第九話


 テスト週間に差し掛かった6月の中旬。

 各部活も休みとなり、ぞろぞろと生徒たちが下校していく波の中に拓人は立ちすくんでいた。

 人込みのど真ん中に立っている。ほんの数週間前には考えられないことだった。

 いつもは図書室で校門に人がいなくなる頃合いを待っていた。だが、今は魔道のおかげでその必要もない。学校内で使う分には既に橘をはじめとした魔道使い達も周知なので問題だってない。


 つまるところ、今の拓人は「暇」であった。


 勉強しろよ。

 そう言われてしまうとぐうの音も出ないのだが……なんというか、そういう気分ではない。


「何してるの?」


 すっかりお馴染みになってしまった声に頭だけ振り返る。

 案の定ヒスイが、心底不思議そうな顔で立っていた。

 いつもと違うのは、大抵背後にいる進がいないことくらいだ。


「あー……暇」

「わかる」


 流石に言うのを躊躇った拓人に対して、ヒスイは間髪入れずに深く頷いた。

 わかるのか。いや、分かってどうする。


「お前頭いいの?」

「そういうわけじゃないけど、勉強ってめんどくさくない?」

「わかる」


 今度は拓人が間髪入れずに頷いた。

 なんて頭の悪い会話だろう。

 通りすがった女子生徒がクスクスを笑い、拓人急に気恥ずかしくなった。


「ヒスイの家……は、そうか、おっさんいないのか」

「うん。変わらず」


 その時、通りすがった大柄な生徒が拓人の肩にぶつかった。

 いかにも不良なその生徒は一瞬拓人にガンを飛ばしたが、すぐ横で睨み上げるヒスイを視界に入れた瞬間すごすごとその場を後にした。

 以前進が話していた。ここら一帯の不良は全員横暴な態度のヒスイに脅すつもりで舐めて掛かって、暴力的に返り討ちにあったと。


「何アイツら、ムカつくんですけど」

「ほっとけほっとけ」


 拳を握るヒスイをいさめながら、拓人は自身の知覚についてまた考えていた。

 やはり、ぶつかった肩以外は痛くなかった。

 そして脳裏によぎるのは、検査を終えた後のマキナとの会話だった。


─────────────


『ここを見よ』


 ここ、と差したのは聖魔に関する話をしているタイミングだ。

 前後の波形より、ふり幅がやや大きい。


『反応……してる?』

『そう、反応しておる。お主自身の言葉に』


 マキナの言葉が一瞬理解ができず、思考が停止する。


『……ん?』

『感情とはすなわち、魂の発露。魂とは、魔道をもってしても未だに形を捉えられぬ謎多きものじゃ。ゆえに、その形も感情の起伏によって形を大きく変えている……のやもしれぬ』

『つまり、俺にぶつかってくるのは感情だと思ってたけど、正確にはその人の魂?』

『仮定であるがな。過去に何度か知覚者の資料を見たが、このような反応は見たことがない』


 マキナは深刻そうに口を手で覆う。一方の拓人はいまいち実感が湧かず、理解の及ばない資料をざっと舐めるように読んで、首を傾げた。


『そんなに珍しいん?』

『反応が薄いのう。お主にとって己の魂など常に触れてるようなものであるから、仕方ないといえばそうか……知覚者でも、自身の変化に反応する例は数少ない』

『へー』

『ヒスイが惹かれるのも無理はないな』


 何故そこでヒスイが出てくるのか。知覚の話をしていたはずなのに関係ない人物の名前が飛び出して拓人としてはどこか納得がいかない。

 少しムッとしながら問おうとしたところで、けたたましいベルの音がつんざいた。

 足元に集まっていた動物たちが怯えたように散っていくなか、マキナはドレスのフリルをめくって手を突っ込む。彼女はフリルの中に埋もれていたベルの音源であるスマホを取り出し、拓人に断りもなく通話ボタンを押した。

 

