第45話 狂った計画

「カシム殿……いや、カシム皇子殿下。私たち神官も、神々の前で誤った宣言はしたくありません。獅子のアザが本物かどうか確かめさせて下さいませんか」


 神官は恐る恐るカシムに問う。

 カシムはサーベルを振り上げ、神官に刃先を向けた。シャン! という空を斬る音のあとしばらくして、ニヤリと笑ってサーベルを下ろした。


「僕を偽物だと思っているのか? それなら側に来て確かめればいい」


 カシムはファイルーズ様の肩から腕を下ろすと、神官たちに向かって大きく両手を広げた。その隙にファイルーズ様は、少し後ろに下がる。

 神官たちは恐る恐るカシムに近寄ると、目を細めてアザが本物かどうか調べ始めた。色、形、アザの発現する場所。いずれをとっても本物の獅子のアザのように見えるようで、神官たちはお互いに顔を見合わせて頷いた。


 やがて、カシムのアザが本物であるという結論に行きついた神官たちは、祭壇に置かれたランプを手に取った。


「アザルヤードの山々よ、ここにいるカシム・タッバールを次期皇帝と認め……」


 ランプを山々に向けて掲げ、神官たちがカシムの皇位継承宣言しようとした、その時。


「お待ちなさい!」


 ランプを持った神官の手が叩かれ、ガシャンという金属音と共にランプは甲板に転がった。

 神官の手からランプを叩き落としたのは、ファイルーズ様だった。いつぞやハレムの一室で水瓶を床に打ち付けて割った時のように、ファイルーズ様は神官とカシムを睨む。


「カシムは・タッバールに皇位継承を認めてはなりません!」


 落としたランプを拾うこともできず、神官たちはファイルーズ様の勢いに押されて視線をうろうろさせた。

 カシムは口元をひくつかせながら、もう一度祭壇に音を立てて座る。


「ファイルーズ、やめろ」

「カシムは私を利用して、アーキル殿下を手にかけようとしました。それに、ラーミウ殿下がアーキル殿下の妃である私の部屋を訪れるという禁忌を犯したのも、元はと言えばカシムと私がラーミウ殿下を唆し、自ら部屋に招き入れたのです」


 カシムの右手に握られたサーベルが、小さく音を立てる。これ以上何か言えば、ファイルーズ様を斬る気だ。

 しかし、それでもファイルーズ様は躊躇なく言葉を続ける。


「神官たちよ、聞いて下さい! カシムは皇位を狙い、ラーミウ殿下を陥れ、アーキルの命を奪おうとしたのです!」

「ファイルーズ! 何を言うんだ!」

「もうやめましょう、カシム。前世だか何だか知りませんが、皇子殿下のお命を奪うなんて許されることではありません。それに貴方は偽物の……」


 カシムは左手で思い切りファイルーズ様の胸ぐらを掴んだ。


「ラーミウを陥れようとなんて、僕はしていない!」

「カシム……」

「僕はあの夜、部屋で一人寝込んでいた。調べてもらえば分かる。ラーミウは自分の意志で禁忌を犯し、ファイルーズの部屋に行ったんだ!」


 興奮したカシムの腕に力が入ったのか、ファイルーズ様は顔を歪めた。

 

 ラーミウ殿下がファイルーズ様の部屋を訪れた夜。

 あの夜は確かに、私が図書館でカシムを殴って気絶させてしまい、カシムは朝まで寝込んでいた。

 宦官たちにカシムの世話を頼んだのは私だ。その宦官たちを呼んで話を聞けば、カシムがあの夜に動けない状態だったことは証明されてしまう。


 ラーミウ殿下が自ら禁忌を犯したのではないという主張は、今のところファイルーズ様一人の証言でしかない。


(誰か他にその時のことを見たという人でも現れれば、神官たちも信じてくれるかもしれないのに……)


