第4話 魔法のランプ
路地を引き返して市場まで戻ってきたはいいが、愛猫ルサードのことはすっかり見失ってしまっていた。
(
露店と露店の隙間にまで目を凝らしながら、バザールの人の流れの中をルサードの姿を探す。
先ほどの
ナセルで生まれたルサードも、そのあたりにいる普通の猫とは違う不思議な力を持っている。
昼間は普通の白猫だ。
しかし夜になって月を目にすると、ルサードは猫から
もちろんルサードの命ではなく、盗賊の方の。
太陽は既に傾きかけて、もうすぐ夕焼けが街を包む頃だ。市場の露店も店じまいの準備を始めている。
「あれ、ハイヤートのお嬢様じゃないですか?」
金物屋の店主の女性が、商品を片付けながら私の顔を覗き込んだ。
「え? ごめんなさい、どなただったかしら」
「女神ハワリーンの生まれ変わり、リズワナ様ですよね? やっと嫁ぎ先がお決まりになったとか。おめでとうございます!」
「嫁ぎ先? 私の?」
……何だっけ。
「ええっ? リズワナ様、嫁ぎ先が決まったんですか?」
「お相手は誰なんだい? え、ナセルの
「随分と年が離れた男に嫁ぐんだねぇ」
「ちょっと家格が合わないんじゃないのかい」
その辺の露店の店主たちがわらわらと集まって来て、次々と会話に参戦してくる。あっという間に私は周りを店主の奥様たちに囲まれてしまった。
「すみません。嫁ぎ先とは、一体何のことでしょうか?」
「え? まさかお聞きになっていないなんてことはないでしょう? ジャマールとか言うナセルの商人が、リズワナ様を妻に迎えると言って、浮かれながら仕入れに出て行きましたよ」
(……しまった! ルサードを探すことに必死になって、ジャマールのことをすっかり忘れていたわ!)
そう言えばお父様がジャマールに何か条件を出していた気がする。夕方までに何かを準備できたら、代金の代わりに私を娶りたいと言っていなかっただろうか。
彼がお父様の出した条件を満たさなければ、きっとこの縁談は立ち消えになる。何としても縁談は阻止しよう。年の離れた男の四番目の妻になんて、絶対になりたくない。昼間の二人の会話を思い出すのよ、リズワナ!
「何と言っていたっけ……あっ、そうだわ! 魔法のランプ!」
そうだそうだ、そうだった!
お父様とジャマールの言葉を思い出し、私はパンと両手を合わせた。
確かジャマールは、『魔法のランプなんて手に入れられるわけがない』と、お父様に掛け合っていた。お父様がジャマールに頼んだのは、ランプだ。しかも、ナセルとの交易でしか手に入らない珍しい魔法のランプ。
「奥様!」
私は初めに声をかけてきた露店の店主の手を取る。
「ジャマール様は、魔法のランプを仕入れに行ったのですか?」
「ええ、昼過ぎに仕入れに行くと言って出かけていくのを見ましたが……。魔法のランプなんて、一生に一度手に入るかどうかの代物です。見つかるわけがないよ!」
店主の女性はそう言ってガハハと笑った。
魔法のランプがなかなか見つからない品物だということは、私だって良く分かっている。問題は、その珍しい代物を万が一ジャマールが手に入れてしまった時のことだ。
彼はランプを手に入れたら、直接お父様の元に向かうだろう。そのお父様は今頃皇子たちをお迎えするために、必死で宴の準備をしているはずで……
(とりあえず、私も皇子の宴とやらに向かわなきゃ!)