『なんじゃ、こっちは取り込み中じゃ…………はぁ!!?またか!!あのガキの監視は何をしとる!!……ああ、もうよい。妾がそちらに赴く』


 苛立たし気に通話を切ったマキナは、魔道使い登録の為に切り取った拓人の髪の毛を持ってあわただしく部屋を出ていく。

 突然様子が変わったマキナに、何事かと拓人が問う前に彼女は肩から大きな鞄をさげながら扉の隙間から顔を出した。


『妾は用事ができた。必要なことは調べたので、崇徳が戻ったら調査結果を持って帰れ』

『ちょ、それまで何すれば……』

『好きに過ごせ。ああ、機材には触れるな!』


 言うが否や、マキナは脱兎の如く家を後にした。

 見送る暇もなく呆然と立ち尽くした拓人は、ガラクタだらけの中を飛び回る機械獣と部屋を見回してぽつりと呟いた。


『…………掃除するか』


─────────────


 結局魂を知覚しているというのはイマイチしっくりこなかった。

 しかも戻ってきた崇徳に無事人界に帰されたと思ったら、崇徳までも何やら探し物があるとかなんとかで、とんぼ返りのように魔道界に戻っていった。何故か絶望しきった顔の進を連れて。

 そんなわけで、知覚について聞ける人がいなければ、テスト期間で美術部も閉まっているため魔道について先輩達に教わりに行くこともできない。

 ある意味で普通の学校生活を送ることを余儀なくされていた。


「じゃ、いこっか」

「……ん?」


 思考を別の方向に飛ばしていた拓人は、ヒスイの声に引き戻される。

 行くって、どこに?

 生徒の波に従ってズンズン進んでいくヒスイを焦って呼び止めた。


「待て待て勝手に決めんな!行くってどこにだよ!」

「え?遊びに」

「あそ……遊び?」


 ヒスイの頭に遊ぶなんて概念があったのか。はたまた、遊ぶと書いて暴力的なあれこれなのかもしれない。などと失礼なことを考えている間に腕を捕まれ、引きずられるようにヒスイの背を追いかけることになった。

 しかし、文字通りバケモノ並みの体力を持つヒスイと、趣味で合ったダンスを辞めて1年は経つ拓人では悲しいことにスタミナの差がありすぎる。

 おまけに今日は梅雨にあるまじき夏を思わせる快晴だ。空から降る太陽光と、アスファルトに反射して噎せ返る熱気。連日の湿度の高さも相まってじわじわと熱が拓人を追い詰める。

 10分も走れば、汗まみれでヘロヘロになっていた。


「も……きゅ、け……」

「えー、男子のくせに情けないなぁ」


 こんなの男子関係ねぇよ!

 なんて叫ぶ元気もなくなった拓人は、フラフラと道の脇に設置された自販機に吸い寄せられていく。水筒の中身は5限目の体育で飲み干した。

 財布を取り出すついでに、汗拭きタオルで額と首だけ乱雑にぬぐう。自販機に100円玉を2枚投入し、迷った末にスポーツドリンクを選んだ。


 ガコン


 1秒後にペットボトルが受け取り口に落ちる。

 取り上げようと屈んだ時、既に左から伸びてきた腕がペットボトルを取り上げていた。ハッとするよりも早く、結露もせず冷たいだけのそれを左頬に押し付けられた。


「んがっ!」


 攻撃を受けた左頬を庇いながら飛び退いた。

 仕掛けた犯人は「変な声」とケラケラ笑っている。


「なんだよ急に……」


 拓人の知るヒスイは、こんな小さな悪戯をするような奴ではなかった気がする。子供じみたその行為は、ごくありふれた人間の遊び心と変わらないではないか。

 ヒスイは拓人が購入したスポーツドリンクを差し出した。


「やってみたかったんだ。一度」


 ありふれた、いつもの光景。

 けれど目を細めて笑うその顔が、何かを突き抜けるほど爽やかで────


「……拓人?」


 逆光となる太陽も相まって拓人は眩しそうに目を細めた。


「……なんでも!」


─────────────


 ヒスイに連れられてやってきたのは、先月できたばかりのショッピングモールだった。学校から見て家とは反対方向にあるため、拓人も来たのは初めてである。そもそも、ショッピングモールなんて来るのもいつ以来だろう。


「ひさしぶりに来たかったんだよね。叔父さん、最近は全部買い物はネットで済ませちゃうし」

「あ?あー……」


 しっくりくるような、こないような。でも、確かにあの男がショッピングモールを活用しているイメージこそ全く湧かない。

 

