第7話 アザリムの神話

「どうです?」

「うむ……毛が柔らかくて、悪くはない」

「でしょう? ではもう一度目を瞑ってください。ルサードを枕にして、私が語る神話を聞いているうちに、きっとアーキル様は眠ってしまわれますよ」



 ランプの魔人であることを疑われないように、私は努めて堂々と背筋を伸ばして微笑んだ。


 実を言うと、いつもルサードを枕にして眠っているのはこの私だ。フサフサで柔らかい白い毛に包まれながら、ルサードが語るアザリムの神話を聞いて毎晩床についている。

 アーキルの前では隠しているが、白獅子に姿を変えたルサードは人間の言葉を話すことができる。ルサードの語る神話は耳ざわりが良くて、まるで子守歌のように私を夢の世界へと誘ってくれる。


 そして何よりも、この白くてフワフワした毛に包まれていると癒されて自然と眠くなるのだ。アーキルにもその心地よさを味わってもらおう。眠れないなんて言わせない。



「神話、か」

「ええ、アザリムとナセルがまだ一つの大国だった頃のお話をしましょう」



 私がルサードのしっぽを撫でながらそう言うと、アーキルの表情がわずかに曇った。



「……もしかして神話はお嫌いでしたか?」

「そんなことはない。神話と言うと、神だの魔人だのが出て来るのか?」

「神は登場しますが……魔人は出てこないですね」


(私のことをランプの魔人だと勘違いするだけあって、アーキルは魔人がお好きみたい。おかしな趣味ね)


 アーキルは私の言葉に「分かった」と頷くと、もう一度ルサードのお腹に頭をのせて目を閉じた。瑠璃色の瞳にばかり目がいって気付かなかったのだが、彼のまつ毛はとても長くて、目を閉じた姿はまるで神話に出て来る神のように美しい。



「……どうした? 早く始めてくれ」

「あっ、失礼しました。眠たくなったら何も言わず眠って下さって大丈夫ですよ」

「もしも俺が眠れなかったら?」

「その時は責任を取って、私はすぐに魔法のランプの中に退散しますね」

「それは困る」



 せっかく上手く逃げられると思ったのに、やっぱりダメだった。この男は何が何でも私を利用し尽くすつもりらしい。


 目を閉じたまま、アーキルは軽い笑みを浮かべた。

 しかし、これから眠ろうかというのに、なぜかアーキルの笑みは引きつっていて、体にも力が入って強張っている。

 まるで何かに怯えているような様子にも思えた。


(眠れるのかどうか、そんなに不安なのかしら……でも大丈夫。ルサードのモフモフ毛に包まれて、眠くならない人なんていないはずよ)


 アーキルにどんな呪いがかけられているのかは知らない。でも、ルサードは何と言っても魔法の国ナセルで生まれた不思議な力を持つ白獅子なのだ。ルサードの力があれば、アーキルを眠らせることくらい容易いはずである。


 私が神話を語るのは、アーキルが眠れなかった時のための予防線だ。

 気になる場面で語りをやめて、「続きはまた明日!」とでも言っておこう。そうすればアーキルは物語の先が気になって、簡単に私やお父様の命を奪えなくなるはずだ。


 ルサードに目配せをして、私はアーキルに向かって口を開いた。





 昔々、この場所にはアザルヤードという大きな国がありました。

 北にはアザルヤード山脈、南にはナーサミーン山脈。ナーサミーンの山からは魔石がたくさん採れました。その魔石を使った魔道具は、アザルヤード全土にいきわたっていました。


 ナーサミーン山脈のずっとずっと南にある海は、海神バハルによって治められていました。海神バハルは陸に憧れていました。ナーサミーンの山々を眺めては、あの山の向こうには何があるのだろう、向こう側に行ってみたいと考えていました。


