第六話


 それは休日の昼下がり。ソファでくつろいでいた崇徳の耳にインターホンの呼び出し音が届いた。

 生憎と今日は宅配の予定はなく、魔道使いの連中はほぼ必ず事前に連絡を寄越す。わざわざ休日に尋ねるような知人に心当たりはない。

 一体何用だと、壁に取り付けられたモニターを見た崇徳は意外な人物に目を見張った。

 一考したあと、崇徳は素直に玄関の扉を開けるために移動した。


「……何の用だ」


 扉を開けた先。崇徳の視線よりやや下にいたのは俯いた拓人だった。

 3秒ほど様子を見たが、動くことがなかったので崇徳は扉を閉めようとする。

 しかし、反対のドアノブを掴まれ、閉じられないよう外側に引っ張られた。扉の蝶番はギシギシと音を立てる。崇徳が若干の苛立ちを覚えたとき、「お願いします」とやや掠れた声がした。


「俺に魔道を、教えてください」


 そう告げた少年は扉を引いたまま起用に45°の角度に腰を曲げた。背筋の良い礼だと、崇徳は場違いなことを考えた。彼にしては珍しい、一種の現実逃避のようなものだ。

 やがて深い息を吐いて、崇徳は一度外側に扉を押した。反対側にいた拓人は呆れる崇徳の気配に気を取られていた。引いてはいたが抑えはしていなかったため、反動を付けて迫る扉に気づかず、下げた頭に扉の角が衝突した。


「痛!」


 あの日と同じように、拓人は尻餅をついた。

 魔物の出没捜査に出てから2日。最後に崇徳が見たときの拓人は唇を戦慄かせ、この世の全てに失望したような顔をしていた。

 今の拓人は痛みに呻いて頭を抱えている為顔は見えない。少なくとも、あの廃人じみた気配は纏っていない。崇徳にとってもそれは意外なことだった。

 もう、来ることはないと思っていた。


「貶されても訪ねてくるその度胸は認めよう」


 崇徳の言葉に拓人は頭を上げる。その表情に突き放したとき──いや、それ以前から染み付いていた絶望感はない。

 悪くない傾向だ。だが、足りない。


「やるべきことは教えた。課題も与えた。先に進むかどうかはお前の頑張り次第だ」


 それだけ残して崇徳は扉を閉める。微かに拓人の抗議が聞こえたが、聞こえないフリをして家の奥へと踵を反す。

 言いなりになって挫折する軟弱者にも、ただ噛みつくだけの子犬にも興味はない。

 結果を出せぬ限り、崇徳の中では拓人はただの小僧だ。


—--------------------------


 それが3日前の出来事である。


「こんだけできれば十分じゃね?」


 なけなしの道力を右手に集めた拓人は心なしか自慢げだった。

 確かに道力とは何かと喚いていた時から比べれば、十分な進歩だ。もっとも、崇徳の基準だと歩みの早さは亀並みであるが。


「やっと理解が追い付いたか」

「うーん……実は魔物を初めて見た日から、なんか急に道力の存在が感じ取りやすくなった。あとは進にコツを聞いて、学校とか暇がある時に操作する練習をずっとしてた」


 恐らく、ヒスイの魔道に充てられて道力を感知する力が急激に発達したのだろう。

 魔道が関わった事件をきっかけに魔道使いになる者の大半の理由は、魔道に充てられて才能が覚醒することにある。実のところ、拓人を現場に連れて行ったのはこれを狙っていたのもある。本人には絶対に言ってやらないが、他の魔道使いはヒスイも含めて皆が崇徳の意図に感づいているだろう。

 道力の操作は見えないからといって、あまり人前で扱うものではないことを伝え忘れていたのは崇徳のミスだったが。学校に潜んでいる数名の魔道使いが遠回しにも伝えなかった事に多少の違和感を覚えたが、ヒスイという名の地雷のお気に入りであれば声をかけなかった事にも納得がいく。気づかれぬようフォローしたのだろうと結論付けた。

 魔道の秘匿性に関しては自ら後で教えることにして、崇徳はコーヒーの入ったマグカップに口を付けた。

 