「何か買いたいものでもあんの?」

「特には」

「おい」

「あ、強いて言うなら服とか」


 至って普通の女子高生が欲しがるものを例に挙げられて、意外性に拓人は狐につままれた顔になった。

 早速一番近いアパレルショップに入っていくヒスイに、おそるおそるついていく。純粋に、ヒスイがどんな服を選ぶのか興味があった。

 だが、彼女が5着目のハイウエストデニムを無造作に籠に入れたタイミングで流石に待ったをかけた。


「おい」

「ん?なに?」

「お前本当に服見てるか?」


 先ほどからヒスイは服のサイズしか確認していない。統一性のない服選びに、店員も様子を伺うように遠巻きに様子をみているだけだ。

 すると、不貞腐れたようにヒスイは唇を尖らせた。


「だってどうせすぐ着れなくなるもん」

「着れなくなる?」

「変体するから、服敗れる……」

「へんっ……あぁ」


 つい大きな声が出そうになったが、すぐに納得いった。

 ヒスイは翼やら尾やら足やら生える。あれでは確かに普通の服など邪魔になるだけだろう。たしか魔道図書室での一件でも、ブレザーとカッターシャツをダメにしていたような気がする。

 しかし。だがしかし、だ。


「折角なら似合う服を買えよ。お金だってもったいないだろ」

「経費で落ちるし」


 間違いなく魔道界隈の経費だ。決して良くはないが、金銭問題は気にしなくてもいいだろう。でも拓人が気にしているのはそこじゃない。


「そのデニムはともかく、さっき取ったオーバーサイズのシャツは生地も薄いしてろんてろんになるぞ」

「……じゃあどうするの」

「えー……あ、この夏物ニットとかどうだ?お前スレンダーだし、ボディライン見せるくらいが綺麗に見えるだろ」


 そこまで言葉にしてハッと我に返る。俺は何を口出ししているんだ。

 遠巻きにしていた店員がクスクスと笑う気配がして、カッと耳が熱くなった。ヒスイに差し出したニットを、元に戻そうと手を引っ込めようとしたが、既にヒスイがニットを掴んで引き寄せていた。


「そっか。じゃあこれ買ってみる。ありがと」

「おう……試着、しろよ」

「そうだ、他にも選んでよ。私詳しくないから」


 この状況でも何故かケロッとしたヒスイは拓人に更なる爆弾を投下する。

 いや、いい……いいのだが。


「せめて店変えよう」

「え?いいけど……あ、私背中が空いた服がほしい」


 じゃあ試着してくるね。

 そう言ってヒスイは店員と一言二言交わして試着室に消えていく。ヒスイから服の入った籠を受け取ったアパレル店員は、ふいに目が合った拓人にニッコリと意味深な笑みを浮かべた。


─────────────


 結局店を変えても、似たように会計時に店員に微笑まれた。

 居心地悪くムズムズしている拓人とは正反対に、前を歩くヒスイはどこか上機嫌だ。浮かれる背中を眺めていると、ふわりと甘い香りが漂ってきた。

 いつの間にかフードコートまで来ていたようだ。一番手前の店ではアイスクリームが売っている。

 一度目に入るとどうしても食べたくなるのは日本人の性だろう。旨い物には目がない。


「なぁ、アイス食おう」

「……やだ」


 この上機嫌なら絶対に乗っかるだろうと思っていたのに、ヒスイはあからさまにテンションを落として断った。

 アイスが嫌いなのだろうか?


「じゃあシェイクとかなら飲むか?どっかにカフェもあったよな。俺、小腹空いた」

「そういう問題じゃない」

「……何で怒ってんだよ」


 ヒスイの頑なな言葉に、つい反射的に強い言葉で返そうとするのをグッとこらえる。

 一対するヒスイはとても言いづらそうに、小さく口を開いた。


「私、味覚ないから。食べるの嫌い」


 初めて聞く事実に、拓人は己の耳を疑った。


「は?」

「取り込んだものは全部道力になるから、体に有害な物を選ぶ必要がないの。だから生まれつき味覚がない」


 ヒスイの説明は随分と投げやりなものだった。

 拓人が答えあぐねていると、ヒスイは拓人を押してアイス屋の列に無理やり並ばせた。


「ちょ、ヒスイ!?」

「食べたいんでしょ?私、向こうで待ってるから!」


 それだけ言い残してヒスイは座席のあるエリアに行ってしまった。

 折角の楽しかった雰囲気が、全て台無しになってしまった気分だ。そしてやっと拓人は気づいた。


 (そっか。俺、楽しかったんだ)


