マンションの一室から地球の果てへ

 これは恋愛に限らずだが、他者との交流は世界を広げてくれるものだ。ここでいう世界というのはもちろん比喩表現であり、物理的なものではない。
 一方で、最愛の他者との間にある世界を、あたしとあなただけの規模感で守り続けたいという欲求が働くものだとも思う。「独占欲」とか「共依存」とかいう言葉に置き換えるとひどく陳腐で生々しいけれど、まあそんなところ。

 室屋にとっての〈世界〉は、愛咲と暮らすマンションの一室だった。

 しかしある日、室屋は愛咲に、恋人からプロポーズを受けたと伝えられる。
 室屋は「世界が崩壊すればいいのにと本気で願った」。

 感傷百合というジャンルがあれば、この作品はそこに分類されると思う。想いを伝えられず、中学生の頃から29歳まで途方もない時間片想いを続けた室屋が唐突につけつけられた現実は、同じ期間作り上げてきた愛咲との世界をぶち壊したくなるほど強烈なものだった。さらには、愛咲が語る恋人との思い出話の中に、自分が知らない〈愛咲の世界〉があることを知る。「博君が教えてくれてから、なんか世界がわーっと広がった感じ。ワインとかずっと気になってたんだけど、全然分からなくて敬遠してたんだよね。わたしたちってさ、ほら、イタリアンとか言っても、いつもハウスワインばかりだったもんね」、なにそれって感じ、個人的にここを読んでいるときが一番胸が苦しかった。

 それでもこの物語は、奪われてばかり失ってばかりのバッドエンドではなく、ある種のハッピーエンドを迎える。感傷百合だが、その感傷を抱えたまま、室屋は愛咲との間に育まれた確かなもの、恋愛とは別の形の世界があることを知るのだ。

 あたしとあなただけの規模間の世界は、かつての形ではいられない。一緒に暮らすマンションの一室はもうない。だから室屋は世界の果ての果て、南極へとたどり着いた。これは比喩表現ではなく、物理的な話。しかし、とてもクリティカルな比喩表現として僕の胸に突き刺さった。

 逃げ出すように目指したわけでなく、一度踏みとどまり、引き返し、あたしたちだけの世界の実存を確認したその先で見た世界の果て。その景色は、きっと室屋にとっては、悲しくも美しく尊いものとして映ったと思う。