第5話 怪盗キャット現る!

「ニャー、ニャー」と、猫の鳴き声がする。

「リョウ?ああ、リョウはデートか……。確か、今日はマユミちゃんだったわね。レイコとショウコの時は、ぐったりして、帰ってきたけど、マユミちゃんとは、外で会う約束だから、家族に気を使う必要がない、って言ってたっけ……」

猫さらいの事件から、一週間ほど後、いつものテレビの前の座敷で、座布団を腹から胸の下に敷いて、腹這いで、寝ころんで、ポテト・チップをつまみながら、エラリー・クインの『アメリカ銃の謎』を読んでいる少女が猫の声に反応したのだ。

彼女の名前は『乙音(おとね)』。中学生だ。周りからは『オト』と呼ばれている。リョウというのは、彼女の弟。小学五年生だ。リョウは猫好き?というだけで、クラスの女子に注目されている──らしい?──。先日の『迷い猫救出作戦?』に協力してもらった、三人の女子と、個別にデートの約束をさせられたのだ。

ジャンケンの結果、 最初がショウコだった。ショウコはリョウを我が家に招いて、手作りのケーキなどで、もてなしたらしい。

次のレイコがそれを知って、手作りの料理で、リョウをもてなした。相当な量だったようだが、それを残さず、食べるという、拷問に近い苦労をさせられたのだった。

最後のマユミには、リョウから、映画にしようと、提案したから、自宅でのもてなしはないはずだ。

「あいつも、付き合う子は、厳選すべきね。特に、見栄の塊みたいな、お金持ちの娘は、我々には、無理だわね。『逆玉』は、リョウには、期待しないことにするわ……」

オトは、猫の鳴き声のことはすっかり忘れている。

「オト、訊いたかい?近所のお金持ちの大森さん家(ち)に泥棒が入ったんだって……」

と、祖母が麦茶を入れたグラスを持ってきて、座敷のちゃぶ台にそれを乗せた。

「おばあちゃん、泥棒って、何を盗まれたの?」

「それが、宝石箱にあった、ルビーの指輪だそうなのよ!」

「へえー、指輪か?高価なものなのね?」

「まあ、高価らしいけど、他にダイヤの指輪とか、真珠の大粒のネックレスが一緒にあったのに、盗まれたのは、ルビーだけだったそうよ」

「ふうん、何か、曰(いわく)付きの宝石なのかな?『呪いの宝石』とか呼ばれている……」

「まさか、江戸川乱歩でもあるまいし……」

「親父に訊いてみたんだがね……」

その翌日、オトの従兄で大学生の政雄が、祖母の差し出した、サイダーのグラスを受け取りながら、オトに語りかけた。

「宝石の盗難事件が、数件発生しているそうだ。それが、どうも、すべて、ルビーらしい。ただ、未確認のものがあるので、ルビー以外がない!とは、確定していないそうだ。ルビーも指輪もあれば、ブローチや、ネックレスもあるそうだよ」

「ルビー専門の盗賊がいるのね?じゃあ、警察では、犯人の目星がついているんじゃないの?特殊な犯行だから……」

「それが、まったく、五里霧中らしい。過去にそんな犯行は、ないんだってさ。全国の警察に照会したけど、ない、ってことだ……」

「新たな怪盗ね……?」

「そう、まさに、『怪盗』らしいよ!」

「えっ?それ、どういう意味?」

「つまり、犯人の手口が、不明なことが多いんだ。まず、侵入口と、逃げ口が、不明なものが多いんだよ!厳重な戸締まりをしている屋敷での盗難なんだ。しかも、一件は、目の前にあったブローチが消え失せたそうだ!」

「目の前で……?」

「まあ、目の前ではないかもしれないが、金庫から、宝石のケースを出して、ひとつひとつ、手に取って眺めていたらしい。ルビーのブローチを元に戻して、真珠のネックレスを手にした。それをケースに返そうとした時、ルビーのブローチがないことに気づいたんだよ。落とした、かと思って、周りを探したんだが、見つからなかったそうだ……」

