第十一話


 ヒスイと喧嘩した。

 いや、あれは喧嘩と呼ぶには言葉が足りない。

 今まで混乱と恐怖によって曖昧にぼかしていた『ヒスイ・レイノルズ』という存在に対する疑念が、雪と名乗った魔道使いによってさらけ出され、爆発した。そしてヒスイの態度も相まって、当たり散らすように不満をぶちまけて……それっきりだ。

 拓人が疑念を抱いたのはヒスイだけではない。『魔道使い』とその組織そのものに対しても疑わずにはいられない。

 そんな心境でテスト勉強になど励める筈もなく、諦めて図書室を出た。すると、すぐ傍にあった第一美術室に目が点いた。テスト期間中につき、美術部員のいない筈の教室の扉が、僅かに開いている。

 興味本位で中を覗いてみると、あの日と同じあの席に、見覚えのある人物が座っていた。


「……部長」


 そこそこ大きな声で呼びかけたつもりだったが、本人は手元の粘土をこねくり回すのに集中しっぱなしだ。


「部長!」

「おっ!?……あぁ、なんだ。青桐か」


 次はより大きな声で呼びかければ、やっと驚いた橘が顔を上げた。拓人の顔を見て何故かホッっとした様子の彼女は、プラスチック性のヘラを握った手でチョイチョイと拓人を招く。

 橘の反応に少し疑問を抱きつつも拓人は大人しく従い、橘の1つ前の席に腰をかけた。


「で?何かあった?」

「わ、分かるんですか?」

「幽霊部員の新人魔道使い君がここに来る理由なんて限られてるだろう?」


 ふふん、と得意げにヘラをペンのように回す橘。拓人は幽霊部員であることがばれていることに少々座りが悪くなった。

 振多高校の美術部員は魔道使いも含む為、50を超える。そんな中でまさか拓人の出席率まで把握されているとは予想していなかった。

 

「……部長はカノウ・セツって魔道使いを知ってますか?」

「カノウ?……あー、叶家のことかな?あそこはね、あんまりいい噂聞かないよ」


 いい噂を聞かない、という言葉にドキリと心臓が跳ねた。


「あそこの魔道使い、魔物の混血だって……」

「らしいねー」

「らしいねって、知ってて何もしないんですか!?」


 興奮のあまり脚に力が入って椅子から立ち上がる。明らかに法律と道徳に反している。なのに何故、誰も何も言及しないのだろうか。

 拓人の脳裏にあの恐ろしいバケモノ達が浮かび上がる。彼らと、血縁になんてなれるわけがない。

 昂る拓人とは正反対に、橘はさも当然のように言ってのけた。


「誰が何と家庭を築こうとも、その家の勝手だろう?」


 至極当然の意見に、拓人の脳は逆に受け入れる事をためらった。

 しかし、橘の意見はどれだけ考えようとも否定しようもない事実である。


「一般人すら絵の偶像と結婚する例だって近年ではあるくらいだ。君のその考え方を否定するつもりはない。けれど、魔道界のあり方を批判するなら、それはすなわちヒスイへの非難に値するよ」


 出された名前に、昨日の出来事が頭の中で蘇る。そして橘の言葉を反すうする。

 冷静になるために、拓人は再び席に腰かけた。

 自分が気づかぬ間に、ヒスイの存在そのものすら否定してはいなかっただろうか?

 ヒスイは一件人間の姿だが、魔物と同じようにバケモノのような姿にもなる。そのことは既に知っていて、とっくに受け入れたつもりになっていた。

 なのに、ヒスイ以外の混血と出会い、その家庭の生々しさに触れた途端。とめどない忌避感で溢れて冷静ではいられなくなった。

 ヒスイ相手には、もうそんな感情残っていなかったのに。


「ちょっと、なんで泣きそうな顔をしているんだい?」

「わかんない、です」


 ヒスイに差別的意識を向けた事実が今更になって押し寄せて、結局自分が落ち込んでいる。

 人でも魔物でも神でもない。けれどヒスイはヒスイだった。

 番に対する認識については改めて貰う必要があるが、彼女は間違いなく拓人に愛とは別の好意を抱いていた。拓人はそれを棚に上げていたのだ。だから勝手に勘違いして、勝手に裏切られた気分になって、癇癪のようにヒスイに当たった。

