聞こえないように……」

「そう?じゃあ、小さな声で……」

と、言って、白猫はちゃぶ台の側に歩いてくる。

「前にも、言ったけど、クロウがごまかした、お伽噺の住人や、ルビーのような宝石の利用目的は、スーパー・シークレットなの。だから、推測するしかないんだけど、地球外生命体が、この街にいて、それが、フィリックスと関係があって、ルビーに興味を示したなら、それは、スーパー・シークレットの内容と一致する、ということじゃあないかしら……?」

「シズカのいうとおりね!と、いうことは、クロウはスカラか、あるいは、それと同様な生命体を知っている……」

「スカラじゃないね!スカラはフィリックスと取引した。クロウではなくてね……」

「じゃあ、スカラはまだいるってことか?」

「スカラが個人名じゃなくて、人類、あるいは、日本人のような種の名称だとしたらね……」

「複数いるなら、名称だ!だけど、わかっていることは、姿、形が、虫の黄金虫に似ていること、と……」

「不思議な能力を持っている!フィリックスに催眠術の能力を授けた。ルビーと引き換えに、フーテンに望みを尋ねているから、アラジンのランプの魔人のような能力を持っているかもね」

「あとは、不明瞭ながら、人語を喋り、空を飛ぶ!身体は金属質で、フーテンが噛み砕けた。攻撃力は、電気ショックと、レーザー光線……」

「そうそう、フーテンが噛み砕いたっていうけど、スカラはなんで、フーテンの口に飛び込んだのかな?」

「フフ、リョウ、教えてあげるわ……」

と、シズカが答える。

「スカラは、フーテンの眉間──あの三日月形──の傷痕を狙ったのよ!そこが、弱点、あるいは、電流を放ち易い場所、と考えたのね……」

「ああ、フーテンの傷痕は目立つからね。それなのに、口の中?かなり、ズレているよ?」

「軌道をズラしたのよ!キチエモン、というか、キチヤがね……。床に転がっていた、ルビーをサイコキシネス(=念動力)の力で、スカラにぶつけた!失敗したけど、スカラは、ルビーを破壊できなくて、避けたのよ!それで、軌道が変わって、フーテンの口の中……」

「偶然だったのか……」

「口の中に入ったのは、偶然かもしれないけど、スカラがルビーに反応することは、確信があって、それによって、フーテンへの攻撃が半減できる、と、予測できたのよ!」

「キチヤの能力は……、凄い……!」

「フフ、リョウ、ルビーを飛ばしたのは、キチヤよ!でも、予測して、キチヤにテレパシーで指令を出したのは、別の猫よ!」

「別の猫?ああ、クロウか……。そういえば、サンシロウが救援に、テレポートしてきたんだったね?猫屋敷から、指令が出ていたんだ!」

「フフフ、クロウ、じゃあないのよ……。ここからは、まだ、秘密よ……!」

「フーテン、ご苦労だったね……。猫を食べる化け物を退治したんだって……?」

と、稲荷神社の社殿の中でリズが言った。

フーテンは、驚くほどの回復力をみせて、クロウが、サンシロウの能力を使って、神社に送り届ける、という申し出を断り、歩いて帰ってきた。フィリックスとハチは、途中で別れた。フィリックスは改めて、リズには挨拶に伺う、と約束して、元の縄張りへ向かったのだ。

フーテンが社殿に帰ると、リズの姿はなかった。

「姉御?帰ってきましたぜ!」

と、薄暗い空間に向かって声をかけた。すると、賽銭箱の例の潜り戸から、黒い物体が、飛び出してきて、リズの声で喋ったのだ。

「あ、姉御……ですよね?」

フーテンは、その物体に、恐る恐る、声をかけた。それは、もはや、猫の姿をしていなかった。

「そうだよ!なんだい?お前の頭の中に惚れたメスの、猫か狐か、あるいは、化け物か、の姿が見えたから、それに変身してやったんだよ!お前、何処で、こんな変わったメスを見つけたんだい?」

