第十三話


 バリイィィン!!


 橘の2本目のヘラが鎌で弾き飛ばされた時、氷のような石柱が大きな音を立てて砕け散った。

 キュリオは大きな口を三日月のように吊り上げた。


「やったぞ!我はついに成し遂げたのだ!」

「うわっ!」

「おお、魔王様!ご機嫌麗しゅう────…………」


 橘を鎌で吹き飛ばし、振り返ったキュリオの言葉は続かなかった。

 粉塵がキラキラと舞う中。階段の頂上では、拓人が玉座を前に膝をついている。その玉座にゆっくりと降り立った者は、翼と新たに生えた脚を持っている。人の面影を失った、鱗を纏った神々しさすらある生物だった。

 魔物には、鱗を纏った鱗属や、怪異となる生命体の特徴を持つ妖魔属など、幾つかの区分に分けられる。それは魔王になり上がった魔物も殆ど例外ではない。


 ただし、キュリオの待つ魔王は────鱗属ではない。


「何故だ!?我の降霊術は完璧だった!ならば肉体か!?ハッ!そうか、中身は魔王様である可能性が……」


 次の瞬間、玉座に立っていた魔物は姿を消し、キュリオの目の前に現れた。そして尾のように束ねた新たな脚で、キュリオを左の壁まではたき飛ばした。

 傍にいた橘は咄嗟に結界を張ったが、何故か結界すらもすり抜けて余波が及び、自身の結界に叩き付けられた。


「いった……」

「ゴチャゴチャうるさいなぁ」

「その言葉使い……やはり魔王様ではないな!?何を間違えた!?まさか本当に奇跡でも起きたと言うのか!?」


 キュリオは狼狽えながらも再び鎌を構える。

 奇跡という言葉にきょとんとした魔物は、少しだけ考え込む素振りをした。


「んー……傍にいてくれるって言われたから」

「……は?」

「傍にいてくれるなら、魔王とかどうでも良くなっちゃった」


 だからやめた。キャンセルってことで吹っ飛ばした。

 あっけらかんと語る魔物に、キュリオだけでなく、痛みに呻いていた橘も愕然とした。


「馬鹿な……ど、どうでも良くなった!?そんな、そんな感情一つで魔王様復活に失敗したと言うのか!?」

「降霊術は一種の契約……契約の破棄ができるのは高等な魔道か、”灰魔道”のみ!」

「とりあえずさぁ、前に逃がしちゃった借りは返させてよ」


 言うが否や、魔物は飛び立つように距離を詰める。そして高圧力の重力を持った球体を生成し、キュリオに押し付けた。

 キュリオは鎌で直撃は阻止したものの、球体と鎌が触れ合った瞬間、球体が反発力を発した。モロに巻き込まれたキュリオは再び石レンガの壁に衝突し、ついに壁は崩壊した。


「おのれ、魔王様の真似事をしおっ……!」


 いない。

 先ほどまで確かにいたはずの魔物が音もなく消えた。一体どこに?

 しかし最早のけ者となって戦闘を観戦していた橘には見えていた。キュリオの背後からぬるりと這い出た魔物の姿が。

 キュリオがやっと背後の存在に気づいた時には、顔面に拳がめり込み、反対方向に吹き飛ばされていた。


「アッハハハハハハハハハハ!!」


 腹を抱えて笑う魔物は、まるで水中にいるかのように宙に揺蕩う。桃色の頭髪に混じって、赤い4本の触覚のような物が探るようにうねる。

 何よりも驚くべき事は、翼が壁にめり込もうとも、海洋生物の尾のように束ねた脚が床に擦れようとも、まるで存在しないかのようにすり抜ける。

 今の彼女に、隔てるものなどなにもない。


「あぁ……今気分が良いんだ、私」


 好きだよ、ヒスイ。


 生まれて初めて言われた言葉は、彼女の中で言語化できぬまま凝り固まっていた世界に対するわだかまりを一瞬で溶かしてしまった。

 新たに進化した肉体も、内から湧き出る身に覚えのない力も、今の彼女には自由に踊り狂いたくなる衝動を手助けするものでしかない。

 この瞬間が、誰より自由である自信で満ち溢れている。


「フフフフフフフフフ!!」

「ええい、何が可笑しい!?」


 起き上がったキュリオは、先ほどと同じように床に鎌をひっかけ、持ち上がった床の切れ端を魔物に向かって飛ばす。しかし魔物は当たるよりも前に水中に潜るように床の下へとすり抜けた。