「ありがとうございます。私はちょっと体が弱くて、持病の物忘れでご迷惑をおかけしました。ゲホゲホ」
「いえいえ、リズワナ様ならもっと良い相手がいらっしゃっただろうにねぇ……って、そんなこと言っては駄目だね。お幸せに!」
ジャマールのことはよく知らないが、今回の結婚に対する私の答えはノーだ。私はナジル・サーダに会って、前世のあの時の気持ちを伝えたい。
前世で強く思い残した気持ちを、いつか必ず彼に告白して区切りをつけたい。
そうじゃないと、私はいつまでも前世に捉われたまま、リズワナ・ハイヤートとして生きていくことができないから。
私は店主たちに手を振ると、市場を後にしてお父様の元に向かった。
◇
皇子たちの天幕は、バラシュの街の高台から見下ろせる場所に設けられていた。
万が一の刺客に備えて、背中側を崖に面した場所にしようと考えたのだろう。さすがにこの高さからでは、崖の上からの奇襲は不可能だ。
(でも残念だったわね。角度のないこんな崖だって、私みたいに軽々降りられちゃう人もいるんだから)
天幕を挟んだ向こう側では皆が焚火を囲み、まさに宴が始まろうとしているところのようだ。
料理や酒が次々に運ばれていく傍らには、着飾った女性たちが集まって騒いでいた。これでもかというほど宝石をジャラジャラ身に付けたザハラお姉様の姿も見える。
「……さてと、お父様とジャマールはどこかしら」
忙しそうに行き来する人たちの中で、一層派手な服装をしたお父様の姿はすぐに見つかった。魔法のランプを手に入れられたらジャマールは真っ先にお父様の元に向かうはずだ。しばらくこのままこの場所から見張っていよう。
崖の端に腰かけて両足をゆらゆらと揺らしながら、私はジャマールの登場を待った。魔法のランプなんて見つからなければいいのに……という気持ちが頭の中でぐるぐると回る。
私はお姉様と違って、皇子に取り入って
かと言って、このまま年の離れたジャマールの四人目の妻になることだって、心の底から勘弁願いたい。
ハイヤート家の四人目の妻だったお母様が亡くなってからというもの、私には家族と呼べる人がいなくなった。
側にいるのは、私を商売道具としか考えていないお父様に、私を目の敵にするお姉様たちだけ。嫌な思いをさせようなんていう気持ちは微塵もないのに、私の存在はお姉様たちにとって邪魔者でしかないらしい。
無条件に愛し、愛される。お父様やお姉様たちとも、そんな関係の家族になりたかった。しかし四番目の妻が生んだ娘が「家族の一員に入れて欲しい」だなんて、贅沢過ぎる願いなのだろうか?
前世で想い人から愛されなかった私は、「愛されたい」という気持ちが人一倍強いのかもしれない。
(ナジル・サーダに愛されたかった。今世こそ、自分の恋を叶えたいと思ってる。だけど……)
今世こそ生まれ変わったナジル・サーダと結ばれたいという私と、前世の恋に区切りをつけて新たにリズワナ・ハイヤートとしての人生を生きたい私。
前世から数百年が経った今、私は自分でもどうしたいのかよく分からなくなっている。
アディラ・シュルバジーとリズワナ・ハイヤート。どっちも私なのに、二つの人格の相反する感情が自分の中で次々に入れ替わる。
「……今そんなことを考えても仕方ないか。今世で生まれ変わったナジルに会えるかどうかも分からないんだし」
とりあえず、愛されないことが確実な四番目の妻は嫌だというのが結論。
私はため息をつきながらお父様から視線を逸らし、ふと天幕の方を眺めた。
すると、何やら白い塊が素早い動きで疾走していくのが目に入る。茂みから飛び出してきたその塊は天幕の間をすり抜けて、一番崖側に近い大きな天幕の中に飛び込んでいく。
(今の白い塊! あれってルサードじゃなかった?!)
私は思わずその場で立ち上がり、空を見上げた。
時はもう夕刻。そろそろ空には月が輝き始めるだろう。
こんな人の多い場所でルサードが月を見たらどうなるだろう?
白猫が突然狂暴なライオンの姿に変わってしまったら、皇子たちもその従者たちもきっと大騒ぎになってしまう。皇子を危険に晒した罪で、お父様の首だって一瞬のうちに飛ばされてしまうかもしれない。
「もう! だから今日は外に出ない方がいいと言ったのよ」
どこからか、シタールの響きが聴こえて来た。そろそろ宴が始まる。今のうちにルサードを連れてこの場を離れなければ。
(魔法のランプのことで頭がいっぱいだったのに、もうルサードったら!)
ルサードが駆け込んだ天幕目掛けて、私は崖の急斜面を伝って降りて行った。
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