第二章

第十四話

「よう!神域以来だな!」

「は?」


 行儀悪く机に脚をかけて座る、見覚えのある少年に拓人の眉間にしわが寄った。


─────────────


 時間は2時間ほど前まで遡る。

 茹だるような暑さが続く、7月も終わりがけの振多高校にて。

 期末テストで見事赤点を取った高校1年生の青桐拓人は夏休みに泣く泣く登校していた。2教科も赤点を取った拓人の拘束時間はそこそこ長く、終わるころには既に正午を跨いでいた。こんなことに時間を取られるくらいなら、恋人(仮)とデートリベンジでもしたいというのに。

 そういえば、彼女は今頃どうしているのだろう?

 ポケットに突っ込んだスマホを探りながら補習の教室から出ようとした。が、その行く先はとある人物に遮られた。


「よっ!青桐、君がバカな部類だとは思わなかったよ」

「……ほっといてください」


 教室出入口に立ちふさがっていたのは、3年の先輩である橘美晴だった。美術部の部長である彼女は、幽霊部員とはいえ同じ美術部の拓人と無関係の人物ではない。だが、彼女が熱気がむせ返る廊下でわざわざ立ち構えていたということは、美術部とは別の面倒事が関わっていることは想像に容易かった。


「残念ながらそういうわけにもいかないんだなぁ~」

「は?」

「魔道使いの上層部から呼び出しだよ」


 橘が急に声色を変えるものだから、拓人もつられてたじろいだ。


 魔道使い。

 世界人口の割合から70人に1人いると言われている、道力というエネルギーを体内で変換して魔道という不思議な力に変える人物達だ。拓人も一応、その端くれである。

 彼らは普通の人間ではたどり着けない異次元に本拠地を構えており、人が住む各施設に本拠地に通ずる門を通して行き来をしている……らしい。らしいというのも、拓人はその門とやらをまだ2つしか見たことがない。そしてそのうちの1つは、この振多高校の第一美術室から通じている。

 拓人は厄介事に極力関わりたくなかったので、橘から視線を逸らした。


「……また今度って訳には」

「いかないなぁ。総道師様が直々にお呼びだ」


 ”総道師”という言葉に逸らしていた視線を橘に戻した。

 拓人の知識が正しければ、総道師とは魔道使いの中のトップの人物である筈だ。

 その総道師が、何故末端の魔道使いである拓人を呼び出したのか。


「なんで俺なんかが」

「さあ?どうせヒスイ絡みじゃない?」


 橘の口から出た名前に納得がいってしまった。

 

 灯彗・レイノルズ。訳あって将来を誓った、拓人の思い人だ。訳については話すと長くなるので割愛する。

 彼女の特筆すべき点は、何と言ってもその血筋であろう。この世には人間の他に”魔物”と”神”の計3種の知性体がいる。ヒスイはその3種全ての血を引いている唯一の生命体だそうだ。故に、魔道使い達がその血筋ゆえの力をいつ暴走させないかとハラハラしながら見守っている、いわば監視対象なのだという。

 彼女に関わる事であれば、確かに拓人も無関係とは言えない。

 拓人はガックリと項垂れて、降参した。惚れた弱みというのか、拓人はヒスイのことになると随分弱くなった。

 落ち込む拓人とは対照的に、橘は満足気に頷いた。


「それじゃあ行こうか」


 この茹だるような暑さの中、ご機嫌で美術室に向かう橘の後をトボトボと追う。


「なんでそんなテンション高いんですか、部長」

「だって総道師様だよ!総道師!八儀席でもなければ滅多にお目にかかれない方にお会いできるんだ!」


 そんなアイドルじゃあるまいし。

 大統領に会いに行くようなものだろうか。それだと緊張が勝らないか?

