第6話タッグマッチ、ゾロ・サンシロウ組Vs.フーテン・フィリックス組

「ミャァー、ミャァー」と、猫の鳴き声がした。

「あら、いつもの鳴き声と違うわね?リョウが新しい鳴き声の研究をしているのかしら……?」

「何、独り言を言っているんだよ!僕は眼の前にいるだろう?」

「ああ、そうだったわね!あんたは、夏休みの宿題がたまっていたんだ……」

「たまってなんかないよ!計画どおりさ。今日は、集中してやる予定日なんだ!」

猫の鳴き声のことは無視して、会話をしているのは、オトとリョウの姉弟だ。オトは畳の上に、座布団を重ねて、胸の下に敷き、腹這いになって、文庫本を読んでいた。エラリー・クインの『フランス白粉の謎』である。オトは中学生。学年でも、トップクラスの成績を誇っており、次期、生徒会の副会長と、噂されている。その所為でもなかろうが、宿題などは、とっくに完了しているのだ。

弟のリョウは小学五年生。決して、宿題を疎かにしていたわけではないのだが、猫好き?の性格が仇になったのか、この夏休みは、猫関連の事件に巻き込まれ、宿題が予定どおりに消化できないでいる。今は、丸い、ちゃぶ台の上に、プリントを広げて、悪戦苦闘中なのだった。

「オト、リョウ、ちょっと、お願いがあるの……」

そういったのは、この家の飼い猫、シロウに憑依している、シロウの母親のシズカだった。

シロウは、オッド・アイと呼ばれている、左右の眼の色が違う、真っ白な猫だ。シズカも同じだが、左右の眼の色は、反対になっている。

シズカは、この世の猫ではない。死んでいるのだが、霊魂というのか、意識というのか、シロウの身体に憑依して、時々、人(猫)格が入れ替わるのだった。シズカに変身すると、人間の言葉を理解し、人間の言葉を喋り、オトたちと会話するようになった。

「何?また、リズが悪巧みをしているの?」

「いえ、リズのほうは、サンタが見張っているわ。まだ、新たな動きがあった、とは、訊いていないわ。お願いというのは……、キチヤ!入っておいで!」

白い猫が土間に向かって声をかける。開けっぱなしの玄関口から、土間を経由して、キジトラ模様の子猫が、座敷に飛び上がってきたのだ。どうやら、先ほどの鳴き声は、この猫だったようだ。

「やあ、オト、リョウ、久しぶりじゃのう!」

と、身体に合わない、年寄り染みた声で、子猫はふたりに挨拶した。

「あっ!その声はキチエモン?」

と、リョウがいった。

「そうじゃよ。今は、曾孫のキチヤの身体を借りとるんじゃ!」

キチエモンも、シズカと同様、この世に生存している猫ではない。リョウたちと出会った時は、孫の身体に憑依していたのだが、フーテンという、大きなトラ猫と戦った際に、孫はその妻と子猫たちを助けようとして、命を落としたのだ。

憑依していたキチエモンは、孫の身体を離れ、霊魂?として彷徨ったのち、少し成長した曾孫に憑依するようになったのだ。

「そういえば、キチエモンの曾孫がキチヤという名前で、なにか特殊な能力が芽生えている、とか言ってたよね?」

と、リョウがキジトラに話しかける。

「そうなのよ!わたしの頼み、というのが、その能力に関係しているのよ!」

と、白猫が代わりに答えた。

「キチヤの能力?確か、シズカが、そのために屋敷に行く、って言ってたわね?なにか、問題が起きたの?」

「オト、さすがに、察しがいいわ!キチヤの母親のチャチャは、普通の猫なのよ。人間の言葉は多少は理解できるけど、会話はできないの。それに、キチヤ以外に三匹の子供がいて、キチヤの能力開発に手が回らなくって、わたしがキチヤの面倒を見ることになったの。そしたら、キチヤの能力が、急に伸び始めて……。まだ、子供の身体だから、負担が大きくて……。一旦、開発訓練を中止にすることになったの。ただ、屋敷にいると、どうしても、開発が進んでしまうの……。それで、しばらく、別の場所で暮らしをさせたいの……」

「わかったわ!我が家で、面倒見て欲しい、ってことね?」

「そうなの!おばあちゃんにお願いしてもらえるかな?半月か、長くて、一月で、身体が能力に対応できる大きさになるはずだから……」

「ワシからも頼むぞ!キチヤはワシの血統というか、遺伝子を一番強く、引き継いでおるのじゃ!スーパー・キャットになれるはずじゃよ……」

「とりあえず、友達が海外旅行に行くから、その間、預かることになった、って、ばあちゃんには、説明しておいた……」

「フウン、あんたの友達には、お金持ちが多いから、そんな嘘も通用するのね?レイコとか、ショウコにミチコ……。でも、夏休みは、あと、わずかよ!今から、海外旅行?」

「シィ!ばあちゃんに聞こえるよ!嘘も方便、だろう?半月くらいなら、大丈夫だよ!ハワイの親戚のところで、長期滞在しているってことで……」

「まあ、いいわ!おばあちゃんがそれで、キチヤを預かることについては、納得してもらえたんだから……。キチヤ!いや、今は、キチエモンか?わたしたち以外の人間がいる時に、喋ってはいけないわよ!シズカは、よくわかっているけど……」

ちゃぶ台のある座敷の座布団にシズカと一緒に丸くなっていた、子猫に向かって、オトが強い口調でいった。

「わかっとるワ!ワシを誰じゃと思っとるのじゃ!」

「シィ!おばあちゃんが台所にいるのよ!しばらくは、人間語は禁止!猫語を話しなさい!必要な時は、『あいうえお積木』を使うこと!」

「ミャァー!」

「でも、人間語禁止の前に、ひとつ教えて欲しいんだ!小さな声で……」

「ホホゥ、リョウ、何が知りたいのじゃ?」

「その、キチヤの開発中の特殊能力ってやつさ!サンシロウと同じ、テレポート能力なの?」

「テレポート(=瞬間移動)ではないわ!サイキック(=念力)かな?そこにある、鉛筆、いや、筆箱ごと飛ばすことができるわよ!もう少しで、人間を念力で、転がすことができるわ!そうね、小石の雨くらいは、降らせることができるわ……」


