第八話
「そろそろ魔道使いとして登録するか」
消しゴムを跳ね返せる程度の結界を張れるようになった頃、そう呟いた崇徳の言葉に拓人は振り向いた。隣のヒスイは露骨に嫌そうな顔をする。今結界を解いたら、ピリピリとした感触が拓人の肌に伝わっていただろう。
「する必要ないでしょ」
「しないと後々面倒を引き起こす。いずれにせよ、知覚者としての検査で魔道界に連れてく必要がある」
「おっさん、登録できんの!?」
先日、橘に魔道使いの登録の権限は崇徳も持っていないと聞いていたため、拓人は最早諦めていた。
「オレに権限はないが、知人に権限を持つ奴がいる。それに検査も任せる」
それから始まったのは検査、検査、検査のオンパレード。注射器で血を抜かれたり、綿棒で口の粘膜を擦り取られたり、不思議なライトを目に当てられたり。こんなことで知覚に関する何かがわかるのかと疑問に思っていたが、何とこれは魔道界という場所に行くための準備らしかった。
なんでも魔道界にはいくつもの有害物質が存在するそうだ。有害物質の耐性は人それぞれ違うらしく、それらを防ぐ防具を拓人専用に作る必要があるらしい。まさか検査のための検査とは知らず、全てを搾り取られた後に拓人はソファーに倒れ伏した。
全て完全に防ぐものを買った方が早いのでは?
浮かんだ疑問をそのままぶつけると、
「あるにはあるが、まだ量産するには至ってないのでオーダーメイドより時間も金もかかる。お前のような小童にそのような価値はない」
なんて辛辣な言葉を返された。誠に遺憾である。
そして検査の3日後、拓人は1本の眼鏡を手渡された。
黒縁でスクエア型の至ってシンプルな形をしたそれを手に取り、眺め回す。度は入っていない。
「防具ってくらいだからマスクみたいなの想像してた」
「青魔道が仕込まれた伊達眼鏡だ。かけると大気中の道力を吸って特殊な結界が発動する。帽子型もあるが、お前は眼鏡の方がいいだろう」
試しにかけてみるが、特にこれといった変化はない。そういえば、魔道使い達が称するここ人界には、大気中の道力はほとんどないと言っていたような気もする。
「壊したり無くすなよ」
「壊さないのは無理かも」
ジロリと見下す崇徳から、そっと視線を逸らした。拓人の目線の先には崇徳と同じ目つきをしたヒスイがいる。ソファの上で三角座りをして、膝に顔を埋めながらこちらを睨んでいる。
既に数日経つというのに、まだ彼女は拓人が魔道界へ行くことに納得していなかった。
今日は家の中までついてきた進も呆れ顔だ。
「そんなに嫌いなのかよ。魔道使い」
「嫌い。大っ嫌い。私のしたいこと、やりたい道、いつも雁字搦めにして固めてくるもん」
進の時もそうだったが、魔道使いに対してよっぽどな嫌いようである。一体魔道使いに何をされたのか。
曖昧な想像をしていると、不意にヒスイが手を伸ばし、拓人の腕をがっしりと掴んだ。行かせないというよりも、迷子にさせまいと繋ぎ止めようとしているようだった。
突然の行動に拓人が動揺していると、それに、とヒスイが言葉を続ける。
「拓人も、同じようにされたら嫌だ……」
先ほどよりも弱々しい言葉に、沈黙が降りる。
思わぬ方向からのボディーブローに、拓人は掴まれてない方の手の甲で眉間を押さえ、天を仰いだ。何かが漏れそうになるのを抑える為、スゥーッと音を立てて息を吸い込む。
拓人の反応のせいか、腕を掴むヒスイの力が強くなった。
「……されんの?」
「…………」
「否定はできないかも」
拓人が問い掛ければ、沈黙を貫く崇徳の代わりに進が答えた。
なるほど、つまり今後の人生ってを雁字搦めに決められる可能性はあるのか。
それはいやだな。
少し迷って、拓人はヒスイの前にしゃがみ込んだ。ソファの分だけ、自然とヒスイの視線の方が高くなる。
「絶対、戻ってくるから」
結局、映画だったら絶対に戻ってこないようなことを平気で口に出していた。いざ似たような立場に立たされると、なかなかいいセリフが思い浮かばないものだと思い知る。
「だから離してくれ」
耐えることしばらく。
ヒスイの手からゆるゆるとチカラが抜けていき、ようやく拓人の腕から離れた。
「……今日中に帰ってこなかったら、暴れてやるから」
ふてぶてしく呟いて、ヒスイは殻に閉じこもるように顔を伏せた。
隣で甘ったるいものを見る進の目が懇願する眼差しに変わるのを感じつつ、拓人は立ち上がる。
「……というわけだから。頼むぞおっさん」
「お前達、波長が合ってきたな」
どこが?