 色々言いたいことグッと堪える一方、ふと思った事を拓人は口に出した。


「でも進は会ってましたよ」


 進とは、ヒスイの監視役をしている拓人と同級生の魔道使いだ。それでもって、橘と実の姉弟でもある。

 拓人は以前、警察を呼ばれたという総道師(この件に関しては拓人も知らない)の迎えに行っていたのを電話越しに聞いた。

 弟である進が総道師の迎えに行けるのに、姉の橘が気軽に会えないのは違和感を覚えた。


「そりゃあ、進の方が魔道使いとしての立場は上だからね」

「マジですか」

「マジマジ。なんせ、次期当主だし」


 あの進が。

 拓人の記憶の中の進は、大抵ヒスイに置いて行かれて息を切らして追いかけているか、余裕がなさそうに不機嫌かのどちらかだ。その進が、次期当主。

 失礼かもしれないが、木のヘラでバッサバッサと怪物たちを切り裂いてた橘の方が、技量や威厳も上っぽい。


「あれですが、男尊女卑みたいな」

「違う違う、魔道界隈は実力主義だよ。私にはない才能を進は持って生まれた。それだけだよ」

「……進が?」


 橘はからりとした態度で言ってのけたが、やはり拓人の中では進のイメージが嚙み合わない。

 

「人は見かけによらないってことさ」


 橘は前を向いたまま、独り言のように呟いた。

 何か含みのある言い方に、拓人はその真意を問おうとしたが、いつの間にか第一美術室に到着していたらしい。まるで拓人の言葉を遮るように、橘は美術室の扉を勢いよく開けた。

 当然、室内の視線が出入口に集まる。”今は”感じない筈の視線が、物理的に刺さったような気さえした。


「田口ぃ!紫招門開けな!」

「は、はいぃ!!」


 名指しされた二年生の田口は、わたわたと立ち上がる。

 我が物顔で部室に入る橘に続いて、拓人も音を立てずに部室に入る。冷房でキンキンに冷えた空気が拓人の熱の籠った素肌を撫でた。その気持ちよさに自然と息が漏れ、同時に緊張していた気分も緩んだ。

 すると、複数人の部員が橘の元へ駆け寄ってきた。


「部長、コンクールに関してなんですけど顧問が……」

「はいはい」

「部長!後で私の作品見てもらってもいいですか!?」

「美晴~、魔道研究会のメンバーってこれでいい?」

「ちょっと待って!」


 あっという間に橘は美術部員……いや、魔道使い部員に囲まれてしまった。今この美術室にいる全員が、魔道使いなのだそうだ。

 幽霊部員の拓人はたちまち居場所を失い、微妙な位置で立ち尽くすことになった。

 それにしても、やはりこうして橘を見ていると、部員に頼られ、リーダーシップを発揮しているのがよくわかる。本当に彼女が次期当主ではないのが不思議なくらい。

 拓人がぼーっと橘を眺めていると、ぬぅっと伸びてきた長い腕が拓人の肩を叩いた。


「うおっ!」

「大丈夫?」


 長い身長を折りたたむようにして拓人の顔を覗き込んだのは、大川という生徒だ。パレットを片手に持った彼は、作業用なのかデカデカと「副部長」とプリントされた白いTシャツを着ている。


「俺は手持ち無沙汰なだけで、別に……」

「そっか。君も心配だったけど、美晴は何かあった?」

「……ん?」

「なんかいつもより元気ないから」


 おっとりとした口調で告げた大川を、拓人は二度見した。

 橘に視線を向けるが、付き合いの短い拓人にはいつもと変わった様子はない。



「さ、さぁ……むしろ来るまでの間元気でしたけど」

「ふーん」

「ふーんて……部長、落ち込んでるんですか?」

「俺みたいな付き合いの長い3年は分かるかも」


 ならば拓人には分かるまい。

 橘の様子を伺うことはやめ、今度は部員達の作品に目を移す。海の絵、笑顔を浮かべる少女の絵、アートチックな絵……絵の良し悪しが分からない拓人にはどれも十分上手く描かれている、という単調かつ、つまらない感想しか出てこない。


「そういえば、なんで美術部なんですか?」

「ん?」

「学校の魔道使いが活動してる場所ッス」


 密かに気になっていた事だ。

 別に美術部じゃなくても、それこそ図書室とかの方が魔道の参考書などを置きやすくて便利そうだ。

 それなのに、過去の魔道使い達は何故、あえてココを選んだのか。


「んー……確か、理由は2つ。1つは活動するにおいて此処が一番隠しやすい」

「図書室とかは?」

「魔道使う時に多少騒ぐからダメ。おまけに人目がつきやすい。あと、他の部活は真面目過ぎたり、緩すぎたり」

「あー……運動部とかは向いてないですよね」

「そう。そしてもう1つは、絵を通すとイメージを掴みやすいから」


 大川の一言ではイマイチ意味が理解できず、拓人は瞬いた。


「魔道ってさ、色に依存してるじゃん?」

「まぁ……赤とか青とか」

「でも、現実にある色はそんな単色じゃない。赤色だけでも100なんて軽く超える数がある」


 大川は手に持っていたパレットに、白、赤、黒の順に油絵具をひねり出す。そして乱雑に入れられた筆入れの中から1本の筆を取り出し、グチャグチャと3色の絵具を軽く混ぜた。