「すり抜けた!?どこに……」

「さっきやって見せたじゃん」


 下から彼女の声が聞こえたと思えば、床から生えた彼女の両手がキュリオの足を掴んでいた。再び浮かび上がるように床から出てきた魔物に、足を掴まれたままのキュリオは引き倒される。

 もたつくキュリオなど意にも返さず、魔物はキュリオを振り回すようにその場で回転をしだした。

 


「どーん!!」


 軽快な掛け声と共に手を離されたキュリオは遠心力に従って部屋の天井すれすれの壁に叩きつけられる。まさに彼女の玩具だ。


「舐めるなよ小娘がァ!!!」


 埋もれた壁から降り立ちながら、キュリオはついに吠えた。そして細かい歯がびっしりと詰まった口を開けると、手に持っていた鎌に食らいついた。

 

「ウウウウウ゛ウ゛ウ゛!!」


 バキゴキと鎌を磨り潰す音と共にキュリオの右腕が醜く変異してゆく。

 彼が巨大な爪の生えた掌を振るうと、何もない空間を引き裂く斬撃が飛んだ。


「───────ッ■■■■■■!!!」


 向かってくる斬撃を、魔物は金切り声のような衝撃破を飛ばして打ち破る。その言語は、人間にもただの魔物にも理解することはできない。

 頭部の職種が苛立ちを表すかのようにうねる。


「弱い、うるさい、小賢しい。そうだ、私が魔王になるときはこの三拍子が揃っていない奴を部下にするよ」

「おのれ愚弄しおって!!」


 キュリオは魔物に向かって飛び掛かるが、彼女は泳ぐように浮遊して攻撃を避ける。


「魔王様の依代にするには生かす必要があったが、もうどうでもいい!あの方の手向けとして屠ってやる!!」

「誰が誰の手向けになるって?」


 魔物は尾のように束ねた後ろ足を地面に叩きつける。すると、床の石が水しぶきのような形状を伴って四散した。弾丸の如く飛ぶ無数の石粒を、キュリオは右手でガードする。

 しかし、降りかかる石の飛沫の中、それらをすり抜けながら魔物はキュリオへと迫り、未だガードの態勢を崩せない彼の身体に文字通り右手を突っ込んだ。


「な……ァ……ハ…………?」

「ここは私の御前だぞ」


 魔物はズルリと右手を引き抜く。彼女の手には、先ほどキュリオが噛み砕いて飲み込んだ鎌、『リアーリナスチ』が元の形のまま握られていた。

 すると鎌を引き抜かれたキュリオの右手はみるみるうちにしぼんでいき、キュリオ本人も力の源を無理やり引きはがされた影響でその場に倒れ伏した。

 

 その場には、未来の魔王が新たな力と姿を携えて立っていた。


─────────────


「ヒスイ」


 ことの成り行きを無言で見守っていた拓人がついに呼びかけた。

 声に反応して魔物が振り返った瞬間、たちまちその姿はシュルシュルと小さくなり、翼や第二の脚もしぼんでいく。ざわついていた触手が只の髪の毛に戻った頃には、一糸まとわぬヒスイが膝から崩れ落ちた。


「ヒスイ!」


 拓人は痛む体に鞭打ち、上着を脱ぎながら玉座の階段を駆け下りる。そして肩で大きく息をするヒスイに、自分の上着をかけた。拓人の血でまみれて大変なことになってるが、ないよりマシだ。

 人の姿に戻ったヒスイは、すっぽりと服の中に収まった。


「あちゃー……服のこと考えてなかったや。考えものだなぁ、あの姿」

「ヒスイ、なんであんな奴についてった?」

「あー……」


 これだけは聞いておかねばならなかった。

 傷つけてヒスイを追い込んだのは拓人だが、怪しい企みにヒスイが同意したのも事実である。


「言う通りにすれば魔王に成れるって言われて……」

「ついてったのか?どう考えても罠だろ」

「うん。でもその時はもう私のことなんてどうでも良いと思ってたから」


「だけど、もう大丈夫」


 ヘラリと力の抜けた笑顔は、また見たいと待望していたものとは少し違うものだった。それでも笑顔には変わりなく、たまらずヒスイを抱きしめたくなったところ、一つの咳払いがその流れを切った。


