第二話


「おお、勇者よ。休んでしまうとは情けない」

「誰のせいだと思ってんだ」

「うん。とりあえず見た目通り元気でよろしい」


 現在時刻は午後3時半。そろそろヒスイと出会って24時間が経過しようとしていたところだ。

 昨日のやり取りの後、洒落たコートと着た大人3人と気弱そうな少年を乗せた車が拓人の家に押しかけた。曰く、ヒスイの迎えらしい。因みにヒスイは拓人の家を教えていないらしかった。

 何故ヒスイの居場所を知っていたのかは分からないが、ヒスイは不貞腐れたまま大人しく連行されていった。拓人と同じ制服を着た少年が表面上は非常に申し訳なさそうにしながら、終始ネチネチと粘土のような感触をこちらに投げつけてきたのが印象的かつ不愉快だった。

 そしてヒスイが帰った後、深夜に拓人は熱でダウンした。気が抜けたことによって押し寄せた疲労と雨で体を冷やしたことが原因だと思われる。

 翌朝には微熱程度まで引いていたが、大事を取って今日は1日休みを取った。

 特にすることもできることもなかったのでSNSを眺めながらダラダラとしていたところ、インターホンが鳴ったのでロクに確認もせずに玄関の扉を開けたら冒頭の台詞と共にヒスイが立っていた。

