第4話 三文芝居
ドラゴンが跳び上がったとき、タークは何も合図を出していなかった。
事の直前まで、彼はセロと話をしていたのだから。飛ぶことを恐れているタークが、無防備な状態で合図を送ることはないはずだ。
一体、何がドラゴンをそうさせたのだろう。
顔面蒼白になったタークに目を移すと、彼は心配そうにドラゴンを覗き込んでいた。
その不安げな表情を見た瞬間、セロははっとした。
そういえば、いつもは怯えてばかりのタークが、ドラゴンが飛ぶ前に……笑っていなかったか?
「……ターク、笑ってくれないか?」
「えっ?きゅ、急にどうしたんですか、セロさん。ぼく、それどころじゃないんですけど……」
いいから笑ってくれ、と急かされて、タークはぎこちなく笑顔をつくった。はは、は……と食いしばった歯の隙間から声をもらして。
ドラゴンがそばにいると、タークは緊張してにこりともしない。いつもは無表情の彼が、あの瞬間だけ笑っていたから、それが原因かと思ったのだが。無反応なドラゴンを見る限り、どうやら違うようだ。
恐らく、賢いドラゴンの前では、表情だけ取り繕っても意味がない。さっきのように、タークが心から笑えば何か変わるだろうか。
「ターク、今日の夕食は何だろうな?」
普段は滅多に笑わないセロが、やけに優しく微笑んでいる……。タークは、その不気味さに眉をしかめた。
「ええ……っ!セロさん、さっきからちょっと変ですよ。どうしちゃったんですか?」
「何が?」
「急に笑えって言ったり、夕食の話をしたり。いつもは訓練に集中しろ!って口癖のように言ってるじゃないですか。何だか、おかしいですよ」
不審がるタークに、セロはわざとらしく首を傾げてみせた。
「そうか?……ああ、そういえば。ターク、ケガはないか?さっきは急に跳び上がって、驚いただろう」
「えっ、はい。びっくりしましたけど……大丈夫です」
「それなら、良かった。乗ったままでいいから、少し休憩しよう。落ち着いたら、ドラゴンも安心させてあげてくれ」
タークは張っていた手綱を緩めて、大きく深呼吸をした。
ほんの少し自由を与えられたドラゴンは、ここぞとばかりに頭を下げて、もっと手綱を伸ばしてくれとおねだりしている。
タークがずっと首にしがみつくものだから、ドラゴンはさぞかし窮屈な思いをしていただろう。
「たしか……タークはシチューが好きだったな?」
セロは何気なく、だがドラゴンとタークから目を離さずにたずねた。
「はい、そうです。食堂のシチューは、すごくおいしいんですよ。ぼくが学舎ではじめて食べた夕食がシチューで、それから好きになったんです」
楽しい思い出に、タークの口元がゆるんだ。
「なんだか、久しぶりにシチューが食べたくなっちゃいました。今日の夕食はシチューだったらいいですね!セロさんも、そう思いません?」
「ああ、そうだな。だが、まだお昼にはなっていないだろう。正午の鐘が鳴るまでは、訓練を続けるからな」
「そんなあっ!今日はもう、やめましょうよお……飛ぶなんて思わなかったから、すごく怖かったんですよ?また、あんな風になっちゃったら、もう落ちるしかないじゃな――!」
タークは必死で言い訳していたが、セロが目元を押さえて俯くと口をつぐんだ。彼がこういう仕草をしたあとに待っているのは、呆れて物を言わないか、お説教のどちらかだ。
ちょっと、わがままを言い過ぎたかな……。
タークは怒られる覚悟をした。
「……目に砂が入った」
タークの緊張をよそにセロはそう言うと、目をこすりながら一歩踏み出した……が、その足はドラゴンの爪に引っかかってしまった。
「あ、すまん」
つまずいた体を支えようとしたセロの手が、タークの足を押した瞬間。タークの踵がドラゴンの肩に当たり、それを合図と捉えたドラゴンは頭を上げた。
大枝のような翼を広げて、舞い上がる。
「うわあああっ!どうしてっ?何っ!」
その場から飛び退いたセロは、宙に浮かぶドラゴンを見上げて笑みを漏らした。
よし、作戦成功だ。
ドラゴンは力強く羽ばたきながら、地上のセロを見下ろしている。茶色い巨体は日の光を受けてきらきらと輝き、頭は学舎の壁を越えそうだ。
翼が生み出す風に髪をなびかせながら、セロはドラゴンに頷いてみせた。
ドラゴンの飛べなかった理由が、やっとわかった。
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