下心つきのスナック菓子とパン
けろけろ
第1話 下心つきのスナック菓子とパン
公園のベンチに、パジャマ姿と裸足の女性が座っていた。ニコニコしつつスナック菓子を一袋持って。ガサガサと袋に手を突っ込み、一つ摘んでは目の前の池に投げている。そして、それをついばむ渡り鳥たち。
なんだか、やけに異様な光景だった。少なくとも、俺はパジャマと裸足で外出しない。もしかしたら、ちょっとおかしい人なんだろうか。
そうも思ったのだが、彼女の瞳に浮かぶ知的な色が、それを否定させる。
では何故、パジャマと裸足でこんなところに居るのか。少し興味が湧いてきた。
彼女の隣のベンチに腰を掛ける。俺は、彼女を観察してみることにしたのだ。いわゆるマンウォッチングというヤツだ。題して『パジャマ裸足女性の謎を追え!』――いや、別に題さなくても良いのだが。そこはそれ、自分を盛り上げる為である。
彼女は、まだスナック菓子を投げ続けていた。相変わらず、ニコニコと。
俺は煙草に火をつけた。ここに座っているのが自然という雰囲気を出す、小道具みたいなものだ。今の俺は、どこから見ても暇そうなお兄さん。これなら安心してマンウォッチング出来る。
俺の見立てによると、彼女は二十代前半。腰まで長く伸ばした黒髪が、そよそよと揺れている。肌は異様なほど白くてかなりの瘦せ型。スナック菓子は自分で食べたほうが良さそうだ。
十分ほど経った。どうやら、スナック菓子が無くなったらしい。彼女は投げる動作をやめ、渡り鳥を眺めている。俺も一緒に、そいつらを見た。
はしっこい奴、どんくさい奴。
力でねじ伏せる奴、ねじ伏せられる奴。
渡り鳥の世界も厳しいらしい。
その時、ふと視線を感じた。彼女だ。彼女はやはりニコニコしたまま、俺に向かって軽く会釈する。俺も会釈を返す。鳥好きの暇そうなお兄さん、とでも思ったのであろう。そのせいか彼女が話し掛けてきた。
「ね、少し、お話しませんか?」
「あ、あぁ、別に構わないけど」
正直なところ、俺はかなりビビッていた。公園でパジャマに裸足の二十代女性、という存在は結構ミステリアスだ。できれば観察だけに留めたかった。
そう思っている俺に、彼女は語り掛けてくる。
「私、両親いなくて。叔父さんの家にお世話になってる身分なのに、病気になっちゃったの」
「あ、そ、そうなのか。大変だな」
いきなりハードそうな身の上話が始まった。やっぱりコイツは変なヤツだ。
「今日ね、叔父さんの話、偶然聞いちゃったの。あいつ結構頑張るなって。そろそろ負担になってきたなって」
思わず彼女の顔を見る。ニコニコと、まるで他人事を話すように、彼女は続けた。
「入院すれば、毎日毎日、お金掛かっちゃうもんねー。だから私、色々刺さってた針とチューブ外して、薬もやめたの。そしたらすぐに死ねるかと思ったんだけど、そうもいかないねぇ」
もしかしたら、これは悪質な冗談か。それとも、ただ精神を病んでいるだけなのかもしれない。でも彼女の瞳は知的――俺は少々混乱したが、会話だけは続けた。
「その話が本当なら、病院を脱け出してきたのか?」
「そうそう。だって、病院って外に出してくださいって言っても出してくれないし、もう治療は要りませんって言ってもしてくれちゃうじゃない?」
相変わらず彼女はニコニコ笑っている。しかもどこか他人事だ。なので俺は、それが真実だと思えなかった。『パジャマ裸足女性の謎を追え!』というタイトルに相応しい展開だ。
(よーし、面白くなって来たぞ!)