「正直、諦めると思っていた」

「えっ」


 更に道力を指先に集めたまま、拓人は振り返る。

 崇徳とて人間として34年は生きてきたのだ。あの日の発言が拓人の心を折りかねないことは分かっていた。というより、涙声で喚き散らす彼の心を、多少本気で折るつもりだった。

 あの程度で諦めるようであれば元より魔道使いなど向いていない。このようなやり方、今の時代では精神的虐待として批判を受けそうなものだが、そんなことは崇徳の知ったことではない。

 だが、拓人は崇徳が想定していたよりも強かだったたらしい。


「諦めてたら……どうした?」

「まず間違いなく拉致されていたな。最終的に魔道に関することを中心に脳を弄くり回されていただろう」


 ぞっとした表情で拓人は自身の体を抱きしめる。恐ろしい想像に集中力が切れ、道力が拓人の体中に分散する。だが、あれほど意識して体内の道力を集めることが出来れば十分だ。

 どういう心境の変化があったのかは崇徳には知る由もないが、いつもの世界の不条理の被害者のような面をしなくなったのは崇徳としても悪いことではない。


「冗談だ」

「……おっさんも冗談とか言うんだ。」

「お前にはヒスイがいるだろうが。どの道魔道からは逃げられんぞ」

「ああ、そういえばそのヒスイなんだけど。帰ってきてねぇの?」


 予想をしていなかった方向の問いに、再びマグカップを口につけた手が止まる。


「……何?」

「あんだけ連日俺を振り回してたのに、あの日からずっと顔も見てないんだよ。俺は静かでいいけど。ここにもいないってなると、まさか帰ってきてないとかはないよな?」

「いや、昨日も一昨日も学校に行って、帰ってきた。監視からも特に異常は確認されていない」

「ふーん、いや……ならいいんだけどさ。あんなことの後だから、なんかあったとしたら俺もモヤるなっていうか……」


 聞いてもいないことをモゴモゴと口の中でこねる拓人のことはシカトをしながらも、ヒスイの意外な動向には流石の崇徳も引っかかるものがあった。ヒスイは基本大雑把で、特に今更凶暴性を誰かに晒したところで後悔するようなタチではない。だが、アレでいて細かいことは変に引きずるタイプである。

 監視……進からの報告は特に何もない。拓人も監視対象とはいえ、2人が共にいないのであればヒスイの監視が最優先される。

 そこで崇徳はようやく、先ほどの違和感の正体に気が付いた。

 そうだ、拓人の傍には常にヒスイとセットで進がいる。ヒスイは人の目を気にしない為、魔道使いのマナーなど期待はできないが、進なら真っ先に指導する筈。

 となると、進が拓人の監視に集中できないほど、ヒスイは拓人から距離を取っている。


「最後に見たのはいつだ?」

「えーっと…………アイツが、魔物を踏み潰した、とき。正直に言うと、あの時は俺もパニクってて、ヒスイとどうやって別れたか覚えてない……」


 ちょうどヒスイが変体(ヒスイの生物構造上、異形の姿も通常時の姿に含まれており、異常事態における変形ではない為こう称される)していたタイミングだ。

 そこでふと、崇徳の脳裏に1つの仮説が浮かび上がった。

 一瞬、仮説は取り下げられたが……だからこそと仮説説得力が再浮上する。それを裏付けるのが、目の前の少年だ。


「いい機会だ。遊んでおくか」

「なんて?」


 人の恋路を邪魔する奴はなんとやら……とはよく言ったものだが、生憎崇徳は馬に蹴られた程度で怪我をするほど軟ではない。

 最も、アレが胸中に抱いているのは恋心などという甘酸っぱいものではないだろう。もっと純粋で欲にまみれた、獣性の執着のようなものだ。

 しかし、孤高の存在であるかのようにふんぞり返っていた小娘が、同じ年の小僧の心情に慌てふためく姿をつつき回るのがつまらないかと問われれば、崇徳は間髪入れずに「ノー」と答えるだろう。


