04.少年エトの記憶②〜呪われた子〜

 何となく違和感は感じていたが、村に不穏な空気が流れるようになった。

 僕が9歳になる、夏頃のことだ。


 どうも数年前から作物の実りが悪くなってきているらしい。

 村には、毎年交易に出したり商人に売っても十分な麦や野菜を収穫できる広大な畑があるのだが、ここ数年収穫量が減ってきているそうだ。

 交易に出す作物を減らさぬよう、村で消費する分は備蓄を少しずつ削っているとのこと。


 クルトアは辺境の地にあるため、近隣の村や街へ行くにも、数日かけて山や森を越えなければならない。

 元々外部との交易が盛んな方ではなく、頻繁に商人が訪れる村でもない。

 ただ外部から得られる物資は、村にとって貴重なものが多く、大事な機会を逃すことは躊躇われる。

 そのため、交易品となる作物の不作が続くと、村にとって死活問題なのだ。


 そんな状態のため、村の大人達は少しピリピリしている。

 畑は大人達全員で共同管理されているため、皆が状況を理解している。

 子ども達も、そんな大人の様子を感じ取って表情が硬い子が増えてきていた。



 村に不穏な空気が流れて半年が経つ頃、追い討ちがかかる。


 山や森に住む魔物が凶暴化し、頻繁に人を襲うようになったと報告が入った。

 村や街を繋ぐ道の途中に、被害が発生していると言う。

 魔物の被害の影響か、商人の訪問や交易が減りつつある。


 村人達も、狩りや採取で山や森へ入りに行きにくくなった。

 時に凶暴化した魔物は人里へ降りてきて、人や家畜を襲う。

 村から山や森は離れているが、村の警戒体制が強くなった。

 大人達は平静を装うようにしているが、日に日に不穏な空気が強くなる。


 村は集落が大木の柵で囲まれており、柵の外側に広大な畑がある。

 昼間、集落の外に出て遊んでいた子ども達は、集落の外に出れなくなった。

 バラバラに畑作業をしていた大人達も、数人で固まって行動するようになる。

 村人達の不安や不満が募っていく…。



 そして季節は冬になる。

 普段あまり降らない雪が、その年は大雪になった。

 冬の間、完全に交易や商人の足は途絶えてしまう。

 何とか備蓄で食い凌ぎ、村人同士で協力し暖を取った。



 何とか冬を耐え凌ぐが、今度は春になってもなかなか雪が溶けない。

 夏前になっても気温が上がらず、作物の育ちが悪い。

 例年以上の不作に、村人達は混乱していた。

 村での食料を確保すれば、交易品として出せる余裕は無くなってしまった。


 そこで村人達は、村長へ近隣の村や街に助けを求めるよう懇願した。

 村長は村人達を集め、集会を開き今後の方針を立てる。

 村の中で、剣が使える男達を集め、数人で山を越えた一番近い街へ行かせた。


 しかし、男達はなかなか村に帰ってこない…。

 ついに帰ってきた男達は、人数が減り、皆怪我をしていた。

 行きは良かったものの、帰る途中で魔物と遭遇し、何とか逃げてきたと。

 戻らなかった男の家族は、泣き崩れた。


 村の緊張はどんどん高まっていく。

 備蓄はまだあるが、このまま不作が続き切り崩していけば、冬が越せない世帯が出る可能性があった。

 村長も村人達も、また近隣の街へ助けを求めに行くか迷っている。

 しかし、魔物に襲われる危険性のあるなか、積極的に志願する者はいない。

 危険な道を通り、わざわざやって来る商人もいない。

 緊張は、絶望へ変わっていく。



 そしてついに、恐れていたことが起きた。

 村の近くに、魔物が近づいてきたのだ。


 いつも通り警戒しながら畑作業をしていた村人が、狼の魔物が数匹いるのを目撃したそうだ。

 急いで合図を出し合い、集落に逃げてきたと言う。

 村長は青ざめ、村人達も顔を曇らせていく。


「ついに村の近くまで、魔物が降りてきてしまったか…」


 誰かが、呟いた。

 滅多に人里には降りてこない魔物が目撃されたということは、更なる凶暴化や大量発生の可能性が高い。


「なぜじゃ…、なぜこんなに災いが続くのじゃ…」


 村長が頭を抱える。

 作物が不作になることはあるし、魔物が発生することもある。

 しかし、ここ数年の出来事は異常過ぎるのだ。

 村の歴史でも、ここまで災いが重なり、事態が悪化したことはなかった。


「……神様が怒っているんだわ」


 沈黙のなかでポツリと、中年女性が呟いた。

 その場にいる全員が、彼女に注目する。


「……神様が怒っているのよ!この村に!」


 女が見る見る血相を変えて大声で喚き出した。


「そうよ!きっとそうだわ!神様がお怒りなのよ!誰!?誰なの、神様を怒らせたのは!!皆で助け合って暮らしてきたのに!!何でこんなことになったのよ!!誰のせいなのよ!!死んだ息子を返してよ!!もうこんな生活こりごりだわ!!私は平和に暮らしたいの!!悪いことした奴らは早くこの村から出てってちょうだい!!!」