 楽しかった。楽しかったのだ。

 ただヒスイの服を選んで回っただけだが、こんな風に誰かと買い物をしに来ること自体久しぶりだ。何より、拓人の言葉に一喜一憂するヒスイを見るのが楽しかった。

 それと同時に拓人の言葉がきっかけで台無しになってしまったことが酷く悔やまれる。

 ヒスイが食事を取っている時はあった。思い起こしてみれば、食事中のヒスイは常に無表情だった気がする。気付くタイミングはあったのに、常にスルーしていた自分が恨めしい。


 (……ていうか)


 これ、デートでは?


 ヒスイにその意図があったかどうかはわからない。が、ショッピングモールに買い物に来た高校生の男女2人など、はたから見ればデートに来たカップルも同然だ。

 そして拓人は、デート失敗しかけて落ち込んでる男子高校生そのものだ。

 急に自分の立場が恥ずかしくなって、顔が熱くなる。注文が自分の番になってきても頭が上手く回らず、咄嗟に眼に入ったストロベリーのシングルしか頼むことができなかった。

 店員からアイスを受け取り、深呼吸をして顔の熱を逃がそうと努める。

 先にテーブル席に向かったヒスイを探せば、彼女は椅子に座らずに柱に持たれかかっていた。先程の会話を引きずっているのか、俯く顔に元気はない。

 

「なあ、大丈夫か?」


 ヒスイが顔を上げる。

 そこに佇むヒスイは周囲に取り残された子供のように、どこか心細く頼りなさげに見えてどうしても心配になった。


「……拓人は楽しい?」

「まあ、それなりに?」


 問いに問いで返されてとりあえず頷いた。

 ヒスイの様子がおかしい。何かあったのか、アイスを持っていない手で肩を叩こうとした。


「ほ ん と う に ?」


 下ろした手は空を切った。


「え」


 水を打ったように静まり返ったフードコート。

 瞬きをした瞬間、ヒスイだけでなく周囲の人間の誰もが音もなくいなくなった。しかもフードコートに付けられた窓から見える外は、まだ夕方であるはずなのに、月明りに照らされた夜のように濃い青に染まっていた。

 カッと全身が熱くなり、鼓動が早まる。これに似た現象に拓人は心当たりがあった。魔物討伐の際に、似たようなことを進がやっていた。詳しい説明を覚えていない己の記憶力を罵倒したくなる。

 とにかく、これが魔道を使った現象だということだけはハッキリしていた。


「よう、迷子か?」


 気の抜けたアルト声に、アイスを握りしめて振り返る。

 赤い半袖パーカーに七分丈のボトムを履いた、格好だけならどこにでもいそうな小学生くらいの少年が立っていた。

 だが、金髪に碧い目の外国人を思わせる美麗な顔立ちにキラリと光るピアス。そしてこの誰もいない空間に拓人を除いてただ一人立っている異質さがこの人物を異常たらしめた。


「……誰だ」

「まあそう警戒すんなって。おれは別に敵じゃない」


 敵じゃないと言いながら、何故か少年はその場で屈伸をして飛び跳ねた。

 次の瞬間、5mは離れていた筈の少年が拓人の真横に、同じ目の高さにいた。


「あ!?」


 驚きのあまり握りつぶしそうになったアイスを、いつの間にか少年が拓人の手の中から救出し、華麗に着地した。

 そして既に溶けかかっていたアイスに拓人の断りなくかぶりついた。


「ま、見ての通りおれは特殊な魔道使いでね。このアイスを報酬代わりにここにいる間は守ってやるよ」


 この上なく怪しい。

 だが、先ほどの瞬間移動を使われた場合、拓人には対抗する手段がない。ここは大人しく従うしかないだろう。

 少しずつ体の力を抜けば、少年は満足そうに頷いた。


「おれの名前はオールディ。聞いたことないか?」

「ない」

「クックック!正直だな、嫌いじゃないぜ。でも覚えておくことをおれはオススメするね」


 少年──オールディはおよそ子供らしくない笑い方をして、手の中のアイスを大きな口で食べきった。交渉成立という事だろうか。


「人が消えたのはお前がやったのか?」

「違うね。どちらかというと、おれ達が消えたのさ。外をよく見てみな」


 言われるがままに、拓人はフードコートの窓から外を見る。夜だと思っていた世界は水圧で歪み、遠くに行くほど視界が濁っていく。おまけに、広がっていた住宅街は綺麗サッパリ消え、地面は海底のように砂まみれになっている。