「ヒスイが気掛かりなら、美術部の部長を尋ねろ」

「いや、別にどうでもいいけど……なんで美術部?」

「知らんのか」


 てっきり崇徳は進を通してもうとっくに知っているものだと思っていた。本人も”あの日”の現場にいたのだから、余計にだ。


「振多高校の美術部は、代々魔道使いが受け継いでいる」


—--------------------------


 翌日の放課後。

 結局拓人は美術部の部長を尋ねる為に校舎内を徘徊していた。

 確かにあのままヒスイを放置しておくのも落ち着かなかったのもあるが、それ以上に崇徳の言葉の真偽が気になってしょうがなかった。

 ヒスイは存在がそもそも異次元的だ。進も雰囲気はなよなよしているが、魔道使いと言われて納得できる影がある。その2人を除いた同年代の魔道使いというのは、純粋に興味が湧いた。

 ただ1つ、気になることと言えば……


 (なんで美術部?)


 ここだけの話、実は拓人も美術部の部員だったりする。しかし、絵に興味があったということはない。幽霊部員になっても気にされなさそうで、いざというときまだ自然に馴染めそうな部活候補が美術部だっただけだ。

 その為ゴールデンウイークが明けてから一度も訪れていなかった部室に顔を出してみたものの、肝心の部長は見つからなかった。

 恥を忍んで先輩部員に行方を聞いてみたところ、この学校は美術部の規模が大きいあまり、数年前から部室を2箇所に分けたらしい。拓人が知っていた部室は教室も道具も比較的綺麗な第二美術室。部長は道具が豊富で以前から使われている第一美術室で活動しているそうだ。

 というわけで、2号館3階から別館3階までの大移動を経て拓人は件の部室の扉の前にいる。

 扉の向こうからは水道で水を流す音やクスクスと笑い声に、カチャカチャと木材やブラスチックが重なる音が混じる。筆などを持ち替える音だ。

 拓人も一応美術部などで、そのまま自然に入ろうかと迷う。しかし、恐らく知り合いでもなければ拓人の事情も知らないであろう人間しかいない。そんな中に素知らぬ顔で入っていく度胸は拓人にはなかった。

 結局、入口付近の生徒にだけ届いてくれと願い、控えめなノックをした。


 コンコン。 


「すみませーん……」


 当たり障りのないノックをしたつもりだったのに。

 扉を開けた瞬間、室内は水を打ったように静まり返った。

 集まる視線と、ペタペタと餅のような興味が張り付き、剥がれていく感触。室内の部員全員が拓人に注目している。やっぱりノックしなければよかった。拓人は止まない餅の雨に内心で顔を顰めた。


「どうしたの?」


 動揺したまま拓人が動けないでいると、一番近くにいた部員が助け舟を出してくれた。絵具の筆洗いバケツと筆を持った男子部員のタイは青──2年生だ。


「あの、美術部の部長に用があって……」

「部長?」


 途端に部室がざわめき、拓人は益々不安になる。もういっそ帰りたいと願ったとき、周囲の目線はバラつきながらもほぼ一か所に集まっていた。拓人も釣られて目線の先を追う。

 部室の奥まった一角。唯一ブルーシートが敷かれた机に着き、粘土と向かい合う少女がいた。黒と栗色のツートンカラーの髪を結い上げ、右足首を左膝に乗せるように足を組むその姿はガラが悪い。しかし、眼鏡を通して粘土を観察する目は真剣そのものだ。

 彼女は教室のざわめきや発端の拓人には見向きもせず、手の中の粘土を親指で押し伸ばしたり、時折机の上に置いてあるヘラを持ち替えて細かく粘土に突きつけてる。


「部長」

「……………………」

「部長!」

「……お!?呼んだ!?」


 彼女の近くにいた2年生が何度も呼びかけ、やっと部長は顔を上げた。部長は本当に周りの異変に気づいていなかったらしく、周囲を見回してようやく様子がいつもと違うことを知ったようだ。


「1年生の子が呼んでますよ」


 やっと部長の視線がこっちに向いたところで、拓人は肩を窄めて会釈した。

 部長は粘土を机の上に置き、ヘラを持ったまま不思議そうに立ち上がる。お互い面識もないのだから当然だ。だが他とは違い、ゆで卵のようなつるんとした感触が全身を一度だけ撫でた。


