第3話 三毛猫サンタの冒険

「ニャー、ニャー」と、猫の鳴き声がした。

「あの声は、リョウではないわね……。シロウは、座布団にいる、と……」

テレビの前の畳の部屋、座布団を胸の辺りに敷いて、腹這いになって、エラリー・クインの『エジプト十字架の謎』という文庫本を読んでいる少女が、独り言を言っている。少女の名前はオト。中学生である。

少女の視線を感じたのか、座布団に丸まっていた白猫がスクッと立ち上がった。そして、スイッチがオフになっているテレビの黒いブラウン管を眺めだした。

「シロウ、シズカに変身するの?じゃあ、あの鳴き声はイゴなの?」

ブラウン管を眺めていた白猫が振り返る。その眼の色が、座布団に寝ころんでいた子猫と左右が反転していた。白猫はオッド・アイと呼ばれる左右の眼の色が違う、特殊な猫だった。それだけではない、シロウという子猫に、その母親だったシズカという猫が憑依している。二重人(猫)格なのだ。その変身するスイッチがテレビの黒いブラウン管のようだ。

白猫はゆっくりと歩みを進め、畳の上に置かれいる『あいうえお積木』の木箱に前足を乗せた。

『サンタカムカエニキタ』と、順番に右足を乗せていく。そして、確認するように、視線をオトに向ける。

『ヤシキヘイク』と、続けた。

「えーと、最初は、『サンタが迎えにきた』よね?」

と、オトが確認する。その積木には、濁音、半濁音はないのだ。

「次はわかるわ!『屋敷へ行く』よね?えっ!猫屋敷に行くの?また、何か事件が起きたのね?」

オトが話しかけているのは、もちろん、白猫だ。この猫は眼の色が特殊なだけではない。人間の言葉がわかり、また、自身の言葉(猫語)を人間の言葉に翻訳できるのだ。

視線をオトに向け、軽く首を下に落とす。頷く仕草だ。そして、身体を反転させると、軽やかに跳躍して、座敷から、土間に飛び降りた。そして、一度振り返り、勝手口の猫用の潜り戸から表に出ていった。

「リョウ!行くよ!リョウ?あれ?あいつどこへいった……?」

「なんだよ!大きな声で……、近所中に聞こえるよ!」

「なんだ、ウン◯か……?ちゃんと手を洗ったでしょうね?」

「当たり前だろう?それより、何の用なの?」

「シロウがシズカに変身して、出ていったのよ!イゴじゃなくて、サンタが迎えにきたようよ。猫屋敷に行くって……。我々も行くのよ!」

「積木を使って、会話をしたのか……?でも、猫屋敷は厳重に鍵がかかっていて、塀も乗り越えられないようにしているよ。この前は、たまたま、管理人の常さんと、マサさんがいたから入れたけど、そう都合よくはいかないよ……」

「そうだ!こんな時のために、クロウが薬をくれたじゃない!あの薬を使うのよ!」

「一錠で一分間、身体が十分の一になるってやつかい?あれ信じているの?お伽噺だよ!『不思議の国のアリス』の世界だよ!」

「当たり前じゃない!猫が人間の言葉を使うより、まだ現実的よ!きっと、直弼さんの発明だと思う。一錠で一分間、なんて、具体的だし、直弼さんが自身で試したはずよ!」

「でも、成分表示がないんだぜ。副作用とか、アレルギー反応とか……」

「まず、一錠だけ試してみるのよ。一分間だけ……」

「誰が?モルモットでも連れてくるのかい?」

「もう!意気地がないのね?わたしが試してみるわよ!」

「ええっ!ダメだよ!元に戻らなくなったら、大変だよ!学級委員なんだろう?十分の一じゃあ、学校にもいけないよ!わかった、僕が試す。学校を休んでも、誰にも迷惑がかからないから……」

(学級委員は関係ない!しかも、リョウは薬が効かないと思っているんじゃなくて、効き目がありすぎることを心配しているんだ……)

「わかったわ、リョウに任せる。薬を持ってくるからね……」

「ああ、コップに水もお願いできるかな……?」


「リョウ!リョウ?どこへいったの……?」

オトの声がテレビの前の座敷に響いた。

リョウが意を決して、一錠の丸薬を水と一緒に飲み込んで、約十秒後、リョウの姿が、オトの視線から消え失せたのだ。畳の上には、リョウが着ていた、トレーナーと、綿パンが、歪んだ形で残っていた。

「ここだよ!」

と、微かな声が聞こえた。 リョウの声に違いないのだが、なぜか、遠くから聞こえてくる感じだった。

「リョウ?無事なのね?どこにいるの?」

「ここだよ!たぶん、パンツの中……」

「パンツの中……?」

オトが驚いて、歪んだリョウの衣服に眼を向ける。綿パンの一部がもぞもぞと動く、その中に納まっていた、白いブリーフから、何かが現れた。

「キャー!」

と、オトが悲鳴をあげる。

「ああ、小さくなったリョウか?ネズミかと思った……」

「確かに、十分の一になったようだよ。身体だけで、服はそのままだから……」

ブリーフの前の割れ目から、十数センチの人間が出てきて、身体をオトの前にさらけ出した。

「キャー!スッポン・ポン!オチン◯◯丸出しじゃあないの……。わたしが試さないでよかった……」

「ああ、部屋の中でよかったよ。この薬、使えないよ……」

「待って、あと二十秒で一分よ!元に戻るはずよ……」

十、九、ハ……とカウント・ダウンを始める。ピッタリ一分ではないが、数秒の誤差で、リョウは元の大きさに戻った。つまり、オチン◯◯も……。

「キャー!早くパンツを履きなさいよ!レディーの前に変なもの見せないで……!」

「誰がレディーだよ!可愛い弟のオチン◯◯くらい、見飽きるくらい見てただろ?」

「あなたねえ!わたしは中学生なのよ!男女のけじめはきちんとするのよ!例え、弟でも、異性なんだから……。お風呂も別々になったでしょう?」

「ハイハイ、わかりました。お互い、裸になる時は、大事なところは隠します」

そう言いながら、リョウは白いブリーフを履いた。

「そうだ!いいものがあるわ!ちょっと待ってて……」

オトはそう言って、子供部屋に向かった。二、三分後に彼女が帰ってきた。手には、正方形の赤い布。その角の三ヵ所には、紐がついている。

「ほら、これを使えば、オチン◯◯が隠せるわよ!身体が小さくなったら、腹掛になるから……」

オトがその正方形の布を開いて見せる。赤い布には円に囲まれた『金』の字が大きく書かれていた。

「それ、金太郎の人形の腹掛じゃあないか?」

確か、子供部屋の棚に、五月人形の鉞を担いだ金太郎人形が飾ってある。その人形の衣装を外してきたようだ。

「そうよ!これをパンツの中に括りつけておくのよ。あなたのオチン◯◯くらいは、隠せる大きさよ!薬で身体が小さくなったら、腹掛にちょうどの大きさになるわ!金太郎さんの大きさくらいになるはずだから……」