 明らかに拓人が知っている世界ではない。


「え!?は!?沈ん……はぁ!?」

「ははははは!いい反応だねぇ!ここは神域さ」

「あ、いや、それもだけどさぁ!!」


 どういうことかと問いただそうとオールディの方を向けば、彼は何故か天井に足を付けて垂直に立っていた。

 

「これは気にするな。副作用みたいなものだ」

「副作用……?」

「よっ、と」


 オールディは宙返りして再び地面に足を付くと、何事もなかったかのように語り出した。


「神域は読んで字のごとく、”神”や”それに準ずるもの”の領域。普段は別次元にあったりして遭遇することはないんだが……神域の保有者に変化があった場合、稀に取り込まれたりする」

「保有者って、俺はただヒスイと話してただけ……」

「それだけか?」


 拓人の言葉をオールディは遮った。碧い瞳が拓人を射貫く。

 オールディが言わんとしていることがなんとなく分かってしまう。けれど、拓人の脳裏には己の本能に怯えたり、いたずらに成功して幼子のように笑うヒスイの顔が浮かんだ。


「……ヒスイは神じゃない」

「神域は神じゃなくても持てる。例えば半神、あるいは────」

「あいつは半魔物だ。本人がそう言ってた」


 何故頑なに否定するのか拓人本人にも分からない。

 だが、突然目の前に現れた魔道使いを自称する少年より、己の方がずっとヒスイという存在を知っている自信がオールディの言葉を遮った。

 オールディは肩をすくめて背を向けた。そして指だけで手招きをすると、拓人はオールディの真横に見えない力で引き寄せられた。


「うおっ…!?これ崇徳のおっさんもやってたやつ!」

「アイツのあれは黒魔道だろう。残念ながらおれのとは別物だ」

「お、おっさんと知り合い……?」

「一応な」


 崇徳の知り合いというだけで、少しだけ身構えていた心がほぐれた。


「離れるなよ。その為に引き寄せたんだ」


 仕方がなく、拓人はオールディの隣につく。

 フードコートを出ると、一番近くにあったエスカレーターの下り側に足をかけた。電力は通じていないのか、動かないのでそのまま階段として利用する。

 

「オールディはどうしてここにいるんだ?」

「正直に言おう。正確には神域に落ちたのは拓人、お前だけだ。おれは拓人が落ちたいわば”隙間”に魔道を使って割り込んだに過ぎない」

「……俺、名前教えたっけ」

「ヒスイ・レイノルズが選んだ番、だろ?あ、一応将来のか。どっちにしろ魔道界隈ではとっくに有名な話だよ」


 相変わらず、この話題は苦手だ。

 自分の将来のことも分からないのに周囲だけやけに番だの結婚だとの囃し立てる姿に、拓人は胸を掻きむしりたくなるような焦燥に駆られる。特に、オールディのような怪しい魔道使いまでも知っているとなると。


「おれがここに来たのはここの調査の為だ。ヤバイヤバイと騒ぐ割にだぁれも動かないからおれが重い腰上げてやったの」

「そんなにオールディは凄いん?」

「せやで」


 オールディは左右のダブルピースで柔い頬を挟みながらドヤ顔をする。何アピールなのかは分からないが、無性にイラッとしたので拓人はそれ以上は触れないことにした。


「ま、連中が怖がるのも無理ないんだけどな」

「……あ」


 拓人は思わず声を漏らした。

 オールディが東に位置する出入口を開け放つと、目の前にはいつか見た深海の泥にまみれた城があった。魔物討伐でヒスイに拉致されて以来だ。

 何故これが目の前にあるのかオールディに問おうとしたとき、拓人の隣にいたはずのオールディはいなくなっていた。

 

