30.森の主フェンリルと、森の守護精霊

 洞穴の中に、凛とした声が響く。

 そして、しばしの静寂。

 フェンリルは、僕を睨みつけたまま視線を外さない。


「癒しに来た、だと……?」

「はい。貴方を、瘴気から解放します」


 フェンリルは立ち上がった。想像より大きく、更に威圧感が増した。

 そして全身の毛を逆立て、殺気を強くする。


「ふざけるな!!貴様に何ができる!!」


 怒号と共に、フェンリルの口から炎が放たれた。

 赤く激しい炎が僕達に迫り来る。

 僕は慌てず、水魔法でセルメリアと魔狼も囲むように壁を作った。

 しばらく壁の周りを炎が通り過ぎて収まるが、炎を受けても無傷な様子の僕達を見て、フェンリルの怒りは加速していく。


「くそ、忌々しい!!八つ裂きにしてくれるわ!!」


 そう叫び、フェンリルは鋭い爪を立てて迫ってきた。

 体が大きいし、凄い迫力だ。

 僕は高くジャンプして攻撃を交わし、杖を持つ手に力を入れる。


「あんまりこういうことはしたくないけど……、ごめんね!」


 僕は杖を大きく振り上げて、フェンリルの脳天に叩きつけた。


「グガァッ!!!」


 鈍い音と共に、フェンリルは地面に倒れこんだ。全身ピクピクと痙攣している。

 しまった、やり過ぎたか。

 僕は倒れて痙攣しているフェンリルに駆け寄り、杖で叩いた箇所を触ると、ちょっとコブができていた。本当にごめんなさい。

 頭の中で謝罪しつつ、気絶したフェンリルに聖魔法を施す準備をする。

 

(どうかフェンリルさんの瘴気を生み出した苦しみと、そして叩いた痛みも消えますように)


 フェンリルが嘆き悲しみから、そして瘴気の穢れから解放されますように。

 先程叩いてしまった痛みと傷も癒えますように。

 申し訳なさと共に、体内から溢れてくる魔力をフェンリルに向けて解き放つ。


「痛いの痛いの、飛んでいけ〜」


 金色の光が弾け、フェンリルを優しく包み込んだ。

 そしてキラキラと辺りを舞う光が、瘴気を溶かして消していく。

 程なくして、洞穴に満ちていた瘴気は消え、フェンリルも瘴気の穢れから解放された。




   ☆★☆★☆




「まさか、こんな小童こわっぱに助けられるとはな」


 フェンリルが言った。

 瘴気から解放されたフェンリルは、すっかり穏やかな感じになった。

 今は洞穴から出て、洞穴前の開けた場所でのんびりと座り込んでいる。昼はとうに過ぎているが、まだ明るい日差しが心地良い。

 そよそよと吹いている風が、フェンリルの銀色の毛並みを揺らして太陽の光で煌めいている。

 まさに、絵にも描けない何とやらだ。


「いやぁ、無事癒すことができて良かったです」

「魔狼一族の頂点に立つものとして失格だ。攻撃はことごとく防がれ、おまけに一撃で気を失うとは」

「それは大変失礼致しました……」

「何、褒めておるのだ。悔しいがな」


 痛みや傷も癒したとはいえ、いまだに攻撃してしまったことを反省している僕です。

 魔法で閉じ込めようにも素早過ぎてさ。咄嗟に躱した先に、ちょうど頭があったもので。

 フェンリルと話していると、威厳ある感じだけど意外と気さくな性格で助かった。


「それにしてもフェンリルさんは、なぜ瘴気に飲まれてしまったんですか?」

「あぁ、それはな……」


 つい気になって聞くと、フェンリルは過去の出来事を語ってくれた。

 フェンリルこの森の主のような存在であり、夫と子ども、そして魔狼達と群れを成して過ごしてきたそうだ。

 それがある日、森を探索していた冒険者達に襲われたと。

 普段なら負けるような相手ではなかったが、不意を突かれて傷を負い、夫や子どもは討伐されてしまった。群れの魔狼達も、半数以上が討伐されてしまったそうだ。

 愛する家族と大切な仲間を失ったフェンリルは、棲み家である洞穴に引きこもり、日々増していく憎悪や嘆き悲しみがいつの間にか瘴気となり、生き残った仲間や森をも蝕んでいったようだ。