「お2人とも、アタシのことを忘れすぎ」


 2人が振り向くとボロボロの橘がよろよろと立ち上がっていた。彼女は汚れまみれになった制服を払いながら、拓人たちに歩み寄る。


「あ、いたんだ」

「ずっといたよ!本当に眼中になかったのかい!?」

「部長。ありがとうございました」

「まったくだよ……」


 ヒスイを起こすまでの時間稼ぎをしてくれたのは橘だ。拓人1人ではヒスイを取り戻すことは到底できなかっただろう。

 拓人が素直に頭を下げると、橘が思い出したようにハッと声を出した。


「そういえばヒスイ、君……」


「目覚めたようだな」


 突如聞こえた第三者の声の方を振り向くと、いつも通りの崇徳の姿があった。この部屋に続く通路の手前でドラゴン3体を相手にしてきた筈なのだが、汚れの1つもない。

 

「ハッピーバースデーとでも言うべきか、全種適合体(ハイブリッド)」

「?」


 ハイブリッドという言葉に、橘が2人から1歩距離を置いた。拓人にも、今となってはその単語が何を言わんとしているか大方予想がつく。

 だというのに、肝心のヒスイは「よくわからない」と言わんばかりに首を傾げるだけだ。

 仕方なく、拓人の方から崇徳に切り出した。


「ヒスイの親……えーっと、母親の方は普通の人間らしいけど、父親は違うんだろ?」

「ああ。観測上5体しかいないとされる魔物と神の混合種、凶兆の証と呼ばれる生命体、『聖魔』だ」

「は!?」


 最早拓人ですら大方予想がついていたというのに、ヒスイだけが素っ頓狂な声を上げた。


「知らなかった……」

「嘘だろお前……」

「徹底的にその事実から遠ざけていたからな」


 魔道界でも観測例が少ない聖魔が、人間との間に子を成した。人間、魔物、神。全ての血を引く存在というのは初めての事例であり、魔道界はその存在が真の意味で覚醒するのを恐れた。

 その為、主にヒスイ周辺での口封じを徹底し、彼女から他人との関わりを極力絶つように育成することを崇徳に命じていた。

 それが覚醒までのほんの少しの先延ばしでしかないと知りながら。


「覚醒って……さっきのあの姿のことだよな?口封じはともかく、関わりを絶つことがなんで覚醒と遠ざけることに繋がるん?」

「神とは本来、人間の信仰がなければ存在を保つことすらできない存在だ。幾つか抜け道はあるがな」


 その点、ヒスイは生まれながらに肉体を持ち、大量の道力を宿していた。

 生きる上では支障がないが、『自分は神の血は引いていない』というヒスイの誤認が他者からの信仰の受け取りを無意識拒否しており、白魔道を始めとした神としての能力が殆ど発揮できていなかった。よって魔物の力しか宿していないというヒスイの誤認が深まり……というサイクルに陥っていた。

 他人との関係を絶つように根回ししていたのは、下手に人と関わり信仰を集めないようにする為だ。


「じゃあどうして突然使えるように?」

「それは勿論、信仰を受け取ったからでしょ。『愛』という名の信仰を」

「なるほど」


 橘の言葉に納得したようにヒスイが頷く一方で、気恥ずかしさから拓人は俯いた。

 あの時は必死だったので特に気にならなかったが、周囲に自分が告白したことが伝わっているのは流石に羞恥心を覚える。


「先ほどの戦闘でヒスイが物理的にすり抜けていましたが、白魔道の効果ですか?」

「それは灰魔道だな」

「灰……?」


 灰魔道は空間に影響を与える魔道である。名の通り、黒魔道と白魔道を合わせることで引き起こせる魔道であり、基本的に扱えるのは魔物と神の血を引く聖魔だけと謂われている。

 白魔道とよく似た効果だが、一番大きな違いは、その影響は魔界や天界など、ほかの三界にも影響を与えることができることだ。技術が進歩した現代の魔道使いでも、単体では三界に干渉することは灰魔道以外では不可能である。

 十数年前に人界と魔界が融合しそうになった大事件が起きたが、それも聖魔が単体で起こした灰魔道による影響だ。故に、その力の強大さから聖魔は『凶兆』として古来から恐れられていた。

