40.九尾亭

 イリーナに紹介してもらった宿【九尾亭】は、割とすぐに見つかった。

 名前の通り、狐の尻尾をモチーフにしたシンボルが描かれた看板の建物があり、冒険者ギルドから歩いて5分くらいの距離だ。

 見つけてくれたのは、勿論セルメリアだけどね。

 当初は冒険者ギルドの用事が済んだら村を散策する予定だったけど、人間の僕が不用意に村をうろつくのは住民である獣人達の気分を害してしまうかもしれないと思い、まっすぐ宿に行くことにしたのだ。

 宿の近くまで来ると、何となく良い匂いがしてくる。夕食の仕込みでもしているのかな?

 僕は扉を開けて、九尾亭に入った。

 カランカランと、鐘の音が宿に響く。


「いらっしゃーい」


 鐘の音を聴いて、狐型獣人の女性がやって来た。

 その女性はスラッとしていて、顔付きはイリーナによく似ていた。


「あら、冒険者さん?」

「はい、そうです。イリーナさんの紹介で来ました」

「イリーナの?私が妹のリアーナよ。よろしくね」


 リアーナはニコッと笑って言った。

 イリーナはミステリアスな雰囲気だったのに対し、リアーナははつらつとした印象だ。

 接客業っていうのはあると思うけど、ニコニコとして愛想の良い感じがする。

 双子の姉妹であっても、全然印象が違うよね。


「よろしくお願いします。今日から宿泊できますかね?」

「大丈夫よ。何泊していく予定かしら?」


 僕は何泊していくか考える。

 今のところ、モロッカにどれだけ滞在するかは明確に決まってないんだよなぁ。


「特に決まっていなくて……。しばらく連泊しても良いですか?」

「今は部屋も空いてるし、それでも良いわよ。出る時は早めに教えてちょうだいね」

「分かりました」

「じゃあ、うちに泊まる際のルールを教えるわね」


 そうして、リアーナは宿の料金やルールについて教えてくれた。

 宿泊料金は部屋によりけりだが、僕は一人部屋にしたので一泊で銀貨1枚。

 ドミトリータイプの相部屋もあって料金は安いのだが、知らない人と一緒の部屋で過ごすのは気が引けるし、精霊達と自由に会話できないのが嫌で一人部屋を選んだ。

 お金は頑張って稼げば良い。アテンシャの冒険者ギルドで稼いだ分もあるしね。

 宿泊料金は、毎日都度精算してほしいとのこと。

 九尾亭では、1階にある食堂で朝・夕と食事を提供していて、それぞれ銅貨3枚で食べることができるそうだ。リアーナの旦那さんが料理人をしているらしいよ。

 お風呂は無くて、トイレは共用。

 追加料金を払えば、水浴び用のお湯やタオルを準備してくれるし、洗濯もしてくれるそうだ。

 お湯は魔法を使えば自分で準備できるし、洗濯もセルメリアがしてくれているから問題ないかな。

 食事もセルメリアが作ってくれるけど、たまには食堂を利用したいと思っている。

 リアーナの説明が終わると、僕は本日分の宿泊料金を支払って部屋に案内してもらった。


「ここがエトさんに使ってもらう部屋よ」


 僕が宿泊する部屋は、3階の角部屋だ。

 リアーナが扉を開けてくれて、中に入る。

 部屋は6畳くらいのワンルームで、ベッド一台と机と椅子が1セット置かれていた。

 小さめだが窓もある。

 全体的にシンプルな部屋だ。


「これが部屋の鍵よ。無くさないでね」

「ありがとうございます」


 リアーナから、部屋の鍵を受け取る。

 鉄製の小さな鍵だ。


「鍵は自分で持っていても良いし、出かける時に預けてくれても良いわよ」

「分かりました」

「私や夫は、基本的に1階にいるわ。姿が見えなかったら呼び鈴を鳴らしてね。それじゃ、夕食の仕込みがあるから何かあったら言ってね!」


 そう言うと、リアーナは足早に部屋を出て1階に戻っていった。

 僕はとりあえず、ベッドに腰掛ける。

 すると、セルメリアがパタパタ飛び回りながら部屋を物色し始めた。


「安っぽい部屋ですね。布団もペラペラですし。これで銀貨1枚ですか」


 セルメリアはややしかめっ面で言った。

 お姑さんみたいなこと言うんじゃないよ。


「別に良いんじゃない?個室なだけありがたいよ」

