第13話 数百年前の記憶

 それは数百年前。

 何年にも渡る戦いの末にナセル地方の反乱を鎮めた我がアザルヤード軍が凱旋したのは、珍しくこの砂漠の国に雪が降った日のことだった。


 都ではあちらこちらで戦勝を祝う祭りが行われていた。

 私――女戦士アディラ・シュルバジーも久しぶりに都の家族の元に戻り、無事の再会を祝っていた。



「アディラ。お前の働きで皇帝陛下をお守りすることができて、私たちも鼻が高いよ」

「嫌ですわ、旦那様。アディラはナセルで戦っている間に二十歳になったんですのよ。無事に戻ったら結婚をと思っていたのに、全身傷だらけで……どこに嫁に出せばいいのだか」

「何を言う! ただアディラが無事で戻って来てくれさえすれば他に何も望みませんと、毎日のように神に祈りを捧げていたのはお前だろう?」



 そう言って、お父様とお母様は涙を流しながら抱き合って、私の無事を喜んだ。


 心から私を愛してくれる両親と、目に入れても痛くないほど可愛い弟や妹たち。大切な家族を守ることができて、こうして無事に家族に再会することができて。本当に私は幸せだった。


 お母様は「無事に戻ったら結婚を」と言っていたが、実は私もそのつもりでいた。


 アザルヤードの第三宰相を務める、ナジル・サーダが私の恋のお相手。

 彼との出会いは四年ほど前。武官見習いとして宮殿で勤め始めるにあたって皇帝陛下にご挨拶をしたのだが、その時に諸々の手配をしてくれた文官がナジルだった。


 その頃の私たちはまだまだ子供で未熟で、でも希望と野心に満ち溢れていた。

 皇帝陛下に忠誠を誓い、共に国を守って行こうと熱く語り合った。


 ナセル地方で反乱が起こった時も、私は前線で戦い、ナジルは文官として都を守ろうと誓い合って別れた。


 それから数年。私たちは戦いを終えて凱旋。

 そして今晩、アザルヤードの山神に勝利の感謝を捧げるための宴に参加することになっている。その宴の場で、ナジルに再会できるはずだ。



『貴方のことをずっと想っていました。これからも共にアザルヤードを、そして皇帝陛下をお守りしましょう。貴方となら死ぬまでずっと同じ方向を向いて歩んでいける気がするのです』



 ナジルに伝える言葉を何度も頭の中で反芻しながら、宴が行われる船に向かった。

 久しぶりに会ったナジルは、私の顔を見るなり満面の笑みで駆け寄ってきた。



「アディラ! 無事で戻ったのか!」

「ナジル! 元気だった? その年で第三宰相にまで昇りつめたと聞いたわ。本当に貴方って素晴らしい。頑張ったのね」

「アディラこそ。戦地では次々に人を斬って戦果を上げたと聞いたよ。都ではみんな君のことをだと呼んでいる」

「嫌だわ。別に私はそんな……ナセル軍は民衆の集まりなんだから斬るわけにはいかない。致命傷は与えないようにちゃんと調節したのよ」

「ははっ! その台詞が既に恐ろしいよ! 殺す直前まで傷めつけたってことだろう?」

「そんな言い方はよして……それより、私ナジルに話があるんだけど」

「ああ、僕もアディラに話があったんだ。ちょうどいい」



 そう言って、私たちは船の停まる内海の砂浜を二人で歩き始めた。

 小雪がちらつく夜空の下で、ナジルはなぜか薄着のままだ。


 今日の宴は内海に浮かべた船上で行われる。もう少しして夜空に月が昇ったら船を出して、アザルヤードの山々に近い場所まで船を動かすそうだ。


 出航するまで、あと少し。

 それまでに私はナジルに気持ちを伝えたい。そのための時間くらいなら十分にある。



「アディラ。宴には少し早いけど、酒を飲む?」

「え? まさかナジルったら、お酒を持ち歩いているの?」

「アディラも二十歳になっただろう? みんなよりも一足先に祝おうと思って持ってきたんだ」



 私たちは砂浜に転がっていた岩の上に腰を掛けた。

 ナジルは懐から小さなガラス瓶を取り出すと、私の目の前で蓋を開ける。

 戦地では酒を飲む余裕などなかったから、これは私の人生初めての酒。私のためにわざわざ準備してくれたナジルの気持ちが嬉しくて、私は瓶を受け取ると一気にその酒をあおった。