「これで?オチン◯◯が隠せる?」

「いいのよ!元に戻った時、パンツを履く迄の間だけ、隠せばいいんだから……」

「この門は中から閂(かんぬき)がかけてあるのよ。鉄製の丈夫なやつがね。外からは開けられない。鉄格子じゃなく、鉄の扉になっているからね」

猫屋敷の門扉の前で、オトがリョウに説明をしている。

「ただし、扉の下の部分に、猫の潜り戸がついていて、猫くらいの大きさのものは、そこから入ることができるのよ」

「ハイハイ、それは、クロウが薬をくれた時から、わかっていたよ。薬の効き目も確認した。あとは、ここでその薬を飲んで、猫用の潜り戸から入ればいいんだろう?金太郎の腹掛もパンツの中にセット完了しているよ」

「そう、あなたはそれでいいのよ……」

「ええっ!姉貴は薬を飲まないのかよ?」

「そうよ!こんなところで、レディーがスッポン・ポンにはなれないでしょう?」

「誰も見てはいないよ!それに戸を潜り抜ける間だけだぜ……」

「ダメ!絶対、裸にはなれない!」

「じゃあ、どうするんだよ?僕だけが、クロウのところへ行くのかよ?」

「バカね!わたしも行くわよ!いい!あなたは薬を飲む。金太郎の腹掛姿で、潜り戸から入る。一分経ったら、身体が元に戻る。オチン◯◯に腹掛をして、中から閂を開ける。わたしは、堂々と門扉から入る。あなたの服を持ってね……。以上!」

「なるほど、自分は手間を省くのか?でも、中から閂をはずせるのかな?鍵付きだったら無理だぜ……」

「大丈夫よ!前回、確認しているのよ。閂を差し込んでいるだけ……。蝶番(ちょうつがい)を上に回せば、閂が引き出せるわよ」

「さすが、探偵小説愛好家!」

「はい!薬と水筒。頑張ってね……!」


「作戦成功!門扉は元に戻して……、さあ、早く服を着なさいよ!あの二階の部屋へ行くわよ!」

リョウが水筒の水と一緒に丸薬を飲み、金太郎の腹掛け姿で猫の潜り戸から屋敷に入る。約一分後、元の大きさに戻ったリョウが、腰に小さな腹掛けを締めて、大事なものを隠した格好で、閂を外した。

門扉が開き、オトが手にしていた、リョウの服を差し出したのだ。

屋敷内に入れば、玄関などは鍵がかかっていない。服を着直したリョウとオトは、レンガを敷き詰めた通路を玄関に向かって歩いていった。

玄関を開けると、思っていたほどの異臭はしない。どうやら、前回の畑荒らしの疑惑を受けた所為(せい)で、管理人の常ばあさんが頻繁に屋敷を訪れるようになったようだ。

「案内役の猫が出て来ないね?」

と、リョウが玄関口の踊り場で周りを見回して呟いた。

「静かね……、猫の気配がしないわね?」

と、オトが鼻と耳──臭覚と聴覚──を最大限に使いながらいう。

「まあ、とりあえず、二階のあの部屋へ行ってみましょう」

オトの言葉に素直にうなずいて、リョウは階段をゆっくり登って行く。屋敷に行くと言った、シズカも、迎えにきたサンタもその姿はない。

「部屋の鍵はかかっていないようよ。この前、マサさんが開けようした時は鍵がかかっていたみたいだけど……」

ドアノブに手をかけて、オトは扉の状態を確かめながらいった。

「おそらくだけど、この部屋は異界との狭間。滅多な人間──猫もだろうけど──は入れない、あるいは、制限しているんだよ……」

「その切り替えは、どうやってしているのかしら?」

「それはわからない。でも、僕らは、制限されていない人間のようだね」

「よし、入るわよ!目眩に注意よ……」

ドアは音もなく、中側に開いた。前回、前々回では、ふたりが部屋に入ったとたん、自動的にドアが閉まったのだが、今回は開いたままだ。部屋はガランとしていて、壁から突き出したような三つの棚と、窓越しの黒松がはっきりと見えた。前回までは、歪んで、ピントが合わない感じだったし、ドアが閉まったとたん、目眩がしたのだが、今回は何も起こらない。

三つの棚の一番上に、クロウ(=ヨシツネ)という名の、黒猫が腹這いになっているという状況もなかった。

「おかしいわね、普通の部屋よ。異界との狭間ではないようよ……」

「そうだね、クロウもいない。いや、屋敷に猫が一匹もいないって感じだよ」

「おかしい!子猫がいたはずよ!キチエモンの曾孫にあたるキジトラ猫。その母親もいるはずなのに……」

「そういえば、マサさんが最初に屋敷に来た時も猫の姿がなかった、って言ってたよね?引っ越しをしたってことはあり得ないだろうし……」

「何か非常事態が起きたのかしら……?」

オトが首をひねりながら、部屋を横断する。窓越しに黒松の生えている、裏庭を眺めてみた。黒松は根っこが地上に露出していて、空洞になった部分がある。雷が落ちた所為で幹の途中に亀裂があり、その部分にも空洞ができているようだ。それにも関わらず、黒松は丈夫な枝を左右に広げているのだった。