「エト様は甘いですね」

「そうかなぁ……?」


 野宿するよりはマシだし、個室なだけありがたいけどなぁ。

 部屋も思ったよりは広いし。

 年季は入っているけど、手入れはちゃんとされてるみたいだし。


「私が後でちゃんと整えますからね!」

「よろしく頼むけど、やりすぎないようにしてね……」


 セルメリアは目をギラギラとさせている。お世話係魂に火をつけてしまったようだ。

 部屋を掃除したり布団を交換したりする分には問題無いだろうが、変にDIY的な改造だけはしないでほしいかな。セルメリアだったらやりかねない気がする。

 こうなったらどうすることもできないので、最低限の声掛けだけしておいて、後はお任せしておこう。

 僕はベッドに横になる。

 セルメリアの言う通り、布団は薄くてベッドの硬い感触が伝わってくるけど、気にしない。

 考え事をしようと思って、目を閉じた。

 明日から、獣人族の人たちとどうやって関わっていこうか……。




 ……パッと、目が覚めた。

 いつの間にか居眠りしてたみたい。

 少しうとうとしながら起き上がり窓の方を見ると、外は夕暮れを過ぎて暗くなろうとしていた。

 結構居眠りしていたらしい。

 ただ部屋の中は明るい。きっとセルメリアが魔法で明かるくしてくれているのだろう。

 部屋の中を見渡すと……。


「おぅ……」


 多少年季が入って古びた感じのする部屋が、新築同様とはいかないけど、ピッカピカに磨き上げられていた。

 机や椅子も綺麗になっていて、気持ち良さそうなクッションが置いてある。

 適当に床に置いた僕の荷物も、床に直接触れないよう小さめの絨毯が敷かれていた。

 布団の感触も寝る前と違うなぁと思い見てみると、いつものフカフカの布団に変わっていた。

 僕が寝ている間に、セルメリアが部屋を整えていてくれたようだ。


「あっ、エト様。お目覚めですか」


 セルメリアが僕が起きたのに気づいた。

 彼女は自分よりも大きいバケツや雑巾を魔法で浮かべて、部屋のドアを磨いていた。


「また凄い仕上がりだね……」

「エト様のご忠告通り、やり過ぎないようにしましたよ」

「十分やり過ぎだと思うけどね……。うん、ありがとう……」


 セルメリアは自信満々に言っている。

 僕は半ば諦めて、彼女の頑張りに感謝することにした。

 現実逃避というやつです。

 この部屋見たら、リアーナ驚くだろうなぁ……。

 僕がどう言い訳しようか考えていると、セルメリアは紅茶を持ってきてくれる。


「お目覚めにどうぞ」

「ありがとうね。結構寝てたみたいだから、起こしてくれても良かったのに」

「起きてて動かれると掃除が進みませんから。私としては助かりましたけど」

「………」


 紅茶を差し出しながら、セルメリアは言った。

 これって絶対、かなりオブラートに包んで『お前邪魔だから』って言われてるよね?

 うん、深く考えないようにしよう。


「もう夜ですが、夕食はどうされますか?すぐに準備できますよ」

「あっ、うん、いただくよ。お腹空いちゃった」


 そう言うと、セルメリアは机の上にテーブルクロスを敷いてお皿を並べていく。

 そこにパンやサラダ、野菜のスープを盛り付けて夕食の準備をしてくれた。

 いつも思うけど、いつこういう食事を準備しているのかな?

 セルメリアに聞くと、「アテンシャから出る前に教会で準備しました」って。流石です。

 僕は紅茶の入ったティーカップを持って椅子に座り、準備してくれた夕食をいただく。


「いただきます」

「ごゆっくりどうぞ」


 素材の味を生かしたシンプルな味付けの料理だ。

 寝起きっていうのもあるけど、何だかホッとする。

 セルメリアは、こういう時間帯とか状況に合わせて料理を出してくれるから、本当にありがたい。

 夕食を終えると、特に急ぎでやることも無いので魔法の訓練をしながら過ごした。

 長い居眠りをしてしまったせいで、夜はなかなか眠たくならなくて困ったよね。

 

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