 フェンリルは遠くを見つめながら、その時のことを思い出すように静かに語った。その顔は、とても寂しそうだった。


「そんなことが、あったんですか……」

「時が経ち過ぎて、もういつのことだったかも覚えておらぬわ」

「嫌なことを思い出させてしまいましたよね……」

「良い。我も仲間のことも、お主が救ってくれたではないか」


 同じく瘴気から解放された魔狼達は、じゃれ合って遊んでいる。

 最初に出会った魔狼も、嬉しそうにしているよ。

 魔物って怖いイメージしかなかったけど、こんな穏やかな魔物もいるんだね。

 瘴気って、魔物にとっても悪影響なんだな。


「人間のこと、まだ恨んでますよね?」

「それはそうだな」

「ですよね……」

「そうは言っても、我ら魔物とて人間を襲うし、餌として狩ることもある。お互い様でもあるだろうよ。被害を受けた者からすれば、簡単に割り切れるものではないがな」

「姿形は違っても、繋がる部分はあるんですね」

「そうだ。だが、全てがそうとは限らんぞ。我のように上位種の魔物は高い知能を持っているが、低級の魔物にはそういうものが無いからな」


 そうは言っても、魔物も人間も生きるために争っている。

 魔物は、人間を餌として。

 人間は、魔物を素材や食糧として。

 普段は別々に暮らしていても、お互いに脅かされることがあれば、それぞれの生活を守るために必死になる。

 実際に目の前にいるフェンリルや魔狼達も、家族や仲間を失ったことを嘆き悲しむし、自分達の命や生活を守りたいと思っている。それは、人間も同じだ。

 それぞれ似ている部分はある。とはいえ、全ての感覚や感性が同じだとは限らない。人間には理性があるけど、大抵の魔物は野生的だろうし。瘴気によって凶暴化・凶悪化しているケースもある。

 うーん、考える程に答えの出ない問いに嵌っていってしまう。もどかしいな。


「エト、難しく考えるでない。魔物は魔物、人間は人間だ。そして我は我であり、エトはエトだ」

「哲学的なことを仰いますね……」

「ふん、悩みたければ好きに悩めば良い。それがお主ということだ」


 手厳しいフェンリルだ。

 ちなみにフェンリルのステータスを見た時、年齢は【245歳】と表示されていた。お婆……じゃなくて、お姉様じゃないか。長く生きているだけあって、言葉に重みがありますね。


「人間と魔物って、仲良くできたりするんですかね?」

「それは無理だ。似た部分があったとて、根本的に違い過ぎる。それに我は、そもそも人間と仲良くしたいとは思わぬ」

「そうですか……」

「お主がそうしたいと思うなら、勝手にすれば良い。だが、望まむ者を無理矢理巻き込むな」

「かしこまりました……」


 だんだんお説教のようになってきた。

 いや、僕が割とロマンチストで甘ちゃんなのは分かっているよ。だって、こうやって話してると仲良くできそうとか思うじゃん?そりゃ、フェンリルが人語が分かるっていうのは大きいけど。

 まぁ、それも僕ということなのだろう。まだよく分からないけど。


「精霊よ、お主も大変よな。こんな小童が主人では」

「大変ですけれど、そうでもございませんよ」

「情が移ったか?」

「フェンリル様も一緒に過ごしていれば分かるかもしれませんよ。エト様は面白いお方ですから」


 フェンリルにはセルメリアがちゃんと見えているようだ。何やらお話しているよ。

 すると、どこからともなく声が聞こえてきた。


「お〜い、やっと見つけたよ〜」


 幼い男の子の声がする。

 どこだどこだとキョロキョロしていると、顔に何か飛び付いてきた。


「うぎゃっ!!」

「やっと見つけた〜。ありがとうね〜」

「うわ、こら、ちょっと、離して!」

「あ、ごめんごめん〜」


 顔から離れたのを見てみれば、セルメリアと同じくらいの大きさの幼児だった。

 羽をパタパタさせているから、精霊だろうか?