 そして今日、ヒスイにも『凶兆』と恐れられる力が目覚めた。


「灯彗・レイノルズ。お前は真の意味で究極の存在になったというわけだ」


 究極の存在。

 崇徳の言葉が拓人に重く圧し掛かった。



─────────────



 少しだけ欠けた月が照らす教会内で、一体の魔物が呻いていた。


「ええい、諦めはせぬぞ……!」


 キュリオは鎌を抜き取られたが、死んだわけではない。

 彼はまだ切望していた。あの日見た魔王の姿を、再び仰ぎ見ることを。

 その為ならばたとえ敗北しようとも、血や泥を啜ろうとも生き延びて、必ずや復活させると誓ったのだ。

 忌々しき軍神に、我が主を討たれたその日から。


「無様な姿だな」


 もう魔道使いの追手が来たか。

 キュリオは振り向きざまに手元にあった小石に黒魔道を乗せて投げつけた。

 しかし、小石は声の主に届くよりも先に、より強力な黒魔道による重力で叩きつけられるように地に落ちた。

 キュリオは舌打ちをする。

 だが、その眼を見たとき、全身が、魂が震えあがった。

 僅かな恐怖と、それを覆い隠してしまうほどの内から湧き上がる歓喜。


「あァ─────── 嗚呼、魔王様!!」


 すべてを見下す眼で全て分かった。たとえ肉体が変わろうと、魂の輝きが変わろう筈もなし。

 魔王と呼び慕われた男 ──────崇徳は、寄り縋るかつての部下を見下ろした。


「どおりで降霊術が成功しない筈だ!既に転生されていたとは!流石魔王様でございます!ああ、しかし、人の器は脆いでしょう。ご命令いただければこのキュリオ、今すぐ魔王様の新たな魂の器を……」

「いらん」

「……は、そ、それでは人界へと侵略しましょうか!?いや、その前に魔界の征服をすべきですな!幸いにもここ15年程、魔界には魔王に座すものは居りません故……」

「いらんと言っている。しつこい」


 キュリオは困惑した。

 魔王はかつて、少なくとも自身に多少なりとも心を開いていたはずだ。そうでなければ補佐などやっていけない。

 しかも、あれだけ忌み嫌っていた人の肉の器に収まったままでいるなど、まるであの方ではないようだ。


「何故……?」

「やるべきことができた」

「さ、左様でございますか!では是非!このキュリオをお使いください!」

「そうか、では」


「死ね」


 崇徳の一言と共に、頭上から押し潰す圧が降りかかった。

 地べたに這いつくばる事しかできなくなったキュリオは、目だけで崇徳を見上げる。


「な、何故、です!?我はこれまで、いや、これからもずっと、貴方に尽くすと誓ったのに!!」

「今のオレは魔道使いだ。人に仇名す魔物を見逃す筈がない」

「ま……魔道使い!?魔王、様、が!?」


 キュリオは自身の耳を疑った。

 あの魔王様が、まさか人の小間使いに堕ちたというのか。

 そしてそんな理由で、わが命をこうも容易く刈り取ろうというのか。

 降りかかる重力が次第に増し、ミシミシと肉体が音を上げる。


「何より、オレにお前のような部下はいらん」

「ァ、ま、魔王様ァアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!!!」


 グシャリ。


 骨の髄が潰れる音を最後に、魔物の悲鳴は途切れた。

 教会にできた不自然なクレーターと、その中心に広がる血だまりを蛆虫を見るような目で崇徳は見下ろしていた。


「ヒュー!相変わらずえげつないねぇ」


 突然、教内に響いた高い声に崇徳は振り返り、目を見開いた。

 赤いパーカーに七分丈のズボン。見た目の歳には不釣り合いなイヤリングを付けた美少年が、崇徳の背後に立っていた。

 今起きた惨状を見ていたであろうに、少年は面白いものでも発見したかのようにニヤニヤと笑っている。


「オールディ……!”総道師”がなんの用だ!?」


 総道師と呼ばれた少年、オールディは頭の後ろで手を組んで、コテンと首を傾げた。チャリンと、彼の耳元でイヤリングが揺れる。


「なにって、そりゃあハイブリッドの様子を見に来たに決まってるだろう?口うるさいだけで動かない老人達の代わりに」

「……それでトップが動かれたらたまったもんじゃないな」

「なら自分で様子を見てこいって話さ。でも今回はおれ自ら見に来て正解だったね。最悪の場合、おれしか暴走した彼女を止められなかったんじゃないか?」

「灰魔道を観察しに来たの間違いだろう」


 ヒスイが番を選んだと聞き、魔道界の上層部が真っ先に危惧したのがヒスイの神の血の覚醒、ひいては灰魔道の暴走である。

 ヒスイの性格も鑑みてあと5年は引き延ばす予定だった覚醒が、急激に可能性がすぐ目の前にまでやってきてしまった。彼女の両親が不在であることをいいことに、ヒスイを暗殺する案まで出ていたところ、待ったをかけたのがオールディだった。

