第16話 代わりの告白

「ねえ、ルサード」

「……シャーッ! ウゥゥ」

「怒ってる? 私があなたを置いて行ったから怒ってるのね?」

「グルウウゥ」



 時は既に夕刻。

 アーキルに連れて来られた後宮ハレムの一室で、ルサードは書棚の下に潜り込んでふてくされている。


 ラーミウ殿下とひとしきり遊んで戻ってきた時、ルサードは白くてふさふさの毛を頭の真上で飾り紐でくくられてしまっていた。

 飾り紐は、ラーミウ殿下の仕業だろう。侍女の腕に抱かれて部屋に戻ってきたルサードは何とも言えない表情で脱力していて、私はついつい声を上げて笑ってしまった。


 まるで頭の上に小さな箒でも載せているみたいだ。これでは可愛らしすぎて、白獅子ホワイトライオンとしての威厳もへったくれもない。

 ルサードは、私が笑ったことが気に入らなかったと見える。部屋に入るや否や、こうして拗ねて隠れてしまったのだ。

 膝を付いて書棚の下を覗き込むと、ルサードはぷいっとそっぽを向く。その勢いで飾り紐に付けられた鈴がシャランとなった。

 


「ぷっ……見れば見るほどとっても可愛いわよ。ルサード」

「シャアァッ」

「ねえ、そろそろ機嫌を直して出て来てくれない? そのまま夜になって獅子の姿に変わったら、きっと棚がひっくり返ってしまうと思うの」

「グルウウゥ」

「……そのままそこに居座る気なら、棚の方を移動させるわよ」



 たくさんの本が並ぶ重そうな書棚も、私の腕にかかれば羽のように軽々と動かせるだろう。

 私の言葉に観念したルサードは渋々書棚の下から這い出すと、私の指をガリっと甘噛みした。「早くこの飾り紐を外せ」という無言の訴えだ。


(残念。飾り紐を付けた獅子ライオン姿を見たかったのに)


 ルサードを抱き上げた私は、寝台の上に腰かけて飾り紐を解こうと指をかけた。


 ハレムに入った後、私は浴場に連れて行かれ、身ぐるみはがされて綺麗に洗われた。その挙句に体中に香油を塗りたくられ、豪華な寝衣まで着せられている。


 恐らく今、ハレムにいる全員が勘違いしているのだろう。

 私が、アーキルが自ら選んで連れ帰った寵姫であると。


(何だか本格的に、他にお嫁にいけない状況になりそうだわ)


 私は自分に着せられた艶めかしい寝衣を見て、ため息をついた。



「アーキルからここで待つように言われたの。夜になる前には戻って来るからって。ここがアーキルの部屋なのね……あっ、じっとしてて。ルサード」

「にゃぁ」

「今晩もアーキルに神話を語り聞かせなければいけないみたい。バラシュの天幕では、話の途中で眠ってしまったものね。アーキルはあの神話の続きを聞きたいと言うかしら」

「……」



 ルサードは鳴き声で返事をするのをやめ、視線を部屋の扉の方に向ける。

 しばらく扉の方を見ていると、両開きの扉が勢いよく開いた。



「リズワナ」



 入ってきたのは、ターバンを外し、薄い寝衣を纏ったアーキルだった。





「……で、この前のお話の続きをお聞きになりたいですか?」



 まだ日が沈んだばかりだと言うのに、アーキルは既に眠る気満々だ。

 部屋に敷かれた絨毯の上に寝転び、なぜか私の膝に頭を乗せ、時折半身を起こしては食べ物をつまんだり、酒を飲んだり。


 何年も引きこもり生活をしていた私だって、日々をここまでダラダラと過ごしたことはない。皇子とは良いご身分ね、と内心呆れながら、私も自分のグラスに手を伸ばした。


 目の前にあった瓶を傾けて、グラスに注ぐ。

 するとアーキルが私の手首を掴み、それを制止した。



「リズワナには、酒はまだ早い」

「ああ、これはお酒だったのですね。ではやめておきます」


 前世の貴方に振舞われたお酒のせいで、良い思い出がないのですよ……とは言うまい。



「それで、どうなさるんですか? まだ月も昇らぬうちから眠るのには少し早い気もしますけど」

「そうだな。この前の話の続きも気になるが……お前の前世の話を聞かせてくれ。前世を覚えているんだろう?」

「前世の話ですか。まあ、そうですね。私は人間ではなくランプの魔人なので、前世の記憶を持っていても不思議ではないんですよ。前世の話、前世の話……何を語りましょうか」



 嘘をついている気まずさに、ついつい無駄に言葉数が多くなる。

 


「お前が前世で愛した男の話を聞かせろ」



 アーキルが、膝の上から私の顔を見上げた。


(愛した男って、ナジルのことを聞きたいの?)