「どうしたの?」

「えっと……」


 どのように声をかけるかはある程度想定していたが、予想以上に注目を集めてしまったせいで何を言おうとしていたのか完全に忘れてしまった。おまけに未だにこちらを観察する視線は耐えないので、頭もうまく働かない。

 どうにか、魔道のことをそのまま口に出すことだけは避けるべきだと念頭に置いておくことはできた。


「あの、場所変えてもいいですか?」

「もしかして長くなる?なら先に要点だけ教えて!その間に乾かないよう粘土しまっちゃうから!」


 言いながら既に部長は既に自身が作業していた机に戻ろうとする。他の部員たちも各々自身の作品制作に戻り始める。

 要点と言われて迷った末に、拓人は”ついで”の方から尋ねることにした。


「ヒスイのこと、知ってますか?」


 カラン。


 誰かが持っていた筆が音を立てて床に落ちた。

 先ほどと同じように部室が静まり返った。だが、拓人にぶつかってくる感触は時間の経過と共に粘度と量を増して重くなる。部長も左足を踏み出した状態で動かない。

 やがて、1人の女子生徒が音を立てて立ち上がった。詰め寄られるのかと拓人は構えたが、女子生徒は熊と遭遇した時のようにじりじりと距離を取る。釣られるように周囲の生徒たちも距離を取り、ついに拓人と未だに動かない部長を取り囲むように、円になって教室内の隅からこちらを伺う。

 映画でしか見ないような異様な光景に、拓人の中で焦燥にも似た苛立ちが沸々と湧き上がる。

 この光景には既視感がある。

 幻影にでも囚われたかのように狼狽える拓人を、遠巻きに眺める観客。誰もかれもが拓人を異常者として扱ってくる。違う。確かに異常なのは拓人のほうだ。だけど、いつも感情という危害を向けてくるのは周囲の大多数なのに、拓人だけが輪を乱す胡乱な人間だと指を指される。


「なんなんだよお前ら!!!」


 全身に纏わりつく気持ち悪い感触を、振り払うつもりで叫んだ。

 目の奥が焼けついたように熱い。過去の記憶がかき乱されているようで胃がグルグルとしている。

 こんな状態ではヒスイのことはおろか、魔道のことなど聞けはしない。もう諦めよう。どうせ魔道だけなら崇徳が教えてくれる。

 諦めがつくと、途端にこの状況で叫んだことが恥ずかしくなった。きっと今の拓人の顔色は、恥じらう赤と血の気が引いた青が混ざった紫色だろう。これ以上恥を晒したくなくて、 拓人は俯いて、足早に入ってきた扉へ戻る。


