黒鉄の帝王、その邂逅

 移り変わっていく。

 暑いから寒い、楽しいから悲しいへと。

 中間の段階など挟む余地はなく、急激に移り変わっていく。

 そういうものだと受け入れる事は、僕には難しい。


 気がつけば海辺の崖の上にいた。よくサスペンスドラマで刑事が推理を披露する場所……としか思えない。

 でも別に推理をしようとしたい気持ちになるわけでは無いし、ならない。というかしたくない。

 ただ、茫然と灰色のフィルターがかかった景色を見るだけ。


 波涛。うねる白波が岩壁にぶつかる。

 烈風。悪魔の口笛が鳴り響く。

 上を見れば曇天、下を見れば……

 「……え?」

 そこで思考が放棄される。

 深かった。

 底が見えない程に、暗かった。

 

 目の前は海のはずなのに、真下は遥か遠く。

 おかしい。あまりにもおかしい。

 地理的に矛盾が起きている。

 ミシミシ軋む音が聞こえる。

 揺れる。崖の先が崩れていく。

 崩落は徐々に大きくなる。

 まずい。そう思った時にはすでに遅かった。

 逃げようと足を踏み出した場所が崩れ落ちる。

 

 あ、死んだ。ずるりと足が滑る。掴もうにも指先を引っ掛ける事も出来ずに空を掴んでしまっていた。

 もう自由落下に身を任せるしかない。

 何も出来ずにただ落ちていく。

 走馬灯が頭の中に駆け巡る。


 巡ったフィルムは全てまっさらだった。

 (なんだよ、走馬灯すらないのかよ)

 落ちる速度が速くなる。

 暗い中に。底が見えてくる。

 もう激突する。


 死ぬ———


 そこで目を開けた。

 ビクリと身体を跳ねさせて起き上がる。

 硬いマットレスの上で跳ねたからか、身体が所々痛い。

 

 そこは、薄暗い地下室だった。

 辺りになんらかの部品が大量に散らばっている。

「……起きたのか」

 冷たい声の先にスタイルの良い女性が作業台らしき場所に立っていた。

 ガチャガチャと音を立てて、何かを組み立てている。

 「いくら動かしてもピクリとしなかったから、本当に死んだのかと思ったぞ」

 黒いエナメルスーツを身に纏った女性が静かに歩み寄ってくる。

 

「あ、アナタは…誰ですか」

「私か?私はナナ。ナナ・トゥデイ」

「な、ナナさん…?」


 すると、鼻先に大型のショットガンが突きつけられる。

「気安くナナと呼ぶな、撃つぞ」

 仏頂面で引き金に指を入れている。

 ゾワリと悪寒が背筋を走る。

「す、すみませ…ん……」

 身体を縮ませて謝る。

「分かったなら良し、私の事はトゥデイ……そうだな、キョウと呼べ」

 雑な偽名ですねとは当然言える訳がなく。

 ただ身体が震えている。

 

 ナナ・トゥデイ——もといキョウさんは、黒い髪を乱雑に後ろで束ねている。

 顔立ちは整っているが、たばこの煙と鋭い目つきのせいで視線が綺麗な顔までいかない。


 その目は、彼の心を貫くほどの鋭さであった。

 そして彼はふとある事を思い出す。


「ここは、どこですか」

「ここか?私のラボラトリーだ」

「ラボラトリー……」

「そうだ、研究室だ」

 普通にラボと言えなんて言える訳がなく。

「どうして、ここに僕が…?」

「そりゃあ、からな」

 唐突な衝撃発言に絶句する。

「吉崎大。2003年の4月25日生まれ。ストレス性精神疾患持ち。異性とは上手く関われず、そのまま精神を病んで不登校。好物は焼き鳥のぼんじり、軟骨の唐揚げ。趣味はSNS徘徊とネットゲーム……」

「な、なんで知って……?」

「インターネットさえあれば簡単に購入履歴や使用時間は辿れる。お前の身辺情報ぐらいは余裕だ」

 即答であった。

「あなたは一体……」

「だからナナ・トゥデイ。電子の海を潜るハッカーであり、メカニックであり、傭兵でもある。そして【黒鉄帝王シュワルツカイゼル】のパイロットだ」

 手に持っていたショットガンで肩をトントンと叩くキョウさん。

 突然の情報量に頭が追いつかない。

 ハッカーで、研究者、メカニックに傭兵。

 どれか一つに絞れよ。

 そもそもなんだ、シュワルツカイゼルって。


「憶えていないのか?お前と戦ったあのロボット」

 そう言われて、頭の中を巡らせる。

 確かに何か黒い何かと激突した様な気がする。

 だけども、どうしてかその時の記憶が澱んでいる。

 霞がかかったかの様にはっきりとは覚えていない。

 それなのに、その黒い何かを殴ったことは鮮明に覚えていた。

 

 俯いて首を傾げていると、ナ——キョウさんは小さなため息をついた。

「そうか、もある訳だしな、仕方がない」

 小声で呟く言葉が聞こえる。

 取り込まれていたとはどういう意味なのか、理解はできないがとりあえず聞き流した。

 キョウさんは何歩か移動してシャッターの下りている壁の元へと近づいた。

 