「姉御?あれ、いないのか……?オイ、フィリックス、姉御を知らないか?」

稲荷神社の社殿の板の間で、大きなトラ猫が、ほぼ黒猫に尋ねた。

「知ってますよ!世界一美人(猫)で、世界一、恐ろしい、メス猫だってね……」

「な、なにいってんだ?姉御のことじゃあねぇよ!姉御の居場所を知らねえか?って訊いているんだよ!それに、世界一の美人、のほうはいいが、後のことは、思っても口にしちゃあ、いけねえぜ!いや、最近は、思ってもいけねえかもしれねぇ……」

「フフフ、確かに、兄貴のいうとおりで……。姉御ですがね、わたしも何処にいるかは、知りませんがね。昼間は、この賽銭箱に潜り込んで、はあはあ、いいながら、出てきますよ。日が暮れたら、フラリと表に出ていきますね」

「どんな格好だった?最近、ロシアの……なんとか、いう猫に……」

「ええ、ロシアン・ブルーって猫に変身していましたね!シャム猫に体型が近いし、綺麗な毛色でしたね。ブルー・グレーに蒼い瞳。お気に入りのようですよ……」

「まったく、なにを考えているんだか、最近、話しもしてくれねえぜ……」

「まあ、なにか、企みがあるんでしょう。それより、兄貴、そろそろ、出かけますよ。あまり、遅くなると、店長まで帰ってしまう。それだと、鍵を開けてもらえませんからね……」

「なんで、おめえの宝石泥棒に、オレが付き合わなけりゃあならねぇんだ?おめえひとりで、充分だろうが……」

「今回は、個人の屋敷じゃあないんでね……、宝石店に、お邪魔させてもらいますんで、一個や二個のルビーでは、ないんでさぁ……。兄貴には、こいつを背負って欲しいんで……」

フィリックスが口に咥えて差し出したのは、幼稚園児が背負うくらいの大きさのナップサックだった。

「これは?」

「人間の子供が使う、背嚢(せいのう)ですよ!宝石を詰め込んで運ぶためのものです。兄貴くらい、体力がないと、重さに堪えられない!わたしは無理です……」

「なんだ?オレが担ぐのか?まあ、宝石が詰まった袋は、かなり重てぇや。オレじゃなけりゃあ、まあ、無理だな……」

「オト、新聞を読んだかえ?また、宝石泥棒が出たそうだよ!」

いつものように、腹這いになって、エラリー・クインの文庫本を読んでいたオトに、祖母が話しかけたのだ。

「新聞?パパが会社に持っていったから、今日のは見てないわ。ばあちゃん、どこで見たの?」

「わたしも、現物を読んだんじゃないよ!大森さんの、ほら、先日、ルビーの指輪を盗まれた……、あそこの奥さんが話してくれたんだよ!わたしに刑事の息子がいることを知ったようでね……」

祖母のいうには、先ほど、スーパーで買い物をした帰り道、大森家の前を通りかかると、大森家の大奥さん──金持ちの未亡人──に呼び止められ、

「新聞に昨晩の宝石盗難の記事が出ている。お宅の息子さんは、県警の刑事さんだと訊いたけど、事件のことを詳しく教えてもらえないか?自分の身に起きた事件と関連性があるのではないか?それとなく、息子さんに訊いてもらえないか?」

と、詰め寄られたのだった。

「なるほど、茂雄叔父さんのことを知ったのか?息子じゃあなくて、娘婿なのにね……間違った情報ね。それで、宝石盗難事件って、どういうものなの?」

「だから、わたしは新聞を見てないから、あんたに訊いたのよ!」

「あっ、そうか!よし、マサ君に電話してみよう!」

「頼んだよ!わたしは料理をせんとイカンからね……」

と、いって、祖母は座敷を離れていった。

「オト、その宝石泥棒、ひょっとしたら、フィリックスとかいう、黒猫の仕業かもしれないわよ!」

祖母が台所へと消えたところで、座布団に丸くなっていた白猫が、オトに語りかけた。

「シズカ、何か、変わった動きがあったの?」

「うん、実は、昨晩、フーテンが、稲荷神社を離れて、市内の繁華街にいったようなの。フーテンの首輪に取り付けている、発信器の痕跡を調べたら、かなり遠くへ出かけたようなのよ」

「市内の繁華街?それと宝石泥棒と、何の関連があるの?まさか、フーテンが宝石泥棒になった、っていうんじゃないでしょうね?」

「それが、どうも、その疑いがあるの。サンタが言うには、フーテンとフィリックスが暗くなる頃に、稲荷神社を出たところを見たんだって。何処へいったのか、わからないけど、フーテンの足取りを辿ると、どうも、盗難にあった、宝石店辺りにいってたようなのよ。たぶん、フィリックスも一緒に……」

「盗難があったのは、市内の繁華街にある宝石店なのね?でも、フィリックスは個人の屋敷に侵入して、指輪とか、ブローチとかのルビーをひとつ盗んでくるんでしょ?宝石店なんて、対象外なんじゃないの?防犯設備も凄いし……」

「今までは、フィリックス単独行動だったから、盗みも小規模だった……。でも、フーテンとタッグを組んだら、大規模な盗みができるようになったんじゃないかしら?もう少し、調べてみる必要がある、と思うわ……」

「マサさんを使うか……」


「また、途中経過だけどね……。リョウは?また、留守なのか?まさか、デートなのか?」

「リョウは、写生にいっているよ。夏休みの宿題の課題のひとつ、絵画制作のためにね……。それより、マサさん、その格好、なに?シャーロック・ホームズなの?」

オトの家を訪れた、従兄の政雄の扮装を見て、オトが驚きの声をあげたのだ。政雄は、コナン・ドイルの創作した、名探偵、ホームズの挿し絵に似た、鹿撃ち帽と、マントを羽織っていたのだ。白いカッターシャツには、蝶ネクタイまで絞めている。

「ああ、事件の調査だからね。インパクトのある格好がいいと思ったんだ。名刺も作ったよ!ほら……」

そういって、白い名刺サイズの用紙をオトに差し出す。

「犯罪研究家、私立探偵、『荒俣童二郎』?なに?この変な名前……」

「アラマタ・ドウジロウ。『ありゃまあ、どうじゃろう』をもじったのさ!」

「吉本新喜劇のギャグ?ずいぶん、ひどいセンスね……!」

「そうかい?面白いと、友達に言われたよ!」

「その友達のセンスを疑うわね!わたしの友達には、したくないわ!」

「まあ、名前のことより、事件のことを話そう。この名刺はインパクトがあって、宝石店の店主って人に、詳しい話が訊けたんだ。まずは、昨日の新聞記事だよ」

政雄はそういって、ポケットから丸めた朝刊を取り出し、三面記事のページをちゃぶ台に広げた。

事件があったのは、一昨晩、店のシャッターを下ろして、店員たちが退社したあとのことである。店には、店主ひとりが残って、金庫に当日の売り上げ金を仕舞い、ダイアルを回した。店の鍵を中から掛けて、再度戸締りを点検し、セキュリティの防犯装置をオンにしたのだ。そして、最後に、裏手にある、通用口の鍵を開けた。そこまでは、記憶がある。そのあと、気づいた時には、店内の来客用の椅子に座っていたのだった。

