第15話 前世はむしろ
庭園の木々の間を縫ってきゃっきゃっと声を上げながら、ラーミウ殿下はルサードをつかまえようと走り回っている。その後ろにはラーミウ殿下の侍女たちが血相を抱えて後を追う。
侍女たちはラーミウ殿下が転んで怪我でもしたら大変だと、気が気でならないのだろう。
ルサードも手加減してあげればいいのに、本気でラーミウ殿下から逃げ回っている。
幼い子どもの無邪気で屈託のない笑顔は人を幸せな気持ちにさせるものだ。ラーミウ殿下を見ているうちに、いつの間にかこちらまで笑顔になった。
「もう気分は大丈夫か? リズワナ」
「はい、だいぶ気分が良くなってきました」
「そうか。あれはラーミウと言って、俺の弟。第二皇子だ」
「やはりそうですか。瞳の色がアーキルと同じです。可愛いらしいですね」
私たちは二人で並んで立ち、楽しそうなラーミウ殿下の姿を目で追った。
このアザリム国では、皇帝の代替わりの際に皇子たちは殺される運命だ。
第一皇子であるアーキルが即位すれば、弟皇子であるラーミウ殿下は無条件に命を奪われることになる。
(冷徹皇子と言われるアーキルが、こんなに優しい目でラーミウ殿下を見守っているというのに……)
あんな可愛らしい皇子が命を奪われてしまうなど、あってはならないことだ。
弟のことが可愛くて堪らないと言った様子のアーキルの顔を横目で見ながら、私は先ほどゴンドラの中で夢に出て来た前世の出来事を思い起こした。
前世でお仕えしたイシャーク・アザルヤード皇帝陛下は、兄弟皇子を殺すという悪しき慣例をなくそうと動いていらっしゃった。けれど、あれから数百年経った今でもその慣例は変わっていない。
数百年前のあの日、途切れている私の記憶の後には、一体何が起こったんだろうか。
あの時代にはまだ紙は貴重で一部にしか出回っていなかったから、イシャーク陛下の時代の歴史は今の時代には書物としてはほとんど伝わっていない。それこそルサードが語ってくれるような口頭伝承での昔話くらいしか、あの頃のことを知る術はない。
(あの日船上で何があったのか、せめてもう少し記憶が残っていれば……)
ようやくルサードに追いついて芝生の上でじゃれているラーミウ殿下を見て、私は眉をひそめた。
アーキルが本当にナジル・サーダの生まれ変わりなら、ラーミウ殿下のことはどう考えているのだろう。自らが帝位に就くためなら弟皇子の犠牲は仕方ない、とでも考えるだろうか。
愛する人を手に入れるために、弟皇子たちの命を守るのを諦めたナジルのように。
私の表情が暗くなったことに気付いたのか、アーキルが私の腕を引いた。
「ルサードは後から侍女に連れて来させよう。行くぞ、歩けるか?」
「あっ、はい。自分で歩けます」
「宮殿の中を案内する。お前もしばらく
獲物を狙う蛇のような鋭い視線で私に目配せをすると、アーキルは庭園に背を向けて歩き始めた。私も急いで追いついて、アーキルの数歩後ろを続く。
いくつもの庭園の間を進むと、鮮やかな青色のタイルで作られた大きな建物が目の前に現れた。タイルで描かれた模様と飾り窓の組み合わせはとても美しい。こんな豪華な建物に住むなんて、何と言う贅沢だろうか。
「アーキル様。ハレムというのは、随分と広くて建物もたくさんあるのですね」
「これでも狭い方だ。皇帝陛下のハレムはこの五倍はある」
「ごっ、五倍?!」
青いタイル張りの建物の階段を昇りながら、私は思わず振り返ってハレム全体を見渡した。ゴンドラを降りた場所は随分と遠く、もはやここからでは点のようにしか見えない。
皇帝陛下のハレムはこの五倍だなんて。ハレム周辺の見張りだけでも想像を絶する人数の騎士が必要なのではないだろうか。
「陛下のハレムには妃も側女も山ほどいるから、五倍あっても足りないらしい。俺もそこで過ごして、十五になってこの離宮を与えられた」
「十五になるまではアーキルも皇帝陛下のハレムに……あれ、それではラーミウ殿下は? まだお小さいのになぜここに?」
「ラーミウの母は既に亡い。陛下のハレムにラーミウを一人残しておくのも危ないからな。ここで共に暮らすことにした」
二階の回廊の手すりに両腕を預けて、アーキルは庭園にいるラーミウ殿下の姿を目で追った。ラーミウ殿下のことを心配しているアーキルの瞳は、やはり優しさに満ちている。
わざわざラーミウ殿下を自分の離宮に連れて来るなんて……女同士の嫉妬渦巻くハレムに、大切な弟を残したままにするのが嫌だったのだろうか。
弟のことを大切に思っていると言うより、溺愛していると言った方が近いかもしれない。
(アーキルは本当にナジルの生まれ変わりなのかしら。それよりもむしろ……)
私の頭に、ナジルではない、別の御方――前世の私の主君であったイシャーク・アザルヤード陛下の御顔が浮かぶ。
アーキルはイシャーク様の生まれ変わりだと言われた方がしっくりくるかもしれない。
とそこまで考えて、私は首をぶんぶんと振って打ち消した。
イシャーク様は私が命をかけてお守りすると決めた絶対的君主。もしもアーキルがイシャーク様であるなら、こんな気安く会話できるような相手ではない。
毎晩イシャーク様と二人きり同じ部屋で過ごすことになるなんて、恐れ多くて絶対にお断りだ。
階段の踊り場から、アーキルの顔を見上げてみる。
午後の爽やかな風に吹かれて、アーキルの着崩した衣の間からは、獅子の形の痣が見え隠れしていた。
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