第27話 縮まる距離

 しばらくラーミウ殿下と庭園で走り回って遊んだ後、ファイルーズ様はカシム様を連れて先に後宮ハレムに戻った。


『宴の準備をしなければならないから』


 そう言って、去り際に私の方に振り向いて会釈をしたファイルーズ様の顔は、どことなくお寂しそうに見えた。

 ファイルーズ様が準備しようとしている宴というのはきっと、私をアーキルの寵姫としてお披露目するためのものだ。


(ファイルーズ様にとって、私は邪魔者。そんな私のために宴の準備をして頂くなんて……)


 名実共にアーキルの第一妃となることを望んでいるファイルーズ様にとって、私を迎えるための宴の準備をさせられることはとてもお辛いだろう。

 私は複雑な気持ちのまま、ラーミウ様と手を繋いで庭園の散歩を続けた。

 第一妃に宴の準備を任せて、身分の低い私の方がこうしてゆっくり過ごすだなんて……と、心がチクチクと痛む。



「ねえ、リズワナ! アーキル兄上はとってもかっこいいんだ! リズワナも知ってるでしょ?」

「はい、よく知っています。アーキル殿下はラーミウ殿下のことをとても大切に思っている、素敵なお兄様ですね」

「ねえ……リズワナは、兄上に怒られたりすることはあるの?」

「なぜですか? 怒られたことは……あると言えばある気もします」


(怒られるどころか、長剣サーベルを振り回して殺されそうになったこともあるけど)


「本当? 僕だけじゃないんだ。良かった!」

「あら、ラーミウ殿下。どういうことですか?」

「ずっと前に、雷がゴロゴロ鳴って怖かった日に兄上の部屋に行ったんだ。でも、こっちに来るな!って怒られたの。一人で寝るのが怖くて、兄上と一緒に寝てもらおうと思っただけなのに……」


(それはきっと、呪いのせいで……)


 ラーミウ殿下とつないだ左手に、思わずぎゅっと力が入る。

 アーキルは不眠の呪いで苦しむ自分の姿をラーミウ殿下に見せたくなくて、あえて厳しい言葉でラーミウ殿下を遠ざけたのだろう。

 弟を守ろうという思いで取ったアーキルの行動が、逆にラーミウ殿下を傷付けることとなったのだ。

 人を呪うことなど絶対に許されない行為だと、私は心の中で再確認する。


(早くアーキルに会いたいな)


 妙に心細くなって、今朝別れたばかりのアーキルの顔を思い浮かべる。

 ラーミウ殿下と別れ、自室に戻ってしばらくすると、あの侍女長ダーニャが私の元に訪ねて来た。


「リズワナ。湯浴みの準備ができました」


 気に入らない相手に頭を下げざるを得なくなり、ダーニャは明らかに不機嫌そうだ。「貴女の世話をするなど不本意です!」と、はっきり顔に書いてある。

 しかし、私を寵姫にすると言って宴を催すことを決めたのはこの後宮の主であるアーキルだ。アーキルの命令には、誰も逆らえない。


 浴場で湯に浸かりながら、私は色々と考えを巡らせる。

 アーキルの呪いは、一体誰がかけたものなんだろうか。

 生まれた瞬間に呪いをかけるなんて、余程の強い恨みを持った者の仕業としか思えない。


 アーキルの誕生をよく思わない人々……例えば、皇帝陛下のハレムの妃たちが呪ったとか?

 ラーミウ殿下のお母様が、次期皇位を狙ってアーキルを呪った? いや、アーキルが生まれた頃には、まだラーミウ殿下のお母様はハレムにいなかったはずだし、そもそもラーミウ殿下が生まれてすらいない。


(アーキルを呪って得をする人なんていないわ。一体誰なの?)