オトは窓際から壁沿いに進み、壁から生えたような三つの棚に近づいた。いつもなら、その一番上の棚に、クロウがいるはずだった。

「そういえば、この前、この下の棚が動いて、あの薬の入った瓶が出てきたわね?あれ、どういう仕掛けだったのかしら……?」

そう言いながら、オトが、その一番下の棚に手をかけた。

バタン!とドアが急に閉まり、地震の揺れのような感覚が襲ってきた。部屋が回る感覚……、あの目眩の感覚……。

「リョウ!異界との狭間が現れるわよ……!」


「やあ、オトとリョウ!来ていたのか?いつもの裏木戸からではなく、正面の門扉から入ってきたんだな?」

目眩が収まって、オトが部屋の様子を見回すと、一番上の棚に黒猫が腹這いで座っていた。窓際に数匹の模様の違う猫がいる。部屋に入る前に予想していた風景だった。

「こんにちは、クロウさん。でも、どこから登場したの?」

と、オトが人間の言葉を喋った黒猫に問いかけた。

「ちょうど食事の時間だったんだよ。例の直弼が作った、猫用の寿命が伸びて、脳が活性化する食事をね。秘密の場所で食べているんだ。リズやフーテンが食事の時間を狙って、襲う可能性があるからね……」

「フウン、秘密の場所か……?でも、秘密の場所につながる、秘密の通路が見あたらないのよね……」

「オホン、それは秘密だ!いや、君たちを疑っているんじゃないよ!その場所とそこへ行く方法は、我々の生命に関わる部分だからね。極秘、トップ・シークレットなんだよ!」

「なるほど、この屋敷の秘密はそこにあったんだね?この部屋は、その場所につながる、接点、関所みたいな場所なんだ?」

「リョウ!なかなか、察しがいいね」

「じゃあ、この部屋は『異界との狭間』じゃなくて、その秘密の場所への狭間なの?それとも、その秘密の場所っていうのが、異界ってこと?」

「ムムム……、異界、ね?さて、そのあたりから、シークレットなんだよ!いずれ、君たちには、話せる時がくるとは思うがね……。今はそれどころじゃあないのだ!また、リズが悪巧みを始めたようなんでね。それで、作戦会議をしていたんだよ。食事をしながらね……」

「リズが悪巧み?どんな悪巧みなの?」

「ウン、それより、君たちはどうやって屋敷に入ったんだね?門扉は堅く閉まっているはずだが……」

「あら、この前、あなたがくれた『身体が十分の一になる薬』を使って、猫の潜り戸から入ってきたのよ」

と、オトがリョウだけが薬を飲んで、金太郎の腹掛をして入ったことを説明した。

「わたしは裸にはなれないから、あの薬は使えないわね……」

「そうか、服までは小さくできなかったか?人間とは不便な生き物だな!裸で生活できないとは……。しかし、オトも小さくならねばならない場面にでくわすよ。裸がマズイのであれば、ひとつ解決策を教えよう」

「解決策?わたしも金太郎の腹掛をしろ!っていうの?イヤよ!あれ、お尻が丸出しよ!レディーには無理!」

「ハハハ、オトのお尻か?可愛いだろうな?しかし、腹掛なんかじゃないよ。実はあの薬を水に溶かして、服にかければ、服も小さくなるんだ。ただ、上着もズボンも下着までかけるのは手間がかかる。そこで、上下が一体化している、ツナギ──オートバイレーサーが着るレザースーツ──を用意するんだ。それなら、コップ一杯の水で、身体も洋服も小さくできるし、元にも戻るよ……」

「へえー、あの薬、水に溶かしても効き目が変わらないんだ?じゃあ、月光仮面の格好をして、その水をかぶったら、小さな月光仮面になれるんだね?」

「そういうことだ」

「じゃあ、わたしはリボンの騎士にしようかな?」

「ダメだよ!帽子に仮面、フリルのシャツにブルマのようなパンツ。普通の格好より手間がかかるよ……」

「そうね、じゃあ、黒のレザースーツに仮面をつけるわ」

「ああ!それじゃあ、僕は月光仮面の白じゃあなくて、怪傑ゾロの黒いマスクにする……」

「ところで、リズの新たな悪巧みって、何なの?また、何か人間に迷惑をかけて、それをこの屋敷の猫がしていることに見せかけているのかしら?」

「ウムゥ、当たらずといえど、遠からずかな?まだ、確定ではないんだがね。リズが人間を利用して、我々をこの屋敷から追い出そうと、しているようなんだ。ただし、迷惑をかけているのではないようなのだよ……」

「よく、わからないわ?」

「サンタ、君が説明しろ!」

と、棚の上から、窓際で毛繕いをしていた三毛猫にクロウは話を渡した。

金色の眼に黒い瞳の賢そうな三毛猫が、顔を上げた。

「フーテンの臭いを追って、彼らの住処を見つけたんだ。それほど遠くない、この屋敷の南西方向にある寂れた稲荷神社を使っている。僕とイゴが偵察にいったんだよ。そしたら……」

サンタたちが見た光景は、意外なものだった。寂れた稲荷に、数人のお百姓さんらしい男女が参拝しているのだ。何か、社殿に向かって、言葉をかけている。そっと社殿の脇から、高床の床下に潜り込み、近づいてみた。

「猫神様、もう一度、雨を降らしてくださいませ!」

と、男が柏手を打った後でいった。

「わたしには、おナカさんと同じように、お金をくださいませ!」

と、隣で両手を合わせている女がいった。

そうすると、社殿の中から、甲高い声が聞こえてきたのだ。

「両名の願い事、叶えて遣わそう。ただ、その願いを邪魔する、邪悪な存在がいる。それは、この社の北東に住んでいる、猫の姿を借りた悪の化身じゃ!それを退治することは難しいが、その場所から、退散させることは可能だ!願いを叶えて欲しければ、知恵を絞って、その邪悪な生き物を退散させよ!」