「その場所にいた人間は?」

「その宝石の持ち主、お金持ちの未亡人ひとりさ。しかも、部屋は、中から鍵がかかっていたそうだ!」

「じゃあ、その未亡人の狂言ね!宝石に保険がかかっているんじゃないの?」

「いや、保険はかかっていないし、ルビーより高い宝石があるんだよ。ルビー盗難は、まだ世間には知らされていない。狂言をする意味がないんだ……」

「まさか……、サンシロウの仕業じゃあないわよね……」


「マサさんが来てたのか?いつも僕の留守に来るんだね?」

 その日の夕刻、外出から帰ってきたリョウがオトにいった。

「別に、あんたを避けているわけではないでしょう?あんた、今日はどこへ行ってたの?デートは一巡したはずよね?」

「実は、今日もデートだったんだ……」

「ええっ!誰と?本命がまだいたの?」

「本命って、何?今日の相手はミチコさんだよ!迷い猫のアメリカン・ショート・ヘヤーの飼い主の、ね……」

「ああ、そういえば、あの作戦に関わったのは、四人だったわね。ミチコって子も、あんたに気があるの?お金持ちの家庭みたいだけど……」

「いや、ミチコさんは、おとなしい子で、クラスでは目立たないほうなんだ。レイコさんと仲がよくて、まあ、レイコ派のひとりだね」

「ふうん、派閥があるんだ……」

「五年生になって、クラス替えがあっただろう?前から同級生の子もいれば、初めての子もいる。それと、久しぶりに同じクラスになった、幼稚園の子もいるんだ。いろんな人間関係があって、絆が深い者がグループを作る。すると、その対抗ができて、次にどちらにも属さないグループができるんだ……」

「なるほど、派閥はそうして、作られて行くのか……。それで、あんたは?どの派閥なの?」

「僕はフリーさ。どの派閥にも属さず、どの派閥とも敵対しない……」

「ああ、わかるワ!八方美人!優柔不断!平和主義!永世中立!波風のたたない場所に身を置く。あんたらしい選択ね!」

「よく、そんなに『四文字熟語』を並べられるね!確かに、僕の性格を言い当てているけど……」

「それで、ミチコさんとはどんなデートだったの?お金持ちだから、また、手作りのケーキかな?」

「さっきもいったけど、ミチコさんはレイコさんの親友なんだ。だから、僕とは距離を取っている。恋愛対象外、ボーイ・フレンド未満、なんだよ!だから、デートじゃなくて、相談だったんだ……」

「相談?あんたに?レイコじゃなくて?」

「そう、つまり、猫についての相談なんだよ!」

「なるほど、あんたは『猫博士』と思われているんだ!取り柄はそれだけだものね!」

「姉貴!僕は他にも取り柄がないわけじゃあないよ!正義感が強くて、弱い者イジメはしない。争いは好まないし、お年寄りには優しい!姉貴ほどではないけど、成績もほどほどに優良だよ!」

「そうね、わたしの弟、同じ血が流れているんだもの……、沢山の取り柄があったわね……」

「い、いや、姉貴には、とてもおよびません!」

「ミチコさんは、トミーのことで相談したいことがあったんだよ。それと、例のポスター──迷い猫の──で、トミーを見つけたら、高額なお礼をすることになっていたでしょう?お父さんに、そのお礼をするように言われたんだってさ」

「ああ、お礼ね?ペルシャ猫とラグドールの飼い主からは、マサさんがちゃんといただいたようよ。あんたのデートの費用くらいはもらえるわ……」

「デートの費用は、映画代と、ポップコーンと飲み物代くらいだったよ。ショウコちゃんと、レイコさんは、費用がかからなかったからね……」

「そうか……、レイコとショウコは、お金持ちだから、我が家の経済状況をそれなりに、配慮したのか……」

「いや、そうではなくて……、そうかもしれないけど……、ふたりは僕を自宅に招待して、家族に会わせたかったんだよ!ふたりの両親とも、友達──特にボーイ・フレンド──については、厳しい基準があるようで、僕のような、『可もなく不可もなく』の子供には、安心感を抱くようなんだ!つまり、僕は、ふたりの両親に対しては、安全牌ってことなんだよ!」

「つまり、自分は親の許容範囲の相手と付き合っています、と印象づける。次の相手をカムフラージュできるってことか……」

 と、オトが勝手な推理をしている。

「話を変えるよ!ミチコさんの相談に……」

「ああ、トミーのことね?」

「うん、トミーって名前だけど、メス猫なんだ!まだ飼い始めて、一月(ひとつき)だから、性格がどんなものかは、はっきりしていないんだけど……、なんだか、帰ってきたトミーの性格が、変わった気がするんだって……」

「性格が変わった?まさか、別の猫を間違えて、連れてきたの?」

「いや、別の猫ではないはずなんだ。血統書があって、身体の模様の特徴とかも書いてある。右目の上に点のように白い毛が生えている。身体の特徴は合っているんだ。性格が変わったというより、かなり、賢くなったそうなんだ。それまでは、トミー、と呼んでも知らん顔だったのに、トミーって呼んだら、返事をしたらしい。おまけに、トイレの躾ができていなくて、オシッコで困っていたのに、帰ってきたら、ちゃんと、トイレの砂場で、用を足すようになったんだっていうし……。ほかにも、爪を研ぐのも、一ヵ所に決めたんだってさ……」

