第29話 ブラボー

「エヴァン、さま……」


 なぜ、彼はあんなに血まみれなの?

 あんなに息を切らした彼を見たことがない。顔色も悪そうだ。


 なんで、なんで?


 いつのまにか、音楽が止まっていた。異常事態に支部長が止めたのだろう。


「エヴァン様、どうして……」


 ただのサラーティカになった私が、よれよれと舞台から降りて彼の元へと向かおうとした時だった。


「歌えっ!」


 エヴァン様が叱咤するように叫ぶ。

 怪我だらけのエヴァン様。

 見るからに、腹部の傷が致命傷だ。立っているのもやっとなのだろう。


 そんな……私の夫に、私は駆け寄ることができない。

 だって、今の彼が望んでいるのが『カティナ』なのだから。


 彼は、私が歌い、舞い踊ることを望んでいるのだから。


「歌ってくれ、カティナ‼」


 ――あぁ、なんてひどい人。


 私は唇を噛みながら、拡声機マイクを拾う。

 そんなあなたに、私が伝えられる愛は。


「好きすぎて……涙がでちゃう……」


 結局は、歌うことだけ。

 音楽もなく、奏でるのは私の歌声のみ。


 静まり返った会場で、ただただ私の歌声が響く。

 私は踊らなかった。ただ歌うことだけに集中する。


 そして、祈る――どうか、私の愛があなたに届きますように、と。

 これからもあなたの妻として、あなたのアイドルとして。


 末永く、共にいられますように、と。


 私が歌っていた時だった。

 私の目から落ちた涙から花が咲き、会場中に広がっていく。


 意識してないのに、天井から花びらが舞い降りてきていた。

 光輝く花びらに、まるで私の歌声に乗って揺らめき、なびき。私が腕を大きく振れば、その通りに舞い踊る。


「ルナ様の……奇跡だ……」


 誰が言ったのかはわからない。

 ただ、私は無心で歌っていた。


「愛してる」


 ウソじゃない。それは本当の、私の言葉。

 そんな奇跡の花に囲まれて、会場の一番奥にいた青年が目を白黒させていた。


 服のよごれはそのままに。だけど凛と背中を伸ばし、不思議そうに手を握ったり開いたりしている。その水色髪の青年が、涙ぐみながら嬉しそうに叫けぼうとしていて。


 だけど、それよりも早く私は舞台から飛び降りていた。

 もう我慢なんてできないもの。


 観客が自然と道を開けてくれる。奇跡の花を踏みつけ、私はただ真っすぐに走って。ただただ、エヴァン様の胸に飛び込む。


 そんな私を受け止めて、彼は私の耳元で囁いてくださる。


「俺も愛している、サラーティカ」


 ◆


 ――何も、不思議なことはない。


 若い新婚夫婦の愛を目の当たりにして、公爵である私は年甲斐もなく涙を拭っていた。

 すべてを知る者からすれば、なぜ能力の低い聖女が、あんな大怪我を一瞬にして癒すことができたのか、不思議に思う者もいるのだろう。


 だって、彼女らが信仰するのは歌と踊りが大好きな精霊ルナなのだ。

 これまで散々歌と踊りでここまで人を魅了してきた彼女が、ルナ様に愛されていないはずがない。果たして、そこまで見込んで彼女に『アイドル』をさせた立役者は誰なのか……それを今詮索するのは、野暮というものだろう。


 ――素晴らしいブラボー


 本当にその一言に尽きる。

 しいて心配するなら、その後の噂話スキャンダルか。

 偶像的だった『アイドル』がこうして一人の男に抱き付いたのだ。

 しかも相手は既婚者。彼女の正体に気付くか、それこそ両者の汚名になるか。


 ――まぁ、こういう時こそ『公爵』という権力の使い時なのだが。


 黒い話はあとにして、今は拍手を贈ろう。

 彼女のかつらが外れそうになっているが、寸で彼がフォローするように頭ごと抱き込んでいる。アイドルの矜持を、丸ごと。耳元ではなんて囁いていることやら。それこそ野暮か。


「新婚夫婦の未来に幸あれ」


 その日のライブが、一番ブラボーに満ちた時間だったことは語るまでもない。

 

 ◆


「あたし、わるい女だな~」


 ボロボロの姿で馬を駆けた美青年が、ずるずると足を引きずらせて協会へと入っていく。

 サラーティカは、こんな彼をすぐさま治療してもらいたいと思ってあたしを派遣させたのだと思うけど……あたしはがっつりスルーして、彼や彼女がひと悶着起こしたという少し離れた町へと馬を走らせた。


 タルバトス候も、あの町の中にルナ協会があるんだから、本当に怪我を治療したければすぐに迎えたはずである。それをわざわざ人里離れたコンドル支部へとやってきたのだから……ねぇ? あたしが出しゃばるのも野暮ってもんだよね?


「ま、今のサラーティカならあの程度の治療は余裕だろうし?」


 彼女は気が付いていたのだろうか。

 最近はライブの演出、あたしはかなり手を抜いていたということを。


 今となっては彼女が歌うだけでマナが喜び、辺りが光り輝いていたというのに。

 それなのに、なぜあたしが現場へと向かっているのかといえば。


「サラーティカにはさせたくないことをするためだよね~」


 適当な所で馬を止め、適当な家の屋根に上がり。

 それらしい裏路地をなんとなーく散策していた時だった。


 男女の喧噪が聞こえる。


「わたし悪くないもん……こんなつもりじゃなかったんだもん」

「侯爵を刺したのは貴女でしょう⁉ 大人しく憲兵に捕まりなさい。大丈夫です、すぐに僕が裏で手を引いて牢から出して――」


 ――お目当てはっけーん!


 隙をついて逃げてきただろう手腕は褒めてあげよう。

 場違いなドレスを着たきらふわ女の子と、眼鏡の気取ったインテリ野郎である。


 そんな二人に、あたしは屋根の上から声をかけた。


「おもしろい夫婦喧嘩してるねー。あ、まだ結婚してないんだっけ?」


 同じような顔で見上げてくるカップルに、あたしはひらひらと手を振る。

 ちょうどその時、風が吹いた。揺れたヴェールの隙間から……あたしの顔が見えたのかな?


『ひえっ……』


 二人は同じような悲鳴をあげて。

 そっくりいいじゃん、おしどり夫婦じゃん。わるい意味で。


 あたしはささっと影を使って二人を拘束。そしてもう一つ、持ち合わせの水晶で録音してあった二人の痴話喧嘩を再生してあげる。すると二人はますます青白い顔になって。


 だけど年の甲か、インテリ野郎が気持ち悪い笑みを浮かべてくる。


「いいでしょう、何がご要望ですか? 男の斡旋? その顔じゃ色を吐き出すのも苦労するでしょう? コネを使って国一番の男娼を――」

「気持ちわりぃんだよ、クズが」


 あらやだわ。決して友達に見せられない顔しちゃった♡

 あたしは再びかわいい笑顔を作ってから、二人に優しい選択肢を提示してあげる。


「さぁ、どっちを選ぶ? 化け物聖女に地獄を見せられるか、大人しく憲兵に差し出されるか」


 拘束されたまま、二人が顔を見合わせる。そしてこぞって見苦しい発言をされる前に、あたしは両手を打った。


「ま、両方なんだけどね~」


 あたしはようやく屋根から飛び降りる。

 そしてインテリ野郎から外した眼鏡を、あたしは思いっきり踏みつけた。


「あたしの親友を泣かしたやつにいつ仕返しするの? 今でしょ?」


 星がきれいな夜に汚い絶叫が二つ、こだまする。


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