第6話 人違いです!
「お前は――」
瑠璃の瞳を曇らせ、皇子は顔をしかめた。
「お前は、ランプの魔人なのか?」
「ラ、ランプの……え? はあっ!?」
思いも寄らない問いが飛んで来た。
ごく普通の人間に向かって「ランプの魔人」呼ばわりだなんて。
ふざけて言っているのかとも思ったが、目の前の皇子の表情はいたって真面目である。
「ランプの魔人って……? 私がですか?」
「宴の前に、商人ハイヤートが言っていた。俺のために世にも見事な贈り物を準備している、と。それがこのランプとお前のことか?」
床に転がったランプを指差し、皇子は顎を上げて偉そうに私を見下ろした。
どうやらこの冷徹皇子は何の変哲もないただのランプを、魔法のランプだと勘違いしているらしい。
魔法のランプと言えば、ナセルに伝わる昔話に出て来る魔道具の一つ。
ランプをこすると煙と共に中から魔人が現れ、主人の願いを三つだけ叶えてくれると言われている。
とても珍しい魔道具で、一生に一度出会えたら奇跡だというほどの代物だ。
(やっぱりジャマールも本物の魔法のランプは準備できなかったみたいね。それはそれで良かったんだけど……)
確かにさっきはランプの火が燃え移った絨毯から煙が出ていたから、まるで私がその煙と共に突然ランプの中から現れたように見えたかもしれない。
でも、それは魔人が現れた時の煙ではなくて、ただのボヤですから!
「あの、私は決して魔人などではなく……」
「ハイヤートもなかなかの仕事をしてくれたものだ。まさかこの俺に対して偽物は寄越すまい。もしも偽物のランプを貢いで来たら、首が一瞬で飛ぶことくらいよく分かっているだろうから」
「はい、もちろん本物です! 私は正真正銘のランプの魔人ですっ!」
私は木箱から降りて、皇子の前で丁寧にお辞儀をした。
皇子の天幕にこっそり忍び込んだ上にランプの魔人を名乗るなど、私はなんと馬鹿なことをしているのだろう。こんな簡単な嘘、一瞬でバレてしまうに決まっているのに。
もしもランプが偽物だとバレたら、お父様の首が飛ぶだけではおさまらない。最悪の場合、ハイヤート家は一家もろとも処刑されてしまうかもしれない。
皇子の方が勝手に面倒な勘違いをしたくせに、なぜ私たちがこんな目に合わなければならないのか。何だか腹立たしくて、無理矢理ひねり出した笑顔もひくひくと引きつってしまう。
(今は何時ごろかしら。この上ルサードまで見つかってしまったら大変なことになるわ)
「……にゃあん」
ああ、ルサードのことを思い出した途端これだ。
背後から私を呼んだルサードの声に振り向こうとすると、皇子は私の手首を力いっぱい掴んで止めた。
「あれは何だ」
「私の飼い猫でして……ちょっと手を放して頂いても?」
「あれが猫なものか。見ろ」
「え?」
煙を吐き出すために天幕の入口が開いていたのが、私の運の尽きだった。
ルサードのいる角度からはちょうど今宵の明るい月が見える。白くて小さいはずのルサードの体は、みるみるうちに巨大化していった。
白毛は月光を浴びて輝きながら、長く伸びて獅子のたてがみに変わっていく。
十も数え終わらないうちに、ルサードはすっかり逞しい
しかし皇子はルサードの姿に驚くこともなく、口の端を上げてニヤリと微笑んだ。
「なるほど。ランプの魔人は
「ああ……そ、そうですね。なにしろ私は本物のランプの魔人なので」
「ランプの魔人は、主人である俺の願いを三つ叶えてくれるんだろう?」
掴んだままの私の手首をぐいっと引かれ、鼻が触れてしまうのではないかというほどの至近距離に皇子の顔が迫る。彼の冷たい瑠璃色の両瞳の中に、私の姿が映しだされて揺れた。
「皇子様……」
「アーキルと呼べ。俺はアザリムの第一皇子、アーキル・アル=ラシードだ」
「アーキル様、ですね」
「様もいらん、アーキルと呼べ。それで、お前の名は?」
「私はリズワナと申します。そっちにいる
「リズワナに、ルサードか。よく聞け、ランプの魔人よ。早速一つ目の願いだ」
アーキルはやっと私の手首を放したかと思うと、側にあった寝台の上に私を座らせた。そして長衣を脱いで椅子にかけ、同じ寝台にゴロンと寝そべる。
「一つ目の願いは」
「……あの! 実は私、まだ新人研修中の魔人でして……願いは一つのみでお願いできませんか?」
「話が違う。今すぐハイヤートを連れて来い。首をはねてやる」
「いやいや! ごめんなさい! 願いは三つでいいです、頑張ります!」
(うぅ、誤魔化されなかったわ)
どうやらこの男の願いとやらを三つ叶えるまで、私は彼から解放されないみたいだ。地位も権力も財力も全て手にしている第一皇子が、一体私にどんな無茶な願いを吹っかけてくるのだろう。
私はルサードに助けを求めて視線を送ってみるが、獅子の姿になったルサードは、呑気に私の足元までやって来ておもむろに体を丸めた。
(ええい! とりあえずアーキルの願いを聞こうじゃないの!)
半ば自暴自棄になって私は、寝転んでくつろぐアーキルの方に向き直った。
「さあ、一つ目の願いをどうぞ!」
「実は、生まれてこの方まともに眠ったことがない。一度朝まで眠ってみたいのだ……お前にできるか?」
「え?」
(朝まで眠りたい……ですって?)
毎日部屋に引きこもって寝てばかりの私には、全く理解できない異次元の願いだった。そもそも人は、眠れずに生きていられるものだろうか?
「眠らないままずっとこれまで生きて来たのですか?」
「ああ、眠れないんだ。眠り薬を香に仕込んだところで、全て意味がない」
(お香に眠れる薬を……? ああ、だから私もルサードもあのお香の匂いであっさり眠ってしまったのね)
皇子が眠れるように天幕に準備してあったお香の力に、まんまと私たちの方が引っかかってしまったというわけだ。それさえなければ、きっと今頃ルサードを連れて屋敷に戻れていただろうに。
しかし今はそんなことよりも、皇子の体質の方が本題だ。
「……全く眠れないだなんて、私には想像がつきません。魔法や呪いの類でしょうか?」
「そうかもしれんな。だからナセルの魔道具が頼みの綱だった」
アーキルは目を閉じ、寝台の上で足を組んだ。
私のことをランプの魔人だと勘違いしているからか、皇子という立場のくせに随分と気安い。簡単に自分の弱みをペラペラと喋るのも、少々私に気を許し過ぎではないだろうか。
「……分かりました。上手くいくかどうかは分かりませんが、とりあえずやってみましょう」
「ほう、どうするのだ」
「まあ、お待ちください。ルサード、アーキルの枕になれるかしら?」
たてがみを撫でながら囁くと、ルサードはさも面倒くさそうに腰を上げた。私は寝台に敷布を広げ、ルサードをその上に座らせる。
そして驚いて目を見開いているアーキルの腕を引き、ルサードのお腹が枕になるようにもう一度彼を横たわらせる。
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