店の灯りは点いていなかったが、様子がおかしい、と感じて、照明灯のスイッチを入れた。

「店のショーケースの鍵が開けられ、中の宝石のいくつかが、なくなっていたんだよ……」

新聞記事を読みながら、政雄の説明をオトは無言で訊いている。

(シズカの言っていた、フーテンとフィリックスがタッグを組んだ犯行のようね?)と、心の中で呟いていた。

「新聞には、出ていないが、店主の話だと、盗まれたのは、ルビーの装飾品だけらしい。ダイヤの指輪や真珠のネックレスなどは、残されている。ルビーと同じような宝石、青いサファイアや緑色のエメラルドも、盗まれていない……」

「つまり、ルビーを狙った犯行、ってことね?」

「ああ、警察でも、そう考えている。つまり、先日来(らい)の、個人宅を襲った怪盗が、大規模な犯行に及んだ、ってことだ!」

「でも、セキュリティをセットしていたんでしょ?警察か警備会社に通報が届くはずよね?」

「それが、セキュリティ装置は、オフ、つまり、解除されていたそうだよ!」

「フウン、それで、警察の見解は?犯行の手口とか、犯人の手掛かりとか、わかっていることはないの?」

「犯人につながる、遺留品や足跡、指紋などは、まったくない!警察は、店主の狂言ではないか?という係官もいるそうだ!」

「狂言?つまり、自作自演?盗難を装った、保険金詐欺、とか……?」

「そういうことだね。でも、それなら、ルビーだけなのは、おかしいし、泥棒に入られたように、侵入口とかを偽装すると思うんだ!現場を見た係官は、外から侵入した様子がないから、内部の者の犯行と感じたらしい。店主でないなら、ほかの店員が、帰った振りをして、内部に隠れていた、との疑いもあるんだ」

「店主は通用口の扉を開けて、外へ出たの?それとも、出る前に気を失ったのかしら?それと、気づいた時の時刻は?どのくらい、気を失った時間が経過していたのかしら?」

「うん、最初にセキュリティをセットした時刻は、はっきりしている。午後八時四十五分。その五分後に、解除されている。店主は解除した覚えはないそうだ。そして、気がついて、警察に通報した時刻は、午後九時二十三分。約半時間の出来事、というわけだ……」

「セキュリティをセットして、また、解除したら、警備会社から、解除の確認があるはずよね?」

「それなんだ!警備会社の担当者が確認の電話をしている。男性の声で、『忘れ物をした。すぐに済む』と、いう返事があったそうだ……」

「店主は記憶にないのね?」

「ああ、気を失っている時間帯だからね」

「じゃあ、店主の証言を信用するとしたら、どういう犯行経緯になるのかしら?」

「不可能犯罪だね!どうやって、侵入して、セキュリティを解除して、ショーケースの鍵を開け、どこから出ていったのか?」

「ええっ?侵入口は、通用口でしょう?」

「まあ、それ以外は考えられないんだが、通用口は中から鍵がかかっていたんだ。チェーンのロック付きでね……」

「ああ、それで、内部の者の犯行?ってことになったのか……」

「そうなんだよ。店主が嘘をついてないなら、外部から侵入は不可能なんだ……」

「わかったわ、犯人は、わたしの想像していたとおりよ!」

「ええっ?犯人がわかった?今の話だけでかい?」

「犯人は、個人宅から、ルビーを盗んでいた『怪盗キャット』よ!ただし、犯行はひとり、いや、一匹ではなく、仲間が増えたのよ!」

「怪盗キャット?まさか、猫が犯人なんて、言わないよね……?」

「へへ、兄貴、上手くいきましたね?やっぱり、兄貴と組んで正解だった……。兄貴の忍びの才能は、さすがですね。店主はまったく、我々の姿を捉えられないでいましたよ。わたしが眼の前に現れて、すぐに催眠術をかけたから、何が起きたのか、記憶がないはずです」

「まあ、通用口の軒に忍んで、扉が開いた隙に、部屋に飛び込む。人間の眼には、捉えられねぇな……。しかし、おめえの催眠術は、たまげたぜ!あの店主を思いのまま、操って、警報器を解除させ、警備会社の電話に出させ、ショーケースの鍵を開けさせ、ルビーを袋に詰め込ませ、最後にゃぁ、通用口に中から鍵を掛けさせた!誰も、侵入できない店内で、ルビーだけが消えた、って状況だぜ……。しかし、何で、ルビーだけを盗むんだ?このルビーを何に使うんだ?人間と取り引きするつもりかよ?」

「へへ、そいつは、まだ、企業秘密でして、兄貴といえど、教えられないんで……。ただ、必ず、兄貴やリズの姉貴にも、お役に立てるはずです。目標のルビーの量に、あと少しなんでね……」

「まあ、いいや、オレは退屈しのぎにやっているだけだからな……。見返りなんぞ、求めやしねぇよ。ただし、今度、あのゾロと三毛とのタッグと闘う時ゃあ、手筈どおり頼むぜ!」

萎びた稲荷神社の社殿で、トラ猫と、ほぼ黒猫が、盗んできた、高級なキャット・フードを食べながら、会話をしている。どうやら、宝石店に忍び込んで、店主に催眠術をかけて、ウマウマとルビーを十数個、子供用のナップサックに詰め込んで、盗んできたようだ。シズカの推測は当たっていたのだ。

(さて、このことをリョウ君に伝えなければ……。また、ゾロの登場かな……?)