やや関心気味に呟いた崇徳に、拓人は訳が分からず首を傾げた。
「ところで、魔道界ってどっから行くん?」
「こっちだ」
一言だけ読んで崇徳は廊下に出て行ってしまったので、慌てて拓人も追いかける。
突き当たりの1つ手前の部屋。扉を開いた崇徳の片口から背伸びして中を覗き込む。
物置の部屋のような、この家で一番狭いであろう部屋には真正面に隙間なく本が詰められた、拓人の背丈を超える本棚があるだけだ。
明らかに異質な空気を纏ったこの部屋に、予想外のことに慣れつつあった拓人も怖気づいた。
電気もつけずに部屋の奥へと進んだ崇徳は、暗闇の中で慣れた手つきで本棚の本のうち何冊かを入れ替える。そして最後に、中央にある紫色の背表紙をした本を1冊抜き取った。
すると抜かれた本の隙間から、パラリと横幅の短いまきすのようなものが飛び出した。それはパラパラと落下しながら少しずつ大きくなり、拓人の目の前に本の隙間に進むにつれて細くなる小さな階段が完成した。
「うっわ……これも魔道?」
階段に上がるより前に、本の隙間を覗き込む。隙間からは光が漏れ出し、中は西洋風の路地裏になっていた。
これを拓人はSNSで見たことがある。たしかブックノックという、本棚の隙間を活かしたジオラマだ。
それにしても、完成度が高い。まるで本物の路地裏をそのまま小さくしたかのようだ。
「紫招門だ」
「シショウモン」
「さっさと階段に上がれ」
シショウモン。どこかで聞いたことがある。
脳みそをフル回転させ、どこで聞いたかを思い出した。そうだ、確か美術室でそんなことを聞いたような気がする。
思い出し、1人納得しながら崇徳に押されて階段に上がる。しかし、こんな小さな階段を登ろうとしてもすぐに足を置けなくなる。
そう思っていたのに、ブックノックに近づいても一向に階段の踏める限界が来ない。床がどんどん高くなる。距離感がおかしい。
何より、目の前のただでさえ大きな本棚がより大きくなっている気がする。いや、違う。拓人自信が小さくなっている。
「なん、なに……!?」
「暴れるな」
手すりもない階段の上で慌てる拓人の首根っこを、後ろから来た崇徳が掴んでもう目の前に迫っていた本棚の中に放り投げる。
本棚の隙間の天井はとっくに拓人2人分でも余るくらい高く、目の前にある色とりどりの背表紙はまるで巨大遺跡の柱のように聳え立っていた。
「これ、何魔道……?」
「紫魔道だ」
「紫……むらさき!?」
崇徳の答えた色を復唱する。
そんな色の魔道は習っていない。
「紫は何色を混ぜて作るかわかるな?」
「馬鹿にすんなよ。赤と青……そういうこと?」
「ああ。体内で赤魔道と青魔道の性質を混ぜ合わせ、放出したのが紫魔道だ。主な効果は質量などのスケールを無視した結界を張り、接合する」
このように、と崇徳は自身の近くにあった壁を手の甲で叩く。ジオラマだと思っていた西洋の路地裏は、この距離感で見るとまさしく本物の路地裏だった。
「ふーん……」
「お前に説明しているんだぞ、小僧め」
「あ、ゴメン」
崇徳の説明は拓人にとって小難しく、つい聞き逃しがちになる。せめて紙とペンが欲しい。あったところで頭に入るかどうかは別問題だが。
何より、今は路地裏の先にある気配に拓人の興味は持ってかれていた。
気配は1つ2つではない。それこそ街中のように、沢山の気配が入り混じっているのが遠くからでもわかる。
奥を見やる拓人に説明する気も失せたのだろう。崇徳は行くぞ、と一言声をかけ、拓人も大人しくついていく。
ゴミひとつない、薄暗いだけの路地裏を抜けた先。
そこには映画の世界が広がっていた。
何千、何万もの光がまだ日中である筈なのに夜のように暗い表通りを色鮮やかに照らし出す。道ゆく人は老若男女、白人黒人入り混じり、中には緑色の肌や鱗が生えた者もいる。