 自分はハッキリとした好意を返せていないのに。

 

「何、ヒスイと喧嘩でもした?」

「喧嘩……かどうかも怪しいです」


 両手で顔を覆い、天井を見上げる。ヒスイに対して八つ当たりのように怒りをぶつけた罪悪感に、全身から力が抜けていく。

 特に何も事情を言っていないのに、橘は何かを察したようだ。溜息を吐いて、ヘラの柄でブスリと拓人の頭を差した。


「何かしたのは分かったから、こんなところでフニャフニャしてないで早くヒスイに謝りに行きな」


─────────────


 謝りに行けと言われて美術室を追い出されたものの、拓人は二の足を踏んでいた。

 ヒスイの好意を棚上げしていた自覚はある。だが、一方で魔王になるというヒスイの未来には未だ納得がいっていない。

 そんな状態でヒスイと話しても、きっとお互いの考えは平行線を辿るだけだろう。

 だからこうして、公園のベンチでスマホ片手に項垂れている。

 せめて謝ろうと通話アプリを起動しては、踏ん切りがつかずに電源を消す繰り返しだ。


「どうするかなぁ……」


 このまま項垂れていても状況が変わるわけでもないのに。

 うんうんと悩みながら俯く拓人に、突然人一人分の影が差した。


「君は……魔道使いかい?」

「は?……あ???」


 聞き覚えのない声から聞かれる「魔道使い」という言葉に、警戒を持って顔を上げた拓人は混乱した。

 ゴルフクラブでも入れているかのような筒状のケースを3つも背負い、季節外れのコートを着こんだ男は、目つきの優しい崇徳だった。


「その反応……弟の知り合いかな?」

「弟?え?は!!??」


 弟。すなわち兄弟。

 拓人の知り合いのなかで該当しそうなのはそれこそ1人しかいない。

 崇徳が弟。つまり、崇徳の、


「兄!!!????」

「ははは、久しぶりだね。その反応」


 自称崇徳の兄は乾いた笑いを浮かべる。雰囲気は弟よりもずいぶんと柔らかい。

 そして思い出した。崇徳とヒスイの関係は叔父と姪であることを。しかし、崇徳の兄弟関係は姉がいることしか聞いていない。


「ヒスイの……親?あれ、お姉さん?…………ん???」

「はっはっは。やっぱりあいつ、僕の事は喋ってなかったか」


 声を出して笑う男の目は笑っていない。男の瞳に宿る感情は、青魔道を使っている今の拓人には知り得ない。


「隣、いいかい?」


 混乱する拓人の隣に、一言かけて男が座る。

 やれやれ、と呆れたような声を出しながら肩にかけていたケースを降ろした。ゴトリ、と重々しい音が地面とこすれる。


「私の名前は弓束 将司(ゆみづか まさし)。もうお察しの通り、崇徳の兄だ」

「あ、俺は青桐 拓人です」

「き、君が拓人君!?」


 突然目を剥いた将司に、思わず拓人は少し距離を置いた。

 ここ数日で何度目かも分からないので流石に慣れたが、知らないところで名前が広がっているのは相変わらず居心地が悪い。


「ああ、いや、ごめん。怖がらせるつもりはなかったんだ。ただ、私は君に用があって探していたんだ」

「はぁ……」


 この通り、と降参するように将司は手を上げるが、信憑性は低い。

 唯一、崇徳の血縁であることは顔を見れば明らかだ。目元以外瓜二つの顔をじっと見つめていたら、将司は照れたようにはにかんだ。


「顔で分かる通り、あいつと血も繋がってる。でも、ヒスイは関係ないよ」

「どういう……?」

「崇徳の姉はあいつにとって義理の姉だ。アレと紡(つむぐ)さんは血は繋がってない。崇徳の義理の姉と、人外の間から産まれたのがヒスイ・レイノルズだ」


 衝撃の事実に拓人は雷に撃たれたような心地だった。

 さも親戚ですと言わんばかりに語っていた本人たちに、実は血縁がなかったなんて。崇徳とヒスイの性格が似ていたことも血縁である印象を助長させた。

 動揺を隠すこともできない拓人に、将司も苦笑いだ。