床下に忍び込んでいる!サンシロウは、そう心で呟いて、猫屋敷へテレポートしたのだった。

「あんたたち、今の会話、三毛に筒抜けだよ!」

と、賽銭箱から出てきた、ロシアン・ブルーが、トラ猫と黒猫に言う。

「エヘヘ、三毛のスパイ行為は、織り込み済みでさぁ。これで、ゾロにまた逢える。今度は、倍返ししてやりますぜ……」


「リョウ、サンタ(=サンシロウ)から伝言よ!やっぱり、宝石店のルビー盗難事件の犯人は、フィリックスにフーテンが協力してやったことだって!フーテンがフィリックスとのタッグを組んで、ゾロと三毛に闘いを挑む計画をしているみたいだって!どうする?また、ゾロに変身して、フーテンを懲らしめる?」

ちゃぶ台の上で、写生してきた、風景を、四つ切りの画用紙に水彩絵具をパレットに乗せて、仕上げ段階に入っていた、リョウにシズカが語りかけた。

「ううん、今、手が離せないんだ!夏休みはもう僅か……。今日中に、この絵だけは仕上げないと……」

「フウン、川原と鉄道の橋と、遠くに見える町並みの赤い屋根か……。構図としては、悪くないわね。ただし、川の流れが雑だわ!水の光と影がまるで表現できていない!白い絵具を使って、水面(みずも)の透明感と、流れる揺らぎを出すことね!それと、遠近法を使って、奥行きを出せば、及第点をもらえるわ」

弟が仕上げている画用紙の画面を上から眺めながら、オトがアドバイスをいった。オトは勉強だけでなく、美術や音楽の成績も優秀なのだ。

「ああ、面倒臭い!時間が足りない!」

「自業自得でしょう?先に時間のかかる、ものを済ませておかないで、女の子と、しかも、四人とデートなんかするからよ!ゾロになるのは、無理ね!」

「ああ、自重するよ……。シズカ、フーテンを懲らしめるのは、新学期が始まってからになるよ……」

「まったく、人間って学習能力が低いのね?そんな絵を描いて、何のためになるのかしら?絵を描かせて、『君は、画家の才能がない!ほかの仕事を探しなさい!』って通告するためかしら……?」

「シズカにも、わかるのか?リョウは絵画の才能はない!」

「ひ、ひどい……、創作意欲が、なくなった……」

リョウが、そう言って、絵筆をちゃぶ台の上に敷かれた新聞紙の上に投げ出す。すると、シズカの側にいたキジトラが、ちゃぶ台の上に登ってきて、白い絵具に前足をつけ、画用紙を踏みつけたのだ。

「あっ!キチヤ、ダメだよ!」

慌てて、子猫を抱き上げたが、画面には、白い絵具がついてしまった。

「ああぁ、塗り直しだ……」

「待って!いいわ!水面の揺らぎが表現できている……」

「フウン、それで、そのまま、その絵を提出したのか?リョウは……」

夏休みが終わって、二学期が始まった。その日の午後、政雄がオトの話を訊いている。夏休みの課題だった絵画制作の結果を確認したのだ。

「もちろんよ!いや、偶然だったと思うけど、本当に完璧な水面が表現できていたのよ!それで、キチヤの前足を使って、空の部分に、白い雲を描き入れたり、川岸の雑草の表現を変えたりして、傑作になったのよ!」

「何だって?猫の肉球を、筆の代わりに使ったのか?それって、虐待じゃないの……?」

「それが、キチヤが積極的に前足を使うのよ。わたしは絵の具を足につけるだけ……まあ、水で洗ってもあげるけど……」

「何だ?リョウじゃなくて、オトが猫の足を使って、絵を描いたのか?」

「ふふ、だって、面白いし、傑作ができるのよ!時間があったら、わたしが作品を創りたかったくらいよ!」

「それで、リョウは?まだ帰ってこないのか?まさか、デートじゃないだろな……」

「ちょっと、猫屋敷に行ってるわ」

「猫屋敷?また、屋敷の猫に変わったことが起きているのか?」

「ルビー専門の怪盗キャットを、懲らしめる計画を話し合っているのよ」

「怪盗キャット?本当にそんな猫がいるのか?オトの推理は親父に伝えたけど、親父は頭を抱えていたよ。とても、担当の刑事には話せない、ってね」

「まあ、常識では考えられないわね。現行犯、というか、犯行現場を体験しないと、信じてもらえない……」

「現行犯逮捕は、難しいだろう?次の犯行が何時、何処で起きるかわかっていない限り……」

「可能性はあるわ!わたしたちは、犯人を知っているのよ。どこにいるかもね。でも、猫だから、捕まえても、犯罪を証明できないわ。自供もできない……」

「つまり、その猫を見張って、次の犯行現場で現行犯逮捕する、ってことか……?」

「そうよ!その作戦を展開中なの」

「リョウと猫屋敷の猫たちが、だね……」


「兄貴、ここ二、三日、三毛だけじゃあなくて、白黒や、サビ猫が、うろちょろしていますよ!」

寂れた、稲荷神社の社殿で、フィリックスが、辺りの様子を伺いながら、床で丸くなっているフーテンに話しかけた。

「ああ、直弼の屋敷猫たちさ!この前の俺たちの話を、三毛の野郎が伝えたんだろう。それで、見張りが増えたのさ。しかし、ゾロの野郎が出てこねえな。それじゃあ、おもしろくねえ……」

と、フーテンは前足を舐めながら言う。

「おびき出す、って手を打ちますか……」

フィリックスが、扉の前から反転しながら、声を潜めて言った。

「どうするんだ?」

フーテンはその言葉に興味を引かれ、足を舐めることを中止して、顔をフィリックスに向けた。

「宝石泥棒をする!いや、する、と見せかけましょう!場所は……」

と、最後の部分は、フーテンの耳元でささやいた。

「そいつはおもしれぇ!この前のお礼、倍返しには、うってつけだせ……!」

「リョウ君、待って!」

新学期、二日目の授業、ならびに、放課後の掃除、定例の終礼が終わって、玄関の靴を履き替えたリョウの背中に、女の子の甲高い声がかけられた。

「ミチコさんか?あれ?今日はひとり?レイコさんは……?」

と、振り返り、女の子に話しかける。

「レイコは、今日はお休み……」

「ああ、そういえば、昨日も顔を見なかったな……、欠席?病気なの?」

「ううん、内緒だけど、海外旅行から、帰って来てないの。ハワイへ行ったら、台風で、飛行機が欠航になって、今日、東京に着くそうよ」

「おや、本当にハワイへ行った友達がいたんだ!」

「えっ!それどういうこと?」

「いや、こっちの話……。ところで、僕に何か用?」

「うん、相談があるの……」

「相談?僕に?また、トミーのこと?」

「とにかく、わたしの家に来て!ここじゃあ、人目があるわ!わたしはいいけど、リョウ君は困るでしょ?わたしと変な噂をたてられたら……。特に、ショウコさんとか……」

そういわれて、「そんなこと、ない!」と、言えないリョウであった。それで、ミチコの後を少し離れて、ミチコの家までついて行ったのだった。

「これを見て!」

と、ミチコの家の居間に通されたリョウに、ミチコが一枚の便箋を差し出した。

「これは?」

「今朝、トミーが咥えていたのよ!」

「トミーが?何処から、咥えてきたのかな?」

「トミーは、あの日以来、わたしの部屋にいるのよ。わたしが出かける時は、ゲージに入れているの。だから、部屋の中にあったものを、咥えてきた、としか、思えないの……」

「ふうん……」

リョウが半分にたたまれていた、便箋を開く。そこには、歪んだ線で、文字か記号か、わかりづらい、ものが書かれている。

「カタカナかな?だとしたら、『ハ』か『ル』か?次は『ヒ』か『七』?シミのような『点』が二つ。『ー(マイナス)』、次は『ヲ』だね?『ラ』ではないようだ……。『コ』か『ユ』。『ソ』か『ン』。『ア』か『ヤ』……」

