第8話 初めての眠り

 ――翌朝。

 眠りこけた私の耳元で、穏やかな呼吸音が聞こえる。

 左耳がこそばゆくて片目を開けてみるが、まだ辺りは薄暗くてよく見えない。


(日の出もまだじゃない。もうひと眠りしようかしら)


 ルサードの温もりを求めて寝台の上でずりずりと体を寄せると、突然私の腰のあたりからぐいっと何者かに引き寄せられた。



「ルサード……?」



 頬が温かな肌に触れる。しかしルサードの肌にしては、毛がなくて滑らかだ。毛のないところも気持ち良いのね、なんて思いながら、私はルサードの肌に頬をすり寄せる。



「ルサードなら猫に戻ったぞ」

「……あら、そう。もうすぐ朝だもんね」



(ん? じゃあ私は誰と喋ってるの?)


 一気に目が覚め、私は寝台の上で飛び起きた。


 そこはハイヤート家の自分の部屋ではなかった。

 見慣れない豪華な天蓋、柔らかな敷布、珍しいお香の匂い。そして目の前には仄かなランプの灯りに照らされた褐色肌の逞しい男が、満面の笑みを湛えて偉そうに寝そべっている。



「きゃあっ! 誰なの!?」

「ランプの魔人リズワナ。もう昨晩のことを忘れてしまったのか?」

「あっ、ランプの魔人……そうだ、そうでした! 私はランプの魔人リズワナですよ。本物のやつです」



 乱れた髪を慌てて整えながらルサードの姿を探すと、白猫に戻ったルサードは天幕の入口近くで爪をカリカリと研いでいた。


(慌てて焦って、振り回されるのは私だけなのね)


 私の心の声が届いたのか、ルサードは爪を研ぐのを止めて「にゃあ」と鳴いて歯を見せた。


 昨晩、アーキルが眠った直後のこと。

 天幕の外に人の気配を感じた私は、皇子の長剣サーベルを拝借して天幕の外に飛び出した。


 宴が終わって闇に包まれた砂漠の、天幕から少し離れた場所。そこには、皇子の見張り役だった騎士たちが何人も倒れていた。

 辺りには、昨晩アーキルの天幕で焚かれていたものと同じサンダルウッドの香りが漂っていた。


 どうやらアーキル皇子殿下がここにいることを知って、命を狙いに来た輩がいるようだ。その不遜な輩は見張りの騎士たちをお香で眠らせ、物陰に身を隠していた。そして天幕から飛び出した私の背中を狙って、突然斬りかかって来たのだ。


 刺客は、たった一人。

 本気でアーキルの命を狙いにきたわけではないらしい。


 私はアーキルのサーベルでさっさと刺客をお片付けボコボコにした後、倒れている騎士達の側の木にロープでくくりつけておいた。しばらくして騎士達が意識を取り戻せば、その時にどうにかしてくれるだろうと見越した上で。


 ついでに刺客の側、手が届かないくらいの場所に、アーキルのサーベルを放り投げておいた。これで騎士達は、刺客をやっつけたのはアーキルだと勘違いするだろう。


 そんな緊迫した事件があったのに、ルサードは全て私に任せてアーキルと共に寝台でゴロゴロしていた。『枕代わりの俺が動いては、せっかく眠ったアーキルが目を覚ますだろう』とか何とか、とにかく言い訳ばかり。

 呆れて怒った私も、ルサードの背中の毛に埋もれてふて寝をしたのだった。


 ……と、そこまでは記憶しているのだが、いつの間にか私はルサードの背中からずり落ちて、アーキルの隣で熟睡していたらしい。



「男の人の横で夜を明かすなんて……もう私、お嫁に行けないわ!」



 生まれ変わってもナジルを探して想いを伝え、今度こそナジルの妻になりたい――それだけが私の願いだったのに!

