第13話 魔界の犬

 闇に包まれた訓練場を、大勢の人影が慌ただしく走り回っている。武器庫から出した剣を手に、駆けるセロもその一人だ。


 学生たちはブラッドウルフと、命がけの追いかけっこをしている真っ最中だった。


 「向こうから回り込め!」


 「あっちに行ったぞ!追い駆けろっ!」


 飛びかう怒号も、ブラッドウルフが相手では何の意味も持たない。学生たちは魔界の犬に遊ばれていた。


 ここぞとばかりに剣を振り下ろしても、獣はひらりとかわして逃げてしまう。風に舞う木の葉をつかむようなもどかしさに、彼らの苛立ちは少しずつ高まっていく。


 ブラッドウルフを追いながら、セロは頭の中で愚痴を吐いた。


 どう考えても、人の足でブラッドウルフに太刀打ちしようなんて無理な話なんだ。人間には足が二本しかないのに、ブラッドウルフは強靭な足を四本も持っているのだから……追いつけるはずがない。


 「これじゃあ、埒が明かないな」


 隣を走っていた青年が、ため息混じりに嘆いた。


 ブラッドウルフは跳ねるように走り、距離はどんどん開いていく。


 闇の中へ姿を消した獣を憎らしそうに睨みつけて、青年はチッと舌を鳴らす。額にはうっすらと汗が浮かび、松明の灯りを鈍く照り返していた。


 「騎士団の力が借りたいが……あっちも取り込み中か?」


 青年は追うのを諦めて、肩で息をしながら橋を指さす。セロも立ち止まり、青年の指先を目で追った。


 暗くてよく見えないが、橋のすぐ隣にある門は固く閉ざされたままのようだ。騎士団がこちらの訓練場に来る気配はない。


 地上では小回りが効かないドラゴンよりも、馬の方が俊敏に動くことができる。騎士が手を貸してくれれば、この追いかけっこも楽になるのだが……。


 「捕まえたぞっ、絶対に逃がすな!」


 怒鳴り声につられて視線を戻すと、一頭のブラッドウルフがドラゴン乗りたちに追いつめられていた。

 

 興奮した獣は短い毛を逆立て、逃げ道を探すようにグルグルと回っていたが、ふいにセロたちの方へ真っ赤に充血した目を向けた。


 よく見ると、取り囲む学生たちの間隔が広がっている箇所がある。


 逃げ道を見つけたブラッドウルフの瞳が、不気味に輝いた。獣は人垣の隙間めがけて、唸り声を上げながら突進して来る。


 「任せろっ!」


 セロのそばにいた青年が、果敢に立ち向かう。どうやら、彼も獣の逃げ道に気が付いていたようだ。剣を構えて、ブラッドウルフの行く先を塞ぐ。


 ――グルルルルッ


 青年が斬りかかる直前、ブラッドウルフは大きくジャンプした。細い体が軽々と学生たちの頭上を飛び越え、青年の剣は空を切る。


 包囲網から抜け出したブラッドウルフが、にたりと笑ったのと同時に、背後で待機していたセロが素早く剣を握り直した。


 姿勢を低く構え、一直線に跳んで来るブラッドウルフに狙いを定める。空中にいるブラッドウルフに、逃げ場はない。


 ――グアッ!


 剣に跳び込んだ獣が、苦しげな声を上げる。ブラッドウルフの着地点に先回りしたセロは、ずっしりと重くのしかかる剣を地面に突き刺した。


 とどめをさされた魔界の犬は、赤い眼で彼を睨みつけると、歪んだ表情のまま動かなくなる。訓練場の砂に赤黒い血が広がり、セロの服には新しい染みができた。


 セロの見事な動きに、青年たちの口から感嘆の声が漏れる。


 「助かったよ。なあ、今度一緒に稽古で――」


 ――ドスンッ


 青年が何か言おうとした、そのとき。


 突如、訓練場に重い衝撃音が鳴り響き、地響きが体を伝った。その場にいる全員の動きが止まり、不気味な静寂で満たされていく。


 「地震……か?」


 困惑したような青年の声。セロは嫌な気配を感じて、辺りを見回した。


 さっきの揺れを感じたのは、自分たちだけではないようだ。周囲にいる人たちも、不安そうにたたずんでいる。


 動きを止めているのは人間だけじゃない。


 ブラッドウルフも立ち止まって、同じ方向を凝視している。


 ――ドスンッドスンッ


 響く音に導かれて、ブラッドウルフが主人を出迎える犬のように駆け出す。


 獣たちの行く先には、閉ざされた正門があった。


 門前に群がる獣がうるさく鳴き喚き、隠れていたブラッドウルフたちも、つられて姿を現した。


 「今がチャンスだっ、追え!」


 「やつらを逃がすな!」


 周りの人影が一斉に走り出す。集うブラッドウルフは、追いついた学生たちによって一頭、また一頭と切り倒されていった。


 「俺たちも行くぞ!おい、おまえも来いっ!」


 青年がセロの肩を叩く。


 ああ、と短く頷いてセロも駆け出そうとしたとき、遠くで彼の名前を呼ぶ声が聞こえた。

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