売られているものは主に衣服や宝石類、さらにドギツイ色をした草花だ。地面にはゴミ一つ落ちていない清潔感のある街で、屋根の上には機械仕掛けの鳥が止まっていた。
「何を呆けている。行くぞ」
「まっ!ままま、待って!!」
「何だ」
再び歩みを止めた拓人に、ついに苛立たしげに崇徳が振り向いた。
しかし、拓人は人混みが苦手だ。
人混みは拓人にとって嵐も同然。知りもしない大勢の感情が飛び交い、無意識に拓人を襲う。
崇徳も拓人の意図を察したのだろう。深いため息をついて、小さく舌打ちをした。
「魔道界は大気中に道力が漂っている。呼吸をするだけで道力を取り込み、魔道を使える。取り込んだ分だけの道力で結界を張れ」
それだけ言い残して、さっさと崇徳は人混みの中に足を踏み入れていく。
拓人は置いていかれまいと、即座に結界を張って崇徳の背を追う。お陰で結界をも穴だらけの雑なものになってしまったが、ないよりマシだ。それよりも、もし万が一ここで逸れてしまった場合、一生帰れない自信がある。ヒスイとの約束もある手前、迷子だけは避けたかった。
それにしても不思議な場所だ。人種だけではなく、立ち並ぶ建物も西洋風からアジアンテイスト。軒先に並ぶペットのインコは頭が2つだったり、かと思えば足元をうろつく猫は機械仕掛けの中に普通の個体も混じっている。
「なあ、ここって日本?」
「魔道界だ」
「んあぁ……そもそも!魔道界って何!?」
気になっていて、けれどずっと聞けなかったことをようやく質問できた。崇徳は振り向くことなく口を開いた。
「魔道界隈の総本山。東西南北、人界、魔界、天界……あらゆる場所で生まれ育った魔道使いという人種が集まる唯一の場所。どの人間国家にも属さない……いわば、人界・地球の裏側だ」
「裏側ぁ?」
崇徳の説明はいつも以上に拓人の頭にピンとこない。天を見上げてみても、雲のない数えるほどの星が輝く夜空だ。
「空が何故青いか知っているか」
唐突な問いに少しだけ考えを巡らせ、素直に拓人は首を振った。
「太陽光は元々様々な光が束となって白く見えている。だが、大気中に存在する微粒子が青い光を散乱させることで青く見える。オレ達が青いと思って見ているのは、空ではなく空とオレ達の目の間に漂う散らばった太陽の青い光だ」
「……つまり?」
「この世界に太陽はない。散乱する光もないので空は永遠に夜のまま。故に、ここは"明けない街"と称される」
またの名を"アガルダ"。
キラキラ輝く街の印象からシャンデリアをイメージしていた拓人は、その意味が分からず首を傾げた。
すると、建物の隙間を縫って赤い光がメガネのガラス越しに飛び込んだ。
「じゃあアレは?」
アレを指すのは、空に浮かぶ赤い光を放つ星。月と呼ぶには眩しくて、太陽と呼ぶには弱い光を絶えず放っている。
「…………"凶兆の星"」
「凶兆?」
人混みにかき消そうなほど小さな崇徳の声を、何とか耳で拾う。確認のために復唱したら、すれ違った見知らぬ魔道使いが目を見開いて振り返った……気がした。
「あの光に防具なしで当たると人体に影響が起きる。化け物になりたくなければそのメガネ、外すなよ」
「えっ……こっわ……」
思わずメガネを片手で抑えながら、再び凶兆の星を仰ぎ見る。今のところ拓人の身体に異変はない。
言われてみれば、周囲の魔道使い達は例外なく、メガネや帽子、イヤリングなどの頭から上の装飾品を付けている。
そこでふと、違和感を覚えた。
目の前を迷いなく歩み続ける男は、頭に何も身につけていない。
「……何でおっさんは平気なの?」
至極当然の疑問に、崇徳はこともなげに答えた。
「人ではないからな」
─────────────
石レンガの階段を登り、降り、曲がり、また降り……もうどこをどう通ったかも分からなくなった道の先。石の中に埋まるように木製の扉が存在していた。
崇徳はその扉をノックもなしに開け放った。
「マキナ、生きてるか」