「待って!」


 逃げるように出て行こうとする拓人を、湿った手が直接掴んだ。

 振り向かなくても分かる。一番近くにいた部長だ。


「うちの部員が失礼をしてごめん。君、噂の生徒だよね。ヒスイのお気に入り」


 拓人は目を見開いた。

 魔道使いだとは聞いていたが、まさかそこまで知っていたのか。

 拓人が動かなくなった気配を察して、部長がそっと手を離す。ゆっくりと振り返ると、眼鏡を外し、射貫くような澄んだ瞳で部長はずっと拓人を見ていた。

 そして彼女は、ホテルスタッフのように綺麗な一礼をした。


「我々魔道使いは、君を心から歓迎します」


 部長の一声で教室が一瞬でざわめく。

 こんな公で魔道使いのことを喋っていいのか、我々とは一体誰を含めているのかとか。拓人も次々と疑問が溢れてくる。

 しかし部長は周囲の動揺に臆せず、むしろ打ち払うかのように声を張り上げた。


「田口ィ!」

「はヒィ!」


 田口と呼ばれた女子生徒が可愛そうなほど飛び上がる。


「紫招門(ししょうもん)の開錠!そしてアタシを含めたここにいる全員、今の件に関して反省文を今日中に書いて提出!回収は大川に任せる!」

「あ、うん」


 眼鏡を掛けなおした部長は、粘土と向き合っていた時のように威厳と風格を纏い、部員全員に聞こえるように前に出た。

 輪になる生徒群の中で頭一つ抜けた男子生徒が、ぼんやりとした声で頷いた。


「返事は!?」

「「「は、はい!」」」

「体育会系……?」


 おおよそ文科系とは思えない程の熱量に拓人は慄く。

 解散!と最後の部長の声で蜘蛛の子を散らすようにすぐさま生徒たちが各々の作品制作に戻る。

 部長は「一旦待ってて」と言い残し、再度己の机を片づける為に席に戻った。

 拓人が呆然としていると、背後からぬっと大きな影が現れる。


「うおっ!?」

「やあ」


 気の抜けるような声をかけてきたのは、先ほど部長に大川と呼ばれていた生徒だ。タイの色は緑。3年生だ。


「君、名前は?」

「青桐、です……大川、先輩?」

「そう。ここ最近魔道使いは色んな事情が動いてて、上から下まで緊張状態なんだ。青桐も心当たりはあるでしょ」

「魔道使い……大川先輩も?」

「ここにいる全員が魔道使いだよ」


 大川の言葉に、拓人は周囲を見回す。

 すぐそばで筆を握る女子生徒も、壁際でパレットナイフを滑らせる男子生徒も、ここにいる全員が魔道使いだと、大川はあっけらかんと言った。ざっと見ただけでも15人はいる。

 この学校にも進以外の魔道使いがいることは、彼らの言動から察していた。だが、二桁にまで上るとは想定しておらず、予想以上の人数に拓人は驚きのあまり大きく息を吸い込んだ。


「みんな悪気があってあの反応をしたわけじゃない。誰も君のこと”は”怖がってない」

「…………」

「そういうわけで、俺はこれで」

「あ、どうも……」


 大川と入れ替わるように、片付けを終えた部長が戻ってくる。


「おまたせ。それじゃあ行こうか」

「行くって、どこに……?」

「ここはさっきの君みたいに、いつ事情を知らない人が入ってくるか分からないからね。魔道使いだけの特別な場所に移動しよう」


 部長が得意げに教えると、重たい物が擦って動くような音が教室内に響く。

 彼女が手招くままについていくと、教室の背面側に設置された棚が奥にズレている。更に、その下には西洋の地下牢へと続いていそうな石造りの階段が伸びていた。


「えっ……は?え???」

「凄いでしょう?これ、ウチの学校の七不思議の1つ」


 七不思議とはそういうものではない、とツッコミを入れるものはこの場にはいない。

 さあ行こう、と地下階段を下ろうとする部長を、1人の女子生徒が呼び止めた。先ほど指示を飛ばされていた2年生の田口だ。


「あの、橘(たちばな)さん!万が一ヒスイが来たらどうしましょう!?」

「普通にここに通しな。アタシがどうにかするから」


 不安そうな田口に、部長──橘は肩越しに不敵な笑みを見せる。

 1人状況についてこれない拓人を尻目に、意気揚々と橘は薄暗い階段を降りていく。等間隔に壁に掛けられた、紫の火が灯った蠟燭の光源を頼りに拓人は慌てて追いかける。聞きたいことがあり過ぎて、咄嗟に質問を投げかける。


「あの、ヒスイの知り合い……?」

「アッハハハ!言う事欠いて出てきたのがそれ?もっと聞くべきことが色々あるでしょ!」


 確かにそうだ。愉快に笑う橘に、何故か隠していた秘密を暴かれた心地になって、拓人は不貞腐れたように唇を尖らせる。

 この階段とか、橘がどんな魔道使いなのか、気になることは他にも沢山ある。

 ただ、先ほどのやり取りが拓人の中でどうしても印象に残っており、意識をしないまま口に出していた。


「だって、ヒスイをどうにかするって言うから、なんかあったとき説得できるのかなって」

「え?全然」


 まさかの返答に、拓人は薄暗い中で足が縺れそうになる。こんなところで転ぼうものなら大惨事だ。


「最悪暴れても鎮圧はできるかなーってくらい。まあ進が監視についてる限り、アタシに出番はないから。大丈夫、ダイジョウブ」


 彼の脳裏には数日前の人とは言えないヒスイの姿が浮かび上がる。あれを目の前の女子高生が鎮圧できるとは到底思えないが、よっぽど優秀な魔道使いなのだろうか?