 初めての酒の味は意外と苦かった。



「実は……」



 酒の苦さに口元を歪めた私に、ナジルが先に話を切り出す。



「何? ナジル」

「……実は、皇帝陛下の弟皇子たちの処刑が決まったんだ」

「え? 何ですって?」



 このアザルヤードでは、皇位継承争いを起こさないため、皇位につけなかった皇子は殺される運命にあった。

 しかし現皇帝陛下イシャーク・アザルヤード様のお考えにより、この悪しき風習は先代までで取りやめることにしていたはずだ。



「一体なぜなの? 皇帝陛下のご意思とは違うわ」

「ナセルでの反乱はおさまったとは言え、いつまた不満が再燃するか分からない。その時に弟皇子たちがナセルに担ぎ出されるのを防ぐためだそうだ」

「そんな……! だって、まだ五歳や六歳の皇子もいらっしゃるのよ。陛下が絶対にお許しにならないわ!」

「僕だって止めたかった。でも僕はまだ第三宰相に過ぎない。上に意見したところで無駄だ」

「でも……」



 ナセルが再び反乱を起こすなんてあり得ない。

 そのために私たちは命をかけて傷だらけになって戦ったのだから。



「そうだわ! ファティマ皇妃様はナセルご出身の姫じゃないの。何かあれば皇妃様が和睦に努めてくれるはずよ。だから弟皇子様たちの命を奪う必要なんてない」

「ファティマ皇妃様はナセルに見捨てられたんだ。現にこうしてアザルヤードに人質同然で嫁いで来たにも関わらず、それを無視して内戦は起きたじゃないか」

「それはそうだけど……」



 ナジルに想いを伝えようと心に決めていたのに、それ以上に大変な事が起こってしまった。ここはいつものように私とナジルの二人で、陛下のお気持ちをお守りすることを最優先に動かなければならない。

 弟皇子たちを大切に思い、アザルヤードの悪しき慣習を廃止しようとした陛下のご意思を、何としても突き通さなければならない。



「……アディラ。人はいつどんな理由で命を奪われるか分からない。僕は今回の件でよく分かったんだ」

「まだ諦めないで。弟皇子たちはまだ命を奪われたわけじゃない。私たちが協力すればきっと何とかお助けできる。今からでも陛下にお話しましょう!」

「僕には力がない。今の僕にできることは少ない」

「そんなことないわ。私は貴方の力を信じてる。戦地でも私は、ずっと貴方のことを……」

「アディラ」



 弱気になったナジルに自分の気持ちを伝えようとした瞬間、彼は強い声でそれを遮った。

 


「実は、僕は妻を迎えることにした。ずっと愛していた人が、やっと僕の妻になってくれるんだ」

「……ナジル? どういうこと?」



 ナジルの顔は、夜の闇に包まれていても分かるほど、幸せそうに見えた。

 しかし、顔は笑っているにも関わらず、彼の瞳の奥には私への苛立ちが見え隠れする。


(妻を迎えるですって……? ナジル、結婚するの?)


 目の前が真っ暗になった。

 都に戻ったらナジルに気持ちを伝えようと思って、これまで厳しい戦いも生き抜いて来た。それなのに、まさか私以外に想う女性がいたなんて。



「僕は愛する人を妻に迎える。今は大事な時なんだ、下手には動けない」

「ナジル……ご結婚おめでとう。貴方の幸せは私にとっての幸せでもあるわ。でも、弟皇子たちの処刑のことは別で考えなければいけないと思う。私たちは二人で陛下に忠誠を誓った仲でしょう?」

「ごめん、アディラ。もう船が出る。行くね」

「待って、ナジル!」



 ナジルは私に背中を向けると、先に船の方に向かって歩き始める。

 私も彼を追いたいのに、人生で初めての酒がきいたのか、体が思うように動かない。


 必死で手を伸ばしてナジルの右腕を掴み、そのまま私は地面に倒れ込んだ。

 転んだ勢いで袖を強く引っ張ってしまい、ナジルの服がはだける。月明かりに照らされて、ナジルの右胸のあたりには獅子のような形のアザが見えた。


 戦地で男性の上半身など見慣れているはずなのに、何だか愛する人の体を見るのは恥ずかしい。私は慌てて彼から目を離した。



「ナジル、ごめんね……! 何だか少し、気分が悪くて」

「アディラ、酒に酔ったんだろう。気分が悪いなら船に乗らなくていいよ。ここで休んでいて」

「待って、ナジル。陛下に話しましょう、二人で一緒に……」



 船の出発を知らせる声が、湖のこちら側までかすかに聞こえてくる。ナジルは私の腕を振りほどくと、小雪の舞う道を船に向かって走っていく。


 重い足を一歩ずつ引きずりながら、私は何度もナジルの名を何度も呼んで後を追った。




 


 

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