扉の前に集まっていた、外にもいた機械仕掛けの猫やヘビ、ウサギといった不思議な生物(?)が足元から散る。
部屋の中の荒れようは凄いものだ。机は謎の植物や工具、謎の機械パーツで埋め尽くされている。更に床にもフラスコや謎の液体が散乱しており、お世辞にも綺麗とは言い難い。
もう少し綺麗だったなら、現代版の魔女の家といっても差し支えなかっただろう。荒れようで言えば寧ろ現代寄りだが。
「なんじゃぁ〜〜〜〜……喧しいことこの上ないぞぉ〜〜〜〜」
口調とは裏腹に、非常に弱々しくも若々しい声と共に洞穴と化したガラクタの山の中から人影が現れた。
やや実用性に欠けたロココ調のような杖をつきながら、ドレス姿の20代ほどの女性が照明の眩しさに目を細めた。
「帽子帽子」
荒れた部屋を歩き回る彼女からは、ガシャガシャと音が鳴り響く。ドレスのスリットから覗く両脚は、機械仕掛けのブーツに見せかけた義足だ。
義足の女性は杖を使って器用に部屋のゴミを跨ぎ、ポールハンガーにかけられた、肩幅の2倍の長さはあるツバのハットを被った。
「全く。ロクに連絡もよこさん癖に頼る時はいつも一方的じゃ。ジャパンの義務教育はやはり失敗よ」
「人体検査はお前の専門分野だ。 …………ジドとかいう娘はどうした。お前の預かりで治療していただろう」
「シズカという魔道使いが連れ出しおったわ。解決案を探しにな」
お陰で妾も研究に没頭できる。そう言いながら、彼女は唯一綺麗な安楽椅子に腰掛ける。
そして肘置きに肘を置き、拳に顎を置いて拓人を見た。
「で?おぬしが噂の知覚者か。せめて己で名乗ったらどうじゃ?」
「えっと……拓人、です。魔道使いの登録、お願いします」
興味なさげに聞き流していた女性は、拓人の後半の台詞に眉を寄せた。
「おい、聞いておらぬぞ」
「3日前に決めたからな」
「ハァ〜〜〜〜ン!?でたな!いつもの思いつき!!」
女性は杖を投げ捨てて立ち上がり、カツカツと崇徳に詰め寄って胸ぐらを掴もうとした。
しかし、素早さや身長差によってあっさりと崇徳に躱されてしまう。
拓人は思った。杖なくても立てるじゃん、と。
「簡単に言うてくれるわ!登録の負担と責任は妾が被るのを知らぬのか!?」
「知っている。だが、オレの中で最も"信用"ができる魔道使いはお前だ」
「ッカ────────!!よく言うわ!そなたの信用など塵より役に立たぬ!!」
「それとも、紡(つむぐ)の信頼を裏切るか?」
「…………何故そなたの姉の名が出てくる」
自分は会話に入れないからと、足元に寄ってきた機械ウサギを眺めていた拓人は崇徳に首根っこを掴まれた。目を白黒させていると、ずい、と女性の目の前に突き出される。
「ヒスイがコレを番に選んだ」
「…………………………オゥ」
長い沈黙の後、女性は哀れむ眼差しで己の口を手で覆った。最早慣れた反応であるが……結界の効果が切れた拓人の肌に、憐憫を表す緩い雨がいつもより多めにポツポツ当たる感触がする。
そして女性は思い出したかのようにヨロヨロと戻り、杖を拾って再び安楽椅子に腰掛けた。
「良いだろう。紡には恩がある。その恩を娘の未来の伴侶に返してもバチは当たるまい」
「俺からしたら他人だけど」
「………………未来のおぬしの義母じゃ。名くらい覚えておけ」
まるで独り言のように呟いた女性の眼差しは、どこか憂いを孕んでいた。それっきり崇徳も黙り込んでしまい、部屋は気まずい空気で重たくなる。
沈黙に耐えかねた拓人は、ずっと気になっていたことを口に出した。
「あのさ……ど、どちらさま?」
「ハァ?…………崇徳!そなた妾のことすら教えておらなんだか!」
まあよい、と女性は今度こそ杖を握りしめて立ち上がった。
「妾こそ!魔道界の八儀席に連なる橙の椅子を授かりし者!第七魔道具の設計図を産み、現代に蘇った『橙魔道の炉』!またの名を"大魔道師"ノヴ・マキナじゃ!!」
親しみを込めてマキナと呼ぶが良いぞ!
