第5話
アベラルド公爵は仕事ばかりで邸に帰ってくる事はほぼなかったし、公爵子息のエクトル様は王太子殿下の側近とし城に泊まる事も多く、帰ってきたとしても夜遅く朝は早く出ていく為、使用人達と会話をする事もほとんどない。
急遽帰宅した二人を出迎えていると、ガラテアの声が聞こえた。
「お父様!お兄様!おかえりなさい!!」
「っ!ガラテア!」
いきなりアベラルド公に抱きついたガラテアへ悲鳴にも似た声で名前を呼ぶ。
不機嫌なのを隠す事がないアベラルド公……。
頭の中がパニックになる。
背中は冷や汗でびっしょり濡れているのが分かる。
「え……お父様はお父様で……」
「ガラテア!!」
慌てて呼びかける。
これ以上は……これ以上はいけない!!
使用人達は驚きの表情をしている。
周囲の音が聞こえずらい。
心臓の音だけが耳に響く。
血の気が失せ、体中が震える。
違う……違うの……。
あなたを怒らせる気も、不機嫌にさせるつもりもなくて……。
エクトルと共に鋭い睨みつけた視線を向けられている事に嬉しささえも感じる。
あぁ……私を見てくれている。
「旦那様!この方は奥方様ではないのですか!?」
執事が声をあげる。周囲の使用人達も頷いている。
「ただの居候だ」
使用人達の息を呑む声。
断言される言葉。
貧乏男爵家の令嬢。それが私だった。
5つ下のエルザと仲良くしていたけれど、私は羨ましくて妬ましくて仕方なかった。
私の愛するアベラルド公の婚約者で……結婚までしたのだから。
アベラルド公と同じ年で……私はずっとずっとアベラルド公だけを見てきていたのに……。
結局、貧乏貴族という事で嫁ぐ先もなく、やっと嫁ぐ事が出来たのは年老いた伯爵の元。
子どもを産んだが、すぐに旦那が亡くなり未亡人となってしまった。
そして財産を渡さないと言わんばかりに、私と年の変わらない伯爵の子供たちに追い出されたが、実家は没落していて帰る場所もなかった。
幸いな事に路頭へ迷っているところをアベラルド公に拾われる事となる。
それがエルザの親友だからという理由なのには嫉妬の心が湧き上がった。
私のどこが駄目だというのだろう。
ジュリーのために、なんて。あんな女の娘なんて可愛くない、むしろ憎い。
憎い憎い憎い憎い。
お前は愛されてない。
私の望む嘘の世界を、ホントウにする為、言葉を紡いでジュリーに注いだ。
壊れていくジュリーに喜びを見出し、奥方のように振舞った。
私は愛するアベラルド公の妻で、私の産んだ娘はアベラルド公の娘!!
私の嘘は徐々に本当の世界になる。
愛してるの
愛してるの
愛してるの
きっと……あの人も、私を愛してくれる筈だと信じていた……けれど
あったのは、軽蔑と拒絶。
私の心は絶望に染まった。
◇
「お前たちは何をやっていたんだ!!!」
ナニーとガラテアを牢に入れると、使用人達をホールに集め怒鳴り散らした。
真っ青になって震え、冷や汗を流している。揃いも揃って何をやっているんだ。
自分の愚かさの八つ当たりを含んでいたのは否めないが、それでもこいつ等のやった事は腹立たしい。
隣に居るエクトルも、声は発しないものの噛み締めた唇から血が流れている。
エルザが死んだ。
その喪失感は計り知れないものだった。
政略結婚が多い中、愛してやまない女性と結婚し、家庭を築けたのだ。
とても大切な毎日で……それがイキナリ色あせた。
子ども達の事は気になっていた。
だけど、エルザの笑顔がない邸に帰る事は、エルザが居ないという現実を突きつけられているようで……。
次第に、邸から足は遠のいていた。
地位やパワーバランスから、生まれた子が女ならば王子の婚約者にという話があり、ジュリーは城で教育を受けていると聞く。
そんな中、エルザの親友であったナニーが生まれたばかりの子を連れ、路頭に迷っていると聞いたから、ジュリーの専従侍女兼家庭教師にどうだろうと話をした。
エルザの親友が、毎日の生活に怯えるのも心苦しい。
きっと生きていたら、エルザが手を差し伸べていただろう……。
貧乏男爵の娘。ジュリーの教育には実力が伴っていないが、少しでもジュリーの気分転換になってくれればと……。
それが……。
思わず頭を抱えた。
この邸が今まで行っていた報告を聞いて、ジュリーの日記は真実だったと決定的になってしまったからだ。
皆が皆、ナニーを後妻だと思い、ナニーの言う事を聞いてジュリーを蔑ろにし、ガラテアを甘やかしていたと。
私の愛するエルザの忘れ形見を!!
「……くやしい……」
俯き、肩を震わせ、エクトルがかき消されるかのような声で呟いた。
……あぁ、そうだな。悔しい。
そんな状況に十年以上気がつかなかった事に。
止められなかった事に!
「……ジュリーの身体にある痣に心当たりのある者は……?」
一縷の望みをかけて問いかけた。
私がエルザをどれほど愛していたか知っている、古くからの使用人も居るからだ。
使用人達は目を見合わせ、震え……そして……全員が膝をついて頭を下げ、許しを乞うた。
「どうか許して下さい!」
「ナニー様達の暴力を止める事ができませんでした!」
次々に放たれる言葉に、目の前が真っ暗になった。
私は邸の中の事をここまで把握出来ていなかったし、そして、使用人達は完全に私の手から離れていた事に。
どうして誰も私に報告しなかった。
聞きにこなかった。
どうしてジュリーは……。
◇
「許して下さい!許して下さい!!許して下さい!!!」
「いやぁあああ!どうして!?お父様!お母様!!」
泣き叫ぶ二人を見ている筈が、そんな姿などうつっていないような瞳で眺めているエクトルとガストーネ。
絶えず行われる鞭打ち。
まだまだ終わらない拷問は、手段を変えて次々に待ち受ける。
それを分かっているも、同情する事も悲しむ事も心配する事もない。
むしろそんな感情なんて一切沸かなかった。
あるのは怒りのみ。
ジュリーはもっと苦しんでいた。
あの苦しみを長年耐え抜いていたんだ。
「愛してるの!愛しただけなの!」
ナニーの悲痛な叫び。
痛みから、苦痛から、自分の思いをぶちまける。
言い訳なんかではなく本心からの言葉だが、そんなものは誰も欲していないし、聞きたくもない言葉だ。
むしろ、そんなものの為に、とさえ思えてしまう。
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