 その壁の近くに付いているテンキーを4回押す。

(5…1…4…0……0415を逆さにした感じ、誕生日なんだろうか)

 そんな事を考えていると、ゴゥンとシャッターが昇りだす。

 徐々に現れて来たのは、ボロボロになった黒鉄の鎧。

 (これが、あの時の……)


 重装甲でありながら機動性にも優れたボディ。

 無駄な武装を削り落としたシンプルな形。

 ステルスを高める為に塗装された漆黒。

 

 それがガレージの中に佇んでいた。

 

 黒の帝王シュワルツカイゼルの名を冠する鋼鉄の鎧は鎮座していた。所々の破損はロボットアームが修繕している最中である。

 傷ついても尚、その姿は堂々としている。

 帝王の名は、伊達じゃない。

 

「それで、何故お前はあの樹海にいた?」

 キョウさんにその一言を言われた途端、身体が凍った。

「樹海に覆われた町の中で生存者はお前一人。他は皆、森の養分だ」

 唖然とした。

 

 町が樹海?

 森の養分?

 何故だ?

「何も、おかしいところなんてないですよ」

 そう呟くと、ピクリとキョウさんの顔がかすかに動く。

「あれを見ておかしくないだって?」

 正気なのか?と言いながら、いくつかの資料を手繰り寄せるキョウさん。

「これを見ても、おかしくないと言えるのか?」

 キョウさんが差し出したのはカラー写真。

 辺り一面が自然の緑で覆われているのだが、その中に虚ろな表情を貼り付けた人間が囚われていた。

 肌は青白く、力なくただぶら下がっている。

 腐食しているものまである。

 見ていて吐きそうになる醜悪さ。

 それが一つだけじゃなく、幾つも。

「これは……?」

「それはかつて場広町だった場所だ」

 場広町。その単語に再び硬直する。

 人口約4万人という町にしては規模が大きいのだが、

 その町が樹海になっている。

「場広ってうちの町ですよね……」


 その状況に驚きを隠せずにいた吉崎だが、

 彼の口から漏れた言葉は意外なモノだった。


じゃないですか」

「……は?」

 キョウさんは口をポカンと開けたまま僕の方を見ている。


「いつも通り…?」

「だって、みんなですし。ほら、これなんか?」

 そう言って、写真を掴み上げる。

 取り上げられた一枚の中には、胴体を木の枝に貫かれ、内臓が飛び出した少女が写っている。

 その表情はよく分からないものの、笑っているなどとはとても言えるものではなかった。

 (何かが、おかしい) 


「お前……何が見えている?」

 全く……何言ってるんですか。キョウさんの質問に僕は笑顔で答える。

「ただのに決まってるじゃないですか」


 その答えに納得がいってないのか、キョウさんは僕の胸ぐらを掴み上げる。

「何が日常だ!!青木ヶ原みたいに死体が転がった樹海が普通とでも言うのか!?家は原形すら留めていない、生存者はお前だけ。それが普通な訳があるか!!」

 激しい怒号が降りかかる。

「お前の視て、感じている普通は全て異常だ!!」

 頭の中で何かがプチンと切れた音がする。

「さっきから、何を言ってるんですか!?死体死体って、町の人達の事を死んでると思ってるんですか!?」

 胸ぐらを掴まれている手を振り外す。

「もういいです。帰ります」

 そう言って僕は走っていく。

 

「クソッ、逃げるな!!」

 キョウさんの怒号が響き渡る。


 僕は無我夢中で走る。

 頭の中には真っ先に町の事が思い浮かぶ。

 帰ろう。僕はここにいるべきじゃない。

 冷たい床の上を素足で走る。


「応答しろ、T.S.F!!こちらナナ・トゥデイ。被験体Aが脱走!!繰り返す、被験体Aが脱走!!」


 僕は悔しかった。

 あるがままの日常を否定された事が。

 いつも通りを歪まされた事が。

 殴りたくなった。

 殺したくなった。

 砕きたくなった。

 壊したくなった。

 あらゆる暴力を以って僕は、僕の日常を守らなければならない。

 さもないと、僕の、僕たちの生命いのちが脅かされる。

 

「おい、待て——」

 

 そして、吉崎大はこの地下室から


——とある面談記録インタビュー

ナナ・トゥデイ。


「あれは、正真正銘の認識異常だった。確かに写真は死体だったし、樹海で撮ったものだ。それを日常って言うのは……な。正直イカれてる」


「もし、あの樹海に精神的な異常をもたらすものがあるとしたらあまり立ち入る事は勧めないかな」


「それこそ、富士の樹海に似たような、いや同じものがある。何かを引き寄せるような引力が存在している」


「しかし彼が逃げる時に興味深いデータがあった」


「彼が逃げる際、溶け出した。ただ溶けるだけでは私のアジトからは出られないはずなんだ。実際そうだった」


「だが、彼は溶けたあと道を辿って自力で出口から出ていったよ」


「おかしいだろ?


「入り口と出口は同じ、それは分かってる。だがその時の彼は意識がなかった。つまり入り口の場所を知っているのは実質私だけ」


「一体、どうやって出たのだろうな」

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