 答えの出ない問いに頭を抱えながら湯浴みを終え、侍女たちに化粧を塗りたくられた私は、アーキルの元に向かう。

 今から私はハレム中の人が見守る中で、アーキルの寵姫としてお披露目されることになる。



「アーキル、お待たせしました」



 バルコニーにいたアーキルに後ろから声をかけると、アーキルはゆっくりと振り返った。



「……綺麗だ、リズワナ」

「そうですか? 何だかものすごく派手に飾り立てられてしまって。恥ずかしいです」

「元々お前は美しい。こうして磨けば、間違いなくアザリムで最も美しい姫だ」



 いつもの冷徹なアーキルとは違い、今日のアーキルはとても甘い。


(どうせ私のことはランプの魔人だと勘違いしているくせに)

 

 私はそのままアーキルに手を引かれ、バルコニーへ出る。

 昼間の暑さとは打って変わって、夕方のアザリムの都は少し肌寒い。冷たい風に吹かれて衣の裾がひらひらと揺れた。


 こんな美しい服を着せてもらったのは初めてだ。

 バラシュではお姉様たちが着なくなった古い服をこっそり拾って身に付けていたし、前世ではそもそも女性らしい格好などほとんどしたことがない。


 歩くたびにシャンシャンと小さく響く装飾品のこすれる音も、慣れない私にとっては何だか気恥ずかしくてたまらない。


 足元ばかり見ながら歩く私の顎に、アーキルがそっと指を添える。


「下ばかり見るな。前を向け」


 顎をぐいっと持ち上げられ、私は後宮ハレム中が見渡せる眺めの良いバルコニーから外を見る。

 青いタイルで飾られた建物は夕日を浴びて輝いていた。バルコニーの階下を見ると、そこにはたくさんの側女や宦官たちが集まっている。

 ファイルーズ様にラーミウ殿下。そしてその傍に、カシム様の姿も見えた。


(あ、ザフラお姉様も…‥)


 人々の間を縫いながら忙しなく食事を運んでいるのは、ファイルーズ様の侍女として働き始めたザフラお姉様だ。

 皿を運ぶ手元がおぼつかない姿が心配で、ついつい動きを目で追ってしまう。


「リズワナ。皆がお前に注目している。見ろ」

「え? 私に?」


 アーキルに言われてよく見ると、確かに下にいる皆の視線は私たちに向けられている。彼らが見ているのは、アーキルだろうか? それとも私?


「手を振ってみろ」


 アーキルに言われ、私は恐る恐る皆に向けて小さく手を振ってみる。すると宴に興じている人たちから歓声が上がった。

 アーキルが側にきて、私の腰を抱き寄せて笑う。


「アーキル、私にはこんなこと……私はただ、アーキルを眠らせることができただけなのに」


 アザリムの辺境の街バラシュで育った田舎娘の私が、こんな華やかな場所で皆の注目を浴びることになるなんて。

 アーキルを眠らせることができたのはルサードのおかげであって、私だけの力でも何でもない。

 こんな華々しい場所に、私は似合わない。


 皆の視線から逃れようと、バルコニーの手すりから手を離す。そのまま後ろに数歩下がった私を、ザフラお姉様が悔しそうな顔で見上げていた。


(ザフラお姉様も、私のことがますます嫌になったわよね。それに、ファイルーズ様も私たちのことを見ているのに……)


「どうした? 浮かない顔をして」

「……いいえ、何だか私には分不相応な気がしてしまって」

「なぜだ? 俺はお前を気に入っていると言っただろう。俺の寵姫にはこれでもまだ足りないくらいだ」


 私の弱音を鼻でふふんと笑うと、アーキルはバルコニーに準備された絨毯の上を指差した。そこには豪華な食事や飲み物が並んでいる。

 宴の準備が整って侍女たちがアーキルの部屋から下がるのと入れ替わりに、ルサードがのそのそとやって来た。私たちの前に寝転ぶと、退屈そうな声で「にゃあーん」と鳴く。


 きっとこの宴は、アーキルとファイルーズ様が私のために心をこめて準備してくれたものだ。アーキルに寵姫だと言ってもらえて嬉しいはずなのに、私の心は逆に深く沈んでいる。

 第一妃ファイルーズ様の、アーキルへの想いを知ってしまったこと。

 ラーミウ殿下がいつか命を奪われる運命であることを、笑いながら語るファイルーズ様を見てしまったこと。

 今日一日で起こったこの二つのことが、どうしても心から離れない。

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