「つまり、あの稲荷神社のパワーを浴びた所為だっていうの?」

「その可能性もある……。けど、もうひとつの可能性もあるんだ……」

「もうひとつ?」

「ああ、リズが関わっている可能性、ってやつがね……」


「いってえ、姉御は、いつまで留守にするんですかね?こいつの世話には、もう、飽き飽きしてきやしたぜ……」

大きなトラ猫が、稲荷神社の社殿の床で、盗んできたキャット・フードを美味そうに食べている、アメリカン・ショート・ヘヤーを見つめながら、独り言を言っている。

「なんだい?わたしが迷惑だっていうのかい?」

と、アメリカン・ショート・ヘヤーが、食べることを中止して、視線をフーテンに向けながら、言う。

「わたしだって、好きでここに留まっているんじゃないよ!あんたが『姉御』と呼んでいる、シャム猫に頼まれて、こうして、おとなしく、あんたと暮らしているんじゃないか……、迷惑だったら、出ていくよ!あんたが姉御にひどい目にあわされていいというのならね……」

トミーがふてくされたように言う。

「い、いや、そいつは勘弁してくれ!姉御を怒らしたら……」

「そうかい?じゃあ、もう少し我慢してあげるよ。しかし、あんた、もう少しましなキャット・フードを盗んできなよ!安物のドライ・フードじゃあなくて、ツナとかマグロ味の缶詰とかさぁ……」

「缶詰だと?無理を言うなよ!そいつだって、咥えてくるのに、苦労しているんだぜ!缶詰なんか、咥えてこれねえよ!」

「ああぁ、今頃、あんたの姉御は、マグロの缶詰を食べているんだろうねえ……」

と、トミーはため息をつき、再び、ドライ・フードを食べ始めた。

(はあぁ、ため息をつきたいのは、こっちだぜ……)と、フーテンは心の中で呟いて、床に丸くなった。

「ところで、あんたの姉御は、わたしに化けて、何をするつもりなんだい?」

キャット・フードを食べ終えて、トミーが話しかける。

「知らねえよ!知ってても、教えられねえけどな……」

「あんた、あのシャム猫の亭主じゃないんだね?相棒、っていうより、手下、いや、下僕って役か?可哀想に……」

「な、なんだと!オレは下僕じゃあねえ!姉御の片腕だぜ!命を張って、姉御を助けたんだ!この額の向う傷が、その名残りよ!」

「でも、オスとメスの関係はないんだろう?やっぱり、下僕さ!いいように、コキ使われているだけだね。あんたには、盗みの才能があるのに、勿体ないねぇ……」

「う、うるせえ!姉御は普通の猫とは違うんでぇ!猫の女王様なんだ!クレオパトラなんだよ!」

「まあ、あんたがそれでいいなら、勝手にしなよ。けど、惜しねえ……、その才能がさ……」

「おや?誰か来たようだよ!」

食事を終えて、丸くなっていたトミーが、急に顔を上げ、尖った耳を動かした。

「誰、って、誰でぇ?」

と、同じく、うつらうつらしていたフーテンが、眼を覚まして尋ねた。

「バカだねえ!わたしが知るわけないだろう?ここの住人じゃあないんだから……、あんたか、姉御の知り合いじゃあないのかい?」

「さて?そんなやつが……居たっけかな……?」

訝しげに、フーテンが社殿の扉を見つめていると、静かに扉が開き、一匹の猫がスルリと入ってきた。

「て、てめえ、ゾロの仲間か……?」

と、フーテンがその猫に言葉をかけて身構える。

「はあ?ゾロって誰のことで?わたしの名前はフィリックスと申します。フーテンのお兄イさんには、初めてのご挨拶。以前、こちらで、一宿一飯のお世話になった、わたしの弟分の、ハチって野郎に紹介されまして、フーテン兄イのお力添えに参上いたしました」

「ハチだと?ああ、白黒の、額に八の字がある、野良猫さんか……、そういやぁ、前の猫屋敷を襲撃した際には、捕まってもなかったし、怪我もしてなかったな……」

「はい、仲間三匹と、罠や飛び道具を掻い潜って、屋敷に侵入したんですが、そこで、あとの二匹がマタタビの匂いにやられちまって……。ハチの野郎は経験があるんで、危ない!と察して、逃げだしたんですよ……。マタタビを使う、ってことは、相手には、人間が味方している。勝ち目はない、と踏んだようで……」

