今宵、満月は綺麗に死体を照らすでしょう( )

 ナナ・トゥデイの研究所ラボラトリー、地下室。


 滅多に吸わなくなったタバコを一本口に咥える。

 舌が痺れ、喉に入った煙でむせる。

 「久しく吸っていなかったな……」

 そう呟いたナナは、カタカタとキーボードを打ち鳴らして上に報告する為の書類を作成していた。

「“吉崎大。旧場広町樹海にて遭遇。場広町周辺の事を聴取すると、異常などないと供述。精神錯乱の可能性大”……」

 そこまで打って指が止まる。


 なぜ、吉崎という人間があの樹海の中に存在していたのか。

 その疑問だけが頭の中にこびりついて離れない。

「彼はアレを日常だと思って過ごしているのか?」

 タバコの煙を燻らせながら、パソコンに入力された文字の羅列を意味もなく眺める。


『連絡デス。“T.S.F特別機動隊”ほぼ壊滅的』 

 ピックアップトラックで聞こえた電子音声と同じ声が地下室から聞こえる。

「何だと?」

 何かの聞き間違いかと、思わず自分の耳を疑う。

繰り返リピートしマス。“T.S.F特別機動隊”ほぼ壊滅的。状況は不明デス』

「あの特機が、壊滅?」

 特別機動隊T.S.Fといえば、政府が秘密裏に組織するほどに求めた対異世界存在アンチファンタジー戦力の筈。


 それが足蹴にされているという事実に(やはり政府の犬は使い物にならねぇな)と鼻で笑いながらも、樹海の異常性に驚嘆していた。


『通知。件名“消息の途絶えた隊員の視覚データ”を受信しまシタ』

「何……?」

 パソコンの画面内の手紙のマークのアイコンに赤い丸が点灯する。

 宛先は不明。

 

 一体、誰が何のために……?

 送られてきた動画を再生してみる。


『やめろ!!やめろ!!』

 開始一番、響いてきたのは隊員の叫び。

 目の前の光景は全て黒。

 そこに突然の叫び声。

『なんだよお前!!ピエロみてえな格好しやがってよぉ!!』

 ピエロ……そんなのは

 あるのはただの黒。

『あああああああああっっっっっ!?!?!?殺す!!殺してやる!!お前を、お前を!!!!!!』

 間近から聞こえる絶叫。

 恐怖と殺意が入り混じる怒声。

 数回の破裂音。

 耳をつんざくほどの雑音は、断続的に続いていた。


 しばらくして、音が止まる。

 何も見えない黒の中で、声が聞こえる。

『クソっ、なんだよ。誰も、誰ものかよ』

 諦めがついたのか、寂しさを含んでいる。

『方位磁針にも見捨てられた、北斗七星にも見捨てられた。あるのはただの森だ。緑に覆い尽くされた世界の中に取り残された。俺はこれからなにを頼って生きていけばいい?』

 沈黙が流れる。


 ようやく聞こえてきたのは深いため息。

『……そうか、そうだよな。俺にはもう何も残されちゃあいない。あとは死ぬだけなんだよな』

(何かと喋っている……?)

『もういっそ、が殺してくれよ』

 しかし、画面は黒いまま。

『おお、神よmy god

 その言葉が溢れた時だった。

 一瞬、画面がブレる。

 暗い画面の中、現れたのは赤い線のアーチ。

 3つのアーチが形を成して、


 ———嗤っていた。

 子供が書いたような歪んだ笑顔。

 それが浮かび上がって、消えていく。

 たった一瞬の事だったが。

 その笑顔は悍ましいものだった。


 動画はそこで停止した。


「なんだ、コレは」

 いるはずのないピエロ。発狂して諦観。存在しない誰かとの会話。そして最後の笑顔。


「まるで安物のホラー映画だな」



 旧場広町樹海


 靄は自分の肉を食らっている。

 靄は血管のなかを回っている。

 靄は脳の中を噛み砕いている。

 靄は髄の上を駆け出している。

 靄は心臓を何度も貫いている。


 死が近づく恐怖と共に、言葉に表せない高揚感が体に満ち溢れていく。


 目の前に慄く、黒い鎧の男。

 鎧と言っても重厚な物ではなく、薄い板のようなものを貼り付けた身軽な装甲だった。

「お前は、怪物だ。お前は殺さなければいけない存在だ!!」

 そう言って手に持っている銃が火を噴く。

 弾丸が身体を貫くが、別にどうした事もない。

 通過するのみだ。肉は抉られないし骨まで穿たれる事もない。

「クソが!!効かねえのかよ!!この化け物が!!」


 何故だ。何故が怪物だと化け物だと罵られなければならない。

 お前達の方が圧倒的に怪物だというのに。

 他の獣にはない“物を使う”という能力をさも当然かのように扱い、同じ種である人間を虐め、嬲り、殺す。

 対して、我はただ世界の終末に現れただけだ。

 それも人間が引き起こした終末によって、だ。

 どちらが怪物なのかはもう明白だろう。

 

 本当に人間とは傲慢だ。たかが我の分岐点の端なる者であろうに、全ての獣の上に立とうとする。

 そして自分達の立場が危ぶまれたら、神に救いを求めを罵りあう。

 その上で正義を振り翳すとは、愚かな事極まりない。

 

 ああ、愚かだ。消そう。

「Frrrrrrrr……」

「ヒッ……」

 なに、痛くはない。そのままにしたまえよ。

 だけだ。

「Vraaaaaaaaa!!!!」

「ア、ア、ア、ア、ア、ア、ア、ア、ア、ア、ア………」


 靄は広がり、目の前の人間を呑み込む。

 苦痛もなく快楽もなく、ただ虚無の中へと消えていく。

 靄が再び人の形へと戻ってきた時は、何も残っていなかった。

 

 やはり、この肉は不味い。

 我の身体も元は愚かな人間のものだからか、拒絶を起こしている。

 我の依代は、愚かな人間でも特に愚かだ。

 死を覚悟して我の眠る地へと来た。

 狂っているという事に嫌気が差してこの地を訪れた。

 堕落の日々よりも死を選択した。

 まさか我の贄になるとは思っていなかっただろう。


 「rrrrrrrrrrrr……」

 人間は醜くて惨めだ。

 自分の中にいる獣を曝け出され、憤怒し、慄き、絶望する。

 しかしコイツは、

 声を上げて笑っていた。

 大したものだ。

 心優しいとか、守るべきものがあるとかコイツには何もない。頭も心も全てが空っぽだ。

 人に虐められても、嬲られても、殺されても何も思わない。

 空虚な思考で諦観する。 


 嗚呼、我らが主人イエスよ。

 嗚呼、我らが救世主ノアよ。

 創世されし貴殿らの子孫の果てが、貴殿らの救いし我らを傷つけ、穢そうとしている。

 我は原初の獣。その地位をもって、我は初めて貴殿らを弾劾する。

 我は厄災ではない。

 我は悪辣ではない。

 ただの獣の原点だ。

 大元の一であり祖なのだ。

 我の派生の中に人間という貴殿らがいる。

 

 ならば、我は貴殿らに請う。

 全ては万象を壊す人間への粛正の為に。

 どうか、我に人を蹂躙し得る力を。

 この依代と共に。

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