第三話


 深夜23時。

 ベッドに寝転がりながら、拓人は照明にぼんやりと照らされる己の右手を見上げた。


「道力、ねぇ……」


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「まず、魔道とは何かわかるか?」

「全然」


 即答する拓人に、崇徳はまたため息を吐いてヒスイを睨んだ。その目は「先にある程度説明してから連れてこい」と語っている。もっとも、睨まれている本人は無心でクッキーを貪り食っているが。


「まあいい、見ていろ」


 それ以上の文句を言う気にもならなかったのか、崇徳はリビングに向かって右手を伸ばす。すると、4mは確実に離れているテーブルの上のリモコンが、吸い込まれるように飛んできて崇徳の右手に収まった。

 まるで手品のような光景に拓人も目を見開く。


「このように、本来起こりえないことを実現させる力が”魔道”だ。そして、これら魔道を扱う人間を”魔道使い”と云う」


 そう言って、崇徳は手に取ったリモコンを拓人に投げてよこした。

 危なげに受け取った拓人も、念の為にリモコンを回転させて確認するが、なんてことはない。一般的なテレビのリモコンだ。


「魔道を使用するには大きく分けて2つ必要になる。1つは道力だ」

「どうりょく」


 拓人の脳内では直感で”動力”と変換されたが、なんとなく誤変換であるような気がした。

 

「道力とは『肉体構成』、『空間構築』、『専用機械の動力源』……その他にも、ありとあらゆるものに置換できるエネルギーだ。古来より存在し、今も脈々と受け継がれている」

「受け継がれてるって……俺初めて聞いたけど」

「人界は大気中の道力が極端に少ない。魔道使いの間以外では時代と共に廃れていき、日本では飛鳥時代には民衆では知られなくなったそうだ」


 急に歴史の授業になってしまい、拓人は混乱する。

 ということは、それよりも前の次代……例えば弥生時代などでは先ほどのような力を民衆も使えたという事だろうか?


「道力は肉体や大気にあるエネルギーを置換し、貯蓄できる。そして肉体に貯蓄した道力をそれぞれの魔道に置換し、放出する。中学で電気エネルギーについて学んだだろう」

「え……あぁ、えっと、確か一番他のエネルギーに変換しやすいエネルギーだって」

「それと同じだ。電気エネルギーは道力に、熱などのその他のエネルギーは種別の魔道のようなものだ。早い話、道力がないと魔道は使えん」


 急な理科への方向転換に、頭の中はしっちゃかめっちゃかだ。理屈はなんとなく分かるが、あまり頭は良くないので情報の整理が追いつかない。

 しかし、崇徳は待ってはくれない。


「そして肝心な道力だが、これは一度に体に溜めこめるようなものでもない。全ての知性体には道力を溜めこめる限界値が存在する。をビルを1棟構築できるほど溜めこめる人間もいれば、全く溜めることができない人間もいる」

「俺はどのくらい溜めこめる?」

「数値で言えば3か4、例えるなら空の牛乳パック1本分だ。ハッキリ言って使い物にならん」


 バッサリと切り捨てられ、拓人はわかりやすいほどに落胆した。魔道を使えばこの体質をどうにかできると聞いていたのに、そもそもの道力を持つ才能がなかったのだから。

 崇徳の絶妙に分からない例えも気落ちさせる要因となった。既に傍観者に徹しているヒスイは、空の牛乳パック発言にクククと笑う。決して嚙み殺したような笑いではなく、身内の冗談に合いの手を添えるようなソレに流石の拓人もじろりと睨んだ。


「安心しろ。幸い貯蓄量は増やすことができる。手を出せ」

「?」


 言われるがままに自身の右手を差し出すと、崇徳の岩のような手に捕まれた。

 傷だらけであり乾燥して荒れた手は、拓人の父の手以上にゴツゴツとしているだけでなく、表面もザラザラとしている。せめて何かしらの感情を抱いてくれれば何を考えているのか分かるものの、拓人に伝わってくるのは手を握るザラついた感触だけだ。

