第50話 それぞれの決意

 ケリーは懸命に頼んだ。


 「ク……クウェイさん。オレ……は大丈夫です。だから……エダナを……エダナを探して下さいっ!」


 負傷した自分には構わず、一刻も早くエダナを見つけて、守ってあげて欲しい。そう言いたかったが、声を出そうとしても腹に力が入らない。ケリーは馬から落ちないよう、しがみついているのが精一杯だった。


 「くそっ……!」


 ケリーはグレイスターの首に手を付いて、無理矢理に体を起こした。腹の傷を押さえていた左手は生温かい血に濡れ、鎧に乱れた赤い手形を付けている。


 クウェイを足止めすればするほど、エダナの命は危なくなる。他の騎士たちがエダナを気にかけてくれるはずないのだから。彼女を守れるのは、仲間であるケリーとクウェイの二人しかいない。


 「うぐうあああ……っ!」


 ケリーの絞り出すような呻き声に、クウェイは驚いてふり返る。残された力をふり絞る後輩を見つめていた彼は、ふいに鎧の青い腰布を引き千切った。


 クウェイは木影に隠れたところで馬を止めて、破った腰布をケリーの腹に強く巻きつける。


 彼らが身にまとっている鎧は、上半身と下半身を守るそれぞれの鎧を繋ぐために、腹部にはベルトが二本通っているだけの作りになっている。


 魔界兵は、鎧の無防備な部分を見抜いて攻撃したのだ。


 布をきつく締めるたびに、ケリーは崩れそうになる。深手の傷を負った体を支えながら、クウェイは戸惑いの表情を浮かべた。


 クウェイは今後の運命を左右する選択を迫られていた。


 「クウェイさん……っ!早く、エダナを……」


 ケリーは血に濡れた手でクウェイの腕をつかんで、引き離した。


 「オレ……もう、大丈夫です!」


 ケリーは苦痛に顔を歪めながら、たるんだ手綱を手繰り寄せた。腹に巻いた青い布が、ジワジワと赤黒く染まっていく。


 戸惑うクウェイに構わず、ケリーは懸命に言葉を吐き出した。


 「オレも、エダナを探します。……けど、どこまでもつか……わからない。だから、クウェイさん……エダナを必ず……見つけてやって、下さい。……オレより、クウェイさんの方が――」


 クウェイは力強くケリーの手を握りしめ、それ以上の言葉を遮った。


 「わかった、エダナは僕が探すから!君はすぐに撤退するんだ。いいね?」


 ケリーは激しく首を横にふる。頑固な抵抗を受けて、クウェイは声に怒気を滲ませた。


 「ケリーッ!そんな状態で無闇に動き回ったら、死んでしまう!もし、また魔界兵に襲われたらどうなるか、君が一番わかっているはずだ!……チーフとして命令する。他の騎士たちと一緒に、今すぐ撤退するんだ!……学舎に帰れっ!」


 いつものクウェイとは比べ物にならないほどの気迫に、ケリーは逆らうことができない。思うように反論することができず、ケリーの目から悔し涙が溢れたときだった。


 地面が大きく揺れ、地の底から沸き起こるような地響きが轟く。


 異常な雰囲気に怯えた馬は、耳を前に向けたまま大草原の奥を凝視している。白目が見えるほど目を見開き、フウッフウッと鼻息を荒げる馬が見つめる先では、大地が巨大な波のようにうねりながら、とんでもない速さでこちらに迫っていた。


 「ケリー……逃げるんだ……っ!」


 グレイスターの手綱を引いて、クウェイは馬を走らせた。迫る波は周囲の木や岩をなぎ倒し、大きな口を開けてすべてを呑み込んでいる。


 もし、あの穴に落ちてしまったら……地上には二度と戻れないだろう。


 「僕が必ずエダナを探し出す!君はみんなと一緒に学舎へ帰るんだ!」


 クウェイは茂みに逃げ込むと、グレイスターの手綱を手放した。


 剣を引き抜き、彼は素早く馬を反転させる。


 慌ててグレイスターを止めるケリーへ、クウェイは背中越しに叫んだ。

 

 「ケリー、行くんだっ!もう時間がない!」


 クウェイはケリーが躊躇うとわかっていたのだろう。彼は馬の上でふり返り、ヘルムの下から悲しげな顔を覗かせた。


 「僕が信じられないかい?」


 ケリーは大粒の涙をボロボロとこぼして、首をはっきりと横にふる。


 クウェイの指示に従わないのは、信じていないからではない。クウェイやエダナの力になれない悔しさと、仲間と離れてしまう不安が、ケリーを引き止めてしまっているのだ。


 「そんな訳ないだろ……!オレはいつだって、あんたを……信じてんだっ!」


 渾身の力で叫ぶと、不思議なことにケリーの心は軽くなった。重くのしかかっていた負の感情が粉々に砕けて、仲間への信頼感が本来の彼を呼び覚ましていく。


 そうだ……誰も、ここで死ぬわけにはいかないんだ。クウェイさんなら、絶対にエダナを連れて帰って来てくれる。


 だから必ず、また会える。


 ケリーの本心が聞けて嬉しかったのだろう。クウェイはいつもの優しい微笑みを浮かべて、力強く言い放った。


 「さあ、行けっ!」


 グレイスターの腹を蹴り、ケリーはクウェイに背を向けて駆け出した。ふり返ることなく、訓練通りに木々をすり抜けて他の騎士を探す。


 体の痛みはもう、ちっとも感じない。ケリーはさっきまで行進していた道を駆け戻ると、周囲に残っている騎士に向かって叫んだ。


 「逃げろーっ!このままじゃ呑まれるぞ!」


 ケリーが背後から追る大地の口を指さすと、騎士たちは馬を駆って全速力で走り出した。すでに撤退を始めていた者も、魔界兵と交戦していた者も、追り来る波に気がつくと、同じ方角を目指して駆けた。


 あちこちに横たわる鎧や馬を飛び越えながら、ケリーは絶えず周りに目を配った。白黒斑毛の小さな馬と、黒い髪の少女がいないか。


 ケリーはエダナを探さずにはいられなかった。


 「ブラッドウルフだっ!」


 誰かの叫び声と、それに続く馬の悲鳴。視界の端を転がっていく馬を見ただけで、新たな敵が牙を向いているのがわかった。


 それも、敵はブラッドウルフだけではないらしい。まだ遠く離れてはいるが、ボスウルフの重い足音が追いかけて来ていた。

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