01.聖者エト・ラグフォラス
「エト様、瘴気がどんどん濃くなっていますね」
「うん、近そうだね」
薄暗い森を歩いている。
鬱蒼とした森の中、黒い霧のようなものが立ち込めている。
そして歩みを進めるほど、黒い霧は濃くなっていき、視界を妨げる。
この黒い霧は、【瘴気】と呼ばれるものだ。
「ここまで濃いのも久しぶりだね」
「人里から離れていますからね。気付かれなかったのでしょうか」
濃い瘴気の中を進んでいく、二つの影。
「帰ったら、教会に定期的な派遣要請しなくちゃね」
「そうですね。この様子だと、何年も放置されていたようですし」
「近くの村の人達にも来てほしいよね」
「では、村にも寄らないといけませんね」
「ちょっと面倒くさいな……」
「エト様、それも貴方の大事なお役割です」
エト様、と呼ばれるこの青年。
藍色の髪を後ろで縛り、すらっと背の高い黒目の青年。
はい、僕です。
エト・ラグフォラスと申します。
ただいま、お仕事?の真っ最中です。
「セルメリア、君が代わりに言ってくれればねぇ……」
「仕方ないです。私の声は、一般人には聞こえませんから」
セルメリアは、僕の周りをくるくる飛んでいる。
彼女は僕の相棒。
成人男性の掌くらいの大きさの精霊。薄透明の綺麗な羽をパタパタさせている。
僕にははっきり見える精霊の彼女は、一般人には見ることができない。
僕は歩き、セルメリアは宙を飛び、瘴気の濃くなる森を奥へ奥へと進む。
一般人なら、気を失うか、凶暴化する等悪影響を及ぼすレベルの瘴気が蔓延している。
本来は、教会に所属する聖職者が派遣されて浄化を行うのだが、この森は人里離れた場所にあり、ここ一帯の村や街には教会が存在していない。
誰にも気付かれないか、瘴気の発生に怯えて近付かれなかったか。
人々から、長い間放置され続けた結果だろう。
ではなぜ、僕がこんな危ない所にいるかって?
それが、僕の役割だからね。
瘴気を浄化する、聖なる力を与えられた僕の役割。
役割っていうと大層なものに聞こえるけど、まぁお仕事みたいなもんですよ。
「あっ、あそこですね」
セリメリアが指差す。
その先にあるのは、石造りの小さな祠。
手入れが行き届いておらず、今にも崩れそうだ。
その祠を中心に、どす黒い瘴気が放たれている。
僕は何となく、祠や瘴気から怒りを感じた。
「あ〜、こりゃ怒ってそうだね」
「エト様でしたら問題ないでしょう?」
「簡単に言ってくれるけどね、結構大変なんだよ?」
「大丈夫ですって。ほら、行きますよ」
躊躇する僕の背中を、セルメリアがグイグイ押してくる。
大した力じゃないから動かないけどさ。
気合いを入れるため、軽く深呼吸をして祠の前に進む。
そして、祠の前でしゃがみ込み、胸の前で手を合わせる。いわゆる合掌ってやつね。
「祠の主様、どうか怒りを鎮めてください」
祠の主が、怒りから解放されて喜ぶイメージをした。
すると、僕の体が少しずつ金色に輝きだす。
癒しの力を、聖なる力を、その身から放出する。
目の前にいる、怒りに苦しむ存在を癒すために。
そして、瘴気を放つ祠にそっと右手を添える。
「痛いの痛いの、飛んでいけ〜」
そう言うと、僕の身を纏っている金色の光が更に強く溢れ出す。
そして溢れ出した光が、花火のように弾けた。
キラキラと火花が散るように、辺り一面に金色の光が降り注ぐ。
金色の光にかき消されるように、瘴気がどんどん消えていく。
ほんの僅かな間に森の瘴気が消え去り、爽やかな風が吹き抜ける。
「さてさて主様、お加減如何でしょうか?」
僕は、すっかりと瘴気の消えた祠に座る存在に微笑みかける。
目の前の祠の上には、セルメリアと同じくらいの大きさの精霊が鎮座している。
長髪で華奢な女性の姿をした、淡く薄紫色に光る精霊。
「えっ……?あっ、ありがとうございます……」
声をかけられた彼女はハッとして、驚く顔で僕を見た。
そして、自分の手や体中を繁々と見る。
ふと、彼女の目から大粒の涙が零れた。
「あぁ…、なんてことなの……。体が軽いわ……。嬉しい……」