「えっ……えぇ~~……」

「やっぱり、言ってなかったか」

「……いや、でも弓束さんがなんも関係ないことはなくない?おっさ……崇徳サンの姉ってことは弓束さんの姉か妹になるんじゃ?」

「将司でいいよ」


 名前呼びを勧めた将司は言葉を切ったまま、何もない正面を見据えた。


「……ある事件をきっかけにね、バラバラに引き取られたんだ」

「ある事件?」

「とある4人家族の一家で起きた殺人事件。長男が帰宅したとき、無残な遺体となった夫婦が発見された。犯人は当時6歳の次男だった」


 2人の間を吹き抜ける風の音が嫌に大きく聞こえた。

 まるで他人事のように将司は語ったが、その家族が誰の事を差しているのかは考えるまでもなかった。

 そして蘇る、崇徳本人とマキナの証言。


『人ではないからな』

『生まれ変わった者は通称、転生者と呼ばれておる』

『崇徳は以前、魔界を震撼させた恐ろしい魔物であった』


 今までの会話と将司の証言が繋がる。

 拓人の中で崇徳は自分勝手で、人を寄せ付けず、全てを害する気迫を持った人だった。けれど、本当に人間を、それも実の両親を殺害するような人だと思わなかった。

 将司は崇徳が魔物の転生者だと知っているのだろうか?このタイミングで問う勇気は拓人にはなかった。


「…………動機は?」


 やっとの思いで絞り出したのは、深入りする発言だった。

 よせばいいのに。拓人自身も内心自分に呆れていたし、将司も拒否するように首を振った。


「当時私も小学生だったからね。両親の遺体を見たショックで、当時の事をよく覚えていないんだ。何より魔道絡みの出来事だったからね」

「…………」

「そんなわけで僕は遠い親戚に預けられて、弟は凶悪な魔道使いとして秘密裡に処刑……されそうなところを、とある傭兵に誘拐された」

「!?」


 話の流れが突然大きく変わり、思わず将司を二度見した。

 さも当然とばかりに将司は平然と言葉を続ける。


「傭兵はそれはもう強くてね。正式な魔道使いではなかったんだけど、それなりの知識をもっていたらしくて当時の八儀席の3人を1人で撃退したほどだ。そして、その傭兵が弟より先に育てていた少女が崇徳の姉と呼ばれる人さ」

「それで義理の姉……」


 なんとも複雑な家族関係を垣間見た。

 サラリと誘拐と言っているが、そのまま普通に過ごしてしまう崇徳も崇徳である。いや、正直件の傭兵が気になりすぎる。八儀席の3人を撃退しながら2人の子育てをしたなんて、どんなハイスペック人間だろう。


「さてと、」


 モヤモヤと思考を巡らせていると、将司が話の舵を切った。


「話が逸れたけど、拓人君。僅か6歳で両親を惨殺した男と、そんな男が育てた恐ろしい力を持つ少女。


 ──────そんな彼らと、これ以上一緒にいたいかい?」


 将司の問いかけの意図が、恐ろしいほどすぐに理解できてしまった。

 理解できたからこそ、到底かなわない願いに先回って落胆する己を隠す為、笑って誤魔化した。


「な……えぇ?」

「もう分かっているかも知れないけれど、改めて言うよ。君の置かれている立場は非常に危険だ。魔道使いという思考回路が一般とズレた集団に囲まれているから感覚が麻痺し始めてるのだろうけれど」

「いや……いたいも何も、離れられねぇし……」

「離れられるとしたら?」


 希望論を語られても困る。気持ちはありがたいけれど、もう無理だから。

 そう言って、できるだけ強めに断ろうとしたのに。将司が今まで見てきた誰よりも真剣な眼差しをしていた。

 つい怖気づいてホロリと崩れた青魔道の結界の隙間から、包むような暖かさがじわじわと広がってくる。


「私はね、ASAO(Anti Sosery Autonomous Organization)という組織に所属している。端的に言うと、魔道と魔道使いの旧体制から独立を図る団体さ。私は今回、君を保護する為に日本に戻ってきた」