 反射的に扉を閉めようとしたものの、見事に片足を挟みこまれて閉められない。そこそこ強かに挟んだが、本人はケロリとしている様子からダメージは0だろう。


「元気じゃねぇよ。朝まで熱があった」

「でも今は元気なんでしょ?じゃあ、行こっか」

「待て待て待て!」


 力士並みの力で引きずり出そうとするヒスイの力にどうにか抗い、拓人は家の中に踏みとどまる。

 寝巻はジャージ派なので、最悪そのままの格好で外に出ても問題はない。だが、流石に高校生が平日の日中に私服のジャージで歩き回るのは憚れる。

 それ以前に。


「どこ連れてく気だよ」

「どこって、決まってるじゃん」


「私の家」


—--------------------------------------------


 昼間からジャージ姿での外出に抵抗をしたら、5分で支度をしてくるように迫られた。

 仕方なく私服に着替えた拓人は、制服姿のヒスイに手を引かれている。彼女は学校からそのまま拓人宅に直行したのだろう。


「休みならそう言ってよねー。1年の教室探し回ってたから、遅くなっちゃった」

「いや……十分早いだろ」


 拓人達の通う振多高校は、基本的に15時頃に授業が終わる。そして学校から拓人の自宅まで自転車で30分。バスを利用しても15分はかかる。

 昼休みに拓人の教室を探し回ったにしても、HRの時間も考慮すると30分での到着は早すぎるくらいだ。

 それでも遅いというのは、余程自宅に招きたかったのだろうか?拓人の中で、ヒスイに対する興味心が少しだけ擡げた。


「で?お前の家ってどこ」

「バスで20分、徒歩で約1時間。どっちで行く?」

「バス」


 目の前にあるバス停を指さすヒスイに拓人は即答する。

 今日は幸運なことに雨は降っていないものの、湿度が高いうえに水溜りも張っている。そんな道を1時間も歩くなんて冗談じゃない。

 つい昨日降りて以来のバス停で待っていると、遠くからコンクリートの溝に溜まる僅かな水を蹴る音が近づいてきた。


「ヒスイ!」


 己を呼ぶ声に、ヒスイはあからさまに嫌そうな顔をする。

 声のした方を拓人が振り返ると、見覚えのある人物がいた。

 分厚い本を大事そうに抱える、栗毛のボブカットに大きな眼鏡。細い体型と比較的高い声から女子かと一瞬迷うが、男物のブレザーがそれを否定する。

 彼は昨日、ヒスイの迎えの中にいた唯一の高校生だった。

 随分急いで走ってきたのか、髪も制服も乱れきった少年は酷く息切れしながらもフラフラとヒスイに近づく。


「勝手にどっかに行くなって何度も言ってるだろ!怒られるのは僕なんだぞ!?」

「知らなーい。付いてこれないアンタが悪いんでしょ。というか、ついてくんな」


 顔を突き合わせて早々に剣吞な雰囲気に充てられ、ピリピリとむず痒い感覚に拓人は服の上から肌を摩る。

 話の内容からしてヒスイに問題があるようだが、拓人にとってはどうでもいい。

 喧嘩はいいけど、せめて離れてやってくれ。

 拓人が言い出す前に、ベンチに座る拓人を少年はじろりと見下ろしてくる。その視線の居心地の悪さに、逃げるように拓人は目線と一緒に頭も伏せた。


「また彼を巻き込んで何かするつもりかい?今度はどこに?」

「私の家」

「はぁ!?」


 突然声を張り上げた少年に、拓人は思わず耳を塞ぐ。

 驚きのあまりのけぞる拓人をよそに、焦った様子で少年はズレた眼鏡を掛け直した。


「君の家って、つまりコイツをあの人に会わせるっていうのかい!?流石にそれはダメだ!”上”に報告するよ!?」

「すれば?昨日のこともとっくに伝わってるんでしょ」

「そういう問題じゃないだろ!どうせ君のことだからもうコイツに色々暴露してる前提で話すけど、君が普通じゃないことは君が一番分かってるだろ!一般人に深く関わるべからず!16年も生きれば流石に分かると思うんだけどなぁ!?」

「私アンタのそういう所が嫌い」


 脈絡のない切れ味のあるヒスイの返事に、少年はたじろいだ。ついでに挟まれていた拓人の項にも物理的に痛みが走る。

 普通の人間の苛立ちは小さな針で刺すような痛みだが、ヒスイのものは刃物で切り付けられるように痛みの範囲が広い。拓人はこのような怒りの痛覚を出す者は初めてなので、やり過ごし方が分からない動揺を誤魔化すように項を手で覆った。

 だが、ヒスイはこれ以上話すことはないと言わんばかりに、少年に対してそっぽを向いてしまった。

 助かった、とホッとしたのも束の間。

 口論相手を失った少年が今度は拓人に向かって口を開いた。


「大体、お前もヒスイについていくんじゃない!これ以上こちら側に関わるな!」

「できるならとっくにそうしてるよ。見りゃわかるだろ」


 拓人は体質をどうにかしてもらうことを条件にヒスイと共にしているに過ぎない。体質と同じくらいヒスイが厄介で、できることなら関わるべきでないことは重々承知している。

 少年は見ただけで理解はしたがカンに触ったのだろう。拓人にはそれ以上言ってこない代わりに、チクリと苛立ちを一刺ししてきた。

 ……昨日から薄々感じていたが、この少年。表情こそ気弱そうにしているがその中身で周囲に高頻度でイラついている。ヒスイが嫌いだと言うのはこういうところだろう。

 流石の拓人も一言物申そうと顔を上げた。

 その瞬間、ヒスイに腕を引かれて無理やり立たされる。いつの間にかバスが到着していた。

 ヒスイはそのまま拓人を引きながら、最後に一度だけ振り返った。


「家にいる間は監視しない契約でしょ。今日はもう帰ったら外に出ないから、これ以上追いかけてきたら違反扱いにしてもらうから」


それだけ吐き捨てたヒスイは拓人を連れてバスに乗り込む。暫く開きっぱなしだったバスの扉は、少年が乗る気がないことを悟ったのかゆっくりと閉じた。

 窓越しの少年は悔しそうに俯くだけで、その姿も少しずつ横に動ズレてゆき、やがて見えなくなった。

 バスの中は帰宅部の中高生が数名と杖を持つ老人しかいない。座席は十分空いていたが、ヒスイが1人分の座席スペースに座ってしまったので、拓人は座る場所に迷った末にヒスイの隣に立った。

 すっかり不貞腐れたヒスイの隣にいるのは居心地が悪い。だが、離れても余計に機嫌を損ねかねない。かといって、目的地を知らない拓人にはバスを降りるまでの時間が不明なので、いつ終わるかも分からない気まずさに耐えるのも御免被りたい。