「その声は、どうやら、リズの声のようなのです」

と、サンタが説明する。

「リズの声?この部屋以外で、猫が人間の言葉を喋れるの?」

と、オトが驚く。

「ああ、不思議なことだ。この部屋以外に人間と会話ができる場所が存在するとは……」

と、クロウがいった。

「それより、リズがなんで、お百姓さんから神様みたいに拝まれているの?猫神様って呼ばれているみたいだけど、お稲荷さんなら、猫じゃなくて、狐だろう?」

と、リョウが疑問を投げかける。

「そこをこれから調べなければならないのさ。それで、作戦会議をしていたんだよ。人間が絡んでいるから、少々、面倒になりそうなんだ……」

「この前の畑荒しの時のように、マサさんを使うっていうのはどう?」

「そのマサという男は信頼できるのか?」

「わたしの従兄よ!リョウをそのまま、十歳、歳を取らせたって感じよ!」

「姉ちゃん!オレ、そんなにマサさんと似ているか?」

「オトのいうことを信じよう。マサという従兄に、稲荷神社で起きていることを調べてもらってくれ……」


「途中経過だけどね、わかったことを知らせにきたよ!」

数日後、マサがオトの元を訪ねてきた。いつものテレビのある座敷に胡座をかいて、祖母が入れてくれた、サイダーのコップを傾けて、話を始める。

「すっかり、刑事になったみたいね?」

と、クロウから頼まれた、稲荷神社の捜査結果を期待して、オトが笑顔を浮かべていった。

「親父ほどじゃあないけど、事件調査の聞き込みも馴れてきたよ。まあ、あの辺りの住民は人あたりが良い、というか、隠しごとが嫌いなようだ」

「それで、お稲荷さんに猫神様のことはわかったの?」

「ああ、あの寂れていた稲荷神社に別の神様が降臨したそうだ!」

「別の神様?」

「猫の顔を持つエジプトの神様で『バステト』という名の神様らしい。いや、最初からそう呼ばれたわけではないんだが、ことの始まりは、梅雨の時期なのに、空梅雨で、晴天が続いた所為なんだ……」

今年の梅雨は空梅雨で、雨が降らず、農家は水不足で困っていた。稲の生育に大きな影響を与え始めていたのだ。

「例の大きなトラ猫が住み着いていた農家があるだろう?あそこは、近郊の農家でもまとめ役なんだが、ある夜、夢枕に猫の姿をした神様が現れて、寂れた稲荷神社を借りて、この辺りの住民の願いを叶えてやれるようになった。油揚げではなく、鰹節を供えれば、願い事をひとつ叶えて遣ろう、といったそうだ……」

主人は半信半疑だったが、鰹節ひとつで願い事が叶うなら、と、寂れた稲荷神社に参拝し、雨乞いをしたのだ。すると、夜半から雨が降り始め、雨は一日中降り続き、水不足が解消したのだった。

「猫の神様に雨乞いのご利益があるの?」

「さあ?詳しくはないんだが、エジプトのバステトという神様は、人間を病や災いから守ってくれる、といわれているらしい。もうひとつ、豊穣の神として、信仰されたらしいから、水不足には関係があるかもしれないね?」

とにかく、願い事を叶えてくれたわけだ。農家の主人は近郊の百姓に雨乞いをしたことを話した。つまり、自慢話としてだ。

それを聞いた貧乏な百姓の女房がいた。亭主が身体を壊し、農作業ができない。子だくさんで、彼女自身もひとりでは、農家を支えられなかった。

その女房が、鰹節を持って、稲荷神社に参拝し、願い事をいったのだ。少しで良いから、お金をください!と……。

「ええっ!現金が欲しい?宝くじを当ててくれ!ならわかるけど、ストレートな願い事をいったものね?」

「まあ、その女房、お名香さんというそうだが、明日のお米代や亭主の薬代にも困っていたらしい……」

「それで?願い事が叶ったの?」

「そうなんだ!その夜、夢にシャム猫が現れ、巾着袋を枕元に置いたそうだ。朝、目が醒めたら、夢じゃあなくて、お金の入った巾着袋が枕元にあったそうだよ……」

「いくら入っていたの?」

「詳しい金額は、本人も教えてくれなかったけど、小銭と百円札が混じって、家族が一ヶ月は暮らせるくらいだったらしい。おかげで、亭主の病気の治療ができて、働けるようになったんだとさ……」

「フウン、シャム猫が現れたか……で、その神様がエジプトの猫神様だと、どうしてわかったの?」

「近所に高校の社会科の教師がいてね。シャム猫の顔をした神様なら、エジプトの神だろう、といって、そのエジプトの神様の絵を見せたんだ。農家の主人が、『これだ!』っていったから、バステトという名の神様だと決まったみたいだよ」

「そしたら、参拝する人間が増えたでしょうね?」

「参拝者は増えたんだけど、神様のほうが気まぐれになったらしい。願い事を口にしたら、『そのような願いは聴いて遣れぬ!信心が足りぬ!』って、社殿から声がする。ある男がいぶかしがって、社殿を開けたら、大きなトラ猫に飛びかかられたっていうんだ。トラ猫じゃあなくて、本当の虎に見えて、アワを食って逃げたってことだ……」

「シャム猫にトラ猫、リズとフーテンの仕業だとはっきりしたわね」

「リズとフーテン?前にもその名前をいってたね?その二匹の猫を誰かが使って、悪巧みをしているのかい?」

「人間が使っているんじゃないのよ。シャム猫が人間を使って、悪巧みをしているのよ……」

「姉御、猫神様になって、人間どもをたぶらかした、ところ迄はよかったんですけどね……」

と、トラ猫がいった。

「なんだい?また、ヘマを仕出かしたのかい?それとも、『トラぶる』の発生かい?トラ猫だから……?」

と、シャム猫が鰹節をかじりながらいった。

「姉御、ヘタな洒落をいっている場合じゃねぇですぜ!」

「ヘタな洒落で悪かったね!いったい何が起きたんだい?」

「人間どもに、猫屋敷の猫を追い出せ!っていったでしょう?それで、何人かの百姓が、猫屋敷に行ったんですけど、屋敷には、猫が一匹もいなかったんですよ!」

猫屋敷と、具体的に名指しはしなかったが、百姓たちに、猫の姿をした悪霊がいる、と、ご神託を聞かせて、屋敷の猫を追い出させようとしたのだ。

「雨乞いをされた時は、まあ、翌日には雨になることは、オイラのヒゲでわかっていましたし、少々の銭なら、賽銭箱から盗んでくりゃあいいんで、簡単でしたがね……、人間の欲の深さには、めぇりやすぜ!美人の嫁が欲しいとぬかす!てめえのツラ、鏡が嫌がって、割れちまうようなツラの野郎ですぜ!」

「お前だって、たいしたツラじゃあないだろ?だけど、あたしみたいな絶世の美人(猫)が側にいるじゃあないか……。夫婦ではないけどね……」

「そりゃあ、オイラが姉御に献身的に仕えているからで……。それにオイラの顔は捨てたもんじゃあねえですぜ!額の向こう傷は、二十年前のあの戦で拵えたものですが、早乙女主水の『天下御免の向こう傷』ですぜ!身体を張って、姉御を救ったんですからね……」