 あの夜、アーキルと私は寝室にいたし、侍女長ダーニャや私を寝室に呼びに来た宦官も、後から駆け付けただけでその場を見ていない。あくまでファイルーズ様の悲鳴を聞いて、駆け付けただけなのだ。


 動くに動けない神官たちの前で、ファイルーズ様は胸ぐらを掴まれたままガタガタと震えている。


 そこで口を開いたのは意外にも、侍女たちの端っこに突っ立っていた、ザフラお姉様だった。


「……それ、本当ですよ」


 緊迫した空気も気にせず、お姉様はずいずいと神官の前に進み出る。


「ファイルーズ様の話は真実です。あの夜、見回りの者が誰もいなかったのをいいことに、私はこっそりアーキル殿下の部屋に行こうとしたんです。その途中で、ファイルーズ様がラーミウ殿下を呼び止めて一緒に部屋に入って行くのを見ました」

「ザフラお姉様……!?」


 その場にいた全員がポカンと口を開けた。

 情報量が多すぎて、どこからつっこめばいいのか分からないが、とりあえずお姉様はその場を目撃していた貴重な人物らしい。


 誰も何も言わないのをいいことに、お姉様は捲し立てるように続ける。


後宮ハレムの人の出入りや警備は、全てカシム様が取り仕切ってるじゃないですか。あの夜に不自然なほど見回りが誰もいなかったのも、カシム様の命令以外にはあり得ません。ファイルーズ様と事前に申し合わせた上で夜の見回りを外し、人目のない場所でファイルーズ様がラーミウ殿下を自ら招き入れる手筈だったんじゃないですか? 白々しい嘘はやめた方がいいですよ!」


 全て言い切ると、お姉様はカシムとファイルーズ様に向かって得意気にフンと鼻を鳴らした。


 さすが田舎でちやほやされて育ったお姉様。怖いものなしだ。

 しかし、今その対応はとてもまずい。ザフラお姉様はここでは街一番の豪商の娘ではなく、ハレムで働くただの侍女。


 私の予想通り、お姉様はカシムの怒りを買ったらしい。カシムはファイルーズ様を甲板の上に突き飛ばすと、お姉様の方に大股で進んで行く。


「いい加減なことを言うな! お前も殺してやる!」

「いや、だって……事実だし!!」


 カシムがサーベルを振り上げる。

 ザフラお姉様が両腕を上げて身をすくめたところに、カシムは容赦なくサーベルを振り下ろした。


(危ない――!)


 持っていた短剣ダガーを握りしめて、私はお姉様の元に走る。ギリギリの所でサーベルの刃をダガーで受けると、カシムの腹を蹴って思い切り突き飛ばした。

 カシムが連れて来た騎士たちだろうか、私の行動を見るやいなや、離れた場所から何人もの男がこちらに走ってくる。


 騎士たちが来る前にカシムにもう一撃くらわせようと間髪入れず立ち上がった私を、神官たちが慌てて止めた。


「危ない! 放して!」

「……おやめください! まだカシム様が皇子になる可能性も残っています!」

「そんな可能性はないわ! 手を放してください!」

「いや、しかし獅子のアザは本物で……」


 神官と揉み合っている間にカシムはサーベルを持って立ち上がり、口の端から流れる血を手で拭う。


「アディラ! この死に損ないめ!」


 カシム一人なら、私の敵ではなかった。

 しかしカシムの連れて来た騎士たちも背後から私に剣を向け、傍らには神官とザフラお姉様がいる。


(だから間を置かずこちらから攻めるべきだったのに! 皆を守りながら、ダガー一本で受けるのは無理よ……!)


 刺されることを覚悟して、私はお姉様を遠くへ突き飛ばした。

 そしてその場に残った神官たちを庇うように腕を広げ、カシムの攻撃に対して背中を向ける。


 斬られる、と思った瞬間、騎士たちとカシムの体は突然、鈍い音を立てて宙に浮いた。


(え?)


 神官たちを庇ったまま後ろを振り返ると、そこには怒りの表情を浮かべたアーキルが立っていた。

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