 そんな海神バハルの心につけ入ったのが、風神のハヤルでした。

 ハヤルも陸に憧れていましたが、いくら陸に向かって飛んでも毎度ナーサミーンの山々に邪魔されて、山の向こう側に行けないのです。


 ナーサミーンの山々の向こう側には、きっと貴重な宝が眠っているに違いない。その宝を独り占めするために、ナーサミーンが我々の邪魔をしているのだ。

 そう考えた風神ハヤルは、海神バハルに言いました。



『共に陸に上がり、ナーサミーンの山を崩して向こう側へ行こう』



 海神バハルはその申し出を喜びました。一度で良いから陸に上がってみたいと、ずっと思っていたからです。しかし、バハルには心配の種もありました。



『ナーサミーンの山には、山神ルサドが住んでいると聞く。山を崩せば、ルサドの怒りを買うのではないだろうか』



 しかし風神ハヤルはどうしても山の向こうの宝を手に入れたいと思っていましたから、必死で海神バハルを説得しました。

 やがて根負けした海神バハルは、風神ハヤルと共に陸を攻め、ナーサミーンの山々を削ることに決めました。


 ハヤルは全ての力を使って、ナーサミーンの山に大風を吹きつけました。バハルはハヤルの風を利用して波を高く荒げ、山に向かって高波を打ち付けました。


 山神ルサドは風神と海神に怒りましたが、自分だけでは二神に敵う力は持ち合わせていません。あっと言う間にナーサミーンの山々は削られ、高くそびえ立っていた山頂は崩れて砂になり、山の向こう側にその砂が溜まっていきました。



『もう少しだ、海神バハルよ。もっと山を削れば、我々は山の向こう側に行ける。宝を手にすることができる』



 風神ハヤルが勝利を確信したその時、力尽きた山神ルサドの向こう側から、すさまじい咆哮が響いて来ました。

 そのあまりの大きさと崇高さに、風神ハヤルと海神バハルは思わず動きを止めて陸の方を眺めました。


 すると、削られて砂になったナーサミーンの山の向こうから、巨大な白獅子が現れたのです。山を一足で跨げるほどの大きなその白獅子は、太陽の光を反射して輝く白いたてがみに雄々しくて立派な尾、そして瑠璃色の瞳を持っていました。


 白獅子はもう一度空に向かって雄叫びを上げた後、海神と風神に向かって言いました――




(……)


(…………寝た?)


 神話を語る私の側で両目を閉じたアーキルから、規則正しい呼吸音が聞こえて来る。試しに話すのを止めてみても、気付いて目を開ける様子もない。


(これは、眠っているわね?)


 ルサードはしっぽでアーキルの胸をポンポンと軽く叩きながら、大きく口を開けて欠伸をしている。



「ルサード。アーキル様は寝てる?」

『……ああ、眠ったようだ』

「良かったぁ……さすがモフモフの力! ねえ、今のうちに逃げられないかな?」

『俺は今、枕にされているんだぞ。俺が動けば、皇子は気付いて目を覚ますだろう。それにこのまま逃げては、ハイヤート家もただではすまん』

「それもそうだけど……元はと言えばルサードがこんなところに来るからいけないのよ! 貴方が散歩にさえ出なければ、こんなことにはならなかったのに」

『……静かに、リズワナ』



 ルサードは鼻をひくつかせながら、天幕の入口の方に顔を向けた。天幕の周りは静寂に包まれている。

 あまりの夜風の冷たさに、つい先ほど天幕の入口を閉めたばかりだったのだが、ルサードはじっとその入口の方を見つめている。


(誰かが、いるの?)


 天幕の外側の物音に耳を澄ませ、私もルサードと同じ方向を見つめてみる。

 するとルサードが感じたのと同じであろう違和感を、私もすぐに感じ取った。


 夜風と虫の鳴き声に混じって、砂が踏みつぶされるような微かな音が聞こえて来る。


 その瞬間、私は側にあったアーキルのサーベルを手に取って、天幕の外に飛び出していた。

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