 何をされるのかわからず、肩に力を入れて固まっていた拓人だったが、5秒も経たない内に崇徳の手は離れていった。


「今、お前に僅かな道力を渡した」

「えっ!?」


 拓人は差し出した右手を凝視する。掌を反してみても、手の皺をじっくり見ても、どこにも変化はない。感触もザラついた掌以外何もなかった。

 おそるおそる左の人差し指で突いてみても、崇徳の手よりは柔らかい感触しか返ってこない。


「既に道力はお前の全身を循環している。まずは自分の体に溜まる道力を感覚的に把握するところからだ」

「んん~~……?」


 それだけ言い終えると、崇徳は机の端に寄せていたノートPCを引き寄せ立ち上げた。

 拓人も試しに手を握ったり開いたりを繰り返したり、振るえるほど力を込めてみたりしてみた。しかし結果は予想してた通り、特に己の中にある特殊なエネルギーとやらを感じることはできない。


「何してるの」


 力だけ込めて無駄に疲れてしまった為、ヒスイの冷静なツッコミが今の拓人には耳が痛い。急に言われた通りに奮闘していた自分が恥ずかしくなってしまい、冷水をかけられたかのように奮起していた気力が萎えてしまった。

 やはり詐欺ではないか?そういう宗教団体みたいな?


「何をぼさっとしている」

「え、あ……いや、だから言われた通り俺の体にあるって道力を……」

「そのくらいお前の家でもできるだろう。今日教えられることは全て教えた。さっさと帰って家でしてろ」


 心の内を読み取られたのかと焦って取り繕うと、スクリーンの反対側から疲れ気味の男の目が覗いていた。

 しかし、帰れとだけ残して崇徳は再びキーボードに指を叩きつける。

 その突き放すような態度に拓人も口を曲げる。


「せめてアドバイスとかねぇのかよ!け押し付けるだけみたいなのはどうなんだよ」

「先に仕事中に押しかけて来たのはお前の方だ、ガキ」

「俺はこの家に引っ張りこまれたんだよ!」

「…………ヒスイ」


 拓人が手を付けずにいたお茶を強奪し、ちびちびと飲んでいたヒスイがキョトンとさせた顔を上げる。

 送り返せと崇徳が拓人を指差した。だが、ヒスイはどこか考え込む素振りをする。


「私はいいんだけど、さっき進に『今日は帰ったらもう家から出ない』って言っちゃったんだよねー」

「……なら自力で帰ってもらうしかないな」

「は?……うおっ!?」


 突然引っ張られる感覚と共に拓人の視界が回転し、気づけば目の前にヒスイのスカートがあった。

 「1名様外へご案内ー」という上だか下だかから聞こえた呑気な声から、ようやっと己が担がれていることに気づいた。

 突然の行動に拓人は暴れながらコーヒーを啜る崇徳に向かって声を張り上げる。


「まさかマジでこれで終わり!?マジで言ってる!?てか、こっからどうやって帰れば」いいんだよ!!」

「少しは自分で考えろ。お前のポケットに入っている板はゲームや自己顕示欲を満たす為の道具じゃない」

「はいはーい、また明日ねー」


 拓人の最後の叫びも空しく、家の外まで拓人はそのまま運ばれていった。


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 その後どうにか自力で調べて帰宅し、病み上がりで外出したことを母に怒られ、妹にその姿を笑われたりなどして今に至る。

 あれからもう一度集中してみたり、体を動かしてみたりしたもののやはり特にこれといった変化はなかった。母が怒った時は顔が痛かったし、妹に笑われた時は背中が擽ったかった。

 やはり騙されていたのかもしれない。

 過剰知覚者という言葉も、その場ででっち上げた造語の可能性だってある。

 ……あるの、だけど。


 あの雨の日、拓人とヒスイが言葉もなしに互いの存在に気づいた直観は間違いなく本物だった。


「わっかんね……」


 小難しいことを考えても疲れるだけだ。それが他人の思考なら尚のこと。

 拓人は見上げていた右手を投げ出し、枕もとの照明を落とした。



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「これが噂のぼっちメシ!」

「お前に言われたくねぇよ」


 4限目の音楽が終わった後、そのまま音楽室で1人昼食を食べていると、昨日のようにいつの間にかコンビニ袋をひっさげたヒスイが正面で仁王立ちしていた。因みに居場所は教えていない。