あと、四文字が書いてある。

「読めないな……。ミチコさんは、読めるの?」

諦めたように、リョウが言った。

「うん、たぶんだけど……『ルビーを今夜いただく』だと思う……」

「ルビー!確かに、ルビーを……と読める!この家にルビーの指輪か、ネックレスかがあるの?」

「うん、ママの誕生石がルビーだから、パパが、結婚記念日に買ってあげた、ネックレスがあるの……」


「フーテンとフィリックスが、神社を出ました!」

三毛猫が猫屋敷の角部屋に、テレポートしてくるなり、部屋の中にいる一同に報告した。

「間違いなく、この前の、リズがトミーに化けて入り込んでいた、リョウの同級生の屋敷に向かっているわ!」

フーテンの首輪に取り付けた発信器の微妙な電波を受信機が捉えている。その画面を見ている、シズカがそう言ったのだ。

「予告をして、押し入る、とは、大胆不敵な奴だな!」

と、クロウが、誰に向けた、というわけでもなく、言葉を発した。

「怪しいわね?」

「オト、怪しい、とは、どういう意味だ?」

「だって、今まで、予告したことはなかったし、フーテンとタッグを組んだら、個人宅じゃあなくて、宝石店に押し入るはずよ!しかも、この前、フーテンが捕まった屋敷をターゲットにする……。絶対、罠か陰謀があるのよ!狙いは、ルビーじゃなくて、ゾロ……。つまり、リョウへ、リターンマッチを企んでいる、と思って間違いないわ!」

「それなら、返り討ちに、してやるだけさ!僕とサンシロウのタッグは、最強だからね!」

「リョウ!油断は禁物よ!相手も研究しているはず。フィリックスの催眠術の能力を甘く見てはいけないわ!危険を感じたら、すぐに撤退するのよ!こっちには、第二段の作戦があるから、無理はしないでね?」

「うん、新しい武器を用意しているから、最低でも、ドローくらいには、できると思うよ!サンシロウ、そろそろ、準備をするよ……」

「まったく、あんたたちとは、縁を切ったはずだよ!わたしを利用するのは、ヤメとくれ!」

アメリカン・ショート・ヘアーのメス猫が、大きなトラ猫とほぼ黒猫に不満そうに言った。

「すまねえな!今回だけだ、姐さんの手を借りるのは……」

と、フーテンが低姿勢で応える。

「窓から差し込んだ、手紙を咥えさせた、だけなら、いいさ!だけど、今は、サッシの施錠まで、解除させてさ!これじゃあ、共犯者だよ、『押込み』の……!あんたの姉御からの頼みだから、断れないけどね……」

「姐さん、手数をおかけしましたが、今夜は、盗みはしないんで、ご安心を……。ちょいと、懲らしめてやらないといけない野郎が居りましてね。そいつに罠を仕掛けたんで……。姐さんも見たでしょう?先日、姉御と姐さんを交替させた夜のことですよ……」

「ああ、あんたと姉御は窓から、すぐに撤退したわね?トラの旦那が、変な奴と……。あたしゃあ、よく覚えてないよ!目眩がしてしまってね……」

「ええ、その得体のしれない野郎を誘(おび)き出して、やっつける、って、算段なんで……」

と、フィリックスがトミーに説明する。

「イヤだよ!あたしは関係ないからね!じゃあ、手伝いは、ここまでだよ!サッサと罠を仕掛けに出て行っとくれ!」


「君は、誰だ!」

ミチコの屋敷の居間に、また夜遊び?から帰ってきた、ミチコの兄、サトシが、見知らぬ、また、奇抜なコスチュームの男をソファーの上に見つけて、詰問した。

「お兄ちゃん!遅いじゃないの!今日は、パパとママが、大叔母さまのお家(うち)へ呼ばれているから、わたしと留守番するよう、強く言ってたでしょう!もう、告げ口は嫌いだけど、パパに報告はしておくわ!」

と、兄の疑問には答えず、ミチコが怒ったような言葉を投げかけた。

「い、いや、早く帰るつもりだったんだよ……、金沢の奴がしつこくて、ゲームを止めないんだ……。それより、その男は……?まさか、彼氏と、不純な……」

「何言ってるの?こちらは、リョウの従兄の政雄さんよ!」

「リョウ?ああ、あのレイコの彼氏か?この前、この部屋で、怪傑ゾロの芝居の稽古をしていた……。あれ、よく考えたら、芝居じゃなくて、キッスしてたんじゃあなかったのかなぁ……」

「ま、まあ、お兄ちゃん!なんてことを……!レイコは理想が高いし、リョウ君は、オクテで、キッスなんてするはずないでしょう!あのふたりには、トミーの行方調査で世話になったのよ!ははぁん、お兄ちゃん、焼きもちね?レイコに気があったのに、あっさり、デートを断られたものね……」

「あのぅ、兄妹喧嘩は……」

と、政雄がソファーから立ち上がって、遠慮がちに言った。

「ああ、すまない。ところで、あんたのその格好は……?シャーロック・ホームズなのかな?」

「はい、こういう者です」

と、政雄は例の名刺を差し出した。

「犯罪研究家、私立探偵、荒俣堂二郎?先ほどは、政雄さんと、紹介された気がしたが……。そうか、変名だね?『あらまた、どうじゃろかい!』ってことか!いや、傑作だ!ギャグのセンス、僕の大好きな『吉本新喜劇』風だね?」

「変名はどうでもいいのよ!今夜、ママのルビーを狙っている、怪盗が忍び込む、という、予告状がきたの!それで、リョウ君に相談したら、名探偵を紹介してくれたのよ!」

「ルビーのネックレスは、奥さまが身につけて、出られましたから、怪盗に盗まれる心配はありません!ただ、目的のルビーがない、と知れれば、過激な行動、例えば、誘拐、とかの手段に出る可能性もあります。今夜は、ひとりにならず、この部屋にいてくださいね……」