 まだらに混ざった塗料は真っ赤な色をしているところもあれば、白と黒が混ざり合い濁った色もしている。


「色の数だけ魔道使いのパターンもある。深い青のような魔道を使う人もいれば、澄んだ黄色を得意とする人もいる」


 それぞれの最適解を見つけるために、絵を通して色と向き合う。そして魔道のイメージを掴むのだ。


「……やっぱりよく分かんないです」

「それは習うより慣れろってやつ。青桐も描く?」

「いや……ダイジョウブです」


 ずい、と差し出された筆を前に、拓人は首を振った。


「つれないなぁ……あ、そういえば青桐はなんで今日こっちに来たの?」

「え?ああ……なんか、総道師に呼ばれたって」


 聞いて、と続く前にカラン、と軽い物が床を転がる音がした。大川が筆を落としたのだ。

 汚い色がついた筆は、元々汚れていた床に新たなシミを作った。


「ちょ、先輩、筆……」

「ご…………さ……」

「は?」


「ご愁傷様……」


 心底哀れなモノを見る目で告げた大川に、不吉なことを告げられた苛立ちよりも先に帰りたい欲が拓人の中で上回った。


─────────────


「部長、部長」

「なーに?」

「さっき大川先輩にご愁傷様って言われたんだけど、総道師って」


 通りすがった初老の魔道使いが、ぎょっとした顔で拓人を振り返った。


「せめてここだけでは様を付けときな」

「……総道師様って、ヤバい人?」

「まあヤバくないと総道師なんて務まらないからね」


 それは確かにそうである。

 現在拓人達がいるのは魔道使い達の本拠地である異空間”魔道界”の中央に聳え立つ巨大な西洋の黒い城。過去の総道師からあやかってクオイエスト城と呼ばれているそうだ。

 その気品通り、ここは一般の魔道使いでは許可なく入ることは許されない、特別な場所なのだそうだ。何よりこの管理が20人いても行き届かなさそうな大きな城に、総道師は住んでいるという。


「俺、怒られんのかな」

「怒るためにわざわざ呼び出すような人ではないけれど……何、怒られる心当たりでもある?」

「……一応」


 何か叱咤を受けるとしたら、間違いなくヒスイ関係だ。

 血筋が特殊な彼女の重要性が、今なら分かる。片や、ちょっと特殊な体質を持っただけの素人魔道使い兼高校生。片や、世界に1人だけのハイブリッド知性体。

 忘れかけていたが、以前とある魔道使いからやっかみのような言葉をかけられた例もあり、拓人とヒスイの関係を良く思わない魔道使いがいるのも確かである。

 何を言われたところでヒスイとの関係を絶つつもりはない──そもそも先に番の関係を持ちだしたのはヒスイである──が、できることなら怒られたくはない。

 廊下を進むほどに憂鬱になり、拓人は俯いて顔を覆った。


「嫌だー帰りてぇー……」

「ここまで来て何言ってるの!ほら、もう目の前だよ」


 項垂れていた頭を上げると、他のドアよりも一等大きな両開きの扉があった。

 心の準備が整わず、躊躇っていた拓人を見透かしたように隣の橘は3回扉をノックした。


「橘 美晴です。青桐拓人を連れてきました」

「入れ」


 間髪入れずに橘が扉を開いたため、返事の声が女性のように高いことに疑問を持つ暇は拓人にはなかった。


「失礼します」

「し、失礼します……」


 入室した部屋はまるで会議室のような部屋だった。

 O字の独特な机に並ぶ椅子に腰かけているのは、今はただ一人。

 その唯一の人物である少年が、行儀悪く机に脚を乗せる姿を、隣に立つ厳つい老人がもの言いたげに見下ろしていた。少年は老人の目線には気づいていない振りをしているのか、いたずらっ子のような笑みを浮かべて片手を上げた。


「よう!神域以来だな!」

「は?」


 そして冒頭に戻る。

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