それから俺たちは、他愛ない話をした。俺の頑固親父の事、口うるさいけど優しいお袋の事。会社の愚痴、大切な友人、今ハマってるスポーツ。
彼女はよく笑う子だった。どうやら、このニコニコ顔は地顔なのかもしれない。
「あー、すごく楽しかったーっ!」
そう言った途端、彼女が少し咳込んだ。げほげほと苦しそうなので、売店でジュース、ついでに昼時だからパンを一つ買って来てやる。
「あーおいし。たくさん話したから、ノド渇いちゃってたんだ」
ごくごくと飲み干す姿が、やけに眩しい気がした。俺はなぜか目を逸らしてしまい、ついでに出したのがパン。
「これ、昼飯にしな」
「あー、パンだ。ね、お腹すいてないから、渡り鳥にあげていいかなぁ?」
「なんだ食わないの? じゃあ俺が食うよ」
そう言って、彼女からパンを取り上げようとすると、彼女は寂しそうな表情を浮かべた。
「……渡り鳥にあげちゃだめかなぁ?」
彼女はパンを両手で抱えて、上目遣いに俺を見る。なので俺は諦めた。
「わかったよ。わかった。渡り鳥にあげていいよ」
やったぁ、と、小さくガッツポーズをする彼女。さっそく封を開け、細かく千切って投げている。
(なんていうか、この子は可愛いな)
俺は純粋にそう思った。得体のしれない相手だけど、少なくとも悪い子じゃなさそうというか。
「……渡り鳥、好きなの?」
「うん、好きだなぁ。まぁエサを上げるのには下心もあるんだけど」
「お前は渡り鳥に対して、下心を持ってるのか?」
思わず、クスッと笑ってしまう。
「あっ、変な意味じゃないよ、下心といっても」
「変な意味じゃない下心って、あるのか?」
「……うーん、わかんない!」
よく判らないまま、今度は二人でアハハと笑った。
「……ふう、楽しかった。でも、そろそろ解散しよっか」
気がつけば夕方。まだ夕焼けには早いが、良い子はお家に帰る時間である。
「そうか? じゃあタクシー停めてくるよ」
何せ彼女はパジャマと裸足なのだ。タクシーにでも乗せてやれば、目立たず帰れるだろう。
「いや、いいよ。私はもう少しだけ、ここに居るから」
「なに言ってんだよ。じゃあ、俺もここに居るよ」
「えーっ、それは困ったなぁ、どうしよう」
やっぱりワケありか、と俺は思う。
「で、なに? 家出でもしたの? それとも、オトコから逃げてきたとか?」
「やだぁ。もう忘れちゃったの? さっき話したじゃない」
「は?」
「だから、病院から脱け出したんだってば」
「おいおい、あの話はマジかよ」
俺は取り急ぎ、携帯電話で救急車を呼んだ。
「いやぁ、もういいのに」
「いいわけないだろっ! で、入院してる病院は?」
「びょういん……協和第三病院だけど……」
それは俺も掛かった事がある、比較的大きな総合病院だ。
「あそこなら近い。救急車、もうすぐ来るからな!」
「えーっ? 実は、そろそろ死ねそうな気がするんだけどなぁ」
「おい、なんだよ! なんか症状が出てるのかっ!?」
「うーん、なんかさっきから、苦しいし、痛いし……」
(嘘だろう!?)