 正確には、最終議決を通す前に決定権を持つ総道師が失踪した為、会議が有耶無耶になった。


「心配してたのは本当なんだがなぁ」

「御託はいい。何の用だ」


 裏のなかったオールディの笑みが少しだけ含みを持ったものに変化した。


「……おれが一番用心してるのはお前だよ、崇徳」

「…………」

「齢6つで記憶を取り戻し、かつての力を取り戻す為に両親を喰らったお前が30年近く大人しくしてる事実が不思議でならないね」

「只の気まぐれだ」

「そう、気まぐれ!その気まぐれを起こしたきっかけの人物はもう誰もが知ってる。だけどなぁ、アレはもう死んだも同然────」


 突然飛んできた重力を圧縮した黒い玉を、オールディは人差し指と親指の2本で捕まえた。崇徳は舌打ちをする。


「クックック!わかりやすいなぁ。要はお前さんはまだ姉の復活を諦めてないわけだ」

「…………」

「わからんなぁ。かつて魔王と恐れられた男が血もつながらない姉にご執心とは。まだ愛だ恋だのすったもんだと言われた方が筋が通る」


 オールディは揶揄いながら指先の球体をフニフニとこねている。無言を貫き通す崇徳が肯定しているのか否定しているのかは、さしものオールディにも図りかねた。


「ぶっちゃけ、お前が姉に抱く感情が何だろうと興味はないけども」

「なら放っておけ」

「ヒスイ達を泣かすなよ。それこそお前の大好きな姉への裏切りになるぞ」


 その言葉を最後に、オールディは崇徳に背を向けた。そして指先でこねていた重力の玉をピンッと弾いた。瞬間、窓を撃ち破りオールディに向かって飛んできた弾丸と球体が衝突し、破裂音と共に対消滅した。

 衝撃で教会の全ての窓が割れ、散った硝子の破片が月明かりに照らされキラキラと舞う。


「あーぶねっ」

「これに懲りたら護衛を雇うんだな。総道師」


─────────────


「チッ」


 ビルの無人フロアでスナイパーライフルを構えていた将司は、狙撃に失敗したことに舌打ちをした。

 すぐさま将司は通信機に触れる。


「すみません、失敗しました…………はい、撤収します」


 彼の今回の任務はハイブリッドに番として見出された少年・拓人との接触。

 そして総道師・オールディの暗殺。


 齢12のまだ子どもと呼ぶにふさわしい少年を暗殺するのに躊躇がなかったと言うと嘘になる。

 しかし、あらゆる事を可能とする魔道を使う才能を、放置しておくのはあまりにも危険すぎた。歳浅い少年をトップに据える魔道界という組織も、総道師としての立ち位置を理解している少年の思慮深さも。

 オールディという少年はその年齢に似合わない言動があまりに多い。普段は自由奔放な言動が目立ちすぎているが、致命的な、いわば子どもらしいミスは絶対に犯さない不気味な存在だ。

 だから、普段魔道界に籠っている彼が護衛も連れずにこちらに来ていたのは暗殺する絶好のチャンスだった。

 スナイパーライフルを抱え、すぐさま撤収する将司の脳裏では既に反省会が始まっていた。


(いつからバレていた?魔道を使った気配はなかった。なら気配を悟られていたことに…………いや)