「え、ええっ!じ、じゃあ、そ、その姿は……、クイン……、スペード・クインなんですか……?」

「スペード・クインってのかい?猫の変種かい?」

リズは、フーテンの頭の中を超能力で覗き、フーテンが惚れたメス猫のイメージを現実の姿にして登場したのだ。ただし、実物を見ていない。しかも、フーテンが惚れるのだから、猫族と思い込んでいる。まさか、人間──オト──が五分の一になった、ボンテージ姿に惚れるとは、思いもよらず、中途半端な変身になっている。レザー・スーツは着ていないから、ある意味、キャット・ウーマン、そのものだ。(ただし、人より、猫に近い……)

「ま、まあ、そう言われれば、クインに似ているかもしれませんが……、クインは人間の姿をしているんで……。実体は化け狐だと思うんですが……」

「そうかい?狐が人間に化けた姿だったのかい。イメージがおかしいと思ったんだけどね……」

そう言って、リズは身体を、ブルブルと震わせる。元のシャム猫の姿に戻った。

「やっぱり、姉御のその姿が、世界一の美人(猫)ですぜ!」

「おや、お世辞ではないようだね?お前の頭から、クインのイメージが消えちまったよ……」


11

「オト、リョウ、また、お願いがあるの……」

政雄が帰ったあとの座敷で、シズカが小声で言った。

「何?また、事件?」

「事件じゃないけど、また、ではあるわね……。子猫を預かって欲しいの……」

「子猫?キチヤは、もう身体が大きくなって、能力に耐えられるんだろう?」

「キチヤは、ね……。ほら、ビートが妊娠していたでしょう?子猫が三匹生まれたのよ……」

「まあ、それはおめでとう!で?まさか、その中の一匹が、キチヤみたいに、超能力を発揮しだした、っていうんじゃないでしょうね……?」

「さすが、オト!そのとおり!今回は、約一ヶ月はお願いします……」

「リョウ!また、おばあちゃんに、うまい口実を考えて、了解を取ってね!」

「もう、海外旅行は、使えないよ……」

「迷子の子猫を友達が拾ったけど、そのお家には、もう別の猫がいて、子猫をいじめる、ってことで、少し、身体が大きくなるまで、預かることになった……」

祖母に伝えた、子猫を預かる口実を、リョウは姉と白猫に話した。

「ばあちゃんに、『その友達っての、大森のルナちゃんかい?』って訊かれたけど、そこは、否定しておいた。嘘とバレる可能性が、あるからね……」

「ルナちゃんのところには、クロベーがいるから、状況は一致するけどね……。そうだ!そのクロベーの生い立ちが、まだ、わかっていないんだった!」

「それがさ!クロベーはメスなんだよ……」

「ええっ!メスにクロベー?トミーと同じ?」

「チンチンがついてないんだ。シロウには、あるよね?」

「チンチン?ああ、男性のシンボルか……?ない、なら女の子ね……」

「クロベーという名は、本人が言ったらしいんだ。つまり、焼け落ちる前の、猫喰らい屋敷の庭で、鳴いていた黒猫を見つけて、抱き上げたら、『わたしの名前は、クロベー。ルナ、君を待っていた』っていう声が聞こえたんだって。小さな声だったから、お母さんには聞こえなかったようだけどね……」

「つまり、クロベーはシズカと同じ、天国へ行くはずの猫。その子供か、血縁者に憑依している、っていうことね……?」

「そうとしか考えられない!けど、ルナちゃんには、そのことは言えなかった……」

「フウン、ルナちゃんと、だいぶん、親しくなっているようね?髪を切って、ますます、オードリーに似てきたらしいわね?」

「オードリー、ならぬ、オーモリー、ルナって呼ばれているよ!」

「ああ、ひどい、駄洒落ね!それでイジメられなくなったのなら、いいけどね……」

「プンプン!考えたのは、僕さ!伝えて、ルナちゃんの承諾をもらったのは、マユミちゃんだけどね……」

「あっ!あんた、ルナは『ルナちゃん』なのね?レイコやミチコは『レイコさん、ミチコさん』なのに……、ルナのほうが、知り合った時期は、後なのに……」

「それは……、マユミちゃんを『ちゃん付け』で呼ぶから、側にいるルナちゃんも……だよ!ほら、シズカが笑って、出て行くよ!」

オトとリョウが、白猫に視線を向けると、白猫は優雅に身体をしならせて、座敷から土間に飛び降りた。勝手口の潜り戸の前で、立ち止まり、振り返ると、表へ出ていったのだった。

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