バッチリポーズまで決めてフフンと自慢げに話す女性……マキナを見て、拓人は崇徳に問うた。
「この人偉いの?」
「地位はそこそこだな」
男2人の問答に、とうとうマキナはずっこけた。ノリが微妙に古いなと、拓人はぼんやり思った。
「崇徳、そのくらいまともに教えることもできんのか?おぬしもおぬしじゃ!拓人とかいう小僧!魔道使いになる気があるなら最低限の知識と興味を持たぬか!」
ガミガミと怒る姿は、青桐家の母の姿が被る。顔を片手で覆ったマキナは、諦めの混じったため息を吐いた。
「もうよい、検査ついでに勉強じゃ」
「えっ」
「オレは本部に用がある。預けるぞ」
「勝手にするがよい。断ったところで置いていくつもりであろう」
「えっ」
マキナの返答を全て聞き終える前に、崇徳は入ってきた扉の向こうに消えていった。
「そのうち戻ってくるであろう。拓人や、来い」
「え、あぁ……」
踵を返したマキナに、ゴミを跨ぎながら拓人もついていく。その更に後ろをついてくる機械ウサギが愛らしい。
ガラクタの山の裏側にあった扉に招かれて入ると、前の部屋よりは比較的綺麗な実験室が待っていた。
すると背後からヌッと、アナコンダの倍以上の大きさの機械と生身が入り混じったコブラが、這いながら拓人達の横を通り過ぎた。
「うぉあ!?」
「久しい反応じゃ。それは妾が生み出した生物皮膚の伸縮を生かした片付け用の機械獣。安心せい、呑まれはせぬ」
説明する横で、機械獣と呼ばれたコブラは次々と床や机の上のガラクタを丸呑みしていく。
異様な光景を呆然と眺めていると、隣にいたマキナは歯医者にあるものとよく似た椅子の上に乗る、半球状の何かを手に取った。
「ほれ」
マキナが手渡したのは、一昔前の映画に出てきそうな幾つもの金属端子に繋がれたヘルメットだ。まさかこれを被れと言うのか。
「ダッサ……おっも……」
「文句を垂れるな。作るのも一苦労だと言うのに、まったく」
「こんなんで何を検査するん?」
「とりあえず今日は脳波を見る」
知覚とは、結局のところ脳が出す信号だ。過剰知覚は脳が異常反応を起こして発する信号を、魔道を用いた特殊な装置でのみキャッチできるそうだ。
なので脳波を調べて、何に反応してどう返しているのかをデータ化して調べるらしい。
「つっても俺の知覚は他人の心……」
「まあまあまあ。言いたいことは分かるが、データとして可視化するだけでも知れることはある。答えを急くな」
拓人を無理に説き伏せたマキナは、杖で拓人の体を押した。押された流れに従って拓人が腰をついたのは、ヘルメットが乗っていた椅子だ。
そして拓人が座った瞬間、自動的に腰を固定するベルトが左右から出現し、カチリと音をたてて拓人の腰を拘束した。
「おい!なんだコレ!?」
「念の為の緊急処置じゃ。痛めつける意図などない。終われば解放するから安心せよ」
「だからって拘束する必要ないだろ!?」
「今まさに立ち上がって掴みかかろうとする若人(わこうど)に言われても、説得力ないぞ」
これはもう何を言っても無駄だ。
悟った拓人は言いたいことを全て飲み込み、大人しく両手で抱えていたヘルメットを被った。ずっしりとした重みがじわじわと首や肩に負担を掛ける。
「で?コレ被ったけど何すんの?」
「おぬし専用の授業じゃ。本来は簡単な質疑応答で脳波を調べるが、おぬしは魔道使いについて知らなすぎる。新しい知識を得た際の反応を今回は応答の代わりとする。検査の妨げになるから、青魔道は解くがよい」
魔道については崇徳から多少の知識を得ていたが、拓人は魔道使いについてはまだまだ何も知らない。先程のマキナとのやりとりを見れば明らかだった。
確かに魔道使いとして登録してもらう今、知識を得るにはちょうどいいタイミングである。
「では、始めるぞ」
様々な機材が置かれる机の前に行き、マキナは機材のボタンを押した。周囲の機械が一斉に唸りを上げ、拓人は緊張から肩をすくめる。が、見た目的に特に変化はない。
ドギマギしている拓人の気を、マキナが咳払いで引き戻した。
「まず確認じゃ。三界については流石に知っておるな?」
「いや、全く」
「…………崇徳は何を教えておったのじゃ」
「魔道の知識を少しだけ」
遠い目をするマキナに、少しだけ拓人も同情した。
