第44話 夜明けの勘

 ファイルーズ様が船室に消えたのを見届けて、カシムは祭壇に腰をかけたまま私とアーキルを見て顎を上げてニヤニヤと笑う。


(……駄目だわ。今アーキルの側を離れたら、カシムが何をするか分からない。私がルサードを探しに行っている間に、アーキルにとどめを刺すかも)


 カシムは、アザリムの悪習を逆手に取ったのだ。


 アザリムでは、皇位を継がない皇子は命を奪われる運命。

 力を持つ皇子が皇帝になるべきだという考えから、皇子同士で殺し合うことは禁じられてはいない。

 カシムが皇家の血を引く皇子であることを証明さえできれば、アーキルを手にかけたからと言って即座に罪に問われることはない。


 アーキルを亡き者にすることはすなわち、カシムの方が力を持っているという証となる。カシムより皇位継承順位が高い皇子が他にいなければ、アーキルの次にカシムが皇位継承権を持つことになる。


 だからカシムはナジル・サーダがそうしたのと同じように、先にラーミウ殿下の処刑を決めようとしたのだろう。

 アーキルの命を奪ったところで、ラーミウ殿下がいらっしゃればカシムの皇位継承権はラーミウ殿下の次となってしまう。

 前世では兄弟皇子たちへの沙汰が下るよりも先に、ファティマ皇妃様が先走ってイシャーク陛下を刺した。今回はそうならないように先手を打ったのだ。今の父親であるニザーム・タッバール宰相の力を利用して。


「卑怯な手を……」


 唇を噛んだ私の横で、アーキルがもう一度私のドレスの裾をそっと引く。アーキルの指が触れた部分から、ドレスは赤黒く染まっていった。

 アーキルの瑠璃色の瞳は、真っすぐに私を見つめている。

 しばらくするとアーキルは、カシムに表情を見られないようにこっそりと、私に歯を見せてニヤリと笑った。


(え? ……アーキル?)


 私はアーキルの手を握り、ぐっと力を入れる。

 アーキルも私に合図を返すように、力強く私の手を握り返した。毒の塗られた剣で刺されたとは思えないほどの、しっかりとした力だ。


(どういうこと? アーキル、まさか……)


「カシム、神官たちをお呼びしたわ」


 ガチャンという音がして、ファイルーズ様が船室へ続く扉を大きく開く。

 中からは数名の神官と、それに続いてファイルーズ様の侍女たちがぞろぞろと甲板にやって来た。最後に甲板に登ったザフラお姉様は倒れたアーキルを見て、小さく悲鳴を上げる。



「これは……アーキル皇子殿下!!」

「カシム、アーキル殿下はどうなされたのだ!」


 狼狽える神官や侍女たちにニヤリと笑うと、カシムは上衣を脱いで宙に投げた。


「神官たちよ。僕はカシム・タッバールを名乗っていたが、本当は皇帝陛下の血を引く皇子だ。この獅子のアザがその証拠!」


 カシムが祭壇に置かれたランプに火を灯すと、上半身裸になった彼の右胸に獅子のアザが不気味に光った。


「第一皇子アーキルは、毒を塗った剣で傷を負った。もう長くはないだろう!」

「おお……! そのアザは、皇帝陛下の直系にしか現れない、皇子の証!」

「何と! それでまさか、貴方様はアーキル皇子殿下を!?」

「あれだけの出血……さすがにもう助かるまい……」


 目を丸くして驚く神官たちの横で、ファイルーズ様は相変わらず青白い顔で立ち尽くしている。

 カシムは祭壇の上に大股を広げて座ったまま、甲板に響き渡る大声で続けた。


「そうだ! 僕がアーキルを手にかけたんだ! さあ、神官よ。アザルヤードの神々の前で、僕こそが皇位を継ぐ皇子であることを宣言してくれ!」

「しかし、それは……確かにその獅子のアザは皇子の証ですが、まだラーミウ殿下もいらっしゃいます。ここで貴方様をすぐに皇位継承者と認めるのは時期尚早では?」

「それに、アーキル殿下はまだ……」


 神官たちは口々に不安を吐露しながら、アーキルを一瞥した。

 彼らのいる場所からは、アーキルの背中と後頭部しか見えない。甲板に流れる血の海にアーキルが命尽きる寸前であることは察しているだろうが、生きているか死んでいるかを確認しないままで神にカシムの皇位継承を宣言するのが憚られたのだろう。

 しかし、祭壇に座ったカシムがサーベルを振り回しているので、神官たちはアーキルの側に寄ることもできない。


「毒を塗ったダガーで刺したんだから、もう長くは持たない。あの血だまりを見ろ。ここで息絶えるのを待って、そのまま湖に捨てるさ」


 そこまで言って、カシムはファイルーズ様に向けて手を伸ばした。

 隣に来るように促されたファイルーズ様は、一歩一歩カシムの元に近付いて行く。


 もうすぐ夜明けだ。白み始めた東の空の光が、ファイルーズ様の髪飾りの魔石に反射してぼんやりと光った。


「……それに、皆が気にしているラーミウのことだが、既に皇帝陛下から処刑の指示が出ている。ラーミウが禁忌を破ったからだ」


 左腕をファイルーズ様の肩に回しながら、カシムは言う。

 彼の右手には鞘から抜いたままのサーベルが握られていて、まるでファイルーズ様を人質に取ったかのような体勢だ。


 私は少し身をかがめて、アーキルの耳元に顔を近付けた。


「アーキル……」

「もう少し待て。ラーミウの無実を証明してからだ」

「分かりました」


 夜の闇に紛れて誰も気が付かなかったのだろうが、本当はアーキルは刺されてはいなかった。きっとファイルーズ様が差したのは、アーキルが懐に忍ばせていた、動物の血を入れた皮袋か何かだったのだろう。

 その証拠に、アーキルの側に広がる血は既に赤黒く変色している。明るい場所で見れば古いものであることがすぐに分かるだろう。


(夜が明けきる前に、決着をつけようと言うのね)


 ファイルーズに手を出すな、とアーキルは私に言った。

 つまり、私の勘が正しければ、ファイルーズ様はアーキルと示し合わせて、アーキルを刺したをしたということになる。

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