 迷った末に、更に気分を害す可能性を承知でヒスイに問うた。


「あいつ、誰?」

「栗原 進(すすむ)。私の監視役」


 あっさり答えたヒスイは、予想外にも無感情だった。拓人に妙な刺激が伝わることもない。

 しかし、監視役とは穏やかじゃない。ヒスイの素性を考えればいてもおかしくないが、一体誰がそんなことを命令したのか。


「私、”こんな”だから上の存在に嫌われてるの。レアケースらしくて、いつどうなるかも分からないから、才能があって歳も近い進が監視役に選ばれた」

「……上って、なんの?」

「魔道使い」


 昨晩も聞いた単語に、眉を顰める。

 今朝からインターネットで魔道について検索してみたが、検索方法が悪かったのかファンタジーな魔法使いのイラストやゲームが引っ掛かるだけで終わった。


「昨日も言ってたその、魔道って結局なんなんだ?」

「詳しい話は私の家でしてあげる。叔父さんが」

「おじさん」


 拓人に興味を持ってもらい、少しだけ気分が戻ったのだろう。

 ヒスイが「これ以上は着いてからのお楽しみ」と口角を上げるのとは対照的に、ヒスイの叔父という初めての存在に何故かうすら寒さを感じた。


—--------------------------------------------


 そのままバスに揺られることおよそ15分。

 降りた場所は清潔感のある住宅街だった。綺麗な一戸建てやマンションが立ち並ぶ中、ヒスイに手を引かれて入ったのは中でも一等大きな高層マンションだ。

 エントランスも目立つ汚れがないよう綺麗に掃除されており、高級ではなくとも十分お高い物件だというのは一目でわかる。

 あまりにも場違い感が強く、拓人は嫌でも緊張して足がもつれそうになる。


「お前、本当にここに住んでんの?」

「そう言ってるじゃん。それ3回目だよ」


 対照的にヒスイは慣れた手付きでオートロックを解除する。

 ここの番号8742613ね、と平然とオートロック番号を告げるヒスイに絶句した。信用されているのだろうが、それにしてもセキュリティ管理が甘すぎる。勿論、混乱で番号など耳の穴を貫通して流れていった。

 丁度エレベーターで降りてきたマダムと入れ替わるように中に入り込む。すれ違いざま、ヒスイが掴む手首と顔に生温い温度を感じて自然と渋い顔になった。

 エレベーターは16階で止まり、出てすぐ目の前に現れたT字路を右折してから3番目の扉の前でようやくヒスイは拓人の腕を離した。


「ここね。ちゃんと覚えといてよ」

「いや、なんで」

「長いこと通うことになるだろうから。ただいまー」


 そう言ってヒスイは自宅の扉を開ける。

 仕方なく、ヒスイに続いて拓人も恐る恐る扉の中へと入った。


「お邪魔しま、……っ!?」


 挨拶をした途端、全身が拘束されたように拓人は指一本動かすことができなくなった。

 いつもと同じ、他人の感情による触感に近い。だが、拘束されたように動けない等ということは今までなかった。思わぬ事態に、拓人は混乱する。

 同時に、突きあたりの廊下の右側からスウェット姿の男が現れた。


「誰だ、そいつは」

「拓人だよ。昨日言ったでしょ」


 くすんだ金髪をオールバックにした厳つい顔。男は気怠そうに、しかし敵意は剥き出しで廊下の壁に寄りかかった。佇まいはテレビでしか見ないような裏の社会を生きる人間のものだ。しかし、凄みは役者なんかの比ではない。

 見るからに恐ろしい男に対し、ヒスイはいつも通りの態度だ。


「拓人。この人が私の叔父さん」


 この男が、ヒスイの叔父。

 並んだ姿はまるで似ていない。ヒスイは外見だけなら人としての愛嬌がある。

 しかし目の前の男は人相も相まってとても人とは思えなかった。

 もしかしたら、この男も魔物とやらなのかもしれないと考えれば、自然と合点がいった。

 

「……魔王」


 そう、魔王。魔王がいるとするならこんな男だ。

 思わず零した拓人の一言に男がピクリと反応した。すると、体を締め付けるような拘束がより強くなり、拓人の内蔵は圧迫されて息が詰まる。

 壁に寄りかかっていた男が拓人に詰め寄り、恐怖で強張る顔を覗き込んだ。


「魔王、か……ほぅ?」


 正に、蛇に睨まれた蛙はこのような絶望感だろう。何をされるのか分からない恐怖に息もできない。

 視線を反らしたら食い殺されるかもしれない。なんて錯覚に陥りそうになりながら男の顔を見上げると、僅かに男の口角が上がった気がした。


 助けてくれ!