「ああ、確かに、人間が味方していたようだ!オレも危なかったくれぇだ!まあ、オレは、ひと暴れして、帰ってきたがな……」

フーテンはゾロと闘って捕まったことをリズにも隠しているので、ここでも、嘘をついた。

フィリックスと名乗った猫は、全身ほぼ、黒い艶のある短毛だ。ただ、眼の下から頬、口周り、首筋の喉の部分と、四つの足先だけが、真っ白だった。正面から見ると、白と黒のラインが、マスクをしているように見える。ちょうど、怪傑ゾロのマスクのようだ。それで、フーテンが『ゾロの仲間か?』と言ったのだ。

「それで、フィリックスさんといいやしたか?オレに力添えをしてくれるってことだが、何か特技があるんですかい?」

「へへ、フーテンの兄イと同じ特技ですよ!盗みの……。それより、この社は、見張られてますぜ!さっきも三毛猫がいましたが、あいつ、ただの猫じゃあない!かなり腕のたつ、スパイですぜ……」

「三毛猫が来てやがったか……、あいつはすばしっこいが、喧嘩は弱えぇ。まあ、放っておくがいい……。それより、お前さん、盗みが得意だと言ったが、どんなものを盗んできたんだ?」

「へえ、こういうモンを……」


「サンシロウから、伝言だ!わたしは屋敷へ行くよ!ふたりも急いでおいで!裏木戸の鍵を潜り戸の裏に置いとくから、手を入れれば、取り出せるよ!」

白猫が人間の言葉をしゃべって、しなやかに身を跳躍する。土間に降り立つと、勝手口から表に出ていった。

「緊急事態発生か……?リョウ、行くわよ!」

読みかけのエラリー・クインの文庫本を閉じて、オトが座敷に立ち上がった。

「ええっ?今日は、宿題をする予定なのに……、やっと、女子連から解放されたんだよ!」

同じ座敷の上の、ちゃぶ台に、夏休みの宿題のプリントを広げていた、リョウが不満の声を上げる。

「宿題?あんた、レイコと図書館で済ませたんじゃないの?」

と、高い位置から、オトが疑問を投げかけた。

「済むもんか!ずっと、おしゃべりだったよ!疲れただけさ……」

「はあぁ、じゃあ、お留守番?」

「いや、行くよ!ゾロが必要な事態かもしれないからね……」

と、リョウは、手にしているエンピツを筆箱に入れながら、言う。

「リズが絡んでいる事態なのかな?怪しい、トミーの行動とか……」

「シズカが言ったとおり、裏木戸の鍵が、潜り戸の裏にあった……。でも、鍵を持っているのは、管理人の常婆さんと、マサさんだけだろう?この鍵は誰のだろう?」

リョウが、潜り戸に手を入れ、鍵を探り当てた。その鍵で裏木戸から屋敷に入ることができた。

「マサさんのではないわね!あいつはこんな手は使わない。それなら、合鍵を作っているわ!」

「なら、常婆さんの鍵かな?」

「どうでもいいんじゃない?ほら、チャチャがお出迎えよ!」

オトの示すレンガ造りの通路の上に、白と薄茶色のまだらの猫が、ふたりを見上げていた。

チャチャに案内されて、屋敷の二階の角部屋に入る。目眩も揺れも感じない。ガランとした部屋には、クロウを初め、いつもの数匹の猫たちが床にしゃがんでいた。

「やあ、オトとリョウ、久しぶりだね。これでメンバーが揃った。では、サンタ、話を始めてくれ」

黒猫のクロウが三毛猫に話をふった。

「例の稲荷神社の様子を探りにいったんです。どうもリズは留守のようで、フーテンと、もう一匹の洋猫がいました。そこへ、フィリックスという黒猫がやって来まして、探っているところを邪魔されたんです。ですから、フーテンと洋猫の会話は訊き逃してしまったんですけど、もう一度、近づいて、フィリックスとの会話を訊きました……」

サンタは、フィリックスがフーテンに語ったことを伝えた。

「ほほう、フィリックスって奴は、泥棒猫か?で、何を盗んできたんだ?」

「この眼で見たわけじゃあないし、もう一匹の洋猫に気づかれて、その場を離れましたから、確実ではないですが、赤い宝石のようです。洋猫が『キレイな赤い石だねぇ』と言いましたから……」

「赤い宝石?ルビーのことね!じゃあ、最近起きてる『ルビー盗難事件』の犯人は、その『フィリックス』って黒猫なのね……?」

「オト、人の世の中では、そんな事件が起きてるのか?それが猫の仕業だというのか?」

「しかし、猫が宝石を盗んで、どうするんだろう?『猫に小判』じゃないけど、金に替えられないだろう?人間が絡んでいるならとにかく、猫の単独犯は考えられないよ!」

「そうだな、我々猫には、ルビーなど何の値打ちもない……、いや、もしかしたら……、そんなはずはない……」

「クロウ、どうしたの?ルビーを欲しがる猫がいるっていうの?」

「いやいや、猫にはいないさ。しかし、ルビーのような赤い光を好むものがある。だが、猫と関わっているとは……。まあ、君たちには関係ない世界の話だ。お伽噺の世界だよ。忘れてくれ!」