嗚咽も漏らす精霊を、僕とセルメリアは泣き止むまで静かに見守った。
☆★☆★☆
祠の精霊は、泣き止んでからはひたすら愚痴っていた。
「もう本当に!人間は!!精霊の存在をすぐに忘れてしまうのですから!!困ったものですわ!!!」
「あ〜…、本当に…、そうですね…。ミレイア様…」
彼女、祠の主の精霊であるミレイアは、捲し立てるように話している。
話して、話して、話して。
僕達のことを構わず、とにかく喋りまくっている。
話し方はとてもお上品なのだが、前世で見た大阪のおばちゃんのようだ。
早口で、圧が強い。
「私がどれだけ…、って。聞いておりますの、エト様!!私、とっても怒っておりますのよ!!」
「あ〜……。あっ、聞いてます聞いてます。はい、ちゃんと聞いておりますよ!」
僕は小一時間程、祠の前に座りただただ話を聞いていた。
もう途中から諦めて適当に相槌を打っていたが、それでも構わずミレイアは愚痴っていたのだ。
残念ながら、僕は長話に真剣に付き合えるほどの対人スキルを持ち合わせておりません。
辛抱して目の前に座っていただけでも、それなりに頑張っている方だと思う。
こういう状況は慣れているけれど。
「この森は、確かに人里から離れています。でも昔は、『この森の祠の精霊様は豊作のご利益がある』と言って、離れた村や街からでも沢山の人々がこの祠に来たものですわ。豊作祈願のために、教会から聖女が祈りを捧げに来たこともありましたの。でもここ数百年で、人々に忘れ去られてしまいました。田畑に使用する肥料が開発されたり、村や街の交易が盛んになって食料に困ることが無くなってきてしまいましたの。豊作祈願のために危険を犯してこの祠に来るよりも、人々は研究や交易に力を入れることを選んだのですわ。そしていつの間にか、人間は自分達の手で豊かさを手にすることができたと勘違いし、精霊の存在すらも忘れてしまいました。今ではご覧の通り、誰も来ることのない寂れた祠となってしまいました。そして私は力を失い、その怒りで瘴気を生んでしまったのですわね……」
ミレイアは興奮気味に話した。
けれど最後の方は、寂しそうに。
口元は笑っているが、目尻が下がっている。
「ミレイア様、寂しかったんですね」
僕は、そんなミレイアに語りかける。
ミレイアは、目を大きく見開いて僕を見た。
そして、苦笑いをして溜め息をつく。
「そうですわね、寂しかったのかもしれません。私、彼らを愛おしく思っていましたから」
ミレイアは祠の上から飛び立ち、僕の右肩に座った。
「愛していましたわ。でもそれは、決して祈りを捧げてくれたからとか、信仰心によるものからではありません。この祠に来て、祈願して、そして今度は豊作だったと笑顔で報告に来て祝いの宴をして。勿論不作の時もありましたけど、彼らは『次は良い報告ができるように頑張ります』と、健気に祈願に来ましたの。そんな彼らが、愛おしくて仕方ありませんでした。でももうずっと、この祠には来なくなってしまって、そして私の精霊としての力や存在がどんどん弱くなってしまって……。精霊として、情けないですわね」
ミレイアは、その胸中を打ち明けて苦笑した。
僕はそんな彼女を見て、そして祠を見る。
人の手が入った形跡の無い祠はすっかり朽ち果てて、その周囲には雑草が生い茂る。
木々や雑草に埋もれ、祠としての存在感を失っていた。
ミレイアはそんな場所でただ一人、長い長い時間を過ごしてきたのだ。
自分事として想像してみると、それは凄く寂しいことだと感じてしまう。
「情けないだなんて、僕はそんなことないと思いますよ。精霊の皆さんにだって、それぞれ感情はあるんですから。長い間存在を忘れられて孤独だったのは、ミレイア様にはとてもツラいことだったのでしょう?その気持ちに嘘はないはずです。そして、人々が愛おしいと思う気持ちも」
僕は右肩に座るミレイアへ掌を差し出す。
彼女が掌に移動するのを確認し、僕と向かい合うようにする。
そして、彼女の目をしっかりと見つめた。
