第2話

「っ!?」

「わ……わたくしは知りませんわよ!」

「行きましょう!」


 慌てて令嬢達が去っていく。

 どうしたのだろうかと思うが、わたくしの頬が濡れているように思えて手を添える。


「……涙?」


 思わず呟いた。涙を流すのなんて、どれくらいぶりなのだろう。

 忘れ去ったものの1つ。

 流し方や止め方も忘れた涙は無表情でもハラハラと流れ落ちる。


 ——わたくしは悲しいのかしら?——


 城に仕えている者に発見されるまで、わたくしはただその場に立ち尽くして、表情がないまま涙を流し続けた。




 ◇




「弱いわね」


 王妃様に呼ばれ伺うと、挨拶もそこそこに放たれた一言。


「その程度で泣いてどうするの。精神が弱くては王妃どころか王太子妃にも相応しくないわ。もっと図々しくならないと」


 頭をかかえて王妃様はため息をつく。


「図太く生きなさい!そんな女にしか妃は務まらないのよ!」


 図々しく、図太い……。

 それがわたくしとは違うというのなら、わたくし以外の人を選べば良いのではないのだろうか……。

 務まらないと言うのであれば、生まれる前の子に決める事がおかしい。

 あぁ……人間性で決めるのではなく、生まれた人間の個を決められたものへと導くのか。


 ——本当、わたくしは一体なんなのだろうか——


 ついでに化粧で誤魔化していても顔色が酷く健康にも気を遣えと言われた。

 妃は公務を行い、人前に出る際にも恥ずかしくない状態でなければいけないから健康でなくてはいけないと。

 しばらく城に泊まって療養を兼ねろと。邸と往復する時間を休む時間に遣えと。

 あぁ……どうして。


 どうして

 どうして

 どうして

 どうしてわたくしなのだろう







「ジュリー様は大丈夫かしら」

「どんどんやつれていっているわね」


 城仕えの人達がそんな話をしているのは、嫌でも耳に入ってくる。

 王宮専属医師が言うには疲労やストレスだと言うけれど……。

 だからなのだろうか、涙が止まらない。

 眠る事も出来ない。


 わたくしはどこに行っても邪魔な存在で

 愛されることなんてなくて

 居なくなる事を願われている。

 心は凪いだように何も感じる事がないと頭で思っていても

 胸の痛みがなくても

 表情に出る事がなくても

 流れる涙は止まる事がなくて



 こんな状態でも父が来る事はない。

 兄はアルフレッド様の側近だったらしく、数人のご令嬢達と一緒に一度見舞いへと来た。兄と会うのはどれくらいぶりだろう。

 側近になった事すら知らなくて、ボーっと聞いていたら、ご令嬢達が二人の後ろで嫌な笑みを浮かべながら話しかけてきた。


「そんな健康状態で王太子殿下の婚約者が務まりますの?」

「これでしたら側室を沢山作らなければ、お世継ぎの問題も起きませんこと?」

「……ジュリーの具合も悪そうですし、そろそろ退室いたしましょうか」


 さも心配しているかのようなセリフだけれども、わたくしが邪魔なのだろう。

 早く居なくなれと。暗に言っているのだ。

 俯いたわたくしに気がついたのか、まともに会った事もない兄が皆を連れて退室していく。

 とてもとても短い時間。閉まった扉の向こうからはご令嬢達の楽しげな声が聞こえてくる。









 義母と義妹は一度王城へちょっとした荷物だけを持ってやってきた。


「情けない」

「お姉さまの部屋の宝石いただくわね~」

「貴族としての努めもロクに果たせないの?」

「病人なら、ドレスも必要ないわね!」

「もう帰ってこなくて良いのに」


 使用人を扉付近にまで下がらせ、わたくしを労わるかのように背に手を回し起こしているかのように見えるようにして、つねる。

 声が聞こえないように耳元で囁かれる暴言。

 表情はとても心配そうで悲しそうなのに、内容は全くそうでない。


「っ!?」

「まぁ!お姉さま!大丈夫!?」


 刺すような痛みが走り、声にならない声を漏らすと、ガラテアは心配そうな声を張り上げる。

 多分……針で刺したのだろう。

 油断していた。


「ジュリー様はお疲れのようですので……」

「……そうね」

「また何かあれば呼んで下さい」


 使用人に言われ、優しい義母と義妹を演じ二人は下がっていく。


 ……常に一人……。

 ただただ部屋に居るだけのわたくしは……。

 誰からも必要とされていない。

 このままで良いのか自問自答を繰り返しながら、わたくしは身につけている毒の存在を確かめた。


 家から持ってきて貰った手荷物の中には日記が入っていた。

 見られて困る内容は書けないから、ほとんど真っ白な状態だ。

 貴族のご令嬢達は日記を書く事がほとんどだから、念の為程度に入れたのだろう。

 書いてないと知られて恥を書くとすれば、わたくしなのだから。


 ——邪魔ならば、消えてしまえば良い——


 そう思い至るに、そんな時間はかからなかった。

 幸いと言うのだろうか、自決する為の手段は手中にある。

 本来の目的とは違うかもしれないけれど、わたくしに逃げる道はない。


 アルフレッド様の婚約者はふさわしい方がなれば良い。

 健康的で愛し愛される関係のご令嬢がなれば良い。

 家族としての居場所はない私が居なくなれば、父や兄ももっと家に帰ってこれるだろう。

 わたくしが居たせいで、新しい家族として機能していなかっただけで、四人ならば仲のいい家庭を築けるだろう。


 他人の事ばかり願っている自分に苦笑しながらも、ただただ自由もなく毎日生きて学ぶだけの日々では、自分の幸せが何なのかも分からない。

 分からないからこそ、求められない。



 ただ、愛されてみたかった……。

 愛されたら、愛する事も分かったのかな……。

 そんな思いを、ただひたすら日記に書いて行く。


 ごめんなさい、アルフレッド様。

 貴方の愛する方と一緒になって下さい。


 ごめんなさい、お父様。

 お母様を殺してしまって。


 ごめんなさい、お兄様。

 お母様を奪ってしまって。


 ごめんなさい、お義母様。

 出来が悪い義娘で。


 ごめんなさい、ガラテア。

 どうしようもない義姉で。


 ごめんなさい、王様、王妃様。

 わたくしに課せられた務めは果たす事が出来ませんでした。

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