「予告状?まったく、アホな泥棒だ!狙うものをほかに移されることを考えなかったのか……?」

「狙いは、ルビーではなかったってことでしょうね……」

「フーテン!また悪さをしているようだね?三回も捕まって、その都度わめきたてたり、言い訳したりして、クロウが見逃してやったのに……、懲りない男だねぇ……」

「おお、ゾロか?待ち兼ねたぜ!今日は、今までの借りを倍にして、返してやらぁ!」

ミチコの屋敷の二階の角部屋に、フーテンとフィリックスは忍び込んだ。扉には鍵がかかっていないので、簡単に侵入できたのだ。扉がパタンと閉まると、暗かった部屋に灯りが点った。フィリックスは素早く、窓際に走り、サッシの鍵を解錠した。逃げるのではなく、万が一の避難経路を確保したのだ。

扉の前が歪んだように揺れて、三毛猫と、黒装束の小さな人間が現れた。

「ルビーを盗む、というのは、見せかけ、本当は、僕との勝負がしたかったのだろう?あの予告状は誰が書いたんだい?下手な字で読めなかったよ!ただし、君たち、猫の誰かが書いたのなら、褒めてあげてもいいけど……?」

「うるせぇ!あれは姉御が書いたんだよ!俺は文字は書けねぇんだ!それより、ゾロ、てめえ、この前より、でかくねえか?前は、その三毛猫に跨がっていただろうが!今日は三毛猫より、デケエぜ!それに、額の飾りと、マスクの上に色眼鏡、たあ、どういう意味だ?」

「フーテン、お前がいつも、卑怯!だと罵るから、今日はほぼ、お前と同じくらいの大きさで闘ってやるのさ!これで敗けたら、もう降参すると誓ってもらうよ!この格好は、正義の味方、『月光仮面』と『怪傑ゾロ』をミックスしたものさ。額の飾りは三日月マークだよ!」

なるほど、衣装は、黒いツナギで、マスク(=覆面)も黒だが、ミラー仕様のサングラスと三日月マークは、月光仮面のようだった。今回は、短めなマントを羽織っている。身長もいつもの倍。三十センチはありそうだ。

「フン!正義の味方を合体して、身体も倍になったっていうのか?まったく、気色の悪い野郎だぜ……。まあいい!それじゃあ、遠慮なしで、やらせてもらうぜ!」

そう言って、フーテンはゆっくりと右回りを始める。リョウは、両手に小さなピストル──銀玉鉄砲──を構えている。月光仮面の二丁拳銃のつもりだ。殺傷力はない。威嚇をするくらいだ。身体が元の大きさに戻った時には、武器になるはずだ。

フーテンは慎重に距離を取って、回り込み、最初の位置から、リョウに対して反対側、百八十度回転した位置まで足を運んだのだ。

その位置関係は、扉の前にサンシロウ、フーテン、リョウ、窓際にフィリックスが直線に並んでいた。

フーテンが、身体を伏せるように縮めて、飛びかかる態勢を取った。

「あっ!」

「ミャア!」

という声が、リョウ、サンシロウ組の口から発せられた。

フーテンが、リョウに飛びかかると見せて、身体を反転させ、背中側にいたサンシロウに飛びかかったのだ。

「サンシロウ……!」


「へへへ、あの三毛が居なけりゃあ、おめえは、何にもできねえんだろう?」

「卑怯者!おまえの相手は僕のはずだ!」

リョウはそう叫んで、拳銃のトリガー(=引金)を引いた。小さな銀玉が飛び出して、フーテンに当たるが、痛みを感じさせることもできなかった。

「オイ!ゾロ、タッグマッチだよ!今度はわたしがおまえの相手だ、こっちを向きな!」

フィリックスの声に、リョウは、気を取り直した。サンシロウの姿は消えていた。多少の傷をおったかもしれないが、テレポートができたのだ。危険が迫れば、テレポートして逃げることは、想定の範囲内だった。リョウひとりになっても身体が大きくなれば、勝てないにせよ、負けることはない。いざとなれば、政雄を呼べばいいのだから……。あと何十秒かで身体も元に戻るのだ……。

「フィリックス、おまえに闘う気があるとは、思わなかったよ!逃げるだけが取り柄じゃあないのかい?」

リョウはゆっくりと振り向いた。右手の拳銃は、まだフーテンに向けられていた。

「ゾロ!俺の眼を見ろ!」

フィリックスが大きな声を上げた。リョウの身体が膝から崩れ堕ち、仰向けに床に倒れた。マントが、腹掛けのように身体の前に垂れていた。

「ふふふ、他愛ない奴だ!簡単に催眠術にかかっちまいやがった……」

フィリックスが、倒れているリョウに飛びかかる。喉を狙ったのだ。

「ギャー!」

と、叫んだのは、黒猫だった。身体に電流が流れたように痺れて、気を失った。

「フィリックス!どうした……?」

フーテンには、フィリックスが自分で、背中のほうへ跳びはねたように見えたのだった。

「ふふふ、十八ボルトの電流でも、猫の身体には堪えるようだね?このマントには、ショック・ガンの機能がついているんだよ!十八ボルトだから、人間には、たいしたことはないんだけどね……」

「ショック・ガンだと?いや、それより、なんで、おまえが立ち上がるんだ?フィリックスの催眠術にかかっているはずじゃあねえのか……?」

「この月光仮面のサングラスは、伊達じゃあないんだよ!催眠術防止の機能付きさ!」

「なんだと?じゃあ、催眠術にかかった振りをしていただけか……?」

「そうだよ。前に、フーテン、おまえが殺られた振りしたじゃないか、お返しだよ。それに、フィリックスが催眠術を得意としていることを知ってて、何の対策もしない、と思っていたのかい?バカだね……」