「ふうん、気になるけど、まあ、秘密の世界なんだね?それより、リズは?行方がわからないの?」

「ああ、あの迷い猫を救出した日から、姿も匂いもしない」

「フーテンと一緒にいる洋猫ってどんな猫?宝石を見てキレイだ、と言ったのなら、メス猫だよね?」

「ああ、メス猫で、短毛種でしたね……、確か、名前を富っていってました。メス猫だから、お富さんなんでしょう」

「富?トミーじゃあないの?」

「トミー?でも、トミーは男の名前でしょう?」

「いや、トミーってメス猫がいるんだ!」

「リョウ、フーテンと一緒にいた猫がトミーだったとしたら、ミチコのところの猫は?」

「リズの能力がアップして、猫叉に近くなったそうだね?人間には化けれないが……と、フーテンが言ったそうだから、猫には化けれるんじゃないかな?」

「じゃあ、ミチコのところにいるトミーは、リズが化けているってこと?」

「トミーってメスの洋猫が、ほかにいないならね……」


「おい、姉御が呼んでいるって、本当だろうな?オレが会いにいったら、怒るんじゃないか……?」

「わたしが嘘を言っている、っていうのかい?わたしとリズ姐さんは、意識が繋がるんだよ!だから、あんたに案内されて、あのお稲荷さんへ行ったんじゃないか……。信じないなら、いいよ!あんたが、姐さんからどんな目にあわされても、わたしの所為にはしないでおくれ!」

「わ、わかった、わかった、おめえの言葉を信用するよ!それで、姉御は、おめえになんて言ってきたんだ?」

「退屈なんだってさ!部屋に閉じ込められて、夜の散歩もできないそうだよ。たいした情報も得られないから、わたしと交替したいんだとさ!」

トラ猫のフーテンとアメリカン・ショート・ヘヤーのトミー、それと黒猫のフィリックスが夜道を急いでいる。トミーの頭にリズからの通信──テレパシー──が入ったのだ。半信半疑なフーテンだったが、それが本当であった場合の後が怖い。だから、夜の町をトミーの飼い主のミチコの家に向かっているのだ。フィリックスがついてきたのは、リズが部屋に閉じ込められている、と知って、

「では、わたしの特技が役にたちますよ!」

と、言ったからだ。確かに、リズが出られない部屋に、フーテンもトミーも入る手立ては、思い浮かばなかった。

「いってえ、どんな手を使うんだ?」

「へへ、兄イ、そいつは企業秘密だ!まあ、見てのお楽しみ……」

「ミャーァ、ミャーァ」

と、猫の鳴き声がした。

「あら?あの声は、トミーの鳴き声だわ!でも、おかしいわね?外から聴こえるみたいだけど……?」

「じゃあ、やっぱり、リョウが言ってた、トミーは偽物かもしれない、ってことなのよ!あの子、猫に関しては、鋭い勘をしているみたいね?もうちょっと、積極的だったら、恋人宣言してあげるのに……、オクテすぎるわ!」

そう言ったのは、ミチコの友人というか、グループのリーダーのレイコだ。

その日、ミチコにリョウから電話があって、トミーが偽物の可能性があることを知らされた。半信半疑だったが、思い当たることが、多々あるので、どうしたらよいのか、尋ねると、

「今夜、トミーを部屋に閉じ込めておくこと。レイコさんに来てもらって、トミーをふたりで監視していること……」

と言った。

「リョウ君は?来てくれないの?」

「女の子の家に、夜中には行けないよ!まあ、それなりに、周りを注意しているから、安心して……」

と、言って、電話を切った。

それで、レイコに電話して、こうしてふたりで、トミーを見張っているのである。

「ちょっと、様子を見てくるね。外に本当のトミーが、帰って来たのかもしれないから……」

そう言って、ミチコは部屋を出る。

ミチコの家は洋風の屋敷で、部屋はそれぞれ、ドアがあり、廊下で結ばれている。トミーがいるのは、二階の角部屋。窓がひとつ、庭に面してあるが、出口はひとつのドア。猫の潜り戸はない。厳重に鍵をかけ、その鍵は、今、ミチコのポケットに入っているのだ。

