第29話 図書館へ

「カシム様、早く付いて来てくださいよ!」


 私のお供が余程面倒だったのか、アーキルの従者カシム・タッバール様の歩みはまるで牛のように遅い。


「もう、遅いです。カシム様!」

「……リズワナが速すぎるんですよ。何をそんなに浮かれてるんです?」


 カシム様は息を切らせながら私の目の前まで来ると、もうこれ以上走るのは無理だと言わんばかりに顔を歪めた。


(早く図書館に行きたくて、少し速く歩きすぎたかしら?)


 仮にもアーキルの従者なら、もう少し体力をつけた方がいいのにと呆れながら、私は目の前にある大きな建物を見上げた。

 美しい青いタイルで飾られた大きくて古いその建物は、後宮に初めて来た時にも目にしたものだった。

 タイルで描かれた模様と飾り窓の組み合わせはとても美しい。

 こんな豪華な建物に住むことができるなんて、何と言う贅沢だろうか。 


「カシム様、このタイル壁の大きな建物はなんでしょうか? ここだけ他の建物より大きい気がします」

「ここが貴女のお目当ての図書館ですよ」

「……あら、ここが図書館なんですね!」


 数代前の皇帝陛下がまだ皇子だった頃に建てられたというこの図書館には、アザリムの国中に散らばっていた歴史書や資料が集められ、保管されているそうだ。


 私とカシム様は図書館の扉を開き、中に入る。

 しばらく回廊を進み、開けた場所までくると、そこには壁一面に書棚が設けられていた。お掃除をしていた女官たちが、私たちを見て慌てて頭を下げる。


「アザリムの皇族の方しか入れない場所だと聞いていましたが、普通に女官も入れるんですね」

「この場所までは、誰でも入れますね。陛下や皇子殿下しか入れない場所というのは、あちらの扉の向こうの空間のことです」


 カシム様が指差した方向の壁には、私の背丈の二倍ほどはある大きな石扉。

 近付いて見ると、石扉の表面には大きな魔石が埋め込まれている。

 魔石の他には取っ手も鍵もないので、どうやらこの魔石がその役目を果たしているようだ。


「向こう側には皇帝陛下の血を引く御方――つまり、この後宮ハレムではアーキル殿下とラーミウ殿下しか入れません」


(なるほど。この向こうが、アーキルの言っていた場所なのね)


「私はちょっとこの中に入って来ますね」

「だから、貴女は入れないんですって!」


 腕を組んで呆れるカシム様をよそに、私は石扉の正面、魔石のある場所の前に立った。

 ナセル商人と多く取引のあったハイヤート家に生まれた私でも、ここまで立派な魔石を見るのは初めてだ。


 腰に下げていた短剣ダガーに手をかけると、カシム様はぎょっとした顔で私の手首を掴む。


「まさか、それは例の……」

「はい、アーキルからもらい受けたダガーです。これがあれば図書館にも入れると聞いたので」

「へえ……それを使えば、僕も中に入れるでしょうか? アザリムの文官としては、僕も向こう側にどんな資料があるのか興味があります」

「それは無理だと思います。アーキルからは、他の人を入れないように言われてますし」

「でも、案内役が必要では?」

「カシム様だって入ったことないのでしょう? それなら案内役なんてできないじゃないですか」


 言い返した私の言葉が気に入らなかったのだろうか。

 ニコニコと笑っているカシム様の目の奥には、苛立ちの感情が見え隠れする。


(あれ、このカシム様の表情ってどこかで見たような……)


 しばらく黙り込んでいたカシム様は、諦めたように大きく息を吐いた。


「……分かりましたよ、リズワナ。しかし私は貴女をしっかり監視するように殿下からきつーく言われていますから」

「はい、おかしなことは致しません」

「貴女のような方を監視するのは大変ですよ。ちなみにここに入って何を調べるのですか?」

「ちょっと、昔のことを」

「昔のこと? ……まあ、僕が中に入れないのは致し方ないとして、何の資料を調べたのかはちゃんと報告してくださいね。貴女が何かやらかした時に怒られるのは、監視役の僕なんですから」

「分かりました。行って参ります」


 私はもう一度石扉の正面に立ち、魔石に目を向ける。

 ダガーに嵌められている琥珀色の魔石を、石扉の魔石の方にゆっくりと近付けて見ると、二つの魔石は呼応したかのように光り始めた。


 ギギイと音を立て、石扉が奥に少しずつ移動して行く。

 扉の向こうからこちらに向かって光が差していて、眩しくて中は見えない。


(さあ、行くわよ)


 私はダガーを胸にしっかりと抱えたまま、光の中に足を踏み入れた。

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