「おい、オールディ!?」

「よーんだ、かっと!」

「うお!?どこから……」

「フードコート」


 つい一瞬前まで隣にいたはずのオールディは吹き抜けとなった3階から飛び降り、ケロッとした顔で言ってのけた。そこから飛び降りたのか。

 先ほどからオールディの周囲にいると物理的な挙動がおかしい。拓人は一刻も早く目の前の少年とさよならしたかった。


「で?お前は一度あの城を見たことがあるな?」

「……一応。でも前はあそこまで泥は濃くなかったし、このショッピングモールもなかった」


 拓人は正直に告げる。


「ショッピングモールは残像みたいなものだ。神域は直前まで本人がいた場所の影響を受けやすい。問題は城の泥だな。想定より輪郭の現れる進行が早い」

「泥がないとまずいのか?」

「ん~……すぐどうにかなる訳じゃないんだが、言うなれば御しやすさの問題?」

「ぎょし……?」


 拓人がオールディの言葉の意味がまた理解できなくなっていると、オールディはなんの躊躇もなく城の門に手をかけた。

 そこで思い出した。以前拓人が門の扉を開けた際は強い水流に押し流され、そのまま神域からも出てしまった。


「おい!開けると────」

「ん?……なんにもないが?」

「……あれ?」


 しかし、オールディが開けてもなんの変化もない。試しに拓人が近づいてみても、城の中から水流が流れてくることはなく、あっさり中に入ることができた。


「なんで……」

「なんでだろーなー」


 明らかに訳を知っているであろうオールディは、それでも素知らぬふりを続けて城の中に入っていく。城内はいかにもファンタジーに出てきそうな、深海の青で統一された西洋の絢爛豪華な装飾に彩られてる。入ってすぐに広い廊下が真っすぐ続き、正面に門にも劣らない大きな扉が再びそびえたっていた。

 城内にも泥はあるが、どちらかというと陰に近い。以前の水のような抵抗も少なく、陸とほぼ同じように動ける。


「よし、入るぞ」


 誰もいないことを良いことに、ズンズン奥へと進んでいくオールディ。だが、拓人には嵐の前の静けさのような予感がした。


「待て、オールディ!」


 拓人がオールディを呼び止めるのとほぼ同時だった。

 物陰から2mほどの長さの何かが飛び出し、城を支える巨大な柱を破壊した。崩れた柱は扉に手をかけようしていたオールディに向かって真っすぐ倒れるが、オールディはその小柄に似合わない強烈な蹴りで柱を蹴り飛ばした。


「……お出ましか」


 明後日の方向に飛んだ柱を、破壊した犯人がキャッチした。


「……人魚?」


 ぱっと見のシルエットがそう見えたので、思わず拓人は呟いていた。

 全身黒い影に覆われたソレは人のように細長く、加えてイルカの尾びれを連想させる巨大な尾が生えている。しかし手も足も持ち、威嚇するように背中から伸びるコウモリにも似た翼を広げている。

 人魚の影は手にした柱を握りこぶし大まで分解し、それらを一斉にオールディに向かって飛ばし始めた。

 襲い来るガレキの雨を、滑るように移動しながら避けるオールディ。そして一旦、別の柱の影に隠れてふぅ、と一息吐いた。


「オールディ!」

「寄るなよ!ヤツの狙いは今はおれだ!」

「俺、どうすれば……」

「動くな。タイミングが来たら指示を出す」


 案外余裕そうに笑うオールディは、柱の影から敵を伺う。

 人魚の影は何かを溜めこむかのように一度のけ反った。


「■■■■■■■■─────────!!!」


 影があげたのは、悲鳴のような金切り声だ。拓人もオールディも、その耳障りな音に耳を塞ぐ。

 その金切り声は白魔道を混ぜた超音波のようなものだ。一定時間聞き続けると脳を破壊し、精神的にも肉体的にも内側から壊れていく。オールディはすぐさま自身と拓人に音を一定量遮る結界を張った。


「なあ、あれ何!?」

「神域所持者の防衛本能が神域限定で形を持ったものだ。本人じゃない」

「ていうかやっぱ入ったのまずかったんじゃねぇの!?」

「そうは言ってもなぁ」

「あいつ滅茶苦茶怒ってんぞ!?”これ以上近づくな”っつってんじゃん!」

「え?そんなんいつ言った?」

「とぼけんなよ、今言ってたろ!」


 嚙み合わない会話に吠える拓人を尻目に、影は周囲の水で複数の槍を作りだし、先ほどのガレキと同じようにオールディに飛ばす。オールディは瞬間移動のようにそれらを躱しながら、思考を巡らした。