ミチコとレイコがいたのは、その部屋の真下。一階の居間だ。ミチコの両親は、母親の実家にお盆の帰省中である。ミチコの世話は家政婦がしているが、今夜は実家に帰っている。つまり、今、この屋敷には、ふたりの小学生と、猫が一匹いるだけなのだ。いや、実は、ミチコには、高校生の兄がいるのだが、両親が留守の間に、息抜きをして、悪友と遊んでいる。本来なら、もう帰宅する時刻なのだが……。

「あら?見たことのない猫ね!何処から入ってきたのかしら?勝手口の窓からかしら……?」

ミチコが廊下を玄関の方に進むと、玄関のタタキから、黒い猫が自分に向かって、ゆっくり歩いてきたのだ。黒猫だが、顔の下半分と、喉の辺りが白い。足先も白い色をしている。

黒猫──フィリックス──が、ミチコの眼の前で止まった。そして、その青い瞳をミチコの視線に合わせた。

「ああ、トミーのお友達ね?ええ、トミーは二階よ!案内するわ……」

と言って、ミチコはクルリと黒猫に背を向けて、二階に続く、階段に向かった。

「ミッチ、外に猫がいたの?」

と、レイコがドアを開けて、ミチコに確認する。

「ミッチ?ミッチ、どうしたの……?」

レイコの声が聞こえないのか、ミチコはフラフラと階段を登る。その足元に黒猫がいるのだが、レイコには死角になって見えなかった。

「緊急事態ね!呼子(よびこ)を吹く時がきたのね!リョウが言ってたように……」


「おや?見知らぬ顔だね……?」

と、トミーに化けているリズが言った。

閉じ込められている、部屋の鍵が開く音がして、トミーの飼い主の少女がドアを内側に開けた。そのドアの隙間から、黒猫がスルリと入ってきたのだ。

「シッ!リズの姐さんですね?なるほど、トミーってメス猫にそっくりだ!事情は後で……、チョイと窓を開けますから……」

黒猫のフィリックスは身軽に窓枠に登ると、前足を器用に使って、サッシの鍵を外して、窓を開けた。

「ミャー」

と、窓枠から、外の闇に合図の声を上げる。すると、樋を伝って、大きなトラ猫と、アメリカン・ショート・ヘヤーが窓から部屋に飛び込んできた。

「おや?フーテン、お前の戦略だったのかい?鮮やかな手口だね……。この黒い兄さんを助っ人に頼んだのかい?」

リズはそう言いながら、身体を振るわして、元のシャム猫の姿に戻った。

「姉御、心配しやしたぜ。このお方は、フィリックスさんといいやして、なかなか、腕のたつ、泥棒猫で……、弟分のハチの『一宿一飯』の恩を返しにきてくれたんでさぁ……」

「フウン、泥棒稼業かい?さっきの技は、催眠術だろう?あの女の子に鍵を開けさせた手口は、泥棒の技じゃあないね……」

「へへ、そいつは企業秘密でして……」

「姉御、トミーを置いて、逃げ(ズラカリ)ましょう。邪魔が入らねえうちに……」

と、フーテンが窓の方へと、リズを誘う。

すると、それまで、小さな灯りが灯っていた部屋の中が、急に電灯が灯って、明るくなった。

「おやおや、新たな、お仲間が増えたようですね?『怪盗キャット』さんとお呼びしましょうか?ルビー専門の泥棒猫さんですよね……?」

「あっ!おめえは、あの三毛猫……!ゾロも一緒か……?」

部屋のドアは閉まっている。鍵はかかっていないが、開いた音はしなかった。そのドアの前に、サンシロウと、ゾロに扮した、小さい身体のリョウが剣を構えて立っていた。

「姐さん!逃げますぜ!」

と、フィリックスがリズの身体を窓側に押して、自らは、窓枠から、闇の中へ身を躍らせた。リズは何が起きたかわからぬまま、そのあとに続いた。

「あっ!逃げた!フーテン殿は、逃げませんよね?」

と、ゾロが言った。

「ヘン!フィリックスの奴、見かけと違って、肝っ玉の小せえ男だぜ!まあ、オレひとりで、カタはつくけどな……」

と、フーテンはゆっくりと身体を沈め、攻撃態勢に入った。

「今日は、網は持ってねえな?その竹光の刀だけなら、敗けやしねえぜ!今までの借りをたっぷりと返してやる!」

そう言って、フーテンがゾロに飛びかかろうとすると、眼の前のゾロとサンシロウの姿が消えてしまった。

「な、なんだ?き、消えちまったぜ……!」

と、驚いて、周りを見回す。すると、背中に、急に圧力が加わって、床に押し付けられる。

首の付け根を押さえられて、顔が動かせない。わずかな視界の中に、人間の──たぶん子供の──黒いソックスを履いた足先が見えた。

「フーテン殿、敗れたり!」

と、頭上から、大きな声がした。

「な、な、な、……、ゾ、ゾロ?また、急に大きくなりやがったのか……?ひ、卑怯者!尋常な勝負をしやがれ……!」


「君たちは、何者だ?この部屋で何をしている?」

リョウがフーテンの身体を細縄で縛り、サンシロウの能力で、猫屋敷の檻の中へテレポートさせた。そこへ、異変に気づいた、レイコがやって来て、廊下で気を失っていたミチコを介抱しながら、部屋を覗き込んだのだ。