 反省会などするまでもない。今回のミスはあの男が傍にいたせいだ。

 奴も狙えるタイミングだったせいで、気がそぞろになっていた。それで本来のターゲットに気配を悟られていてはスナイパー失格である。


「……崇徳・レイノルズ」


 ずいぶん昔に本名を棄てた弟の名を口にする。

 血まみれの姿で家だったものの頂上にのさばっていた弟を見たとき、今亡き両親に誓ったのだ。


 血のつながりを断ち切って、必ずや弟は自らの手で殺すのだと。


─────────────


 梅雨も終わり、少しずつ湿度も下がり始めた6月の終わり。

 人通りの少ない河川敷を、げんなりとした表情で自転車を漕ぎながら拓人は下校していた。

 そんな哀愁すら漂っていそうな背中を、越しそうな勢いで追いかける影が1つ。


「たーくと!」

「うおっ!?、ああああああ!!」


 不意をつくように飛びつかれればバランスなど取れる筈もなく。

 拓人は飛びついてきたヒスイごと盛大にコケた。

 ガシャンと音を響かせて、まだ新しい自転車の籠が歪んだ。


「殺す気か!!」

「加減はしたってば」


 確かに大きな怪我こそしていないが、一歩間違えれば大事故間違いなしだ。人通りが少なくて助かった。現に拓人は打撲したし、自転車の籠も犠牲になった。

 文句もそこそこに、立ち上がって埃を払う。カラカラとタイヤが回ったままの自転車を起こして押しながら歩き出せば、自転車を挟むようにヒスイが隣についてきた。


「ずっと探してたんだよ。どこで何してたの?」

「補習だよ。ほ、しゅ、う!」


 というのも、あの事件のあと拓人は連日魔道使い達に連れまわされ、何を調べているのか分からない検査や、何を言っているのか分からない会議に連れまわされていた。

 当然そんな状況では時間的にも精神的にもテスト勉強をする余裕などできるわけもなく、見事にコミュニケーション英語と数学Ⅰの2教科で赤点を取ってしまった。むしろ2教科だけで済んだのが奇跡である。

 一方ヒスイは拓人の倍以上の検査や会議に連れまわされていたため、魔道界と繋がっている高校側からテストの免除が言い渡されたらしい。世の中は不平等であることを嘆きたくなったが、今の彼女の立場を考えると当然の措置であることを思い直した。


「それよりお前は大丈夫なのかよ」

「何が?」

「会議とかで上層部から色々言われなかったのか?」

「それね。意外と覚醒したことは怒られなかった。どっちかというと無断で魔物についてった方を怒られたかな」


 ヒスイは不貞腐れた様子だが、拓人は納得がいった。確かに行方を晦ました点に関しては心臓に悪いので反省してほしい。


「で、罰として海外の大型任務に連れ出されることになっちゃった……最悪だよ」

「海外!?いつ、どこ!?」

「アメリカ?だったかな?そこで下手したら夏休み全部使うって。やんなるよー!」


 拓人は愕然とした。

 ヒスイの言葉をそのまま解釈すれば、夏休み中ずっとヒスイに会えないということだ。

 折角自分の気持ちに気づき、伝えたばかりだというのに。

 だからだろうか。功を焦ったのかもしれない。


「俺は!?」

「へ?」

「俺は行けないの!?」


 言って何を馬鹿なことを言い出すんだろうと、口にしてから少し反省したくなった。まだ一介の魔道使い以下の実力なのに、覚醒したヒスイが出向かなければいけないような、海外の任務に同行したいなんて。英語もろくに離せないくせに、これではヒスイに笑われても文句は言えない。

 しかし予想に反して、ヒスイは拓人を笑わなかった。


「いいの?」

「……ヒスイや命令した人が良いって言うなら」

「なんで?」

「好きだからに決まってんだろ」


 なんてことない事実を当たり前のように告げる。

 するとヒスイは目を大きく見開いた。


「そっか」


 そこには見慣れた笑顔を浮かべるヒスイがいた。

 やっと戻ってきた笑顔に見惚れていたかったが、拓人は大事なことを思い出した。


「そういえば返事は?」

「返事?」

「告白の返事!」


 ヒスイは拓人に番になってほしいとは伝えたが、恋愛的な意味で好きなわけではないと言われたままだ。

 だが、あの一件でヒスイの中での拓人の印象も大きく変わっている筈だ。


「んー……内緒!」

「はぁ!?」


 しかし、返ってきた返答はまさかの『逃げる』だった。

 さすがに納得する訳もなく、ヒスイを問いただそうとした拓人の言葉を別の声が遮った。


「ヒスイー!」

「やば、進だ!逃げろ!」

「おい、待てヒスイ!」


 後方からやって来た進から逃れるため、ヒスイは全力でダッシュをする。

 まだ納得のいっていない拓人は自転車にまたがり、既に息を切らしている進がよろよろとさらに後を追う。

 そんな3人を、雲間から覗く太陽がてらしていた。



 夏はもう、目の前だ。

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