「では基礎中の基礎から叩き込もう。まず、この世には3つの異空間がある。人の住む人界、魔物の住む魔界。そして神が住まう神界じゃ」
人界は知っての通り、拓人達が住む人という生命体が住んでいる。人間は生命維持に道力を使わないうえに、肉体を道力に変換できる為、最もコスパの良い生命体と呼ばれている。
魔界は攻撃的な生命体である魔物が主に住んでいる。倫理や秩序はなく、強い者のみのし上がる弱肉強食の世界。そうなるに至っている原因は、魔物という種が肉体維持に道力を消費することが原因である。弱き者の道力を喰らわねば、強き者すら生きていけない。人界の自然界と同じである。
神界は神がそれぞれの縄張りを張り合いながら住む世界。神は縄張り……通称"神域"内では自身のルールを突き通す力を持つため、最も常識が通用しない世界とも言える。だが、そんな神は人間の"信仰"を道力に変換して生きている為、忘れられることが最大の弱点とも呼べる。
「ここまでは大丈夫か?」
「……たぶん」
「頼むぞ?……して、この3種の異空間。総称三界の均衡を守るのが魔道使いの主な仕事じゃ」
「ああ、それは先輩から聞いた。でも均衡の維持って、具体的に何?」
マキナはモニターをチラ見しながら、ニヤリと笑った。
「良い質問じゃ!魔物は主に黒魔道、神は主に白魔道を扱うことができる。そしてこれらの魔道は、使い方次第で他の異空間への干渉をも可能にしてしまう」
「……普段は行き来できねぇの?」
「そう。それらの特殊な個体を保護、もしくは討伐するのが目的じゃ。でないと、生態系が滅茶苦茶になる」
拓人は先日の魔物と遭遇した件を思い出した。あんなのが人界に現れては、確かにパニックどころではない。
少しだけ、魔道使いの重要性がわからなくもなかった。
「地域一帯が喰らい尽くされるくらいならまだマシよ。最悪の事態は、繁殖した場合である」
「繁殖?」
「いわば、人間や魔物のいいとこ取りをした上位種の氾濫だ」
人間と魔物の交配によって生まれた生物は半魔物(アールヴ)。魔物と違い肉体を持つので、生命維持に消費する道力がない分より攻撃性が強い。
人間と神の交配によって生まれた生物は半神(ヘミテオス)。同じく肉体を持つ為、信仰心を必要としない。結果、生命力の強い人間の上位種が人間という純種を絶滅に追いやりかねない。大昔には、実際にそれに近い事になった地域がある。
そして魔物と神の交配種、聖魔(ネピリム)。肉体を持たない代わりに、大気や物質から道力を吸収できる魔物と生命力の強い神の性質が入り混じり、あらゆる現象に耐えうる完璧の生命体となる。
「何千年も前には、暴走した聖魔一体の為に人間、魔物、神が束となって討伐を行った戦争があった」
「た……たった一体の為に、3つの世界を巻き込んで戦争したのか!?」
「左様じゃ。そしてあらゆる種族が息絶えた。かの悲劇を繰り返さぬ為にも、我々魔道使いが存在する」
やっと事の大きさの鱗片を垣間見た拓人は、その責任の重さに身震いした。マキナは再びモニターをチラ見して、さて、と前置きをした。
「ようやっと本題じゃ。魔道使いとは、魔道を扱う者の総称よ。しかし、実際は組織だっており、それぞれ階級も存在する」
特に役職も持たない"魔道使い"。これは総称であり、役職そのものでもある。しかし、その上に行けば呼び名は魔道士となる。それぞれ得意な色の魔道の熟練者として、赤魔道士や、青魔道士などと呼ぶ。
更に魔道士を色ごとに管理する大魔道士が存在し、こればかりは色ごとに1人しかつけない。そして同じ代に最大8人しか就けない大魔道士の総称を、八儀席(はちぎせき)と呼ぶ。
「……もしかしてマキナ……さん、かなり偉い人?」
「今更気がついたのか」
吐き捨てるように告げたマキナの返答が答えだ。加えて、拓人の額にチクリと痛みが走り、思っていたより根に持っていたことを知る。
崇徳のおっさん、何が地位はそこそこだ。たった8人のうちの1人とか、めっちゃ偉いじゃん。
「まだ終わりではない。その我ら八儀席を纏める最も優れた魔道使い。そやつを"総道士"と呼ぶ」
「ソウドウシ……その人はどこにいるん?」
「今代の総道士は自由人でな。普段はこの街のどこかにおる」
この街のどこか……結構広いな?