 恐怖のあまり心の奥底から願った瞬間、締め付けがなくなり動けるようになった。全身の力が抜け、その場にへたり込む。

 浅い呼吸を繰り返しながら、冷や汗まみれの額を拭う。

 体を拘束していた圧迫感は男の威圧だ。そして拓人の気のせいでなければ、男は威圧で意図的に拓人を拘束していた。威圧で拓人の体を操っていたのだ。

 その場で動けない拓人をよそに、叔父と姪は会話をしている。


「ただの一般人だろう。何故連れてきた」

「拓人に魔道を教えてあげてほしいんだよね」


 ……まさかこの男に頼むのか?

 冗談じゃない。

 拓人は今すぐこの場を去りたかったが、目の前の男とヒスイ相手では拒否という選択肢だけは許されないだろう。


「……まあいいだろう、一度上がれ」


 顎で部屋の奥を差され無理やり足腰に力を入れる。

 言うことを聞かなければ何をされるのか分からず、ただただ怖かった。

 ドラマでしか見ないような広いリビングを通り抜け、4人席キッチンテーブルのうちPCや書類が目の前に置いてある席に男は腰掛ける。

 視線で反対の席を差され、大人しくキッチンテーブルに座る。


「ヒスイ、茶と菓子を出せ」

「えー?いいけど」


 まるで気安い上司と部下のようなやり取りで、ヒスイのみがキッチンに消えていった。

 沈黙の中、遠くで戸棚や食器がぶつかる物音だけが微かに聞こえる。

 せめてヒスイだけでも隣にいてほしかった。何故この男と2人きりにされたのだろうか?