「ああ、あの戦では、まだ、若かったおまえのおかげで、助かったよ。だから、こうして、一緒にいるんじゃないか……。あたしだって、義理人情は捨てちゃあいないよ……」

リズはそういいながら、鰹節を噛み砕いた。

「フー!何者かが、忍び込んでいるよ!床の下だよ!」

急に身体を伸ばして、リズが叫んだ。

「また、三毛猫の野郎ですかい?この前は、イゴの息子も一緒でしたが、イゴの息子は懲らしめてやりましたからね。サンタの息子の三毛の野郎は、すばしっこくって、見失いましたがね……」

「今度は逃がすんじゃないよ!今の話をクロウに知らされたら、計画が台無しになるかもしれないよ!」

「へい、逃がすもんですか……」

フーテンは、大きな身体に似合わず、素早い動きで、社殿を飛び出す。サンタが床下から飛び出す前に、行く手を阻む位置に立ちはだかった。サンタの背後には、フーテンの手下の野良猫が、逃げ道を塞いでいた。

「へへへ、サンタの息子さんよ、名前はなんていうんだ?まあ、訊いても無駄か?三毛猫で二代続けてオスが生まれるなんて、奇跡的だが、それも今日でお仕舞いだよ!」

フーテンが舌舐めずりしながら、三毛猫に迫っていく。間合いに入ったと同時に、大きな身体が跳躍した。

「な、なんだ?三毛がいねえ!どこへいったんだ……?」


「どう?黒いレザースーツ?このマスクをすれば……」

「キャット・ウーマンだね?バットマンに出てくる……」

「あなたの格好、ゾロというより、海賊よ!ソンブレロをかぶってないし、マントもない。ただの黒装束の泥棒ね」

オトとリョウがテレビの前の座敷で言い争っている。祖母にねだって、お小遣いをもらい、黒いツナギを手に入れた。レザーではなく、合成だが、それなりに格好良く見える。オトは、姿見に写った自分の姿に満足していた。

リョウは、黒装束だが、怪傑ゾロにはなりきれていない。黒い布を頭に巻き、ゾロのように、眼の部分をあけて、マスクにしている。オトのいったように、ソンブレロという帽子と、黒マントがないから、ゾロには見えない。どちらかというと、江戸川乱歩の怪人二十面相の挿し絵に似ている。

「では、この薬を水に溶かして、頭からかけるわよ!土間に降りて!」

「また、僕がモルモットかよ!」

「当たり前でしょう!失敗して、スッポン・ポンになるかもしれないのよ!あなたはいいけど、レディーのわたしはダメでしょう?」

「はい、はい、わかりました。どうぞ、モルモット役をさせていただきます……」

リョウが黒装束と黒マスクのまま、座敷から土間に降りる。オトが水筒に丸い薬を入れて、キャップをし、数回上下にシェイクした。

「いくわよ!じっとしているのよ!」

そういって、オトが水筒の中身をリョウの黒いマスク──頭巾──の上からかけていった。

「ヒャー、冷たい!」

と、リョウが身体を縮める。

その時、

「ニャー、ニャー」

と、猫の鳴き声がした。

「あら?あの声、この前のサンタの鳴き声に似ているわ……」

オトが猫の鳴き声に気を取られているうちに、リョウの身体は衣服と共に十分の一ほどになっていた。

オトの足元を白い猫が、しなやかに跳躍して、リョウのいる土間に飛び降りた。オトの視線がそれを追っていた。

「エッ?リョウ!何処?何処にいるの?」

白い猫と小さくなったリョウの身体が、オトの視線の先で重なった。すると、その空間が、急に歪んだように、ぼやけて、オトは瞬きをしてしまった。そして、眼をあけると、リョウと白い猫の姿が消えていたのだった。

「まさか、リョウをネズミと間違えて、シロウが咥えていったんじゃあないわよね?それにしても、素早すぎるし、さっきの歪みは、あの猫屋敷の部屋の歪みに似ている。サンタらしい猫の鳴き声も聞こえない!これは……、事件ね……」

「なんだ!その格好?」

急な電話で呼び出され、慌てて駆けつけた政雄が、オトの衣装を見て驚いた。

「詳しい説明はあと!とにかく、緊急事態発生!猫屋敷へ行くのよ!マサさんの助(すけ)が必要なの……!」

と、キャット・ウーマンの格好をしたオトが早口でいった。

リョウの姿が消えたあと、ひとつ深呼吸をして、ふと振り返ると、畳の上に『あいうえお積木』が並べられている。

『リヨウトヤシキへイク』と、それは並んでいた。シズカからの伝言だ。

「リョウと屋敷へ行く」

そのメッセージを読んで、オトはマサを呼び出したのだ。

「よくわからないが、屋敷で何かが起きたんだね?バイクで来たから、ちょうど、その格好は合ってるかも……」

マサは表に停めていた、250CCの『KAWASAKI』と、燃料タンクにロゴのはいったバイクの後部シートにオトを乗せ、

「しっかり、掴まっていろよ!」

と、声をかけると、エンジン音を響かせて、バイクをスタートした。オトは両腕をマサの腰から腹部に回して、その背中に自分の胸を押し付けた。

「キャー!暴走族!」

バイクが加速する。オトが悲鳴に近い声を上げる。

「誰が暴走族だ?刑事の息子だぜ!交通ルールは……まあ、そこそこ守るよ……」


「エッ?ここは?猫屋敷の部屋……?」

と、辺りを見回して、リョウがいった。

自宅の土間で、姉に頭から水をかけられ、身体が小さくなった。そこへ、白い猫が座敷から、飛び降りてきたことは覚えている。その直ぐあと、目眩に襲われ、気がついたら、別の場所にいたのだ。

身体は小さいままだ。つまり、まだ、一分が経過していないことになる。だから、リョウが見ている景色は、いつもの部屋の景色ではない。ただ、壁から生えたような三つの棚と、入口のドアに、見覚えがあった。大きさはまるで違うが、リョウは身体が小さくなる経験を何度かしている。今、自分は十分の一くらいになっていることを自覚しているのだ。

リョウがいる──床に尻をついた格好で──のは、部屋の窓際のようだ。外光が頭の上から、部屋に差している。サンタとシズカがすぐ側にいる。二匹の鼻息が扇風機の風ほどに感じられた。

