第14話 新たな敵

 「セロさーんっ!」


 声がした方へ目をやると、竜舎の方から少年が走って来るのが見えた。松明が照らす彼の姿は、ひどく泥にまみれているようだ。


 目を細め、闇に目を凝らす。ようやく少年の正体に気づいたセロは、驚きの声を上げた。


 「タークか……?どっ、どうしたんだ、その格好!」


 ボロボロになったタークは、膝に手をついて息を吐いた。たちまち獣臭いにおいがセロの鼻をつき、思わず顔をしかめてしまう。


 そんなことには構わず、タークは荒い息のまま無理やり口を開いた。


 「セロさん……み、見つけました!ブラッド……ウルフの侵入口っ!」


 セロはすかさず問うた。


 「どこだ?」


 「はい、竜舎裏の排水路……です!水路の鉄格子が一本……外れていて、そこから……入って来ていました!」


 セロは部屋に入って来たブラッドウルフを思い出した。


 なるほど……獣がやけに臭かったのは、排水路が原因だったのか。しかし、ブラッドウルフが水中を得意とするなんて思わなかった。


 「ターク、その肩はどうしたんだ?それに……全身びしょ濡れじゃないか」


 よく見ると、タークの着ている寝間着は破れ、肩からは少し血がにじんでいる。一体、何があったのだろう。


 『ブラッドウルフと戦ってきました。』と答えられても、おかしくはないが……武器を持たないタークに、そんな怪力があるとは思えない。


 タークは言いにくそうに頭をかいて、苦笑いを浮かべる。彼は答えるのをためらっていたが、しばらくして渋々と口を開いた。


 「あ、あのー。ブラッドウルフに襲われて……落ちました」


 「どこに?」


 「……排水路に」


 セロは声を失い、憐れみの目で後輩を見つめた。それが恥ずかしかったのか、タークは必死で言い訳を始めた。


 「そ……そんな目で見ないで下さいよっ!ぼくだって、落ちたくて落ちた訳じゃないんですから!ブラッドウルフが、排水路から飛び出してくるなんて、思わなかったんですよ!それに……セロさんだって、あの状況なら絶対、落ちていたと思いますっ!」


 セロが最後の一言に眉をしかめたのを見て、タークは慌てて付け足した。


 「あっ!で、でも、水路は塞がれたので、ブラッドウルフが入ってくることは……もう、ないと思います!」


 タークは誤魔化すように、辺りを見回した。


 「セロさん……今、どういう状況ですか?」


 「あ、ああ。今は――」


 ――ドガガガガーンッ 


 セロの説明を遮って、今までとは比べ物にならないほどの轟音が、訓練場に響き渡った。


 腹の底を揺るがす破壊音に、タークは耳を塞いで縮こまり、正門をふり返ったセロの瞳は大きく見開かれる。


  門が、崩れている……!


 正門があった場所には、大きな瓦礫が四散していた。もくもくと立ちこめる砂埃が、近くにいた学生をブラッドウルフもろとも飲み込んでいる。


 崩壊の衝撃で巻き起こった風が松明を吹き消し、訓練場の闇を一段と深くしている。


 タークは状況が飲み込めず、魚のように口をパクパクさせていた。無理もない……セロでさえ、この惨劇を呆然と眺めていることしかできないのだから。


 ――グワアアアアーッ!


 大地を揺るがす咆哮に二人は身構え、崩壊した門を見つめた。深い闇の中で、何か大きなものが動く気配がする。


 低い唸り声が聞こえたかと思えば、瓦礫が踏み崩されるような音が聞こえてくる。


 砂埃のなか、巨大なものが残骸を越えてやって来る。そんな、嫌な想像が頭に浮かんだ。


 今度は何が起ころうとしているのだろう。


 終わりの見えない災難に、セロがうんざりしていると、その負の期待に答えるように、新たな敵が姿を現した。


 砂塵を突っ切り、瓦礫の山から勢いよく飛び出して来たのは、巨大なブラッドウルフだった。


 「あ、あわわわわ……」


 タークは尻もちをついて、ガクガクと体を震わせた。恐怖で見開かれた目からは涙が溢れて、汚れた頬を伝っていく。


 生き残ったブラッドウルフの群れが、巨大な獣の周りをぐるぐると走り回っている。あのブラッドウルフが親玉だということは、一目見てわかった。


 学舎のドラゴンの体高をゆうに超えるほどの巨体に、大きく隆起した肩。前足は太く、一歩踏み出すたびに、鋭い爪で地面を抉っている。だが、後ろ足は前足に似合わないほど細く、頭も不釣り合いに小さい。


 ブラッドウルフの醜さが強調された姿に、セロは吐き気すら覚えた。


 ――ウオオオオオオオンッ!


 親玉の咆哮を合図に、ブラッドウルフが一斉にこちらをふり返る。真っ赤な獣たちの瞳が不気味に輝いた。


 ……来るっ!


 セロがそう直感したのと同時に、ブラッドウルフが大きな群れをなして駆け出した。


 ブラッドウルフの一番の獲物になったのは、門の瓦礫で負傷した学生たちだった。


 相手が怪我をしていようと、身動きが取れなくても、魔界の犬には関係ない。ブラッドウルフの群れは狂ったように、目に付いた人間を片っ端から襲っている。


 今度は、僕たちが追われる番なのだ。


 「怯むな!確実にしとめろ!」


 「うああっ、囲まれた!だ、だれかあっ!」


 「落ち着け……!大丈夫だっ、だいじょううわああああ!」


 再び騒がしくなった学生たちの声も、次第に悲鳴へと変わっていく。


 瓦礫の山で何が起こっているのか……想像したくもない。あの狂った狼がここに辿り着くまで、あとどれほどの時間が残されているだろう。


 「セロさんっ!」


 タークは不安に駆られて、思わず叫んだ。だが、セロは微動だにせず、正面を見たまま動かない。


 このままじゃ、二人ともブラッドウルフの餌食になってしまう……!


 焦ったタークは、助けを乞うようにセロの肩を両手で揺さぶる。涙でにじむ視界に、セロの顔が映った瞬間、彼は息を飲んだ。


 松明の赤い炎が、セロの姿を闇に浮かび上がらせる。長い前髪の下で、彼の青い瞳が壁を睨みつけていた。


 これほど殺気に満ちたセロは、見たことがない。別人と化した先輩に、タークが戸惑っていたそのとき。


 「不死身の少女……!」


 固く閉ざされたセロの口から、その名が短く吐き捨てられた。

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