 気まずさから一言も喋れない拓人に対し、男は飲みかけのコーヒーが入ったカップに口を付けた。


「で?」

「は?」

「どこで魔道を知った」


 ギロリと睨まれ、すくみ上る。

 ここで正直に答えなければ、取って食われる。

 信じてはもらえないことも覚悟の上、拓人は詰まりながらも正直に答えた。


「他の人間と……体質が、違って」

「……体質?」

「それでヒスイが人間じゃないことに気づいて、ヒスイが魔道でどうにかできるかもって……」

「はい、お茶とお菓子ー」


 空気を読まずに割り込んできたヒスイの言葉に、拓人の肩が跳ねる。

 そのまま拓人の隣に座ろうとしたヒスイを男は睨んだ。


「ヒスイ!何故この小僧に魔道の存在を教えた!」

「だってそうしたら私の番になってくれるって言ったもん!」

「番!?」


 焦った様子で立ち上がった男は、拓人を二度見する。蛇のようなものが全身を這う感触が気持ち悪いが、それだけ混乱しているのだろう。

 だが、どこか納得いったような表情をした途端気持ち悪い感触は消えた。本当に困ったように頭を抱えた男は、その場に座り直した。


「これも遺伝か……」


 クシャリとオールバックが崩れることも気にせず頭を抱えた手で髪を混ぜ、男は誰に語りかけるでもなく吐き捨てた。

 その言葉はあまりにも忌々し気で、拓人は息を吞み、ヒスイは首を傾げた。

 やがて宙をさ迷っていた男の視線は拓人に向けられる。


「…………小僧、正気か?」

「……背に腹は変えられないってヤツ」


 拓人の言葉に男は深い、それはもう深いため息を吐いた。この反応からして、ヒスイの叔父だという男の中でもヒスイは破天荒という認識は共通しているようだ。

 つい先ほどまで恐ろしい気配を放っていた男だが、ヒスイよりも常識的な一面が垣間見えて少しだけ親近感が湧いた。


「……いいだろう。魔道を教えてやる」

「えっマジで?」

「叔父さんアリガトー」


 どこか諦めた様子で、男はPCや書類を隅に寄せながら応えた。

 まるでこうなることが分かっていたのだろうか。ヒスイは棒読みで礼を言いながら、自分で持ってきたクッキーを無表情で貪る。

 何か言いたげな男もクッキーに手を伸ばした。が、一口だけ口に入れた瞬間、眉を顰めてマグカップに残っていたコーヒーを全て飲み干した。

 そして空になったマグカップをヒスイに突き出す。


「入れ直せ。ブラックで3杯分だ」

「またぁ~!?姪使い荒いよー」

「文句を垂れるな。手を動かせ」


 男はカップを無理やり押し付け、シッシと追い払う。

 唇を尖らせたヒスイは渋々と再びキッチンの中に消えていった。

 再び2人っきりになり、男との間が気まずくなる。


「えっと……」

「スイトク。崇徳院(すとくいん)の漢字を使ってスイトクと読む。オレの名だ」

「あっ……ハイ。俺は青桐拓人です」


 先に名乗った男──崇徳に習い、拓人も名乗り返す。

 崇徳院が一体なんなのかは知らないが、あまり良い響きではないような気がした。

 それきり黙っていると、「それにしても」と崇徳が切り出した。


「過剰知覚者か。久しぶりに見た」

「知覚……?」


 魔道の前にまたしても聞きなれない単語が出てきたために、困惑する。

 しかも、文脈的に拓人のことを差していた。


「過剰知覚者。別名、Excess Perceiver(エクセス・ペシーヴァー)。五感が本来とは意図しない働きをする人間達の名称で、お前の言う体質を差す言葉だ」

「過剰、知覚……」

「過剰知覚の発現数はおよそ1億分の1。国に1人いるかいないかの割合だな。当然発見報告数は極稀だが、古くとも1000年以上も前から居たという噂だ」


 漢字にするとたった5文字。

 そのたった5文字に拓人はどこかホッとしていた。まるで長年喉につっかえていた異物がやっと飲み込めたような、安堵。

 誰にも証明できずにたった独りで抱えていた違和感は、歴史上でも前例のある、一部の人間には確かに認知されている体質だった。


「病院に通ったことは?」


 拓人は黙って首を振る。

 幼い頃、己の知覚は誰しもが持つモノだと思っていた。

 それが特別であり、異常であると知ったときには、拓人の周囲は既においそれと相談できるような環境ではなくなっていた。

 人の感情が感触で分かるなどと、漠然とした現象を誰が信じるのかという警戒心と諦めから、病院へ行くことなど考えもしなかった。


「懸命だな。過剰知覚者は現代の医療でも解明できていない異常体質。発現するタイミング、年代、種族、性別、数……どれを取っても不規則だ。加えて分母数がそもそも少ないが故にエビデンスが皆無に等しい。世間では脳の異常と判断されることが一般的だ」

「アンタはなんで知ってたの」

「魔道使いなら一度は耳に挟む存在だ。魔道絡みの事件で発見されることもある」


 だからヒスイは魔道を教える条件を出したのかと、合点がいく。

 蓋を開けてみれば恐ろしい男が教授することになっていたが、自分の体質に理解があるだけで十分だ。


「そして過剰知覚者の中で一番厄介なのが、どんな魔道を使用しても治療や改善は不可能だということだ」

「……は?」


 最後の言葉に一瞬息が止まる。

 崇徳は今なんと言った?魔道を使用しても治療や改善は不可能?

 なんだそれは、話が丸っきり違うじゃないか。


「ふざけっ……ッてぇ!」

「話は最後まで聞け、小僧」


 感情のままに立ち上がろうとした拓人は、出待ちしていた崇徳の人差し指に小突かれて椅子に逆戻りした。

 まるで金具に頭をぶつけたような硬さと痛みに拓人の目の前に星が舞う。崇徳の爪は綺麗に切り揃えられており、ぶつかったのは殆どが指の肉だ。この硬さも魔道というやつの一種だろうか?

 額を抑えて蹲る拓人を、崇徳は呆れ顔で見下ろした。


「改善は不可能だ。だが、抑制はできる」

「よく、せい……?」


 崇徳は言葉を続けながら振り返り、背後のキャビネットを漁り始めた。

 漁る音が気になった拓人が顔を上げると、崇徳が付箋のような紙を3枚差し出した。


「唾液を付けてみろ」

「えっ……」


 いきなりとんでもないことを言い出した崇徳に拓人は引いた。だが、ひくりと彼の眉間が動くのを見れば従う他なかった。

 一度紙を3枚とも受け取り、まじまじと観察する。

 何れも同じ長さで、合計で9本の線で等分されている。違う点は、それぞれ両端が赤、青、黄の3色ずつの色がついているところだろう。一見付箋のように見えたそれは、どちらかというと理科の実験等で使う試験紙の方が近いかもしれない。

