第39話 船を追う

「カシム・タッバール!! 騙したのね!」


 最恐の女戦士と言われたアディラ・シュルバジーのごとく、私の叫び声は地を這った。アーキルから譲り受けた琥珀の短剣ダガーを鞘から抜くと、私は周囲を取り囲む騎士達の位置を瞬時に確かめる。


(ナセルの騎士達だわ。カシムはナセル大使と通じて、こうして味方を集めたのね)


 アーキルの言う通りだった。

 きっとカシム様は、ファイルーズ様を通じてナセルと繋がっていたのだ。ラーミウ殿下がファイルーズ様の部屋を訪れたのも、きっと初めから彼らの間で段取りを組んで進めたことに違いない。


 低い姿勢で全方位からの攻撃に備え、私は濡れた地面の上で身構える。両足が泥の中にぐちゃりとめり込んだ。


「さすがの君もダガーではこれだけの相手に歯が立たないよね、アディラ」

「馬鹿にしないで」


 前世と違って、細身で小柄に生まれたリズワナの体躯を生かさでおくべきか。むしろ今の私にとって、長剣サーベルよりもダガーの方が小回りがきいて好都合だ。


(アーキルの元に急がなきゃ。ファイルーズ様が彼の命を狙う前に)


 騎士達に身構える隙を与えず、私は低い姿勢のまま背後にいた騎士の足元に飛んだ。腹に頭突きをしながら突き飛ばし、その勢いで隣にいた騎士に回し蹴りを食らわせる。

 私の攻撃をきっかけに、騎士達は一斉にサーベルで襲い掛かってきた。私は次々に彼らの懐に入ると、ダガーを振って騎士達の利き腕の自由を奪う。


 私の周囲は、あっという間に倒れた騎士達で埋め尽くされた。

 雪がどんどん強さを増す中で、私はかじかんだ裸足のままカシムに振り返る。


「カシム・タッバール! 後で貴方も同じ目に遭うわ!」


 残った騎士達に守られているカシムに、構っている時間はない。

 早くアーキルの元に駆けつけなければ。

 私は倒れた騎士達の間を、全力で後宮ハレムに向かって走った。


 さすが後宮の管理を任されている二人だけのことはある。

 アーキルの寝室に戻るまでの間、ほとんど誰にも会うことなくたどり着いた。ファイルーズ様とカシム様が手を回し、カシム様が私を襲撃するのを目撃する者が出ないように調整したのだろう。


 地面から跳ね返る泥で、ドレスの裾が邪魔だ。

 誰も見ていないのをいいことに、私はダガーを口にくわえ、空いた手でドレスの裾をたくし上げて結んだ。


 そのままアーキルの寝室へ通じる無人の階段を昇って行くと、寝室の側でようやく女官とすれ違う。



「リズワナ様! どうされましたか? お着替えを……!」

「いいえ、今は大丈夫。急いでいるから」

「……あ、アーキル皇子殿下はお部屋にはおられませんが」


(え?)


 女官の言葉に足を止め、私は慌てて彼女の側に戻る。


「アーキルはどこに行ったの?」

「湖に行かれました」

「湖って、なぜ? 誰と?」

「先ほどファイルーズ様がいらして……夜の湖で舟遊びを楽しみたいと仰っていました」

「……舟遊びって、外は雪よ!?」


 こんな時間に訪ねて来て、雪の中で舟遊びをしようなんて……なぜアーキルもこんな不自然な誘いに応じたんだろうか。


(ラーミウ殿下のことをファイルーズ様に問い詰めようとしたの?)


 湖は確か、アーキルの寝室のバルコニーの東側の方向にあったはずだ。

 昇ってきた回廊を降りて回るよりも、いっそのことバルコニーから飛び降りた方が速い。


 私は急いでアーキルの寝室に入ると、部屋を突っ切ってバルコニーに通じる窓を開けた。

 窓から吹き込む冷たい風と雪のせいで、寝台の上にいたルサードが眠ったままくしゃみをした。ルサードは、先ほど私が焚いたサンダルウッドのお香のせいで、すっかり眠ってしまっているようだ。


「ルサード……仕方ないわね。私一人で行くわ」


 バルコニーの手すりに足をかけて向こう側に乗り越えると、私は壁を伝って地面に飛び降りた。





「リズワナ様!? 申し訳ございません、お引き取り下さいませ」

「アーキルはどこ? もう船に乗ったの?」


 湖のほとりには、女官が数名控えていた。

 船着き場に泊めてあるはずの船は、もうそこにはない。雪の合間から目を細めて見てみると、少し離れた場所に船の姿が見えた。

 たった今、出航したばかりのようだ。


 女官たちは狼狽えて、私を制止しようと目の前に並んで立つ。



「アーキル皇子殿下は、今宵はファイルーズ様とお過ごしです。ファイルーズ様は皇子殿下の第一妃ですので……」

「お二人はどこに向かったの?」

「アザルヤードの山々を見に行かれるそうです。しばらく戻られませんので、お引き取りを」

「二人だけなの? 誰か他に同乗している人は?」

「何人か連れておりますのでご心配なく」

「連れているって、誰を?」

「……」

「答えられないの?」



 ファイルーズ様に口止めされているのか、女官たちは顔を見合わせながら下を向いた。


(話にならないわ。今追えばまだ間に合う。あの船まで泳げるかしら)


 女官たちを押しのけて湖に近付こうとすると、彼女たちはわらわらと私の周りに集まって腕を引っ張って止める。

 そんなことをしている間に、丘の上からバタバタと人の足音が響いてきた。きっとカシム様たちが私を追ってきたんだろう。


 時間がない。

 私は女官たちの手を振り払い、ダガーを鞘から抜いた。


「ぎゃあっ!」


 ダガーを見て、女官たちは叫び声を上げながら散り散りに逃げていく。彼女たちの背中を振り返ると、ハレムの方角、丘の上にはナセルの騎士達が迫っていた。


(カシムも追って来たのね……)


 騎士達の中心には、カシム・タッバールが立っている。

 きっと私が船に向かえば、カシムたちも追って来るだろう。ここに新しい船はないから、どこかから小舟を運んでくるはず。


 彼らがここに降りて来る前に、早くアーキルいる船へ。

 船着き場の端に立ち、私は遠くにいるアーキルの船の位置を確認した。ダガーを鞘にしまって懐へしまい、そして冷たい湖の中に頭から思い切り飛び込む。


 服を着たまま泳ぐのは、さすがに今世では初めてのことだ。水の中は上手く進めない。


 前世ではどうだったろうか。アディラ・シュルバジーとして湖を泳いだことなんてあっただろうか。

 必死で手足を動かしながら前世を思い出そうとしていると、あまりの水の冷たさに、右足が軽く攣った。


(まずいわ、溺れる……!)


 水中に体が沈んでいく。

 痛みと息苦しさの中で必死に水面に手を伸ばすと、胸元にしまっておいたダガーが、ゆらゆらと水面に向かって上がって行くのが見えた。

 ダガーに付けられた琥珀の魔石は、暗い水の中でぼんやりと光っている。その光を見ているうちに、私の頭の中には突然、アディラ・シュルバジーだった頃の記憶が大量になだれ込んできた。


(――ああ、思い出した。私は前世でもこうして水の中で死んだんだ)

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