「瘴気を放つようになってしまったこと。この事実を変えることはできません。でも、これからまた人々が訪れた時、どうかその慈しみの御心を持って迎えてあげてください。僕が責任を持って、ミレイア様のことを村人と教会へ伝えますから。そして僕も、ミレイア様が望む時はすぐに駆けつけますから」
しっかりと、ミレイアの目を見て約束する。
彼女の目が、少し潤んだように見えた。
「ありがとうございます……。貴方が来てくれて、本当に良かったですわ」
ミレイアは僕の掌から飛び立ち、祠の上に戻って姿勢を正した。
すると、彼女が凛とした雰囲気を纏い、精霊としての存在と力強さを感じさせる。
「エト様。私ミレイアより、感謝申し上げます。そして、癒しを施してくださった貴方へ、私から加護を贈りましょう。きっと、貴方の助けとなりますわ」
僕も姿勢を正し、お礼をする。
セルメリアも僕の隣に来て、同じくお礼をした。
「「ありがとうございます、ミレイア様」」
二人の言葉が重なった。
ミレイアはそんな僕達を見て微笑み、僕の額にそっと口づけをした。
何か優しい、温かいものが身体中に広がるのを感じる。
「さぁ、行きなさい。そして、私のように瘴気に苦しむ精霊や人々を癒してあげてくださいな」
僕とセルメリアは顔を上げて、背筋を伸ばす。
ミレイアと向かい合い、笑顔を交わした。
「ありがとうございます。また、ご縁があれば」
「ミレイア様、どうかお元気で」
お辞儀をして、祠を後にした。
来た道を、今度は軽い足取りで歩む。
来た時は瘴気で重々しい空気が漂っていた森も、今では爽やかな風が吹き、揺れる木々の間から優しい木漏れ日が入ってきている。
「流石ですね、エト様」
「特別何かしてるって感覚は無いんだけどね」
「それが、エト様の良いところなのだと思います」
「あはは、良いところか。よく分からないなぁ」
実は本当に、特別な何かをしているという実感が無い。
聖なる力とか、癒しの力とか。
僕としては、何となくこれが良いかなぁと思うことをやっているだけだからね。
勿論、褒められるのも感謝されるのも嬉しいけどさ。
「さて、この後は村と教会へ行かないといけませんね」
「あぁ、そうだよね……」
セルメリアの一言に、途端に足取りが重くなる。
ミレイアへ約束した手前、渋るわけにもいかないよな。
癒しの力を使うことに躊躇いは無いが、人々や教会と関わることへはどうも面倒くささを感じてしまう。
だがそれも、僕の役割の一つだから。
村と教会へ、この祠のことを伝えに行こう。かつての賑わいが、この場所に戻ってくるように。
そよ風に背中を押され、急かされるように森を歩いた。
☆★☆★☆
それは、エトが祠を訪れてからどれだけの年月が経過した頃か。
名前の無かった彼の森は、いつしか【ミレイアの森】と呼ばれるようになったそうだ。
とある村の人々は言う。
どこからともなく現れた聖者が、森深くにある祠と、その主である精霊ミレイアを祀るよう言ってきたと。
半信半疑で森を訪ねた村人達は祠を見つけ、聖者の言う通りに朽ち果てた祠を再建した。
すると、その年の田畑の収穫量は例年以上に豊かだったそうだ。
不作が続き困っていた村人達は、歓喜に涙した。
そして、未来へ受け継がれていく。
森の祠を大切にしなさい、と。
精霊ミレイアに日々感謝し豊穣を祈れば豊作になる、と。
例え不作の年であっても餓死する者が出ることはない、と。
年に一度、祠の前では収穫祭が開かれ、村人達が歓びと感謝で歌い踊る。
ミレイアは、その様子を笑顔で見守り続けた。
人々の目に見えることはなくとも、そこには確かな繋がりが生まれたのだ。
そしてその繋がりは、聖者の訪れ以降、途切れることはなかったという。
聖者エト・ラグフォラス。
聖なる力で瘴気を癒し、精霊と人々を繋いできた男。
変わり者で時々不思議なことを言う彼は、違う世界からやってきたのではないかという噂があったとか。
そんな彼の素性や生い立ちを知る人間は、殆どいなかったと言われています。
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