 私が絶望して寝台の上で頭を抱えていると、アーキルは痛くご機嫌な様子でハハッと声をあげて笑った。



「魔人も一丁前に嫁に行くのか」

「え? そっ、そうなんです。魔人には魔人の人生っていうものがあるんです。これでも一応、私も恋する乙女なんですから!」

「恋する魔人か。それなら、俺の後宮ハレムに来ればいい」

「ああ、ハレムですか…………はっ、ハレムッ?!」



 驚いて寝台から転げ落ちそうになった私の腕を掴み、アーキルは私を抱き込むようにして自分の横に寝かせる。

 彼のはだけた衣の隙間からは鍛え上げられた褐色の肌が見え隠れし、私は気が動転して顔を背けた。



「やめて! お嫁に行く前に傷物になりたくないし、私には心に決めた人いるんです!」

「俺のハレムに入れてやると言っているんだ。もっと喜べ」

「私は愛する相手と結ばれたいんだってば!」

「愛する相手? おい、魔人の愛する相手とはどんなやつだ? 相手も魔人か?」

「それは……何百年も昔の想い人です! 私は今もずっと、生まれ変わった彼を探しているの」

「どんなやつだ? 何か手がかりはあるのか?」



 私の頬に手を当てて、アーキルは私の顔を無理矢理自分の方に向ける。

 人の話を真面目に聞く気などこれっぽっちも無いのだろう。あからさまに私を馬鹿にしたような満足気な笑顔が憎たらしい。



「私の愛した人は、アーキルと違って穏やかで理知的でした」

「ほう。酷い言われようだな」

「今世でも絶対に彼を見分ける自信があるんです。彼の右胸には、獅子の形をしたアザがありますから。きっと生まれ変わってもそのアザを探せば……」

「獅子のアザだと? これのことか?」

「え?」



 アーキルは体を起こし、右半身だけ衣から腕を抜いた。

 露わになった彼の褐色の肌はそこら中が傷だらけで、ナセルとの過去の厳しい戦いを想起させた。


 前世でアディラ・シュルバジーだった時には、私もこんな痛々しい傷を持った体だったのかもしれない。そう思うとアーキルの傷の一つ一つが哀れに思えて、思わず彼の体に手を伸ばした。


 伸ばした私の指の先、彼の右胸には青白いアザ。

 そっとアザに触れてなぞってみるが、アーキルの言う通り、確かに獅子の形をしているように見えた。


(ナジルと同じ、獅子のアザ……)



「まさか、アーキルが彼の生まれ変わり……なの?」

「知らん。これは生まれた時からあるアザだからな」

「そうよね。彼と貴方は全然違うもの! アーキルとは違って、彼はもっと穏やかで優しかった! それに……」

「騒ぐな。まだ早朝だぞ」



 アーキルは私の口を手でふさぎ、反対側の手で私の腕を寝台に押し付ける。その時、私の騒ぐ声を聞きつけたのか、一人の騎士が天幕の外からアーキルを呼んだ。



「アーキル殿下、ご無事でしょうか!」

「……ああ、無事だがどうした?」

「いえ、少し見て頂きたいものがありまして、こちらに来て頂けませんか」



 騎士の声がけに、アーキルは気怠そうに立ち上がる。椅子にかけてあった長衣カフタンを肩から羽織ると、そのまま天幕の外へと出て行った。


(っはぁ……一体どうして? 信じられないけど、あのアザは間違いなくナジルと同じだったし)


 アーキルに押し倒された姿勢から体を起こすと、誰もいなくなった天幕の中で、ルサードが私の元まで戻ってきて膝に乗った。



「にゃあぁ! にゃあっ!」



 ルサードが言いたいことは分かっている。

 きっと騎士がアーキルを呼びに来たのは、天幕の外で木にくくられている刺客を見つけたからに違いない。


 身分を隠して狩りに来たにも関わらず刺客に狙われたとあっては、アザリム国の一大事だ。しかも、その刺客をボコボコにして木にくくりつけたのが誰なのか、ここにいる誰も知らない。


(ああ、でも今の私はそれどころじゃないわ。あの冷徹なアーキル皇子殿下が、ナジル・サーダの生まれ変わりかもしれないんだもの)


 期待とは全く違う想定外の再会に、混乱して頭が働かない。


 にゃあにゃあとうるさいルサードに促されて、私は寝台から立ち上がり、天幕の入口から外を覗いてみた。するとアーキルと騎士達が気絶したままの刺客を前にコソコソと何かを話している。


(あの偉そうな態度。ナジルとは似ても似つかないのに)


 やっぱり彼がナジルだなんて信じることはできない。

 頭を冷やすために、一旦ここから逃げてしまおうか。

 しかし私が急に姿を消したとあれば、お父様の命の保証はない。


(お父様は私のことを愛していないだろうけど、私にとってはたった一人の父親なのよね。殺されるのを見過ごすわけにはいかない)


 頭を抱えて悩んでいるうちに、アーキルが天幕に戻ってきてしまった。

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