 気は進まないが、言われるがままに紙の先端に少しだけ舌を付けた。


「……?……うわっ!?」


 途端、3枚全てが火も出さずに焦げ始め、驚きのあまり拓人は紙から手を離した。

 ひらひらとテーブルの上に落ちた紙を、崇徳は躊躇なく3枚全て手に取った。


「ちょ、危ない!……というか、汚い……」

「安心しろ。これ以上は焦げん」


 崇徳の言う通り、彼が紙を手に取った段階でそれ以上紙は焦げなかった。

 崇徳の手にある紙の内、赤色は黒い線の1本と半分。黄色は3本と半分。青色は全体の半分も焦げていた。

 一連の流れが分からず1人頭をかしげていると、丁度コーヒーを入れ終わったヒスイが戻ってきた。


「あ、それが拓人の取得率?」

「……ふむ、青特化に黄多めか。中々悪くない」

「だねー。丁度拓人の体質と嚙み合ってる」

「何の話?」


 再び卓上のクッキーに手を付けた崇徳は、口に含んだ直後にヒスイの入れたコーヒーをすぐさま啜る。まるでクッキーを腹に流し込むように。

 そうして一息吐いてから、改めて椅子に座り直した。


「ここからが魔道の本題だ。覚悟して聞け」


 崇徳の一言に背筋を伸ばす。

 流されるがままに教わることになってしまったが、教えてもらえるのならそれに越したことはない。

 ……少し、詐欺まがいではないかと思わないでもないが。


「あ、あのさ!」

「ん?」

「なんで、俺に魔道を教えてくれんの……?」


 一度気になり出したら悶々としてしまい、たまらず尋ねてしまった。

 だって崇徳に特がない。

 突然姪が番だと全く知らない男を連れてきて、無条件で魔道という力を教えてくれる。後から多額の勉強代を取るつもりだというのなら、今すぐ止めたいところだ。


「ああ、流石にその辺りの警戒心はあるか」

「え?理由いらなくない?」

「お前はもう少し合理性というものを考えろ」


 先ほど拓人にやったように崇徳はヒスイの額を小突いた。

 崇徳の肩越しからのぞき込んでいた事で距離が近かったこともあり、ヒスイは避けることも出来ずに大きくのけぞる。


「いったぁ──い!」


 涙目で嘆くヒスイをよそに、崇徳は続ける。


「理由は2つ。1、過剰知覚者としての情報を提供すること。先に言ったように、過剰知覚者の情報は未だ少ない。今後の調査の為にも軽い検査や実験を行ってもらう」

「実験……?」

「解剖をしたりするものではない。あくまで軽い調査のようなものだ。身の安全は保障する」


 不穏な言葉があったが、ひとまず置いておくことにした。

 それよりも、もう1つの理由が気になった。


「2、は……そうだな。ヒスイに付き合ってもらう代償だ」

「は?」


 意外と言えば意外な理由に、拓人の目も点になる。まるで罰ゲームのような言い回しではないか。

 拓人の隣の椅子に腰掛けたヒスイもぱちくりと瞬きした。


「代償?え……付き合う代償?アンタの姪だよな?」

「そうだな。何なら、世間一般では育ての親とも言う立ち位置だな」

「えっ……」


 育ての親だというのならば、尚更娘のようなものではないのか。

 父親心というものは結婚もしていない拓人にはわからないが、娘が異性と親交を深めていたら基本男親は内心穏やかではいられない印象がある。

 ヒスイの両親はどうしたのかという疑問が一瞬頭の隅に浮かんだが、崇徳の発言の方に完全に気が向いていた。


「限りなく人間の傍で育てたが、コレはまるで他人に興味関心がない。ここまで他人に興味を示した人間はお前が初めてだ」

「……お前、今までどうやって生きてきた?」

「普通に生きてましたけど────!?」


 叔父にここまで言われるのは相当だ。

 ヒスイは否定するが、そもそも彼女の普通の基準に信憑性がない。


「つまり、この先コレが何をしでかすかは予測が不可能だ。その代償……いや、自衛も兼ねて魔道を教えてやる」


 崇徳は先ほども今も、間違いなく代償と言った。自衛も本心だろうが、初対面では人一人殺せそうな程鋭かった目が死んだ状態で遠くを見ているのが全てを物語っている。

 拓人の中で、昨日からずっとヒスイと付き合うデメリットが上に傾いていた天秤が、少しだけ水平に近づく。心なしか胃が傷んだような気がして、か細い声で尋ねた。


「あの、断ることって……」

「今更私から離れるの?」

「見ての通りだ。今はヒスイからお前を引き剝がした方が厄介なことになる。諦めろ」


 水平になりかけていた天秤は再び魔道側に沈んだ。沈まざるを得なかった。

 拓人は体質改善に釣られて安易な決断をした24時間前の己を心の内で恨んだ。

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