 前世で私が想いを寄せていたナジル・サーダの生まれ変わりかもしれない人が、彼の話を聞きたいと言っている。


(ナジルのことを話したら、アーキルにも前世の記憶が蘇ったりするかしら)


 そんな小さな期待が私の頭に浮かんだ。


 それに何だか、私はどうもこの瑠璃色の瞳に弱い。

 この瞳に見つめられると、胸の奥がぎゅうっと締め付けられるような気がして、彼の望みを叶えてあげたいという気持ちが湧き上がってくる。


(この気持ち……やっぱりアーキルはナジルの生まれ変わりなのかもしれない)



「……私が前世で愛した人は、ナジル・サーダと言います。ずっとずっと昔、ここアザリムがまだアザルヤードという名前の国だった頃の話です」

「ナジル・サーダ……か」



 アーキルは私が口にしたナジルの名を呟く。

 思い出して欲しい、前世で私と過ごした日々を。



「ナジルは文官、私は武官として、時の皇帝イシャーク・アザルヤード陛下にお仕えしていました。ナジルはとても穏やかで真面目で……」

「ほう、それで。その男のどこがそんなに気に入ったんだ?」

「私たちはずっと同じ目標に向かって切磋琢磨してきた仲間でした。この人とならずっと共に走っていけると思ったんです。お互いに足りないものを補い合いながら、二人で力を合わせて皇帝陛下のために尽くせると……」


(二人で皇帝陛下のために尽くせると信じていた、けれど――)


 彼には私の他に愛する女性がいました、と口にしようとしたところで言葉に詰まる。鼻の奥がツンとして、これ以上言うと涙が溢れそうな気がした。

 アーキルはそんな私の気持ちを察してか、私の膝から降りて身を起こした。真正面に胡坐をかいて座ると、私の顔を覗き込む。



「それで、そのナジル・サーダを探し出してお前はどうするんだ?」

「それは……前世では私の気持ちを彼に伝えることができなかったんです。だから、今世でもう一度出会えたら、今度こそ私の気持ちを伝えたいって思って……」

「なるほど。好いていたのにそれを伝えられなかったから、前世の記憶を持ったまま生まれ変わったということか。お前もなかなかしつこい女だ」



(しつこいだなんて……酷いわ)


 私のこの願いは、アーキルにとっては馬鹿馬鹿しいことかもしれない。鼻で笑われることを覚悟で、私は恐る恐るアーキルと視線を合わせた。

 しかしアーキルは意外にも真剣な顔で私の話を聞いている。


 ……と思ったら、突然アーキルが纏っていた寝衣を脱ぎ始めた。

 一体何事かと驚いていると、右胸にある獅子のアザを私に向ける。



「ちょっと、アーキル! 急にどうしたのですか!?」

「お前がそこまで言うなら聞いてやる」

「……え? 何を?」

「俺がそのナジル・サーダという男の生まれ変わりかもしれないんだろう? お前の気持ちを今ここで伝えてみろ」



 アーキルに言われたことが理解できず、私は目をしばたたかせた。



「私の気持ちを、今ですか?」

「そうだ。俺をそのナジルだと思え。同じアザがあるんだろう?」

「……なぜそんなことを仰るのですか? アーキルも前世を思い出したのですか?」

「俺には前世の記憶なんてない。生まれ変わっても忘れられないほど心残りだったんなら、代わりにその気持ちを聞いてやると言っているだけだ。一度吐き出せばすっきりするんじゃないか?」



 アーキルは真面目な顔をして、私の目の前で姿勢を正す。

 ああ、なるほど。きっと彼は酔っ払っているんだ。

 意味の分からない提案だが、アーキルの右胸のアザを見ていると本当にアーキルがナジルのように思えてきた。



「ふふっ、じゃあお言葉に甘えて。代わりに私の告白を聞いてくれますか?」

「ああ、思いの丈をぶつけてみろ。俺は今世のナジル・サーダだ」

「じゃあ、行きますよ」



 私は一度目を閉じて、ふうっと息を吐いた。

 前世でのナジルとの思い出を、頭の中に巡らせる。


 穏やかで、いつも笑顔で、すぐに頭に血が上る性質たちだった私を陰から支えてくれた人。



「――ナジル。私は貴方のことをずっとずっと好きでした。貴方となら死ぬまでずっと同じ方向を向いて歩んでいける気がしてた。私の……アディラ・シュルバジーの人生に、こんな幸せな感情をくれて本当にありがとう」



 アーキルの瑠璃色の瞳に、ニッコリと微笑みを向けた。

 真正面に座って私の告白を聞いたアーキルも、少し照れたように笑う。

 アーキルに対する告白ではないのに、何だか私の方も気恥ずかしい。


 ずっと言いたかった言葉を口にできたからか、私の心から数百年前の気持ちがあふれ出しそうだ。

 アーキルは何も言わずに私の言葉を聞いてくれている。このあふれる気持ちをもう少し語っても許してもらえるだろうか。



「もしも……もしも再びナジルに会えたら、今度こそ気持ちを伝えたいと願ってた。私は貴方のことをずっと大好きでした。今世では私のこと、好きになってくれる?」



 ああ、言ってしまった。

 自分の気持ちを全部。


 リズワナ・ハイヤートとして生まれてからずっと前世の想いにがんじがらめに囚われていた。例えナジルからの返事はなくても、こうして自分の気持ちを口に出したことで一区切りつけられたような気がする。


(アーキルの言った通り、何だかすっきりしちゃった)


 御礼を言おうともう一度アーキルの顔を見ると、彼は自分の口を押さえて私から目を逸らしている。



「あれっ? ごめんなさい、アーキル。流石にちょっとやり過ぎたかもしれません」

「……いや、いい」

「もしかしてアーキル……照れてますか?」

「……」



 どうしよう。あの血も涙もない冷徹皇子と言われたアーキルが、私からナジルへ向けた告白を聞いて、顔を赤らめて照れている。

 こんな顔をされたら、告白した張本人である私の方がよほど恥ずかしいじゃないか。


 私は熱くなった頬に両手を当てて、アーキルから視線を離すように項垂れた。

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