「お主か、どこに隠れておった?」

「えへへ〜、瘴気で動けなくなっちゃってさ〜。やっと出てこれたよ〜」


 フェンリルと幼児は知り合いのようだ。


「あの、どちら様で?」

「僕〜?僕はね〜、クマリットっていうの〜。この森の守護精霊だよ〜。よろしくね〜」

「ク、クマリット様ですか」


 この幼児、クマリット様は守護精霊なのか。

 アテンシャ様といい、クマリット様といい、守護精霊は皆んな幼児みたいな見た目なのか?

 可愛くて癒されるけどさ。


「君の聖魔法のおかげで、瘴気が無くなって出てこれたよ〜。久しぶりにお外に出れて嬉しいな〜」

「そ、そうですか。それは良かったです」


 見た目も話し方も幼児過ぎて、何か気が抜けてしまう。


「フェンリルもごめんね〜」

「いや、我のせいでもある。申し訳ない」

「ありがとう〜。フェンリルは優しいよね〜」


 クマリット様はキャッキャしながらフェンリルの背中でコロコロしている。

 可愛いねぇ。

 森の守護精霊と森の主、そりゃ知り合いだよね。

 昔からよく遊んでもらっているらしいよ。


「瘴気も無くなったし、この森はもう大丈夫だね〜」

「お主のおかげだ」

「いえいえ、そういえばクマリット様の祠?家?はどこにありますか?」


 そう言うと、クマリット様は悩み出す。

 頭を指でくりくりしているよ。


「僕のお家〜、どこだったっけな〜?」

「え?そんなことあります?」

「だって〜、寂しいからいつも森の皆んなと遊んでもらってて〜、お家に帰ることがないんだよ〜」


 守護精霊なのにそれで良いのか?アテンシャ様以上に自由な精霊だな。

 セルメリア曰く、精霊ってそもそもは結構自由な存在らしい。自然の中とか見えない場所で気ままに生きている、みたいな感じ。精霊王や大精霊みたいに、真面目で使命感のある精霊の方が少ないそうだ。


「仕方ない、我が案内しよう」

「フェンリルさん、クマリット様の家を知ってるですか?」

「長くこの森で生きているからな」

「わ〜い、ありがと〜」

「連れて行くから、我の背に乗れ」


 そうしてフェンリルの逞しく気持ち良い背中に乗せてもらい、クマリット様の家に向かった。

 魔狼達も、楽しそうに付いてきてたよ。

 ただ、めちゃくちゃ速くて怖かった。高速で木々を抜けていく様子は、絶叫マシンに乗ってる気分だったよ。




 クマリット様の家というから森の奥深くを予想していたが、何とびっくり、林道の脇に三角屋根の小さな石造りの祠があった。しかも、森の出入り口付近っていうね。

 フェンリルに乗せてもらって移動したら、小一時間くらいで着いた。

 林道だし出入り口付近だから冒険者等の通行人と鉢合わせしないか心配だったけど、運良く誰もいなかった。フェンリルや魔狼達は、人間が近付いてきたら気配や匂いで分かるから、いざとなったら隠れるって。

 そしてこの祠、森の向こう側の出入り口付近にも同じものがあるらしい。

 しかし祠は手入れされておらず、背の高い草木に隠れてかなり見えにくくなっていたから全然気が付かなかった。なので、軽く手入れして通行した人達にも見えるようにしておいた。

