第2話 四番目の妻はお断りです

 華奢で繊細な儚げ美女というのは、私が世を欺くための仮の姿。


 お父様もお姉様も知らないけれど、本当の私は自分でも驚くほどに怪力の持ち主で、おまけに剣術にも長けている。


 誰かに剣術を習ったこともなく、特別な訓練を受けたわけでもない。

 物心ついた時には既にこの力を身に付けていたのだから、女戦士アディラ・シュルバジーとしての前世の力をそのまま受け継いだとしか思えない。


 先ほどのように二階から飛び降りることなんて朝飯前。普通に生活していても、少し気を抜くとついつい持っている物を破壊してしまったりするほどの怪力の持ち主である。

 もしかして私は今世でも霊長類最強なんじゃないだろうか……なんて思うこともしばしば。


 しかし今世の私は、この力をひた隠しにして生きている。


 叶わない夢だと分かってはいるけれど、できることなら前世で愛したナジル・サーダにもう一度会いたい。もしも出会えたら、今度こそ彼の妻になりたい。

 前世では伝えられなかった私の気持ちを、今世こそきちんと彼に伝えたいのだ。


 私が前世の記憶を持ったまま生まれたのも、きっと前世で叶わなかった恋を叶えるためだと勝手に思っている。


 そのためには――前世の彼の婚約者がそうであったように――今世の私はか弱くて儚げ美人でいようと決めた。あたかも女神ハワリーンの生まれ変わりであるかのように自分を偽り、強さを隠してでも。


(……って、そんなことはさて置き、ルサードはどっちに行ったのかしら?)


 立ち上がって辺りを見回すと、ルサードはしっぽを振りながら建物の向こうの角を曲がっていくところだった。



「ルサード、待って!」



 ドレスの裾をまくり上げ、私は急いで追いかける。あの角を曲がられてしまえば、私はルサードを見失ってしまう。


 しかしルサードが曲がった角まで来ると、そこでお父様と見知らぬ男が二人で身を寄せて話をしているのが目に入った。私は二人に見つからないよう慌てて一歩うしろに下がると、壁の陰に身を隠す。


(わあ、危なかった。ドレスをたくし上げて全力で走るのを見られるところだったわ)


 胸に両手を当てて、音を立てないように細く息を吐く。


 私は華奢で繊細、か弱くて絶対に走ったりしない儚げ美人……そう何度も自分に言い聞かせながら、お父様たちに見つからないように背中を壁にぴったりと付けた。


 建物の向こうの方ではルサードの「みゃあん」という勝ち誇った声が聞こえる。

 私につかまらないよう、わざとお父様の近くに歩いて行ったんだ。あとでみっちりお説教をしなければいけない。


 私が側にいることに気付かないまま、お父様は低く小さな声で男に囁いた。



「……それで、手に入るのか?」

「いやぁ、ハイヤート様。さすがに今晩までに手に入れるのは難しいですよ」

「そこを何とか。我がハイヤート家の命運がかかっているのだ。二千スークは払うがどうだ」

「ううむ、探してはみますが……」



 むむっ! おかしな取引の相談でもしているのだろうか。

 壁の陰からそっと覗いてみると、ターバンとひげでほとんど顔の見えない初老の男が項垂れていた。


 その更に向こうの方で、ルサードは屋敷の塀に登り、その上をテテッと軽やかに走っていく。


(あの子、屋敷の外に出る気なのね)


 ルサードは豪商のお父様が買ってきた隣国ナセル産で、ここアザリムでは高値で取引される珍種の猫だ。誰かに捕まって売り飛ばされでもしたら大変なことになってしまう。


 お父様たちに見つからないようにルサードに近付くには、どうやら屋根を伝って行くしかなさそうだ。私は背にしていた壁のくぼみに手をかけて、一息に屋根の上までよじ登った。



「――今晩宴を催すんだが、これまでにないほど重要な客なんだよ。宴の後、客が天幕に戻られるまでには準備をしておきたい」

「今晩までだなんて、納期まであと半日しかないじゃないですか! いくら私でもなんて手に入れられるわけがない……ん?」



 お父様と話していた見知らぬ男は、困った顔のまま天を仰いだ。

 ……天を、仰いでしまった。


 屋根の上にいた私と、見知らぬ初老の男。

 私たちの視線はバッチリと合ってしまい、お互いにそのままの姿勢で固まった。



「……ハイヤート様」

「なんだ? 二千でダメなら三千スークでどうだろう。いや、言い値でいい。いくらが希望だ?」

「代金は結構です。もしも今晩までにご要望の魔法のランプをお持ちしたら……あの屋根の上にいらっしゃる女神ハワリーンを私の妻として頂けませんか」

「は? 屋根の上?」



 お父様は怪訝な顔で、男と同じ方向――つまり、屋根の上にいる私を見た。


 うう、何と言い訳したらいいのだろう。

 体が弱くて部屋に引きこもってばかりの娘が、屋根の上に一人で堂々と仁王立ちしているこの状況を。



「リ、リズワナ?」

「……はい、お父様。残念ながらリズワナです」

「お前、なぜそんなところに? どうやって登った?!」

「え? それはその……風が強かったので吹き飛ばされたのかも。ほら私、華奢で儚いので」



 ……ああ、失敗した。

 こんなおかしな言い訳が通じるわけがない。



「……なるほど。リズワナ、窓は不用意に開けるものではないぞ。お前は今晩から、このジャマールの妻となる大切な体だ」



 ほっ、何とかお父様を騙せたわ……って、私がこの男の妻に?!

 若く見積もっても私の三倍は生きていそうな初老の男は、私の顔を見上げて「うんうん」と頷いている。



「お父様! 私はとても体が弱いですし、それにまだ十八歳の若輩者ですし……」

「ああ、女神ハワリーンよ! うちには既に三人の妻がいる。若い貴女のこともきちんと指導してくれるはずだ。安心して嫁いできてくれ」

「ええっ? 私、四人目の妻なんですか……?」



 とんでもないことになった。

 愛する人と結ばれたいがゆえに、わざわざ華奢で儚くてか弱いフリをしながら十八年もひっそりと自分を隠して生きてきたのだ。

 それなのに、突然こんなおじいちゃんに嫁ぐことになるなんて絶対にお断りだ。


(とりあえず、この場から逃げよう)



「――あああっ! お父様、ジャマール様! あちらから竜巻が来ますっ!! 風神ハヤルがお怒りなんだわ!」



 私が大声で遠くを指差すと、お父様とジャマールはそれにつられて私に背中を向けた。


 さあ、今のうち。

 とりあえず逃げるわよ!


 私は屋根の上を全力で走り抜け、愛猫ルサードが向かった先――バラシュの街の方角へ急いだ。

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