「レイコさん、呼子をありがとう!カタはついたよ!本当のトミーも、このとおり無事だ!」

と、黒いマスク衣装のリョウが言った。

「リョウ?リョウなのね?何、その格好?怪盗なの?二十面相?」

「いや、これは、怪傑ゾロのつもりなんだよ!ソンブレロがないけどね……」

「ああ、正義の味方だものね?」

と、レイコが納得して、リョウに抱きついたところへ、先ほどの声が、浴びせられたのだった。

「あら?サトシお兄さま、お帰りなさい。レイコですわ、ご無沙汰しています。ミッチと、同級生のこの子はリョウ君。今、お芝居の稽古をしていましたのよ!ほら、有名な『怪傑ゾロ』を……」

ドアの側に現れたのは、帰りの遅くなった、ミチコの兄、サトシだった。レイコは顔見知りだ。咄嗟に、口から出任せを並べたが、サトシは疑いもせず、

「なんだ、お芝居の稽古か?ルビーを狙う、怪人二十面相かと思ったよ!まあ、夜も遅いから、近所迷惑にならないようにね!おやすみ……」

そう言って、サトシは自分の寝室に帰って行った。

「ありがとう、レイコさん!あの人はミチコさんのお兄さんなんだね?泥棒と間違えられるところだったよ……」

リョウがレイコにそう語りかけていると、床に倒れていたミチコが「うーん!」と言いながら、眼を覚ました。

「だ、誰?ど、泥棒?」

と、リョウの姿に驚く。

「ミッチ、リョウよ!正義の味方になって、トミーを取り返してくれたのよ!」

「トミー?えっ?それが、本当のトミーなの?えらく、埃だらけね?」

「まあ、何処かに、監禁されていたのかもしれないわね?お風呂も入っていないようだし……」

「まあ、とりあえず、トミーは無事に帰ってきた。僕はこれで、失礼するよ!」

「ええっ!もう夜も遅いわよ!こんな夜中に、歩いていたら、お巡りさんに補導されるわよ!泊まっていきなさいよ!ねえ、ミッチ、三人で雑魚寝するってのは、どう?リョウを真ん中にして……」

「それで?泊まらずに、どうやって、逃げてきたの?」

夜遅く、子供部屋に入ってきた、リョウがオトに今夜の騒動を語り終えると、オトが疑問をぶつけたのだ。

「トイレを借りてね、個室で、薬を溶かした水をかぶって、小さくなって、呼子でサンシロウを呼んで、ここのお風呂場までテレポートしてもらったのさ」

「なるほど、小さくなれば、サンシロウの能力の範囲になるのか?でも、あなたが突然いなくなったら、レイコが疑問に思うでしょう?」

「まあ、トイレの後で、やっぱり帰ることにして、黙って家を出たことにするよ」

「まあ、それが無難な嘘ね……。ところで、『怪盗キャット』には、逃げられたのね?ミチコに催眠術のようなものをかけて、トミーの友達と思い込ませて、ドアの鍵を開けさせた……。つまり、数件のルビー盗難事件も、同じ手口……ってことよね……?」

「ああ、フィリックスというらしいけど、リズと同程度のエスパー・キャットかもしれないね……」

「ちょっと、いい?ふたりに話があるのよ……」

と、白猫が、音もなく、子供部屋に侵入してきて、ふたりに話しかけた。

「なんだい?シズカ、改まって……」

「リョウ、あなた、フィリックスって黒猫を見たんでしょう?どんな猫だった?歳は?若い?」

「うーん、猫の歳はよくわからないよ。それほど年寄りではなかったけど、サンシロウほど、若くはないってところかな?全体的に黒猫だけど、鼻から口周りと首筋。それと足先が白かったよ」

「どう?クロウに雰囲気とか、似ていない?」

「クロウと似ている?まあ、艶のある黒い体毛だからね……」

「まさか、シズカ、あの泥棒猫が、クロウの血筋だっていうの?」

「うん、あんな特殊な能力を持っている猫が、ほかにいるとは思えないの……。直弼の屋敷で暮らした猫以外には……。それで、黒猫だとしたら、クロウの血筋しかいないのよ。あの屋敷には……」