「ば、バカだ、と……?おめえに言われたかぁねえ!ゾロ、タッグ・マッチは終しめぇだ!タイマン勝負だぜ!」

「残念だけど、時間切れだ!おまえの相手は、別に用意しているよ……」

「フーテン、あなたの相手は、わたくしよ!」

突然、窓際のフィリックスが、倒れている場所に、黒い塊(かたまり)が揺れるように現われ、フィリックスの足に手錠に似た、拘束具を装着して、頭から、黒い袋をかぶせた。

「だ、誰だ!おめえは……?」

と、フーテンがその黒い影に驚きの声をかけた。

「名前は……、キャット・ウーマンは、マズイはね、悪人だから……。そうね、正義の味方、スペード・クインよ!」

「ゾロの仲間か?」

「ああ、僕は時間切れ、タイム・オーバーだから、あとはよろしく!」

そう言ったリョウの身体が、元の人間の大きさに戻った。そして、拳銃を握ったままの右手を振って、「バイバイ」と、言ったあと、静かに、ドアを開け、廊下に出て行った。

「な、なんだ?あいつ、やっぱり、化け物……、狐の化け物だったのか……?」

「バカ!ゾロのほうじゃなくて、サンシロウを狙う、なんて、少しは戦略を考えだしたか?と、思ったけど、やっぱりバカだったのね?まるで、敵の分析ができていない。孫子の兵法を知らないのね?『敵を知り、己れを知らば、百戦危うからず』って言葉……」

「し、知るか!バカにしやがって……。どうやら、メスのようだが、大口を叩いたからにゃあ、命の保証はないぜ!」

「ええ、どうぞ!結局、戦略も兵法も知らずに、馬鹿力で闘うんでしょ?」

「ば、バカちから……?さっきから、バカという言葉を連発しやがって……!もう、許さねえ!その口、二度と効けねえようにしてやる!」

フーテンは、助走の態勢も取らずに、いきなり跳躍して、黒いマスクと、合成だが、レザースーツ姿──どう見てもキャット・ウーマン、スタイル──のオトに飛びかかった。

「バシッ!」と、鈍い音がした。

「痛テェ!い、いや、痛くも痒くもねえや!」

「いきなり、飛びかかるなんて、バカだね!身体中が隙だらけじゃあないの!自殺行為だよ!まあ、わたしが、おまえを殺す気がなかったから、よかったけどね……」

そう言った、スペード・クインの右手には、サーカスの猛獣使いが使用する、西洋ムチが、緩やかなカーブを描いていた。ただし、オトの身体が元の大きさの四分の一になっているため、ムチの長さも四分の一なのだ。そのムチがしなって、飛びかかってきた、フーテンの肩辺りを強打したのだった。

強がりを言ったフーテンだったが、彼の言うとおり、そのムチでは、致命傷にはならない。フーテンは、相手がほかの武器を持っていないと、読んだ。

(よし!あのムチを使えねえようにしてやる!オレの忍びの体術を見せてやらぁ!)

フーテンは、心の中でそう叫んで、急に部屋の中を駆け回り始めた。最初は、オトの周りをクルッと一回りし、反転する。次は、いきなり、壁に跳躍して、その反動を利用して、大きく、位置を変える。プロレスラーがロープを使って、巧みに動く、という感じだった。

オトの視線が、その動きについていけなくなる。フーテンは、床から今度は、窓枠に跳び移り、オトの斜め後ろから、彼女の身体へと、跳びかかった。オトがその気配のする方向に、ムチを払った。

「ギャー!」

「ワァー!」

という、二重の悲鳴が、部屋に響いた。

「姉貴!だ、大丈夫か……?」


「き、君たちは、だ、誰だ!ここで、な、何をしてたんだ!」

怪しい物音と、悲鳴のような声に驚いて、階段を駆け上がってきた、サトシが、部屋の中にいた、黒装束のふたりに、焦ったセリフを投げかけた。

「サトシさん、僕ですよ!リョウです、ミチコさんの同級生の……」

と、リョウは黒い頭巾風のマスクとサングラスを外しながら言った。

「ああ、また、怪傑ゾロか?で、そっちは?キャット・ウーマンの役なのか?どういう芝居なんだ?」

「初めまして、サトシ?さんとおっしゃるのね?わたくしは、オト、リョウの姉です。そちらの政雄さん、荒俣探偵の助手ですわ。今夜、この屋敷に、世間を騒がすルビー専門の『怪盗キャット』が忍び込むとの情報を得て、罠を仕掛けておりましたの。この扮装は、暗闇に紛れるためのものですわ……」

そう言って、オトもマスクを外す。

「オト?ああ、才女で美人で、ラブレターが山になる!君がオトさんか……?なるほど、キャット・ウーマンのスタイルが似合うはずだ!」

「ゴホン!」

と、サトシの後ろに立っていた、ホームズスタイルの政雄が、わざとらしい咳をする。

「それで、オト、賊はどうした?」

と、政雄が一歩前に進んで、部屋を見回しながら、尋ねた。

「これで、シバいて、やったんだけどね……、逃げられたのよ……」

オトが床に落ちていた、ムチを拾いあげ、開いたままの窓を、そのムチを持った右手で示しながら言った。

「む、ムチで……、シバく……?まるで、女王様だ……!その衣装も……」

と、サトシが興奮気味に言った。

「はあ?何のこと……?」

「フーテン、どうだった?ショック・ガンの味は……?」

猫屋敷の角部屋。檻の中に入れられている、トラ猫に向かって、黒い艶のある短毛の猫が声をかけた。

「ひ、卑怯者!おまえたちは、いつもそうだ!人間の作った、最新の武器を使いやがる!正々堂々と、肉体同士、素手で闘うことを知らねえのか……!」

「オイ、オイ、相撲やプロレスじゃあないんだよ!ヘタすりゃ、命を落としかねない闘いなんだ!おまえには、鋭い爪と牙がある。護身用のショック・ガンくらいなら、対等な武器だろう?猟銃やボウ・ガンではないのだからな……」

ミチコの屋敷の二階で、フーテンはその体術を駆使して、オトの背後から襲いかかった。オトのムチが身体に当たったが、威力は半減していた。痛みを堪えて、オトの手首に噛みつこうとした瞬間、身体に電流が走ったのだ。オトがベルトに隠し持っていた、スタン・ガン(=電流の流れるショック・ガン)をフーテンの腹に当てたのだった。

オトは、同時に、元の大きさの身体に戻った。

リョウが部屋に飛び込んできて、フーテンを拘束する。サンシロウがフーテンとフィリックスを猫屋敷にテレポートをしたのだった。

「卑怯にかわりはねえ!正々堂々、もう一度勝負だ!武器を隠さずに闘え!」

「まったく、懲りない奴だな……。解き放してやってもよいが、条件がある!フィリックス、何故(なにゆえ)ルビーを狙い、集めているのだ?その目的と黒幕のことを喋れば、解放してやる!」