「オトは、連れてこなかったのか?」

と、一番上の棚から声がした。そこには、黒い猫が腹這いで座っていた。

「オトは身体が大きいままだったから、運ぶのは無理だったよ」

と、リョウの右側にいる三毛猫が答えた。

「伝言を残してきたから、きっと追いかけてくるはずよ」

と、左側の白猫がいった。

「運ぶ?じゃあ、僕はサンタにここまで、運ばれてきたのか?口に咥えて?ここまで……?無理だろう?まだ、一分も経っていないはずだよ!」

リョウがそういっていると、身体がむずむずしだして、リョウの身体が急に元の大きさに戻った。

「一分経ったのか……」

と、自分の身体を撫でながら、リョウが呟いた。

「怪盗キッドのようだね?」

と、クロウがいった。

「何か、武器になるものがあればいいな。一寸法師の針の剣より、有力なものが欲しいな……」

「武器?剣?そんなものが必要になるのかい?」

「ああ、おそらく、フーテンが野良猫を連れて、また、戦を仕掛けにくるだろう。今、我々の戦力は、サンタとシズカだけだ。イゴが先日、フーテンにやられて、しばらくは戦力外だ。キチエモンはまだ、子猫の身体に馴染んでいないし、ビートはお腹に子供がいる……」

「ほかには、猫はいないの?」

「子猫やその母親だ。フーテンの前では、怪我をするだけだろう……」

「クロウは?」

「ダメよ!この前のキチエモンがやられた時に無理をして、腰を痛めているの。戦力外ね。まあ、軍師として、作戦は練れそうだけどね……」

と、シズカがいった。

「ナアニ、いざとなったら、フーテンくらいわけないさ!問題はリズだ!フーテンはバカ力だけ。ちょっと罠をかければ、捕まえられる。しかし、リズは最近、表に出てこない。人間に話しかけるなど、能力が進化している。サンタ、いや、サンシロウほどではないと思うが……」

「サンシロウ?どの猫のこと?」

「ああ、サンシロウというのは、サンタの息子だ。サンタが時々憑依している三毛猫のオスだよ。サンタの四番目の子供で、唯一のオスだ!」

「サンシロウは何か特別な能力を持っているの?話しができるのは、サンタだよね?」

「あれ?気づかなったのか?リョウとシズカをこの部屋まで運んだのは、サンシロウだよ!」

「えっ?ここへ運んだ?一瞬で……?まさか……、テレポート……?」

「あら?なんでマサさんが、猫屋敷の裏木戸の鍵を持っているの?」

政雄の運転するバイクは、猫屋敷の正門を行き過ぎ、裏木戸の前で停まった。

ヘルメットを外した政雄がポケットから鍵を取り出し、裏木戸の南京錠を開け始めたのだ。

「ああ、常ばあちゃんから、預かっているんだ。時々、屋敷を見廻りにきて欲しいと頼まれてね。この前の畑を荒らす猫のことで、屋敷の猫が疑われただろう?それで、管理人として、定期的に見廻る必要ができたんだけど、常ばあちゃんは農家の仕事が忙しいからって、僕に代わりに見廻って欲しいと言われてね……」

「へえ、二、三回しか会っていない、胡散臭い大学生をよく信用したものね?」

「胡散臭い、って、どういう意味だい?父親の職業、警察官っていったら、すぐ信用してもらえたよ!ただし、屋敷には何も盗まれて困るものはない、って付け加えられたけどね……」

政雄が先に立ち、オトが続いて屋敷内に入る。

「あら、見たことのない、猫がお出迎えね?」

玄関へ続くレンガの通路の上に、白と茶色の混じった毛並みのスマートな猫がふたりを待っていた。

「この猫は、母猫だよ。この前、食堂で子猫たちを守っていた猫だ。名前は知らないけどね……」

と、政雄がいった。

「じゃあ、キチエモンの曾孫のお母さんね?」

「キチエモンの曾孫?そんな家系図があるのか……、この屋敷の猫たちは……?」


「こんなものでいいかな?近くのおもちゃ屋で、戦に使えそうなものを揃えてきたよ!」

母猫の案内で通されたのは、食堂だった。そこに、リョウとシズカとサンタがいて、リョウがクロウがたてた、フーテンたちの襲撃に対する作戦を伝えたのだ。それで、政雄がバイクに乗って、武器を調達してきたのだった。

「銀玉鉄砲に、パチンコ。これは飛び道具だ!ロケット花火にネズミ花火、カンシャク玉は、驚かすのに使う。竹製の刀に魚の捕獲網。それと、大きいネズミ取りの籠も見つけてきたよ」

「猫が侵入できる潜り戸は全てふさいだ。裏木戸の一ヵ所を除いてね……だから、敵はそこから侵入してくるしかない。そこに罠を仕掛ける。潜り戸を通り抜けると、パイプで作ったトンネルがある。その先は、ネズミ取りの籠の中……」