「おやおや、また尻尾を巻いて、逃げてきたのかい?」

稲荷神社の社殿で、高級なキャット・フードを食べていたシャム猫が、長い舌で口の周りを舐めた後、社殿の扉から、そっと入ってきた、大きなトラ猫に言った。

「し、尻尾を巻いて……?まさか、オイラが、敗けるわけねえでしょうが……」

と、フーテンが否定する。

「嘘をつくんじゃないよ!あたしを誰だと思ってるんだい?まあ、一度や二度は、わかっていても、黙って見逃してやったけど、『仏の顔も三度まで』だよ!」

「ははは、兄イ、三度ですか?だから、わたしが、逃げよう、って言ったのに……」

と、側にいた、黒猫が笑い声をあげた。

「じゃあ、なにか?あいつらには、勝てねえ、不思議な力があることに、おめえは、瞬時に気づいたっていうのか……?」

「その前に言ったでしょう?あの三毛猫は、ただの猫じゃあない、って……」

「三毛猫?ゾロとかいう、狐の化けものじゃあなくて、若造の三毛がオレに勝つ、っていうのかい……?」

「ゾロ?ああ、三毛の側にいた、変な奴ですね?確かに、得体は知れないが、戦闘能力はあるようには見えませんでしたよ!まさか、兄イ、ゾロって奴に敗けたんですか?」

「い、いや、さっぱりわからねえうちに、身体を押さえ付けられたんだ!」

「なるほど、ゾロは見せかけ。三毛猫の能力をカムフラージュして、ゾロにやられた、と思い込ませる作戦ですか……」

「なるほど、フィリックスのいうとおりだよ!フーテン、お前が三度も続けて敗けるなんて、不思議だったんだ!そういうカラクリか……?」

「姉御、オイラの実力を認めてくれているんですね?ようし、そうとわかれば、今度は敗けねえ!ゾロじゃあなくて、三毛を懲らしめてやりまさぁ!」

「フーテン殿、三毛猫には、勝負しないほうが無難ですよ!もう少し、三毛猫の能力を調べてからでないと、ね……」

「それで、クロウはまた、フーテンを逃がしたのかい?」

その夕方、シズカが屋敷から帰ってきたので、リョウが尋ねた。

「フーテンが、『卑怯、卑怯、まっとうな勝負をしていないじゃないか!』と、喚き散らすんでね。うるさいから、フィリックスって黒猫のことを、知っている範囲で話させて、逃がしてやったのよ……」

「まあ、諸葛亮孔明は七回、孟獲を逃がしたから、まだ、二回は大丈夫だね?」

「リョウ、そっちじゃないでしょう!フィリックスって泥棒猫が問題じゃあないの!シズカ、それで、フーテンはフィリックスについて、なにか喋ったの?」

「フィリックスは、二日ほど前に、ひょっこり、神社に現れたそうよ。前に、フーテンが猫屋敷を襲った時に、最後まで残った野良猫が三匹いたでしょう?そのうちの二匹はマタタビの匂いに釣られて、捕まえたけど、一匹は逃げ出したじゃない?その一匹がハチって名前で、フィリックスはそいつの兄貴分らしいのよ。ハチが役にたてなかったので、フィリックスが助っ人にきたんだって……。なんかヤクザの世界の……『一宿一飯の恩義』とか、いうそうよ!」

「それで、フィリックスの能力に関しては?」

「うん、フィリックスは『企業秘密だ』って言ってたそうだけど、リズが『催眠術だね?』って言ったら、否定しなかったそうだから、フィリックスは人間に催眠術をかける能力があるのは、間違いないようね!それと、サッシの鍵くらいは、器用に前足を使って開けるそうよ!」

「やっぱり、『ルビー盗難事件』の犯人は、フィリックスで間違いなさそうだね?何故、ルビー専門なのか、は不明だし、裏に、黒幕として、人間か、あるいは、クロウがゴマかした、お伽噺の世界の住人が、絡んでいるのか……?」

「それと、フィリックスの生い立ちというか、血筋の問題もあるわ!シズカ、そっちはどうなの?」

「ごめん!心当たりがないわけじゃあないけど、不確かなことは言えないの!もう少し、フィリックスのことを調べてみるわ!キチエモンの曾孫が、血筋なのかしら、新たな能力を身につけたみたいなの。上手く使えれば、戦力になるわ!わたし、しばらく、その子──キチヤ──の能力開発の手伝いにいってくる。母親のチャチャでは、難しいみたいだから……」

そう言って、白い猫は、身体を反転させると、鮮やかに跳躍して、土間に降り立ち、勝手口の潜り戸から、表に出て行ったのだった……

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