第17話 女の園

 後宮ハレムには一体どれくらいの人々が暮らしているのだろう。


 アーキルの部屋で一晩を過ごした私は、若い女官に案内されて別の部屋に連れてこられた。途中で何人もの女官とすれ違ったけど、あの方たちは普段何をなさっているのだろうか。

 ここはアーキルのハレムなのだから、あの中にアーキルの側女がいても不思議ではない。ついついすれ違いざまに相手の顔をチラチラと見てしまった。


 不眠の呪いにかかったアーキルを眠らせることができるのは、今のところ私だけ。でも呪いが解けた暁には、きっとアーキルも今の皇帝陛下のように、たくさんの妃や側女を侍らせるのだろう。


(そして多くの皇子や皇女たちが、また未来の帝位を巡って命の奪い合いをするんだわ)


 ふと、ラーミウ殿下の顔が思い出される。

 嫌な想像を巡らせてしまった。とりあえず今は、アーキルの呪いを解くことが先決だ。


 私のために準備されたと言う部屋に入り、着替えを終えて一息ついたところで、誰かが部屋の扉を開けて入ってきた。


 厳しい表情をした年配の女性と、その後ろにもう一人。



「着替えは終わりましたか?」

「はい、終わりましたが……」

「私はこのハレムの侍女長を務めるダーニャです」



 年配の女性は持っていた杖を後ろにいた若い女官に手渡すと、体の前で両手を組んで私を冷たい視線で睨みつけた。

 私も立ち上がっての方に体を向けたのだが……


(あれ? 後ろにいる女官は、ザフラお姉様じゃないの)


 侍女長のダーニャから杖を渡されたのは、女官服に着替えたザフラお姉様だった。

 お姉様が何か良からぬことを侍女長に吹き込んだのだろうか。侍女長の表情は明らかに、私を歓迎していません! と言った雰囲気だ。



「ダーニャ様。私はリズワナと申します。バラシュでアーキルに会って、ご縁があってハレムに……」

「言葉遣いには気を付けなさい! アーキル殿とお呼びするように。さあ、準備はよろしいですか? ファイルーズ様の元に参りますよ」

「ファイルーズ様?」



 ファイルーズという名前は、確か昨日も耳にした。ナセルに多い女性の名前だ。

 アーキルの従者のカシムがその名を口にして、アーキルが不機嫌になったような気がするのだが……



「ハレムはファイルーズ様の御管轄。ハレムに貴女を受け入れるのかどうかを決めるのはファイルーズ様です。まずはご挨拶と検査をしますから付いて来なさい」

「検査って……何の検査でしょうか」

「ファイルーズ様と医女が、全身くまなく確認するのです」

「ええっ!? それは無理です!」

「何を今さら。ハレムに入りたいなら当然ですよ」



 そんなに痩せて……とブツブツ言いながら、侍女長ダーニャは私の腕や首を撫でまわした。まるで、商品を品定めでもされるように。

 背中にゾクっと悪寒が走り、私は一歩下がってダーニャから離れる。



「そんな華奢な体でやっていけるのかしら? それに、なぜ腰にランプなんてぶら下げているの?」

「あっ、これは……そういう設定なもので」

「おかしな娘だこと。それにしても、御子でもなそうものなら死んでしまいそうなほどひ弱に見えるわ。ねえ、ザフラ。貴女の言った通りですね」



(やっぱりお姉様が、ダーニャに何か吹き込んだんだわ)


 ザフラお姉様は得意気な笑顔でこちらを見ている。



「お言葉ですが、私が御子など為すことはありませんから。だから検査も不要です」

「いいから付いて来なさい。ファイルーズ様をお待たせするつもりですか?」



 ダーニャはザフラお姉様に預けていた杖を取ると、私の方にその杖の先を向けた。

 言うことを聞かない者は、力で押さえつける。ハレムの掟は随分と乱暴だ。


(女の園って、どこもこんな感じなの……? ハイヤート家でお姉様たちにいびられているのと、何も変わらないのね)


 ルサードは毛を逆立ててダーニャを威嚇するが、昨日ラーミウ殿下に付けられた飾り紐が、中途半端に頭にくっ付いたままになっている。

 いけないと分かっていながらもそのちぐはぐさが可笑しくて、ついついぷっと吹き出してしまった。



「何を笑ったのです? 本当に失礼な娘だわ。杖で叩いたら骨の一本や二本折れそうね!」

「え!? ダーニャ様、暴力はちょっと……」



 慌てて真面目な表情を作り直してみるが、ダーニャの苛立ちはおさまらない。

 そのまま杖を振り上げたかと思うと、私の頭に向かって思い切り殴りかかってきた。



「……きゃあっ!」


 思わず悲鳴を上げた私の頭上でバキッと大きな音がして、折れてしまった。

 私の骨ではなく、の方が。



「えっ……リズワナ、何をしたの……?」

「あの、誤解しないで下さい! 私はただ腕で杖を受けただけで……」

「それで杖が折れるわけないでしょう! 武器でも隠し持っているのですか? それとも魔道具?」

「いえいえ、とんでもない! 何も持っていません、元々杖が少し古かったのではないですか……?」

「そんなわけがないわ! 何をしているの、ザフラ。早くリズワナを取り押さえなさい!」



 後ろに控えていたザフラお姉様が、慌てて私に向かって飛び掛かって来る。



「ちょっ、ちょっと待ってください! ダーニャ様、話せばわかります!」

「観念しなさい、リズワナ。ファイルーズ様のところに連れて行きますよ。ザフラ、早くなさい!」

「でも私は、この部屋で過ごすようにとアーキルに言われて……!」

「アーキル殿下とお呼びしなさいと言っているでしょう! この田舎娘が!」


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る