 まったくもって聞いたことのない組織だ。

 そんな組織あるなんて眉唾ものだが、将司が嘘を吐いているとは到底考えられなかった。


「保護って……どこに」

「詳しくはまだ言えない。少なくとも海外になる、とだけ伝えておこう。そして、今の生活は全て捨てて貰うことになる。残念だけど、家族とも縁を切って貰う」

「そんな、」

「これは言いにくい事だけどね、魔道は使えば使う程大きな力を呼び寄せる。その時、被害を被るのは君だけじゃない。何も知らない拓人君の家族も同様だ……かつての僕のようにね」


 目を伏せる将司に拓人はハッとする。

 そうだ、将司は崇徳のせいで両親を失ったと、たった今語ったばかりだ。

 それについ昨日、拓人の家の近所に魔物が現れたばかりではないか。昨日狙われたのは拓人だけだったものの、もし標的が他に移っていたら?知らずに落とし穴を跨いでいたような恐怖に背筋が冷えあがった。

 いつか拓人の家族も殺されてしまうのか?崇徳か?魔物か?それとも顔も知らない魔道使いにか?


「どうする?」


 将司が手を差し伸べる。

 どうする?

 将司に問われた言葉を反芻する。

 思い浮かぶのは家族とのささやかな幸せから、つい先日までの目を回すような刺激的な日々。

 思い浮かんで、浮かんで、浮かび続けたまま……消えない。


「手放したく、ない」


 手放したくない。

 幸せな人生とは言い難い。唾を吐き捨てたくなるようなクソみたいな出来事も両手では足りないほどあったし、これから血反吐を吐くような思いをするかもしれない。

 だけど、浮かび上がって消えないのはささやかな幸せじゃなくて、この数日ずっと傍にいたあの翡翠色の瞳だった。

 右手に持ったままのスマホを握りしめる。


「まだ、謝ってない」


 頭上から将司が驚いたように息を吞む音が聞こえる。

 目の前がカーッと熱くなって、喉が締め付けられるように痛む。

 我ながら馬鹿な事を言ってると思う。あれだけ嫌がってたのに。数日前の自分ならきっと頭を縦に振って目の前の手を取っていたのに。


 今はヒスイに会えなくなる事が、泣きたくなる程に苦しくて寂しい。


 あれだけ嫌だ嫌だと駄々をこねるほど離れたがっていたのに、いざ離れられるチャンスを前にして思い出してしまった。

 彼女も人と同じように笑うこと。人と同じように悩むこと。

 普段は人外としての思考を隠しもしないくせに、時折見せる人として苦悩し、笑ういじらしさにどうしようもなく惹かれてしまう。

 だから。


「待ってもらえますか」


 もう一度ヒスイに会いたい。

 昨日の話の整理を付けて、その上でもう一度差し出された手をどうするか考えたい。

 すると将司はどこかほっとした様子で、差し出した手を引っ込めた。

 

「どうやら、私たちは勘違いをしていたようだね」

「勘違い……?」

「私たちは、君がヒスイに一方的な気持ちを押し付けられてるものだと思ってた。でも、君達はちゃんと好き合ってる。そこは少し安心したよ」

「好き合って……?」

「え?」

「ん!?」


 好き合ってる?好き合ってる。

 好き、好き。誰が?