 断りもなく拓人の正面の席に腰掛けたヒスイに、拓人はもう何も言わない。何を言ったところで無駄だと昨日になってやっと理解した。

 案の定、ヒスイは袋の中から菓子パンを取り出して振り返る。一緒に食べるつもりだ。


「でも今の拓人はどっからどう見てもぼっちメシ状態だよ。いじめられてる?友達いる?」

「休憩中の教室は落ち着かないんだよ。余計なお世話だ」


 本当にいじめには至っていない。クラスの中で余計な関心を集めないよう、適度に周囲と会話し、揉め事は裂けるように立ち回ってこの2ヶ月は過ごしてきた。代償に、固定の友人等は作れないままクラス内はグループ化し、カーストも確立されつつある。

 ただ、今日の朝にはヒスイとの関係性で質問攻めにあった。ヒスイは拓人本人がいない間に余程大きく触れ回ったのだろう。やれいつの間に仲良くなったのかとか、いつ付き合ったのだとか、中にはヒスイの妙な噂から心配する声もあった。ヒスイが具体的に何を言っていたのかは聞いていないが、怖くてとてもじゃないが聞けやしない。


「ふーん。特に何もないならいいけど」


 本当に興味がなさそうに返事をしながら、ヒスイは菓子パンの包装を破る。

 そこでふと、引っ掛かりを覚えた。


「お前、それだけ?」

「え?うん」


 高校生にもなれば昼を菓子パンで済ますこともなんらおかしくはない。

 ただ、昨日のヒスイ宅で出されたクッキーは手作りだった。ヒスイか崇徳、どちらかは料理をする筈だ。何より、拘りが強そうだった崇徳が姪の食事に菓子パンだけで済ませようとするかが疑問だった。


「栄養偏るぞ」

「大丈夫、私────」


「最悪食事を取らなくても生きていけるから」


 聞き覚えのある声に教室の扉の方を見ると、相変わらずしかめっ面をした進が立っていた。おそらくヒスイの監視だろう。昨日とは違い、息を切らした様子はない。

 ヒスイはゲッ!と爬虫類のような声を上げるが、進は彼女の声を無視して拓人の傍までやってくる。


「コイツが人じゃないことは知ってるだろう?だからだよ。彼女、体の半分は血肉で、もう半分は道力で構築されてるんだよ」

「道力って、あの?」

「そうだよ。魔物や神は人間のように肉体を持たないから、自身の体も道力で構築する必要がある。道力がなくなっても最低限の栄養があれば生きていけるし、食事を取らなくても道力を代価にすれば問題ない。そもそもヒスイの道力が尽きることはまずないから、本来光景摂取をする必要もないのさ」

「私のセリフ取ってんじゃないよ」

「ならわざわざ何か食べる必要もなくね?無駄に金かかるし」


 その一言を放った瞬間、スン……と。ヒスイからゴッソリと表情が抜け落ちた。

 拓人の知るヒスイは常に表情をコロコロと変え、例え興味がなかろうとも「興味がない」という表情をしていた。

 しかし、今のヒスイは怒りも諦めも何もない。何を取っても、拓人の体質でも何を考えているか分からない。

 まるで異質なその雰囲気に、崇徳との初対面とも並べられる恐怖心を覚えた。


 ゴッ!!


 突如、隣にいた進が両腕で抱えるように持っていた分厚い赤い本でヒスイの頭を殴った。軽く振り被っていたので、確実に痛い。およそ頭蓋骨からしてはいけない音から、見ていただけの拓人の表情もひきつる。