フィリックスは目隠しされて、檻に入れられている。その目隠しには、ある液体が染み込ませている。フィリックスの催眠術を防ぐため、眼の色を変える働きがあるものだった。

「フフフ、教えられないね!たとえ、口が裂けても、殺されてもだよ!」

と、フィリックスは答えた。

「フーテン、フィリックスはこう言っているが、おまえはどうだ?知っていることを白状するか、フィリックスに喋るように説得するか……。あるいは、ふたり揃って、『釜茹での刑』に、なりたいか……?」

「ま、待て!オレは、ルビーのことについては、何も知らねえ!だが、フィリックスに喋れ!と言っても喋るタマじゃねえ!見逃してくれたら、オレが独自で調べて、教える!だから、今回は、見逃してくれ!」

「なるほど、フーテン、考えたな?よろしい!その取引に乗ってやる!ただし、期日を設ける。今月中だ!おまえは解放してやるが、フィリックスは盗みの罪がある!しばらくは、服役してもらう。まあ、人質ならぬ、猫質だな……。おまえが約束を守らなければ、フィリックスは『釜茹での刑』だからな……。それと、先日盗んだ、ルビーを返せ!袋に入れ、これから言う指定の場所に置け!あとは、我々が、処理をする!わかったか……?」


10

「それで、クロウはフーテンを解放したの?フーテンが約束を守るとは、思えないけどね……」

翌日、オトはシズカから、猫屋敷での取引を訊かされている。

「まあ、あまり期待はしてないわ。ただ、逃がしてやるのも癪(しゃく)だから、条件をつけただけよ。六度目だしね。でも、盗んだルビーは、指定の場所に置いてあったから、サンシロウが、テレポートで、元の宝石店に送っておいたわ!」

「それって、よけい、面食らう、というか、事件を複雑にしそうね?店主が警察にどう説明するのかしら?侵入不可能な状況での盗難。数日後に、同じく、侵入不可能な店に、盗品が返される……。店主が自作自演をしたのを、怖くなって、取り止めた!としか、警察は考えないわね……」

「たいしたことには、ならないわよ!自作自演じゃないのだから……」

「まあ、そうね。疑惑はあっても、証明できない……。店主から、盗難の被害届けが取消されて、事件はなかったことになるのか……」

と、オトは事件の終息を推理した。

「それはそうと、シズカ、例のフィリックスの素性、クロウの血統かもしれない、ってやつ、どうなっているの?フィリックスは檻の中なんでしょう?」

と、オトはシズカに尋ねる。

「うん、まだ、確定じゃあないけど、フィリックスはクロウとわたしの孫かもしれないの……」

「ま、孫?」

と、あまりの答えに、オトは驚く。

「ほら、リズとフーテンたちが、直弼が死んだ後、クーデターを起こしたことは、話したでしょう?その時、フーテンは、わたしとクロウの子供を、徹底的に葬ろうとしたのよ!イゴを始め、五匹の子供がいたの。みんな殺されて……、フーテンの狙いがわかって、たった一匹の黒猫の子供を逃がしたの……。うまく逃げれたかは、不明のまま……」

「そうか!その子が生き延びて、フィリックスの親になった……。当然、クロウの血統だから、スーパー・キャットの素養を持っているわよね……?でも、それじゃあ、フィリックスを『釜茹での刑』には、できないね……。孫なんだから……」

「いやぁね!『釜茹での刑』なんて、できるわけないでしょう!そんな設備もないし……。あれは、お芝居よ!直弼が、好きだった講談ね……」

「はは、そりゃそうだ!」

「でも、フィリックスには、罪を償ってもらうわ。かわいそうだけど、眼の色を濃くする薬を使って、青い瞳を黒くするの。それで、催眠術の能力は、完全には消えないけど、人間を操ることは、できなくなるわ……」

「うん、それが、彼のためになると思うわ。それで、ルビーを集めるわけは、わかりそうなの?フーテンが本気で、調べるつもりがあるのかしら……?」

「期待はしてないわ!いや、クロウは薄々、見当がついているみたいなの。ただ、それは、超・極秘──スーパー・シークレット──の範疇(はんちゅう)みたいで、わたしたちにも、秘密にしないといけない部分のようよ……」

「親父に訊いたんだけどね、例のルビーの盗難にあった宝石店なんだが、被害届けを取消したそうだ。今朝、店主が店に入ったら、盗まれた宝石が袋に入ったまま、ガラスケースの上に乗っていたって説明している!担当刑事は、従業員の誰かが、盗んだものの、後悔して、返したのだろう、と見ている。被害届けが取消されたから、事件としては、終息だけど、ほかにも、個人宅の被害があるだろう?その内の一件のルビーの指輪は、その店で購入したものだったらしいから、関連性を調べるみたいだよ……」

政雄が煎餅を噛りながら、オトに報告している。

「それは、偶然ね!被害の内の一件だけなら、宝石店の数を考えれば、あって当然の確率だもの……」

「まあ、そうだな……。でも、猫が犯人だ、とは、担当刑事には、教えられないだろう?現行犯逮捕はできなかったし……」

「でも、もう、盗難事件は起こらないわ!たぶん、だけどね……実行犯の猫を懲らしめて、盗みの能力をなくしたから……」

「へえ!例のショック・ガン、スタン・ガンっていうそうだけど、そんな効果があったのか?」

「スタン・ガンのショックではないけど……まあ、似たようなものか……」

そう言って、オトも煎餅を頬被る。

「姉貴、手紙を預かってきたよ……」

と、リョウが学校から帰ってきて、ピンク色の華やかな封筒をオトに差し出した。

「何?なんで、わたし宛ての手紙を、あんたが預かってくるの?」

「差し出人と、中身の文章を読んだら、わかるよ!名探偵『荒俣堂二郎』でなくってもね……」

「なるほど、ピンクの封筒か……、ラブレターだね?誰から?」

と、政雄が興味津々でオトが手にした封筒を覗き込んだ。

「イヤだぁ!これ、あんたの同級生、ミチコのお兄さんのサトシからじゃあないの!昨晩会ったばかりよ!しかも、キャット・ウーマンのスタイルで……」

「ああ、あいつか……。まあ、昨夜のオトはある意味、魅力的だったね……」

「ある意味?どういうこと?」

「ゴホン!まだ、君たちには早い!特殊な趣味、というか……、恋愛の好みというか……。ほら、シロウが呆れて、出て行くぞ!子猫も一緒みたいだ……」

政雄の意味不明な説明を無視して、視線を変えると、白猫と、キジトラ猫の子猫が、鮮やかに跳躍して、土間に降り立ち、一度、視線を三人に向けたあと、勝手口の潜り戸から、表へ出ていったのだった。


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