 ヒスイが俺を?いや違う。

 俺が、ヒスイを。

 好き、合って


「は」


 わかりやすいほどに顔に熱がたまる。

 そんな馬鹿な。違うんだと否定しようとしても言葉が出てこない。

 だって自分でもどうして気づかなかったのか分からない程に、好きという言葉を否定する理由が出てこない。

 人としてふるまう事を苦悩するのをいじらしいと思うのも、恐ろしい姿を見た後でも尚また会いたいと心惹かれるのも。

 是すなわち、恋。


「っぁあああああああぁぁぁぁぁぁぁぁ………………」

「あっ、あーそっかぁ……甘酸っぱいねぇ」


 何かを察した様子の将司の言葉が、拓人の羞恥心を煽る。

 せめて、せめてこんな形で己の中に芽吹いた感情を知りたくなかった。

 悶えて転がりたくなる衝動を堪える為、手に持っていたスマホを放り投げて顔を覆う。宙に浮いたスマホは将司がキャッチして保護した。


「将司さん、なんで言うかなぁ!!」

「私も知らなかったんだよ。まさか無自覚だったなんて」

「ううううううぅぅぅ」


 言い返そうとしたら墓穴を掘ってしまった。いっそその墓穴に入って埋まってしまいたい程だ。

 うめき声を上げて悶えていた拓人だったが、情けない声を着信音が打ち消した。音の出所は将司の手の中だ。


「出なくていいのかい?」

「……出ます」


 正直通話できるような心境ではなかったが、画面に映っていた名前が「進」だったのでしぶしぶ応答することにした。

 もしかしたら、ヒスイの事についてなにか分かったことでもあるのかもしれない。


「もしも────」

『そっちにヒスイいる!?』


 挨拶もなしに焦った声が耳を貫き、キーンと反響する。おかげで羞恥心や悶えたい苦しみが少しだけ吹き飛んだ。


「……いないけど」

『最後に会ったのは!?』

「昨日の夜」

『じゃあ君が最後の目撃者になる!何か、どこに行ったか事情を聞いてない!?』

「いや……とくに」


 先ほどから様子がおかしい。いつもヒスイに置いて行かれている進だが、こんなに取り乱した様子は初めてだ。

 それに、「最後の目撃者」という一言に嫌な予感がよぎる。

 どうか外れてくれ、と願いながら拓人は進に問うた。


「ヒスイがどうかしたのか?」

『昨日の夜を最後に行方不明なんだ!魔道による探知にも引っかからない!』


 一瞬、呼吸の仕方を拓人は忘れた。


「ど、どうして……」

『それが分かったら苦労しないよ!とりあえず君はそこを動かないで!迎えに行く!』


 一方的に要件だけ伝えられ、通話を切られてしまった。

 昨日のやり取りを最後にヒスイがいなくなった?ヒスイを疑うような発言をしたから?

 瞬間、嫌な想像が一気に脳内に溢れだし、冷や汗が吹き出る。

 傍らで自分のスマホをスクロールしていた将司が顔を上げた。


「今、私の方でも連絡が来た。ヒスイがいなくなったって……大丈夫かい?」

「ま、さしさん……どうしよう、俺のせいだ。俺が、俺のせいでヒスイが……」

「落ち着いて、まだそうと決まった訳じゃない」


 将司は3つのケースを抱えて立ち上がった。


「既に魔道使いが動き出した以上、私たちASAOが横槍を入れると拗れてしまう。電話の相手はなんて?」

「……ここで待ってろって」

「なら君にできる事は2つ。魔道使い達を待ってヒスイの捜索に加わるか、私と共にこの国を出るか……なんて、答えはもう決まってるよね」


 拓人は深く頷いた。

 将司は少しだけ悲しそうに眉を下げ、メモを取り出して拓人に差し出した。

 中身は将司の名前と、メールアドレスが書き写されていた。


「もし何かあったり、どうしようもなく逃げたくなったらそこに連絡しなさい。私が君の逃げる手助けをしよう」

「……ありがとうございます」


 将司の優しさが、色々な意味で荒んでいた拓人の心に沁みる。同時に、彼の優しさを結果的に無碍にしてしまった申し訳なさがこみ上げた。

 そんな拓人の心境を察してか、「気にしないで」と将司は手を振る。


「さて、多数の魔道使いとの接触は避けたいから僕は先に行くよ。ヒスイ、見つかるといいね」

「…………はい」


─────────────


 迎えに来た進が乗っていた車には、意外にも崇徳しか乗っていなかった。

 崇徳が運転する車の中、進が状況の説明をする。


「さっきも言った通り、昨日からヒスイの姿がどこにもいない。僕の白魔道での探知にも引っかからない状態だった」

「だった?今は見つかったのか!?」

「君が最後に会ったと聞いてから、君の道力を探知にかけてみた。すると、佐間教会というところが引っかかった」

「佐間教会?どこ?」

「君の家の最寄りから2駅離れた場所。で、件の教会はここ数日の間で増えてる魔物の出没の報告が多い地域と合致している。ヒスイは、魔物絡みの大事に巻き込まれた可能性がある」