そう、リョウが説明する。

「問題は、フーテンね!あいつは潜り戸からじゃあなくて、高い塀を乗り越えてくるわ。多分、正門だと思うけど、確実ではない!」

と、オトがいった。

「まあ、何匹かは屋敷内に侵入してくるだろうけど、トラップを仕掛けている。おそらく、ここまでこれるのは、フーテンひとり……」

「僕が怪傑ゾロになって退治してやるさ!」

と、おもちゃの刀を振りながら、リョウがいった。

「うまくいくのかしら?加藤清正の虎退治は……」

「大丈夫、サンシロウがいるからね……」

「ニャー!」

と、シズカの鳴き声がした。

屋敷の正門に近い、桜の木の上から、南西の方向を見張っていたのだ。十数匹の野良猫の先頭に、大きなトラ猫の姿が見えた。

「七人の侍、になった気分だな!あの猫たちが村を襲う、『野伏せり』ってとこだ!」

と、政雄がいった。

「確かに、こっちは、人間三匹に、クロウ、シズカ、サンタに母猫……名前は……『チャチャ』にしよう」

と、リョウが刀を腰に差しながらいった。

「わたしとマサさんは、飛び道具で、入ってきた野良猫を退治するわ。リョウ!フーテンをたのんだわよ!活け捕りにするのよ!」

「任せなさい!絶対勝つ!孫子の兵法、いや、諸葛亮孔明も真っ青になる、作戦だからね……」

「さあ、いくよ!そろそろ、罠にかかるころだ!」

政雄は手にパチンコを持っている。フルフェイスのヘルメットに、スポーツウェアの上下を着ている。

オトがその後をついていく。キャット・ウーマンの格好だ。マスクもしている。

食堂に残ったのは、リョウとサンタ。チャチャと名付けられた猫は、二階の部屋にクロウと共にいる。

「さあ、サンタ!いや、サンシロウ!たのんだよ!君と僕のコンビネーションが、勝負を決するんだからね……」


「ネズミ取りには、三匹かかった!残りは、フーテンを除いて、八匹。先ずは、ロケット花火と、ネズミ花火だ!その次にカンシャク玉で攻撃だ!」

政雄が、緒戦の状況をオトに説明する。玄関脇の窓越しに、屋敷に入った野良猫に向けて、ロケット花火と、ネズミ花火に火をつけて、攻撃を開始した。三匹の猫が、花火攻撃に驚いたり、カンシャク玉がもろに当たって、慌てて、塀を乗り越えて退散していった。

「あと五匹!」

「飛び道具を使うわよ!」

花火にも驚かず、勇敢に玄関に向かってくる猫に対し、オトが銀玉鉄砲の弾き鉄(ひきがね)を弾いた。命中率はあまりよくないが、銀玉が連続して発射される。『ヘタな鉄砲も……』である。一匹の猫が、「ギャー」と鳴き声をあげて、慌てて退散していった。

政雄はパチンコに硬い銀玉をセットして、ゴムを引く。一発必中ではなかったが、二発目が、猫の額を捉えた。その猫は声もたてずに、逃げていった。

「あと三匹!」

「ダメ!飛び道具では、ここまでね。次の作戦よ!」

「了解!最終作戦を決行する!」

ふたりは窓際を離れ、二階へ続く、階段に向かった。

三匹の猫が、それぞれ、窓や潜り戸から屋敷内に侵入してきた。野良猫稼業が板についている、顔や身体に古傷のある、人間界でいえば、ヤーさんの幹部のような三匹だ。慌てることもなく、周りを見回し、匂いを嗅いでいる。罠を潜り抜けてきただけあって、慎重な行動だった。

「ニャー」

と、一匹が甘えたような鳴き声をあげた。そして、もう一匹も……

二階の踊り場から、猫にとって甘い?香りが漂ってきたのだ。マタタビの匂いである。一匹がその匂いに誘われて、ふらふらと、階段を上がっていく。二匹目がそれに続く。

残りの一匹は、危険を察したのだろう、慌てて、屋敷を出ていったのだった。

踊り場にある、マタタビに心を掴まれた二匹の猫に、ザァーと水がかけられた。そして数秒後、二匹の猫の身体が、十分の一になった。

「最終作戦成功!」

虫取りの網で、小さくなった二匹の猫を捕まえ、それぞれを金網の檻に入れた。最初のネズミ取りにかかった三匹と合わせて、五匹が檻に捕まったのだ。

「残るは、フーテンひとり……リョウはうまく、やれるかしら……」

(おや?例の長生きするための、丸薬の匂いがするぞ!シメシメ、食事中だな?やはり、この時間帯を狙って正解だったな……)

玄関周りからでなく、裏庭側の窓から侵入してきた、トラ猫が廊下をゆっくり進みながら、心の中で呟いた。鼻がピクピクと動いている。

(手下の猫どもの匂いがしねえな?まったく、役に立たねえ連中だぜ!まあ、この屋敷の猫どもなら、オレひとりで、充分だがな……。こっちか?やはり、食堂のようだな……)

廊下を食堂の方向に進んでいく。そして、食堂のドアの潜り戸を前足で押し開いてみる。

(罠は仕掛けていねえな……姉御が潜り戸に気をつけろ!って言わなかったら、全滅だったぜ……。最近、姉御が恐ろしくなってきやがった!猫叉になったんじゃあねえのかな……?)

リズの忠告に従って、侵入口を慎重に確認しながら、ここまできたのだ。目的の丸薬に近づいた。罠のないことを確かめて、食堂に足を踏み入れた。

「ようこそ、フーテン殿!よくぞ無事にここまでたどり着けましたね?」

人間の声に顔を向けると、人間の姿ではなく、見覚えのある、三毛猫が自分を見つめていた。

(まさか?この三毛が人間の言葉を喋れるのか……?)

フーテンは不思議に思い、瞳を凝らし、鼻を膨らます。

(おや?三毛の背中に何かが乗っているぞ!ネズミのはずはないが、真っ黒な生き物だ……)

フーテンが首を傾げていると、真っ黒な生き物が、三毛猫の背中から、床に降りたった。それは、黒い装束の小さな人間の形をしている。どうも人間のようだ。

(まさか、噂に聴く『一寸法師』か?一寸よりは大きそうだが……?)

「フーテン殿、一対一の勝負を始めましょう。わたしの名は『ゾロ』『怪傑ゾロ』と申します。この剣でお相手いたします!」

(ゾロだと?小人族なのか?剣というが、竹ミツじゃあねえか?あんなもん役にたつもんか!怖くもなんともねえぜ!)

フーテンは身体を縮めて、跳躍できる体勢を取った。ゾロと名乗った──マスクをしたリョウ──は、剣を片手で前方に突き出して構えていた。

パッと、フーテンが跳躍して、前足でゾロの身体を払った。と、思ったが空振りだった。ゾロの身体が一瞬、消え失せ、気がつくと、後ろに回っていた。お尻を剣で突かれた。

(イテ!しかし、なんて素早い野郎だ!見えなかったぜ!)

フーテンは身体をひねって、ゾロから距離を取った。今度はゆっくりと、回りながら、近づいていく。充分近づいてから、口を大きく開けて、ゾロに噛みついた。が、口が閉じる前に、ゾロに姿が消え、また、背中に痛みが走った。

(イテテ、また消えやがった!ようし、罠を仕掛けてやる!殺られた振りだ……)

フーテンは身体に痛みが走ったかのように、身悶えをした。そして、致命傷になった振りをして、気絶したかのように、身体を伸ばして、倒れて見せた。

(フフフ、さあ近づいてこい!今度は待ち伏せ作戦だ!)

ゾロが剣を構えて近づいてくる。フーテンはじっとチャンスを持っていた。

(よし、捕まえた!)

