第12話 侵入口

 ――うはあっ!


 バシャバシャと派手な水しぶきをあげて、かなり下流からタークが姿を現した。水路の終わりにある大きな鉄格子のおかげで、壁の外へ流れずに済んだのだ。


 「今、助けるからなっ!」


 松明と木の棒を投げ出して、少年はタークへ駆け寄った。


 深い水路から自力で出られないのだろう。タークは必死で壁にしがみついている。


 「つかまれっ!」


 少年は手を伸ばして、溺れかけているタークを引っ張り上げた。


 あのブラッドウルフはどこへ行ったのか、タークが陸に上がっても出て来なかった。


 力なくうなだれ、びしょ濡れになったタークが激しく咳き込む。体から滴る汚水が、地面を黒く染めていた。


 少年は落とした松明を拾い上げて、タークを照らした。こんなものでは、体を乾かすことはできないだろうが……とりあえず、相方が助けを連れて来るまで休ませよう。


 「大丈夫か?すぐに、バドリックさんが来てくれるからな」


 「ゲホッ、ずびまぜん。こんなことになるとおぼわなくて……ゴホッ」


 「無理に喋んなくていいぞ。少し落ち着けよ、な?」


 「て、てをよごしてしまって……ゴホッ。ぼんとにずびまぜん」


 「手……?」


 少年が自分の手を見ると、松明に照らされたその手は薄汚れていた。きっと、助けたときに汚れたのだろう。


 「気にするなよ。それより、おまえの方が大変だぞ。その……先輩のセロって人は厳しいんだろ?そんな格好で出くわしたら、きっとただじゃ済まないぜ?」


 タークの脳裏に、自分を見上げるセロの姿が浮かんだ。チャチャにまたがった自分に、助言をしてくれている。いつもの訓練の景色だ。


 気持ちを落ち着かせるために息を吐き出すが、その吐息に思わず顔をしかめてしまう。自分と同じ顔をしている少年に申し訳なく思ったタークは、そっと顔をそむけた。


 「あはは……。すごい臭いですね。セロさん、きっと部屋に入るなって怒るだろうな……」


 「まあ、着ていたのが制服じゃなくてよかったな。寝間着なら、いくらでも替えがあるからさ」


 タークはちらっと少年を見た。今まで気にしていなかったが、自分も彼も薄い寝巻きのままだ。こんな無防備な格好でブラッドウルフに襲われたのかと思うと、タークの背筋に冷たいものが走った。


 「あっ!そういえばおまえ、肩は大丈夫か?さっき噛まれただろ?」


 タークが右肩に手をやると、服が見事に裂けていた。破れた穴からのぞく肩には血がにじんでいたが、目立った傷はないようだ。


 「ちょっと、血が出ているだけみたいです」


 「そうか。でも、早く傷口をきれいに洗わないとな。いや……いっそ、体ごと洗った方がいいか」


 少年は歯を見せてキキッと楽しそうに笑った。恐怖で強張っていたタークも、つられて笑顔になる。


 こんな冗談で笑ったのはいつぶりだろう。セロさんも、冗談が通じる人ならよかったのに!


 あ……そういえば。


 「あの、少し聞きたいんですけど。さっき言っていたバドリックさんって誰ですか?」


 少年は笑ったまま、ため息をついた。


 「おいおい、冗談だろう?セロって人は、おまえに何も教えてないんだな。いいか、さっき会った男の人のことは覚えてるよな?あの人が、バドリックさんだ。バドリックさんは、ドラゴン乗りの最高指導者で――」


 「おーいっ!大丈夫かー?」


 少年が一から説明していると、遠くから声が聞こえてきた。ふり返ると、複数の松明が揺らめきながら、こちらに向かって来るのが見える。


 「……噂をすれば何とやらってやつだな。ほら、バドリックさんが来てくれたぞ。立てるか?」


 少年とタークは立ち上がって、背筋を伸ばした。今度はタークも足をそろえ、直立不動の姿勢をとっている。


 そこへ、大急ぎでやって来たバドリックが、ひと息つく暇もなく尋ねた。


 「ブラッドウルフに襲われたそうだな?怪我は?どこか痛いところはないか?」


 「はっ!彼は右肩を負傷しましたが、比較的軽傷と思われます」


 さっきまでの雰囲気とは一変した少年が、はきはきとバドリックに報告する。その姿を見て、タークはちょっとだけ寂しい気持ちになった。


 口が悪いときもあるが、冗談を言って笑う彼の方が好きだった。


 「どれ、見せてみろ」


 タークはバドリックに右肩をさしだしたが、ふと自身の臭いを思い出して赤面した。うつむきながらバドリックの表情をうかがったが、彼は顔色一つ変えていない。


 「ふむ……。ブラッドウルフに襲われて、かすり傷だけで済むとは……運が良かったな。傷口はちゃんと洗って、手当しておくんだぞ?」


 『からだもな』


 バドリックの背後にいる少年が、声を出さずに口だけを動かした。タークと目が合うと、彼はヒヒヒッと声を潜めて笑った。


 やっぱり、彼はこうでなくっちゃ。


 「よしっ!」


 バドリックが後ろに向きなおると、少年はさっと無表情を装った。だが、口元はかすかに歪んでいる。


 そんなことには気付かず、バドリックは学生たちに引き続き侵入口を探すよう命じて、立ち去ろうとした。


 「あの、ちょっと待ってください!」


 そう言って、引き止めたのはタークだった。


 その場にいた全員が驚いてふり返り、たくさんの視線が彼に注がれる。


 タークは大きく深呼吸をして、しっかりと報告した。


 「見つけました!ブラッドウルフの侵入口!」

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