俺は言葉が出なかった。ニコニコしてるから、全然わからないんだよコイツ。
「ごめんね、さっき知り会ったばかりなのに、いきなり大迷惑掛けちゃったみたいで」
「いや、大丈夫。それより、気をしっかり持って頑張れ!」
「はぁ、あなたに迷惑掛けたくなかったから、先に帰ってもらおうかと思ったんだけども」
どういう気の遣いかただ、それは。
「ホントなら、話し掛けなければ良かったのかもなぁ。でも、誰かに聞いて欲しかったっていうか」
「あーもう! 話し掛けてくれて嬉しかったってば。逆ナンなんて生まれて初めてだったし!」
「逆ナンかぁ……あー、なんかくるしー……、は、は、は……」
こんな時まで、ニコニコと。「苦しいなら笑うな」と言おうとして止めた。きっとコイツは、こういうヤツなんだろう。それは、今日一日コイツと話していて感じたことだ。
ぜえ、ぜえと彼女の荒い息が続く。
「今日はどうもありがとね。久しぶりに、すごく楽しかった……あっちの世界へのお土産だぁ」
「おい、変なこと言うなよ。だから救急車が来るって。来れば大丈夫だって」
彼女はハァ、と深呼吸して、空を見上げた。彼女の目に映る、茜色の空と雲。小さな影が、すっと横切る。それは渡り鳥。そういえば、もうすぐ渡りの季節だ。その為の練習でもしているのだろうか。
「渡り鳥に連れて行ってもらいたいんだよねぇ。今日は夕焼けが綺麗だし、空が気持ち良さそうだぁ」
死と生の境は難しすぎた。少なくとも、俺には判らなかった。ただ、ニコニコ顔の彼女が、一瞬苦しそうに眉を寄せた後、静かな笑顔になったのを覚えている。あれが死の瞬間だったのなら、なかなか根性があるヤツだと思った。
「下心つきのスナック菓子と、俺のパンで。連れて行ってもらえそうかい?」
彼女に尋ねたが返事は無い。渡り鳥も飛ばなかった。そうそう上手くは行かないようだ。そのせいか、まだ彼女の魂が傍にいる気がした。
それからしばらくして救急車が到着。最期を看取った俺も救急車に同乗する。彼女に聞いた病院を告げて。
そうして、駆けつけた親戚の奴らには、叔父の言葉で死に急いだと言ってやった。彼女の最期を話してやった。ゲンコツで殴られるより、こっちの方が痛いと思ったからだ。
ちなみに、ゲンコツは、家に帰ってから俺自身に使用した。頬が痛かった。
唐突に身の上話を始めた彼女。変なんじゃない、彼女には時間が無かったのだ。パジャマで裸足だったのは、そのまま病院を抜け出してきたから。それを『パジャマ裸足女性の謎を追え!』なんて面白がっていた自分。本気で聞いてやれば良かったのに。最期のニコニコ笑顔を思い出して、心も痛かった。痛いから涙が出てきた。
彼女は死に場所を決めていた。俺は、そこに居合わせただけ。ある意味傍観者で、彼女の死自体と俺は関係ない。
彼女は弱かった。強いようで弱かった。叔父さんに、コノヤロウって言えば良かったんだ。病気になりたくてなったんじゃないやって、大声で叫べば良かったんだ。
でも、彼女はそれをしなかった。死を選んだ。近いうちにやってくる、でもまだ少しだけ遠くにある死を、自分の意思で引き寄せた。
弱さと、優しさと。明日をも知れぬ病の中で、苦しみからの開放を願った彼女を責める事は出来ない。
でも俺には激情と言っていい感情が浮かんだ。怒りなのか悲しみなのか、自分の心なのに判らない。だから、じっと耐えた。
それから数日。
あの時の激情は少し落ち着いて、今ではしっとりとした気分になっている。
俺は今日も空を見上げた。よく考えれば名前も知らない彼女を思い出しているのだ。
そこで、ふと思いつく。もうすぐ始まる、本格的な渡りの季節。スナック菓子一袋と、パン一個で、彼女は連れていってもらえるだろうか。
(……なんだか、すごーく不安になってきたぞ)
俺は勢い良く立ち上がる。
(よし、今日は公園に出掛けてみるか。俺からも頼んでやるから、お前もしっかり渡り鳥に乗っとけよな)
俺から彼女へ、線香の代わりに。両手で抱えるほどいっぱい、下心つきのスナック菓子とパン。
俺達らしくていいだろ?
下心つきのスナック菓子とパン けろけろ @suwakichi
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