 怒り狂った女は、その場にしゃがみ込んで泣き崩れた。

 彼女の息子は、以前近隣の街へ行って戻らなかった男の一人だった。

 泣き喚く女に、夫が寄り添い家に連れ帰る。

 残された村人達の間に、しばし沈黙が流れる。


「……なぁ、誰だよ……?」


 一人の男が、沈黙を破った。

 そして、その一言を皮切りに、村人達のこれまでの不満が爆発する。


「どうしてこんなことになったの!?」

「村で生きてきて、こんなこと初めてだよ!」

「誰だ、村に災いを呼び込んだのは!?」

「神様、お願いですから助けてください!!」


 村人達が思い思いに叫ぶ。

 頭を抱える者、地面にしゃがみ込む者、救済を願う者、泣き叫ぶ者…。

 村の広場は混沌としていた。

 その様子を見ていた子ども達は、広場の端に身を寄せて怯えている。


 逃げ出したくても、集落の外は危険が伴う。

 いつ助けが来るかも分からない。そもそも助けが来る可能性も低い。

 どうにか策を練りたいが、今の村はそんなことができるような状態ではなかった。


 僕も、父と共に広場の隅で混沌とした様子を眺めていた。

 恐怖で固まっていた僕の手を、父が握る。

「帰るぞ」と呟いて、広場から離れようとする。

 僕も父の言葉に何とか足を動かし、手を引かれるままに付いていく。


「なぁ、あいつじゃないか?」


 突然、若い男の声が響いた。

 喧騒に満ちていた広場が、静まり返る。

 父と僕が声の方を振り返ると、男が僕を指差していた。


「あいつの手の変な模様がはっきりした頃からだよな、収穫が減ったの」


 広場の全員が僕に注目し、こそこそと話しだす。

 微かに、話していることが聞こえてくる。


「あの模様って、特別な力があるとか何とか言ってなかった?」

「何さ、特別な力って?」

「あの子、特に魔法とか使ったりしてないわよね?」

「特別な力を持って生まれてきたって、もしかして…」


 向けられる数々の嫌な視線に、身体中が鳥肌が立ってくる。

 ここにいてはいけないと、子どもながら本能的に危険を察知する。


「エトって、呪われてるんじゃない?」

「特別な力って、まさか呪いの力ってこと?」

「呪いの力が、村に不幸を呼び込んだ…?」

「呪われた子が村に生まれて、神様が怒ったんじゃ…?」


 【呪われた子】

 パズルのピースが合わさるように、村人達の意見が一致していく。

 不安や不満に囚われた村人達の犯人探しの心理が、僕に集中する。

 これまでの災いが、僕によって引き起こされたものだと、村人達が無理やり結論づけていく。

 目の前で繰り広げられる出来事に、より一層の恐怖を感じ父の手を握る力が強くなる。


「…ふざけるな!!」


 父が、怒鳴った。

 広場が、突然の怒鳴り声に静まる。


「お前ら、いい加減にしろ!村の不幸を嘆くのは構わん!だが、エトに勝手に責任を擦りつけるのは許さねぇ!!エトがお前らに何をした!!いい歳した大人どもがこぞって子どもを標的にしやがって!!お前ら全員、頭冷やしてこい!!!」


 鋭い目つきになった父の怒鳴る声が、広場中に響き渡る。

 こんなに怒る父を初めて見た。

 自分が怒られているわけじゃないのに、思わず硬直してしまう。


「行くぞ、エト」


 父に手を引かれ、沈黙が包む広場を出ていく。

 怖くて、後ろを振り返ることはできなかった。

 家に帰る道中、僕はずっと父の手を強く握っていた。

 同じく父も、僅かに震える手で僕の手を握ってくれていた。

 家までの道が、とても長く感じた。



 家に着いた僕は、玄関で呆然と突っ立っていた。

 村の広場での出来事が、頭の中で鮮明に繰り返される。


 【呪われた子】という言葉と共に向けられた、村人達の冷たい目線や憎悪。

 子どもの僕には、あまりにも衝撃的な出来事だった。

 頭の中が落ち着かず、ずっと混乱している。


 そんな僕を、父が力強く抱き寄せた。

 父の腕も、まだ少し震えている。


「…すまんな」


 いつもより覇気のない声で、父が言った。


「嫌な思いをさせちまったな。お前を守ってやれなかった。父親失格だな…」


 なぜ、父は僕に謝るのだろう。僕を庇ってくれたのに。

 ただ、父の抱擁と言葉で、少し落ち着いてきた。


「ううん。父さん、ありがとう。僕ね、あの時怖くてよく分からなかった。でも父さんが一緒にいてくれたから…、もう…、だ……だいじょうぶ…」


 安心したら、涙が出てきた。

 ぐちゃぐちゃになっていた気持ちが、溢れてきた。


「大丈夫だ。父さんが、今度はちゃんとお前を守ってやる」


 父の言葉が嬉しかった。

 父の肩に顔を埋めて、ひたすら泣いた。

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