第28話 宴の夜
絨毯の上に並んで座る私たちの前ではもう陽が落ちて、赤かった空の色は少しずつ闇に飲まれていく。
「アーキル、一つ聞いてもいいですか?」
「ああ、何だ」
「……皇帝陛下の代替わりの時に兄弟皇子の命を奪うアザリムの慣習について、アーキルはどう思っていますか?」
「どうした? なぜ今そんなことを?」
「実は……数百年前の前世で、ナジル・サーダが私に言ったのです」
私はアディラとナジルとの間で起こった出来事を、少し話した。
数百年前、まだここアザリムがアザルヤード帝国と呼ばれていた頃。イシャーク皇帝陛下がナセルとの戦いを終えて国に戻り、陛下の兄弟皇子たちの処刑の準備が始まった時の話だ。
兄弟皇子たちの命を奪うことは許さないというイシャーク皇帝陛下の命に背き、宰相たちは兄弟皇子たちの処刑をさっさと決めてしまった。
私と一緒にイシャーク皇帝陛下に忠誠を誓っていた、第三宰相のナジル・サーダもそれを止められなかった。
「あの時ナジルが本当はどう思っていたのか、分からないんです。皇子たちの処刑を本気で止めたいと思っていたのか、それとも諦めていたのか。もしもアーキルの前世がナジルだったのなら、彼が何を考えていたのか分かるかなと思って……」
「絶対に廃止してやる、と言っただろうな。俺がそのナジル・サーダであるなら。何があっても兄弟の命を守ったはずだ」
「……え?」
アーキルは周囲に人がいないことを確かめると、私を抱き寄せて耳元で言う。
「実は今、それと同じ状況になっている。父上はもう長くない。じきに俺が皇位を継ぐことになるだろう」
「……皇帝陛下が!?」
「数年前から病に臥せっている。もしも俺が即位することになったとしても、ラーミウを殺させたりは絶対にしない」
「もしかしてアーキルは、ラーミウ殿下を守るためにこの
「ああ、そうだ。ラーミウを……血の繋がった家族を殺すことなど、絶対に許されてはならない。前世の俺もきっと同じ思いだっただろう」
(……!)
迷いも曇りもなく名言したアーキルの言葉に、私の頬を涙がつたう。
私が信じた通り、きっとナジルもあの時、兄弟皇子のお命を守りたかったのだ。
いくら宰相になったと言っても、ナジルの周りは年上の重鎮ばかりだった。必死で訴えたところで自分の意見は聞いてもらえず、泣く泣く諦めたに違いない。
『――僕は愛する人を妻に迎える。今は大事な時なんだ、下手には動けない』
一緒に兄弟皇子を救おうと言った私にナジルがかけたあの台詞は、きっと何かの間違い。私の記憶違いだ。
ナジルは、イシャーク陛下への忠誠を捨てたわけではなかった。
アーキルから前世でのナジルの本心を聞き、私の涙は止まらない。
「どうした? 俺が何か変なことを言ったか?」
「いいえ、もう大丈夫です。アーキルの言葉を聞いて、元気になってきました!」
「……そうか? よく分からんやつだ。そうだ、お前に見せたいものがある。絶対に気に入るぞ」
「見せたいもの? 何でしょうか、楽しみです!」
涙を拭い、私がアーキルに笑いかけたその時。
思わず耳を塞ぐような爆音と共に、突然夜空が明るく光った。
(――この爆音は、敵襲!? 空からの光なんて、もしかして誰かが魔法で爆発を起こしたのかしら)
私はアーキルが絨毯の上に置いていた
側にいたルサードも、猫の姿のまま私の横で低く唸りを上げた。
爆音は鳴りやまない。
下の階にいる者たちからも、悲鳴のような高い声が上がった。
「アーキル! これは何かの戦いの合図でしょうか!」
アーキルを思い切り柱の陰に突き飛ばし、私は急いでバルコニーの陰に背中を付けて身を隠す。
空からの攻撃に、こんなサーベル一本では立ち向かえない。まずは敵の位置を捉え、そこから策を考えなければ。
「……リズワナ。お前は何を言っているのだ?」
私に突き飛ばされて柱の陰に倒れているアーキルが、よろよろと起き上がる。
「アーキル、危険です! 空の上から攻撃を仕掛けて来る者など、過去にいましたか!? まず敵の位置を特定しなければ!」
「……落ち着け、あれは花火だ」
(花火?)