 それに進が監視についてる限り大丈夫とは、何を根拠に言っているのだろうか。少なくとも、拓人が見ていた限りでは進は常にヒスイの後を追いかけているだけの、悪い言い方をすれば金魚のフンだ。ヒスイが力を持って暴走した時、押さえつけられるイメージがない。


「進がヒスイを鎮圧できるとは思えねーんだけど」

「それは誤解だよ。そもそも魔道使いの使命は強くなることではないしね」


 はたと、拓人は瞬く。

 記憶の引き出しを漁ってみる。が、言われてみると優れた魔道使いが強いとは、崇徳も進も言ってなかった。破壊的イメージがついたヒスイと、彼女に動揺しない崇徳のせいで歪んだイメージがついているのかもしれない。


「えーっと……青桐、だっけ?君は魔道使いについてどのくらい知っている?」


 拓人は振り返る。

 魔道使いとは、道力というエネルギーを使う人間のこと。魔道使いは拓人が予想していた以上に沢山いること。崇徳に進、橘も魔道使いであること。

 思い返してみれば、魔道自体の知識は大まかに教えられていたが、それを使う人間のことはあまり教えられていない。橘に素直にそれを伝えると、彼女も頷いた。


「うん、君の知識はまだ魔道使いという”個”の知識にとどまっている。でも実態はもっと大きいものだ」

「こ?」

「前提として、魔道使いは個人で活動しているものではない。表立ってはいないが、ちゃんと世界で認められた組織が取り仕切り、全人種の魔道使いを管理している」

「全人種……!?」


 突然スケールが大きくなり、拓人の声が地下階段に反響する。

 崇徳達の発言から何かしらの組織がいることは分かっていたが、世界規模のことまでは考えていなかった。


「そんな組織が何してるんだよ」

「主なことは、世界平和の維持。三界均衡の管理。破滅を呼ぶ異物の切除」

「三界……?」

「勿論、これらは過去の偉人達が我々に受け継いできたもので、我々が後世に継がせなくてはいけない役割だ。だから、魔道使いの育成も必要」


 橘が立ち止まる。話している内に、階段を下りきったらしい。

 目の前には、重たそうな鉄板の扉がある。

 彼女は人差し指に僅かに道力を乗せ、鉄板の扉に振れる。すると、波紋のように道力が可視化できる形で広がった。


「コード:ブラウ、橘 美晴(みはる)」


 橘が告げると、金属を擦るような音を立てながら鉄板の扉は自動で開いていく。

 その先に広がる景色に拓人は言葉を失った。

 目の前に広がるのは20mを越える天井に付くほど積み上げられた大量の棚と、隙間なくギッチリと詰まった本やビーカー等の実験器具。それらが常時自動でスライドパズルのように1棚ずつ動いている。

 通路や渡り廊下に人が近づいたかと思えば、本を手に取り、人も棚もその場を去っていく。奥にある長机では読書や勉強をしており、その殆どが降多高校の生徒だ。

 まるで映画で見た魔法学校のようである。


「なんだ、ここ……」

「振多高校名物、魔道図書室。見ての通り広すぎるうえに常に物音がしているから、私語は自由。ただし落下による怪我をした場合は自己責任になるので注意ね」

「俺が知りたいのはそういう事じゃなくて」

「分かってる分かってる。さっきも言ったように、ここはれっきとした振多高校の施設。校長もここの存在を把握している。唯一他の教室と違うのは、ここが魔道を使って別位相に造られた、魔道使いしか来られない場所ってこと。別位相っていうのは……まあ異次元だとでも考えててくれればいい」


 別館校舎の物理法則を突き抜けた構造には説明がつく。しかし、拓人の16年間で培ってきた常識が、完全な理解をどうしても拒んだ。

 渋顔をする拓人を揶揄うように、いたずらっ子のような笑みを橘は浮かべた。


「ようこそ、振多高校美術部──もとい、魔道研究部へ。君の知りたいことはここで学びたまえよ」

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