 最後はちゃんと手を合わせてお祈りもしたよ。


「わ〜い、綺麗になった〜」

「これでここを通る人達が、お祈りしてくれると良いですね」

「うん!そしたら僕、頑張るよ〜」


 クマリット様は綺麗になった祠を見て、嬉しそうにくるくる飛び回っている。

 良かった良かった。


「では、色々済んだことですし、日も暮れてしまうので街に帰りますね」

「え〜、もう帰っちゃうの〜?」

「僕にも帰る場所がありますからねぇ」

「クマリット、我儘を言うな」


 フェンリルがクマリット様を嗜めている。

 これはもう完全に保護者と子どもだよね。結構お似合いだよ。

 嗜められたクマリット様は、頬をぷくっと膨らませている。可愛い。


「またアテンシャから隣の街に行く時に通りますから」

「そうなんだ〜、それじゃあ楽しみにしてるね〜」

「毎日、クマリット様のことも考えてお祈りしますよ」

「えへへ〜、嬉しいな〜」


 そう、何だかんだ近い内にこの森には来ることになるんだよね。

 それが街を発つ時か、はたまた依頼でかは分からないけど。


「フェンリルさんも、魔狼さん達も、ありがとうございました」

「うむ」

「「「ガウッ!」」」


 フェンリルも魔狼達も、元気に応えてくれる。

 するとフェンリルが、ずいっと顔を寄せてきた。


「お主さえ良ければ、契約してやろうか?」

「契約、ですか?」

魔物使いテイマーが行う従魔契約だな。お主になら付いて行くし、共に戦ってやるぞ。魔狼達も喜んで付いていくだろう」


 フェンリルはニヤッと笑った。

 魔狼達も、尻尾を振ってこちらを見ている。可愛いな!!

 気持ちは凄く嬉しい。ただ、うーん……。


「お気持ちは凄く嬉しいんですけど、契約はできませんね」

「ほぅ、我はその辺の人間共より強いぞ?」

「一緒に旅ができるのは嬉しいですけど、僕は争いごとは好きじゃないですし、例えフェンリルさんでも巻き込みたくありません。不要な争いはしてほしくないですし」

「我も舐められたものだな」

「そんなつもりではないですけど……。じゃあ、これからも仲良くしてください。お友達になりましょう。それに、フェンリルさんや魔狼さん達が森からいなくなったら、クマリット様も寂しいでしょうし」

「お主は本当におかしな奴だな」


 フェンリルは大きな声で笑った。

 声が響くからびっくりしたよ。魔狼達もちょっと驚いたようだ。


「この我を友とするか。愚かな人間なら我が力を欲し、従えるために必死になるものだがな」

「僕は、別に従ってほしいとか思わないですし」

「欲の無い奴め。いや、我にはよく分からぬおかしな願望は持っておったな」

「あはは……」


 まぁ僕は、既にこのフェンリルより強い力を持ってますからね。

 それにこの魔物達を従えたいとは思えない。その関係は何か違う気がする。ペットっていう感じでもないし。

 それなら、仲良くのんびり戯れてた方が嬉しいよ。個人的には、【友達】という関係性が一番しっくりくる。

 僕の返答に、フェンリルは呆れた様子だ。


「お主がそう言うなら、別のものをやろう」


 そう言うとフェンリルは、突然僕の額に鼻先を押し付ける。

 すると、僕とフェンリルの間に何かが繋がったような感覚がした。何か温かい、心地良いもので満たされる感じがする。


「あの、これは?」

「我々魔狼一族との友情の証だ。今後どこへ行こうとも、全ての魔狼の一族はお主を友として歓迎し、お主が望めば力を貸そう。【友】としてな」

「「「ガウッ!ガウッ!」」」

「……ありがとうございます。ファンリルさんも、魔狼さん達も、困った時は頼ってくださいね。僕もお手伝いできることがあれば嬉しいです」

「うむ」


 もう、泣きそうになるじゃないか。僕こういうのに弱いんだからね!

 でも恥ずかしいから我慢して、笑顔で応える。

 話し込んでいたらすっかり日が落ちてきて、夕方になってしまった。

 そろそろ帰らないと、父やミケーネが心配しているかもしれない。


「では、またお会いしましょう」

「街まで送ってやろうか?」

「いや、街の人がびっくりしちゃうので遠慮致します」

「何だ、つまらんな」

「うふふ〜、じゃあね〜」


 そう言って笑い合い、森を後にした。

 初依頼で薬草採取するだけの予定だったのに、色々あって少し疲れてしまったよ。

 でも街へと向かう足取りは、とても軽く感じたかな。

 のんびり歩きたかったけど、早くしないと夜になるから途中から慌てて走ったけどね。

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