フーテンの右前足が、ゾロの洋服の肩口にかかった。

(さて、あとは、頭からガブリだ!)

と、フーテンがニタリと笑って、口を開いた。その時、右手が急に上に持ち上がっていく。

(な、なんだ!か、身体が、中に浮く……?)

「フフフ、フーテン殿、残念だったね!時間がきたのだよ!勝負はこれまでだ!」

ゾロの身体が、みるみる、大きくなった。フーテンの身体は、足が床から離れ、ゾロの肩にぶら下がった格好になった。

薬の効き目が切れたのだ。リョウが元の身体の大きさに戻った。手にした、竹ミツの剣も大きくなった。その柄の先で、ゾロがフーテンの額をガツンと殴った。三日月形の古傷から赤い血が溢れ出し、フーテンは気を失った……。

「諸葛亮孔明も真っ青になる、大変身の兵法。フーテン殿、敗れたり……」


「それで、クロウは捕らえた猫たちをどうしたんだ?」

数日後、政雄がオトに尋ねた。場所はいつものテレビの前だ。

「それが、全員、解放したのよ!」

「解放?フーテンもかい?」

「そう、フーテンの首に首輪をして、手足を縛って、クロウの前に連れていったのよ。ほかの猫は檻の中。クロウがフーテンの前に進んできてね……」

「どうだ、フーテン、敗れた感想は?」

「ひ、卑怯者!人間を、いや、化け物を味方にするなんて、猫の風上にも置けねえ野郎だ!あのゾロとかいう生き物は、狐の化け物だろうが!人間の格好をしやがって、油断させやがるなんて、セコい戦法だぜ!」

「残念ながら、あれは、シズカの子供のシロウの飼い主の少年だよ。身体を小さくして、剣でお前と闘ったんだ。お前のほうがかなり大きくて、有利なはずだったのに、殺られた振りをするなんて、姑息な手を使ったのは、お前のほうだろう?」

「ナニ!あれはリョウとかいう、猫の鳴き声を真似ているガキだったのか?しかし、どうやって、身体を小さくしたんだ?」

「そこは、企業秘密だな……。ところで、君をどうしようか?フーテン、どうして欲しい?銃殺か縛り首か電気椅子?それとも釜茹での刑かな……?」

「止めてくれ!今回は、敗けを認めよう!だが、あんな姑息……、いや、思いもよらない戦略があるとは思ってもいなかった!油断しただけだ!次は勝つ!もう一度、勝負をさせてくれ!」

「ふん、今回だけじゃあない!過去に二度お前は敗れているはずだ!二十年前と、先月。今日で三度目だ!『仏の顔も三度』というぞ!しかし、お前がそれほどいうなら、今回は見逃してやろう!精進して、出直すがよい!もう逆らわないほうがよいと気づいたら、軍門に降ることだな……」

「それで、縄をほどいてやったのよ!ただ、ほかの野良猫は、フーテンを見限って、軍門に降って、遠くへ住処を代えたようよ」

と、オトが説明を終えた。

「へえ、まるで、蜀の諸葛亮孔明が南蛮行の時に敵の大将の孟獲を七度逃がした例のようだね?」

政雄がそういうと、座布団に上に丸まっていた白猫が「ニャー」と鳴き声をあげた。

「おや、シロウが『イエス』といったみたいだよ?」

「リョウも同じことをいってたわ!本当によく似た従兄弟ね?」

「そうだ!リョウに訊きたいことがあったんだ!リョウは?」

「デートみたいよ!先月、グループで映画鑑賞に行ったでしょう?その時の女の子が積極的な子で、一緒に夏休みの宿題をしようって誘ってきたのよ!図書館へ行ってる。かなり、可愛い子よ!クラス一の人気者らしいわよ!」

「そうか、姉として、気が気ではない!ってところだな……?しかし、残念だな……リョウとフーテンの闘いに疑問があったんだけどね……」

そういいながら、政雄はサイダーを飲んだ。その背中側を白猫が通り過ぎて、テレビの暗い画面の前に座った。

「あら、シロウがシズカに変わるつもりなのかしら……?」

独り言のようにオトがいったのを政雄は聞こえなかったように、話題を続けた。

「リョウは小さくなって、フーテンに対峙したんだろう?身長、約十四センチ。片や、フーテンは猫にしては大柄。ヘビー級とモスキート級の対戦だよ。一分間足らずの時間にしても、よく無事、というか、互角に闘えたもんだ。その闘いかたを訊きたかったんだよ。オトは訊いていないかい?」

オトはサンタが憑依している、息子のサンシロウの特殊な能力について、リョウから訊いている。まだ、半信半疑の状況なのだ。テレポーテーションという超能力は、SF小説や、SF漫画に登場するから、どんな能力かは、理解できる。しかし、その能力を三毛猫のまだ、子猫から大人に成りかけの猫が持っているなんて……?しかも、自分自身が瞬間移動をするだけでなく、周りのものを移動させることができるのだ!サイキックの能力も持ち合わせているのかもしれない。だとしたら、サンシロウは、エスパー猫ということになる。それなら、超・極秘事項の部類になるはずだ!

政雄の質問にどう答えようか?と迷いながら、白猫のほうに視線を向けると、シズカに変身した猫が、さりげなく、首を横に振った。

「わたしも詳しくは訊いていないわ。あの屋敷には、不思議なことが起きるのよ!猫が人間の言葉を理解できるんだから……」

オトが政雄にそう、曖昧な答を提示して、白猫に視線を向けると、猫が「ニャー」と、また鳴いた。

「なるほど、シロウが『そうだ!』と答えたね?」

答に納得したのか、政雄は再び、サイダーを口に運んだ。

白猫はテレビの前を離れ、座敷を横断する。

「ところで、その後、リズとフーテンのコンビは、悪さをしていないのかい?」

「さあ、猫神様の噂は聞こえてこないわねぇ……」

と、オトもサイダーを飲む。白猫がその言葉に反応したのか、『あいうえお積木』に前足を伸ばした。

『マタワルタクミヲケイカクシテイル』

と、そこまで、乗せて、オトを見つめた。

「また、悪巧みを、計画、している……よね?」

と、オトが確認する。白猫が頷く仕草をして、また続けた。

『サンタカラレンラクアリヤシキニイク』

そう告げると、しなやかに身体を跳躍させて、土間に降り、一度振り返ると、勝手口の潜り戸から、表に出ていった……。

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