第9話 飴玉


 チャンネル登録数が三十万人にまで増加し、今もなお増加傾向は続いていた。

 朝起きて携帯端末を確認するたびに増える数字。

 人助けが第一でも、チャンネル登録数が増えるのは朝の憂鬱を消し飛ばすくらいには嬉しい。


「行って来ます」

「紫狼、朝ご飯は?」

「なんか買ってくよ」


 VTウルフとしていくら有名になろうと、神月紫狼としての人生に影響はない。

 そう思っていたけれど、気持ち的には明るくなれるもので。

 気怠いだけの登校も、今ではすこし足取りが軽い。


「ありがとうございました」


 朝食のパンと口寂しい時のための飴。

 コンビニでそれらを買って外に出て、飴玉の一つを口に放り込む。

 何日も繰り返している何の変哲もない日常。

 その裏でVTウルフの名は有名になっていくと思うと、なんだか妙な感じがする。

 そんなことを思いつつ通学路を歩いていると。


「ダメ! 返して!」


 悲鳴のような声がして、一羽のカラスが飛んでいく。

 その嘴には何かを咥えていて、朝陽を反射して輝いている。

 状況から察するに誰かの持ち物を奪ったみたい。


「ダメじゃない。人のもと盗っちゃ」


 飴玉を一つ手にとって紫電を流す。

 周囲を軽く見渡して人目がないのを確認。

 カラスに投げると、紫電を纏った飴玉が弧を描いて輝く何かに吸い込まれる。

 見事にヒットし、その衝撃でカラスは咥えていたものを落とした。

 元が飴玉だからカラスにも、咥えていた何かにも大したダメージはないはず。

 地面に叩き付けられて壊れないよう、輝く何かをこちらに引き寄せてキャッチ。

 無事にカラスから誰かの持ち物を取り返せた。


「ネックレスか」


 カラスが盗ったのはネックレスだった。

 二つの指輪が通されていて、すこし古ぼけた印象を受ける。

 それに張り付いていた砕けた飴玉を包み紙ごと剥がしていると、目前の角から血相を欠いた人が飛び出してくる。

 肩で息をしながら空を睨む二十代の女性だ。

 服装はスーツで、恐らく会社員。


「はぁ……はぁ……嘘でしょ。そんな……」

「あの、もしかしてカラスを探してます?」

「え? あぁ、うん。そうなの。大事なもの盗られちゃって」

「じゃあ、このネックレスは貴方の?」

「あぁ! そうそれ! 私のネックレスよ! でも、どうしてキミが?」

「ちょうどカラスが落としていったのを拾ったんですよ」


 流石に飴玉を投げて撃ち落とした、とは言えなかった。

 言っても信じて貰えないだろうし。


「そうなの。ありがとう! このネックレス、おばあちゃんの形見なの。本当にありがとうね! もう大好き! お姉さん、ハグしちゃう!」

「え? ちょっ、苦し……」


 急に抱き締められて、い、息が。


「あ! そうだ、会社に遅刻しちゃう! キミ、高校生よね? ここ通学路よね? だったらまた会えると思うから、その時にお礼させて。喜んでもらえるように頑張るから待ってて。それじゃあ、またね!」


 一方的にそう捲し立てて、彼女は街に消えて行った。


「あ、嵐みたいな人だった」


 名前も知らない人に抱き締められた。

 え? なにこれ? なんだったの? いまの。

 悪い気は、その、しないけど。


「神月くん」

「うわっ!?」


 思わず心臓が大きく跳ねて止まるかと思った。


「あれ、乙ノ木さん? お、おはよう」

「おはよう。ところで私、見てしまったの」


 どきりとする。


「……見たって、なにを?」

「神月くんが年上の女性に抱き締められているところ」


 そっちか。

 飴玉のほうを見られたかと思った。

 乙ノ木さんはありがたいことに熱心なVTウルフのファンだ。

 俺の正体だってバレていたかも知れない。

 いやまぁ、最悪の事態は免れたけど、そっちはそっちで困るんだけど。


「意外ね、神月くんって年上好きなんだ」

「いや、あのね? あれは別にそういうことじゃなくて。ただあの人が落としたネックレスを拾っただけで」

「ネックレスを拾うと大人の女性に抱き締めてもらえるの?」

「えーっと、まぁ……そうなったかな」

「ふーん」


 ダメだ、絶対信じてもらえてない。

 まぁ、俺が乙ノ木さんの立場でも信じないだろうけどさ。

 この際だ、どう思われようとしようがないけれど。


「……要求は?」

「要求?」

「今見たこと全部黙っててもらうために俺が飲むことになる要求」


 言いふらされたら絶対クラスの男共に弄られる。

 一々弁解するのも面倒だし、ここで始末を付けたい。


「そうね。じゃあ」


 乙ノ木さんがこちらに手を伸ばす。


「飴一つ」

「それでいいの?」

「言いふらす気なんて元からないもの。でも、神月くんにとってはこうしたほうが精神衛生上いい。違う?」

「違わない。じゃあ、はい」


 飴玉を一つ渡して話を付ける。

 そう言えば乙ノ木さんとこんなに長く喋ったのって初めてだ。

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