街の広さを思い起こし、拓人はその身勝手らしい人物に落ち着けよ、と感想を抱いた。
「今はこのくらいじゃな。他に知りたいことはあるか?」
「あ、橙魔道って何?」
自分の得意分野だからだろうか。マキナは今までで一番嬉しそうにニンマリと笑った。
「フッフッフフフ!よくぞ聞いたな!橙魔道とは、生命維持の黄魔道と自然界のエネルギーコントロールを行う赤魔道を併せ持った魔道!即ち、生命の錬成じゃ」
「れん、せい……?」
「そやつらを見よ!」
そやつ、と指されたのは未だに足元に群がる機械ウサギだ。まさか、と一種の可能性が拓人の頭に過ぎる。
「そう、そやつらはただの機械ではない。先程のヘビも、街中を飛ぶ鳥も、妾の橙魔道で生み出した生きる機械。即ち"機械獣(マキナ)"である!」
機械の見た目も相まって、現実味が湧かない。目の前の機械ウサギが生きている?しかも魔道によって一から作られた?まるで数100年先の未来を見せられているようだ。
改めて、魔道の滅茶苦茶具合に現実逃避したくなった。
「フフフ、驚くのも無理はない」
「でも、なんで機械……説明からして、別に全身生身にもできるんだろ?」
「良い着目点じゃ。理由は簡単。機械の方が管理がしやすい」
なんて単純かつ合理的すぎる理由だろう。この女、何気にマッドサイエンティストの気があるのではないだろうか?
眩暈さえしてきた頃、
ピピピピ
マキナの目の前にある機材が合図をするような音を立てた。同時に、周囲の機材からプシュー、と空気が抜けるような音が鳴り響き、腰を拘束していたベルトも外れる。
「ふむ、検査は終了じゃ。メットもとって良いぞ」
そう言いながら、マキナは目の前の機械を再びカチカチと触りながら考え事をしている。
拓人は遠慮なくヘルメットを外し、立ち上がって椅子の上に置く。メットが絶妙に重たくて、妙に首や肩が凝った気がする。
肩周りほぐすように伸びをしつつ、拓人の脳裏にもう一つの疑問がよぎった。それはここに来るまでに聞いた崇徳の一言だ。
「あのさ」
いつのまにか印刷したのだろう。検査結果が印刷されているであろう紙を片手に、椅子に座ったマキナはもう片方の手を顎に当てている。
こちらを向く様子はない。
「崇徳のおっさんって、人じゃないの?」
マキナが顔を上げて、拓人に視線を向けた。
「…………誰から聞いた?」
「いや、なんか……おっさん本人が言ってたから」
彼女は目を見開き、感嘆の声を漏らした。そして、ゆっくりと口を開いた。
「……あらゆる生命体に共通する現象じゃ。優秀な個体は死後、記憶を保持したまま生まれ変わることがある」
「は?」
「生まれ変わった者は通称、転生者と呼ばれておる。転生者は基本前世の肉体スペックを引き継ぐが故に、優秀者が多い」
「えっと、つまり……?」
「崇徳は以前、魔界を震撼させた恐ろしい魔物であった」
拓人は心の芯から震え上がった。けれど、どこかでやっと腑に落ちていた。だって、あの威嚇や殺気はきっと人間が出せるものではないから。
「とはいえ、転生者はその優秀さ故に周囲から疎まれることも多い。名乗ることはそうないぞ」
「じゃあなんで俺に言ったの」
「さあ?……"信用"しているのではないか?」
あの崇徳が信用?俺を?あの厳つい自由人が?
想像できない以上に、少し考えて思ったことを、素直に口に出した。
「……いらねぇー……」
「だから言ったであろう。あやつの信用など塵より役に立たぬと」
心底嫌そうに唇を尖らせたマキナに、拓人も心から同意した。
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