 (神域はいわば所持者の内側。知覚者なら通常の知性体が感じ取れない情報を読み取った可能性もある。だが聞いた限りでは拓人の発達したのは聴覚ではなく”触覚”だ。なら……)


「拓人!今からおれが奴の隙をつくる!そうしたらお前が拘束しろ!」

「無茶言うな!!」

「過剰知覚者であるお前にしかできないことがある!」

「って言っても、この状況からどうやって……うおお!?」

「お、きたきた」


 拓人がオールディに文句を垂れていると、城そのものが音を立てて大きく傾きだした。

 バランスを崩す拓人には目もくれず、オールディは再び瞬間移動のように移動し、動揺する影の背後に回った。


「なぁ、パルプンテって知ってるか?」


 そう言いながらオールディが影に手を伸ばした瞬間、突然破裂音が響き、何もなかった場所に突如生まれた衝撃が城の柱の一本を破壊した。破裂音は次々と響き渡り、天井を、床を、何もない空間を衝撃波で吹き飛ばす。


「おれの魔道、『混』は特殊でな。なんでもできる代償に予測不能な現象が起きたり起きなかったりする」


 衝撃波が不意に影に当たった瞬間、オールディは影の尾を掴み、拓人のすぐそばに叩きつけた。


「おわっ!?」

「今だ!」

「つっても……!」


 衝撃波は止んだが、度重なる破壊で柱を失い支えをなくした城は不吉な音を立てながら再び天地が傾く。

 ガレキが振ってきやしないかと怯えつつ、拓人はもつれる足で影に近づく。


「■■■!!■■■!!!」

「やめろはこっちのセリフだっての!!」


 響く金切り声に頭痛を覚えながら、拓人は投げやりになりながら自分より一回り大きな体を押さえつけた。


《本当は、怖いくせに》


 突如知った声が頭の中から拓人の本心を当ててきた。

 一瞬力が抜けた隙に抜け出そうと影が暴れるので、慌ててまた押さえつけなおす。だが、力を込めれば込める程、拓人の頭の中を多くの声が占めていく。


《仲良くなった気になってるだけ》

《本当は、怖いくせに》

《どうせあなたも最後にはいなくなる》

《傷つきたくないからと、私にわき目も振らず逃げていく》

《本当は、怖いくせに》


「オールディ!早くしてくれ!!俺はどうすればいい!?」


 頭を埋めつくす言葉が煩わしくて、打ち払うようにオールディに助けを求めた。


「そのまま本心に身をゆだねればいいさ」

《だって貴方は無力な人間で、私は何物でもないバケモノだから》


 無慈悲なオールディと頭の中の声が重なった。


《最後には私を置き去りにするんだ》




「拓人?」


 いつの間にか、見覚えのある風景に戻っていた。

 ショッピングモールのフードコート内。目の前にはヒスイが、周囲の客や店員だって元通りだ。唯一、先ほどまで共にいた筈のオールディだけがいない。

 何か幻覚でも見ていたのかと思ったが、先ほど購入したはずのアイスは跡形もなく消えている。

 

「拓人」

「ああ、いや……ヒスイ?」


 キョロキョロと周囲を見回す姿はまるで不審者だっただろう。再び不安げな声で呼びかけたヒスイに向き直ると、拓人が想定していない表情を彼女はしていた。

 唇を薄く引き結び、困ったように眉を下げる。そして何よりも絶望したような緑の眼が拓人の心臓をざわめかせた。


「……見たの?」

「…………何が?」


 本当は分かってた。

 神域で聞いた声の正体も、ヒスイが何に関して問うてるのも。

 

 わかっていながら、拓人は「しらばっくれる」という一番最低な選択をした。


 ヒスイも気づいたのだろう。

 いつもの馬鹿力からは想定できないほど弱々しい力で拓人を押した。


「……帰る」


 踵を返し、人混みに向かって走っていったヒスイは曲がり角で見えなくなった。

 拓人には追いつこうとすら思えず、その一まわり小さな背に手を伸ばすこともできなかった。

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