「お前のために準備させた。反対側の空を見ろ」
「え?」
恐る恐る立ち上がり、バルコニーの手すりに両手をかけて、湖のある方角を覗いてみる。
すると、下からしゅるしゅると小さな光が登った。一瞬の静寂の後、大輪の花のように色とりどりの火花が夜空いっぱいに咲く。
「花……火……?」
「せっかくお前に見せようと思って準備させたのだが」
「あれは、敵襲ではないのですね……?」
アーキルは私の隣に並び、ガハハと笑う。
「敵襲などない。嫌なことは忘れて純粋に楽しむといい」
夜空に次々と打ち上がる花火は、とても美しかった。
火をこんな風に使うのを見るのは初めてだし、もちろん前世でも見たことがない。
見惚れてぼーっと空を眺める私のところまで、下の庭園で楽しそうに騒ぐラーミウ殿下の声が響いて来る。
「綺麗……」
こんな風に時間を忘れて美しい光景に見入ったことが、かつてあっただろうか。
前世では戦いにあけくれ、皇帝陛下をお守りすることに人生の全てを注いだ。爆音を聞けば戦いの始まりだと思ったし、火を見れば仲間は無事かと心を揉んだ。
(まさか私が、こんな穏やかな気持ちで夜空を見上げる日がくるなんて……)
「アーキル、とても美しいです。私のためにありがとうございます」
「リズワナ。お前の前世がどんなものだったのかは知らんが、今お前のいるこのアザリムの国では敵襲に怯える必要などない」
「そうですよね。自分でも気付かないうちに、いつも身構えてしまっていたのかもしれません」
リズワナ・ハイヤートとして生まれたのに、いつまでもアディラ・シュルバジーという過去から逃れられなかった。
(そんな私も、こうしてただただ穏やかに時を過ごしてもいいんだ。アーキルと一緒なら……)
建物の影から月が現れて、ルサードがゆっくりと白獅子の姿に変わる。
絨毯の上に寝転がり、まるで私たちに寄りかかれと言いっているかのようにお腹を見せる。
私たちは遠慮なく、ルサードのお腹に頭を乗せて絨毯の上に横になった。
「アーキル」
「何だ」
「私もラーミウ殿下をお守りしたい。前世で私の記憶が途切れた後に何があったのか、真相を確かめたいんです。兄弟皇子の命を奪う悪習は、本当なら数百年前になくなっていたはずだから」
「そうか……それなら、図書館に何か昔の記録が残されているかもしれない。アザリムに伝わる書物は、全てそこに保管されている」
「この前教えて下さった図書館ですね! 本当に私もそこに入って良いのですか?」
「本来は皇族の者しか入れない場所だが、ラーミウのためだ」
「ありがとうございます! ラーミウ殿下をお助けするという共通の目標に向かって一緒に頑張れるなんて……本当に貴方はナジル・サーダのようです」
「お前が言うなら、それが真実なんだろう。胸に獅子のアザもあるし、それに……」
(それに?)
アーキルはルサードのお腹の上で、私の方に顔を向ける。
瑠璃色の瞳が、私の目と鼻の先で煌いた。
「前世の記憶はなくとも、一つはっきりしていることがある」
「何でしょう?」
「……俺は前世で、お前を愛していた。それだけははっきりと分かる」
アーキルは私の右手を取り、指先に優しく口付けをする。
生まれて初めての経験に、心がふわふわと浮いて鼓動が高鳴る。
至近距離で見つめ合うのが気恥ずかしくなって右手を離そうとすると、アーキルは離すまいとますます私の手をしっかりと握った。そして今度は手の平にも口付けを落とす。
「わっ、アーキル! 恥ずかしいので離して。それに、前世で私を愛していたって、なぜですか……?」
「昔、呪術師に言われたのだ。お前に琥珀の魔石の付いた
「ええ、これです……」
肌身離さず持っていたダガーを、腰から取り外してアーキルに見せた。
琥珀色の魔石は、花火の光を反射して瞬くように輝く。
「その琥珀の魔石を操れる者が、俺が前世で愛した相手なんだそうだ。その者を側に置くことで、俺の呪いが解けるかもしれないらしい」
「え?」
「それを操れたのは、お前だけだ」
「じゃあ、まさかアーキルの前世であるナジル・サーダは、私を……いいえ、アディラ・シュルバジーを愛していたと言うこと?」
「そう言うことになるな」
アーキルは優しく微笑む。
私たちの話を聞いていたルサードは、居心地が悪そうに体勢を変えて起き上がる。
ルサードのお腹の上から絨毯の上にずり落ちて、私たちは二人とも床でゴツンと頭を打った。
頭を打った痛みなのか、ナジル・サーダが私を愛してくれていたことが嬉しかったのか。
私の両目からは涙があふれて止まらない。
せっかく綺麗に化粧をしてもらったと言うのに、きっと今の私の顔は化粧が落ちて真っ黒になっているだろう。
ぐちゃぐちゃの顔を両腕を上げて覆い、寝転んだままの仰向けの姿勢で、私はもう一つアーキルに尋ねた。
「それじゃあ、今世では? 今は私の……アディラではなく、リズワナのことをどう思っていますか?」
そこまで口にして、私はハッと口をつぐむ。
(……私ったら、何と言うことを! アーキルにとって私は人間ではなく、ランプの魔人なのに!)
ダガーと共に腰に下げていたランプが、床とぶつかって鈍い音を立てる。
アーキルにとっての私は、願いを叶えてくれるランプの魔人。しかも、残っている願いはあと一つ。その願いを聞いたら、私はアーキルの元を去らねばならない。
アーキルが私のことを気に入って寵姫としたところで、私たちは期間限定の関係でしかない。
それに、今アーキル自身が口にしたではないか。
リズワナを側に置くのは、そうすることで「自分の呪いが解けるかもしれないから」だと。
(アディラだけじゃなく、リズワナのことも愛してもらいたいだなんて……そんな贅沢を言ってはいけないわ)
「ごめんなさい、アーキル。今の質問は忘れて……」
慌てて両腕を顔から離してアーキルを見ると、アーキルは半身を起こして私の顔を覗き込んでいた。
「俺は――」
囁くようなアーキルの言葉は、ちょうど空に打ち上がった花火の音でかき消された。
何と言ったのか聞き返す前にアーキルはニヤリと意地悪そうに笑うと、私の唇に優しく口付けを落とした。
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