第10話 大先輩

 宿舎の裏口から中庭へ降りたタークは、あちこち歩き回りながら竜舎へ向かっていた。


 積み上げられた樽の裏、テーブルやベンチの下……宿舎と学舎に挟まれたこの中庭には、ブラッドウルフが身を隠せそうな場所がたくさんある。

 あんな魔界の化け物に、死角から飛び掛かられたらひとたまりもない。物音に怯えながら目についた箇所を探してみるが、侵入口らしきものは見つからなかった。


 そうしている間にも、宿舎の向こう側にある訓練場からは、切羽詰まったような怒鳴り声が絶えず聞こえてくる。


 「セロさん、大丈夫かな……」


 タークが心配したそのとき、突然まぶしい光が辺り一面を包みこんだ。咄嗟に腕を顔の前に構えて目を細めると、温かい光のなかで松明を掲げる大きな人影が見えた。


 「おお、おまえ。一人で何してるんだ、危ねえだろう」


 「はっ、はい!セロさんの指示で、ブラッドウルフの侵入口を探しています」


 ようやく眩しさに慣れ始めた目が、制服を着た背の高い男の姿を捉える。ちょうど曲がり角で鉢合わせたようだ。赤髪の男の背後には、他にも人の気配がする。


 あれ?そういえば、この人……。


 タークが違和感を覚えたのと同時に、男が思い出したように口を開いた。


 「セロ?ああ、あのディノの乗り手か……」


 何か言いかけた男が慌てて口をつぐむと、その場に気不味い沈黙が流れた。彼の周りにいた人たちも目を合わせてはうつむいたり、眉をしかめたりしている。

 まるで触れてはいけない話をしてしまったかのような彼らの様子に、タークは首を傾げることしかできなかった。


 しばらくして、はっと我に返った男がわざとらしく笑った。


 「ハハハ、まあ……おまえも大変だなあ?気難しいあいつの前じゃあ、落ち着いて飯も食えないだろう?」


 周りにいた人たちが「違いない」と同意して軽く笑っている。タークがきょとんとしていると、男がさっと話題を変えた。


 「なあ、さっきも言ったが。こんな物騒なときに一人で動き回るのは危険だ。ちょうどいいから、ここで二手にわかれよう。二年生の二人がこの子についてやれ」


 二年生と呼ばれた少年が二人、タークのそばに並んだ。寝間着姿の彼らは足をそろえて立つと、背筋をすっと伸ばした。


 「それじゃあ、頼んだぞ」


 「はっ!」


 威勢のいい返事をする二人を、タークは不思議そうに眺めていた。どうしてこの人たちは、こんなに堅苦しいのだろう。まるで、セロさんみたいだ。


 男と残りの学生たちが行ってしまうと、タークのそばにいた一人が呆れたようにたずねた。


 「君、まさかとは思うけれど……あの方を知らないの?」


 タークが頷くと、もう一人の少年が驚いたように目を見開いた。


 「左胸の紋章を見なかったのか?ドラゴンの刺繍が完成していただろう?おまえからしたら大先輩なんだぞ。きちんと姿勢を正すくらいしろよ」


 ああ、そうだったんだ。だからあの男の人は、こんな緊急時にも制服を着ていたのか。違和感の正体がわかり、タークは一人納得して頷く。


 それからしばらくして、彼は自分が偉い人に会ったのだと気づき、胸が高鳴るのを感じた。


 「あの人は、英雄さんなんですね!」


 目を輝かせて喜ぶタークに、少年二人はため息をついた。


 「ま、まあ……。もう、そういうことにしておくぜ」


 「さあ、そろそろ行こうか。早く侵入口を塞がないと、やつらがどんどん入って来るよ。でも、できる限り静かにね。こんな格好で襲われたら一環の終わりだよ」


 少年が警告をする一方で、タークは心の底からわくわくしているようだ。彼はこの学舎に来てはじめて、大きな任務を任された気がした。


 「はいっ、わかりました!」


 「シーッ!」


 タークの大声に、二人は慌てて人差し指を口の前にかざした。

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