 対して殴られたヒスイは微動だにしていないが、少なくとも目の光は取り戻している。


「カモフラージュだよ。人間の傍で生きてる以上、何かしら食べないと怪しまれるから」

「あぁ……なる、ほど」


 まだ脳内処理が落ち着いていない隙に、進は加えて拓人に耳打ちする。


「ヒスイを人間と比較した発言は本人の地雷だ。君はヒスイのお気に入りでもある。発言には注意を払ってくれるとこっちも助かるかな」


 言葉の最後に、チクリと耳に棘が刺さったような感触がした。つまりは、余計な発言をして仕事を増やさないでほしい、ということだろう。

 言いたいことは分かるが、せめてそういった注意事項は初めから教えてほしい。いっそヒスイの取扱説明書が欲しいくらいだ。


「…………なんで殴ったの……?」


 ようやく口を開いたヒスイはまだどこか心ここにあらず、といった様子だった。


「君、道力駄々洩れだったよ。学校側に騒がれるからちゃんと制御してくれるかな?頼むから」

「あぁ、うん…………」


 相変わらず棘を含んだ進の発言に対し、ヒスイは生返事で菓子パンを再び食べ始めた。

 2人が黙ってしまったので、仕方なく拓人も自分の弁当を食べることに集中する。しかし、この教室を包む空気がとても重い。

 いっそ食欲がなくなったことにして離れてしまおうかと考えた時、正面から視線を感じた。


「……何?」

「それ、唐揚げ?」

「見ればわかるだろ」


 ヒスイがそれ、と指したのは弁当の中身を半分以上失いつつも存在感を放つ鳥の唐揚げだ。3つ入っていた中の最後の1つである。


「ちょうだい」

「はぁ?」

「ほら」


 あ、と口を開けたヒスイにどうすれば良いか戸惑う。

 確かにヒスイは箸などを持っていない為、食べるには指でつまむか拓人の箸を使うしかない。だが、それはあげることを前提にした話。

 この唐揚げは拓人が楽しみにとっておいた最後の唐揚げ。3つのうちの1つをあげるのとは訳が違う。そもそも、この行為は世間で言う「あーん」であり、「間接キス」にも当たる。

 別に衛生観念的な嫌悪はない。一応……そう、一応。拓人とヒスイは男女間での関係を持っている間柄だが、拓人は何故か「そういうのは良くないと思う」と誰にも聞こえない言い訳をした。

 最後に縋るつもりで進を見たが、彼の視線は「あげろ」と語っており、見事に切り捨てられた。

 名残惜しいが仕方なく、仕方なく唐揚げを箸でつまみ、ヒスイの口に運んでやる。唐揚げが口に入った瞬間、素早く箸を離した。彼女の口に付いたかどうかは気にする余裕がなかった。


「……拓人はこれが美味しいの?」

「お、おう……」


 ヒスイの言葉選びに引っ掛かりを覚えたが、それ以上に謎の緊張感に押し流された。

 唐揚げ自体は拓人の母作だが、どうせなら「美味しい」と言われたほうがうれしい。

 

「……旨いか?」

「……よくわかんない」

「ウッッッッソだろ、お前…………」


 人の唐揚げを強請っておいて、いざ食べた感想が「よくわかんない」。この場に母がいなくて本当に良かった。もし母がいたら、ヒスイ相手だろうと流石に怒り狂っていただろう。

 というかよくわかんないってなんだ。旨い不味い以外にもせめて触感の感想とかせめて答えようはいくらでもあるだろう。

 楽しみにしていた最後の唐揚げを取られ、挙句こちらがよくわからない感想を言われて拓人は目の前の机に伏せた。

 対して何故拓人が落ち込んでいるのか理解していないヒスイは、1人首を傾げるのみ。その2人の間の温度差たるや。教室内に先ほどとは別の重たい空気が充満する。


「凄い。かなり甘いシチュエーションを見せつけられてるのに、こんなに空気感が冷えてることってあるんだ」


 同じくらい冷え切った進の声がより沈黙を重くした。


「ていうかお前、いつまでいるんだよ!」

「いつまでって、学校にいる間はずっとだよ」

「はぁ!?」


 てっきりヒスイに何か用があるのかと思ったが、どうやらそうではないらしい。

 というか学校にいる間はずっととはどういうことだろう。まるでストーカーではないか。

 ストーカー、もしくは監視。

 そこまで考えて、拓人は最悪な結論に至った。


「そうそう、最初はこれ伝えようと思ってたんだけど忘れてた」

「いや、忘れてくれ。俺のことなんてどうでもいいから」

「どうでも良くないよ。因みに噂の体質云々は関係ないよ。君はヒスイに”選ばれた”。それだけの理由だから」


 拓人の拒絶も虚しく、進は上層部の決定を淡々と告げる。


「青桐拓人、君も晴れて監視対象となった。これからよろしくね」


 声色だけ爽やかだったが、進の目はこれっぽっちも笑っていなかった。

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