「それ、大丈夫なのかよ!?」


 より焦燥感が増す拓人とは代わり、進は眉根を寄せた。


「大丈夫な訳ないだろう。ヒスイはただでさえ異常な能力を持っているんだ。利用されてる場合、最悪この町一体が戦場になる可能性だってある」

「そうじゃなくて、ヒスイの心配!」

「うわっ!」

「あいつのこと心配じゃないのかよ!!」

「やかましい」


 あくまでも周囲の被害の心配しかしていない様子の進に、拓人は勢いのままに隣に座る進の胸倉を掴んだ。

 するとそれまで黙っていた運転席に座る崇徳がぴしゃりと拓人の発言を遮った。

 同時に蘇る、つい先ほどの将司の語った事件の概要。


『僅か6歳で両親を惨殺した男と、そんな男が育てた恐ろしい力を持つ少女。そんな彼らと、これ以上一緒にいたいかい?』


 ヒスイに会いたいという願いには、今の拓人ならばYesと答えられる。だが、崇徳に関してはどういった感情で向き合えば良いのか分からない。


「アンタの、姪だろ」

「アレは抵抗もできずに何かに攫われる程ヤワな生き物じゃない。にも関わらず、痕跡も残さず消えたとなると意図的、もしくは唆した何者かの同意の元に気配を消したことになる」

「……だから?」

「察しが悪い。あれほど監視される意味を自覚していたにも関わらず、こんな形で姿を晦ましたということは、最悪魔道界に仇名す企てに加担している可能性もある」


 否定の言葉が出なかった。

 最後にした会話の内容が内容だ。目には目をと八つ当たりのように彼女を追い詰めた自分を責めたくなった。


「拓人」


 呼ばれた名前にハッと顔を上げる。

 今、間違いなく崇徳が名前を呼んだ。

 運転したままの彼の感情は、バックミラー越しでも伺う事ができない。


「お前がすべきことは、ヒスイを捕まえて消えた理由を聞き出すことだ。お前相手ならば何か吐き出すこともあるだろう」


「そんなこと、俺にできるかな」

「でなければ、半人前のお前を戦場に連れて来るものか」

「戦場?」


 ずっと動いていた車のエンジンが切れた。

 いつの間にか、車の左隣には見たことのない教会が建っていた。

 隣で分厚い本を開き、水色のペンでサラサラと書き込んでいた進が眼鏡のツルを押し上げる。


「ビンゴですね。教会の地下に、魔道界で未登録の紫招門の反応があります」

「結界を張れ、お前はここで待機だ」

「了解」


 隣でいつぞやのように呪文を唱えはじめた進を眺めていたら、反対側からコンコンと窓をノックする音がした。

 驚いて拓人が振り返ると、そこには意外にも橘が立っていた。


「部長!?なんで!?」

「今動かせる唯一の戦力だ」


 説明しながら車を降りる崇徳に、慌てて追うように拓人も車を降りた。

 出迎えた橘は「よっ」と気軽に右手を上げる。


「大変なことになったね」

「はい……あの、部長だけなんでここに?」

「ここ私の家の近く。最短で招集できた魔道使いは私たちだけだから、先に突撃してヒスイを確保するよ」

「加えて魔物の発生増加の件もある。魔物の巣窟になっていたら、まず間違いなく戦闘は避けられまい」


 戦闘という単語に息を呑む。

 拓人は昨日、魔物一体を相手にボロボロになって抑え込むのがやっとだった。そんな中、とても戦力になる気はしない。

 緊張で固くなる体を、バシバシとほぐすように橘が叩いた。


「大丈夫大丈夫!その為に私が呼ばれたんだから!戦闘と青桐の護衛は私たちでなんとかするから、君はヒスイを見つけることだけ考えな」

「時間が惜しい。行くぞ」


 至っていつも通りの2人に逆にペースを乱されそうになる。

 しかし、ここは2人の言っていたように敵の巣窟になっているかもしれない。そしてその中心にヒスイがいる可能性もある。


 (大丈夫だよな、ヒスイ)


 ヒスイの事を思い出し、己に活を入れる。

 先を行く2人を追うように、拓人も教会に足を踏み入れた。

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