第27話 閑話ではないファンの事情


 ――そういや彼女も聖女だったか。


 無理やり身体を動かし、一撃で気絶させる。あっさり背後をとられた所以は、足音を消した彼女の奇跡によるものだったのか。そうだとしても、少女の気配にも気づかないなど、俺は腑抜けか。平和ボケというやつか。


 だけど、俺がやるべきことは変わらない。

 血が止まらない患部を焼くことで青い炎で無理やり止血し、足を進めるのみ。


「約束、したもんな……」


 一歩一歩が、とても重い。

 しかし止めるわけにはいかない。彼女が……俺の妻が、待っているのだ。


 俺が鎮圧した輩は、直に来る憲兵らに任せてしまおう。

 なんとか馬にまたがり、俺は馬を走らせる。


 あぁ、今思い出してしまうのは、走馬灯のようなものなのだろうか。


 ※


 俺が初めてサラーティカに会ったのは、三年と少し前。

 彼女はまだ見習い明けの新人時代だったらしい。


 そんな時期に、運の悪いことが重なった。


 先輩聖女らが集団食中毒にあってしまったこと。

 近くで大規模な戦闘があり、大勢の負傷者が運ばれてきてしまったこと。


 その中に、俺もいた。たとえどんな新米だろうと猫の手でも借りたい状況。てんやわんやの中、彼女にも名も知れない致命傷の兵士があてがわられてしまったのだ。


 ――かわいそうに。


 血だらけで横たわる俺を見下ろして、眼鏡の奥で涙をいっぱい溜めいていた彼女の顔を、今もよく覚えている。そりゃあ怖いだろう。馴染みの協会が、大勢の死臭に包まれてしまったんだ。聖女は貴族出の令嬢が多い。だから血の匂いすら慣れていないのだろう。それなのに、すでに死んだ者も、これから死んでいく者が大量に運ばれてくる。


『イシュテル……イシュテル‼』


 それは、先輩の名前なのだろうか。自分では無理だと思い、先輩に助けを求めようとしたのだろう。だけど遠くでヴェールを被った少女が『ごめん、こっちのほうがヤバい!』と腕が切り落とされた兵士の治療に当たっていた。


 だけど、俺が感心したのは――彼女が俺の前から逃げなかったこと。

 そして、決してその涙を零さなかったことだ。


 眼鏡をかけたその見た目は、とても慎ましいものだった。

 しかし、その澄んだ歌声は他の誰よりも美しく思えた。


 やはり怖いのだろう。声が少し震えている。

 それでも、だからこそ胸に伝わってくるのだ。


 助けたい。

 目の前の人を救いたい。


 そんな少女の祈りに、俺の視界が歪んでいく。


 ――俺にそんな価値なんてないのに。


 青い炎という才能に、浮かれていた時期もあった。

 この力で名の馳せた英雄になるんだ、両親の自慢の息子になるんだ、と信じていた時期もあった。


 だけど、この力で両親を殺した。俺はただの災厄でしかなかった。


 そのまま処刑にでもなんでもしてくれたら良かったのに。

 世界は意外と優しく、甘くない。

 とても同情的な親戚に引き取られて、今もこうして生き延びている。


 だから自ら世界に裁かれたいと、兵士として死に場所を探していたのに。


 ――もう、いいから。


 それなのに、彼女は俺のために歌う。


 ――勘弁してくれ。


 ただ、俺の怪我が治るようにと。


 ――お願いだからやめてくれ!


 怖いのを我慢して、懸命に俺のためだけに歌い続ける。

 だけど、彼女の聖女としての能力は低いものだったらしい。俺の傷は一向に治らない。


 それでも、彼女は決して歌うのをやめなかった。

 声が枯れ、唇がひび割れても、鼻血が流れ始めても。


 ただひたすら、彼女は俺のために歌い続ける。

 その間は、かろうじて血が止まっていたから。ただ、それだけのために。


 それは、一体どれだけ長い時間だったのだろうか。

 沈んだと思った夕陽が再び昇り、協会の中まで光が差し始めた時。


『サラーティカ、頑張ったね。代わるよ』

『いしゅてるぅ……』


 彼女の華奢な肩を叩いたのは、あのヴェールを被った少女だった。

 驚いたもので、イシュテルという少女の力強い歌声で、俺の傷はあっという間に跡もなく塞がっていった。驚いていた俺に、隣で疲れ果てていた少女が笑う。


『イシュテルは天才聖女なんですよ!』


 たとえ、ヴェールの聖女がどんなに凄い人物であっても。

 俺が一番に感謝したいのは彼女だった。


 陽の光を背にして、眼鏡の奥でゆるく微笑む少女。

 誰よりも眩しく、誰よりも愛おしく。


 奇跡を受けた反動か、まともな礼すら言えずに俺の意識は落ちてしまったけれど。


 ――サラーティカ。

 ――一言、お礼だけでも。


 大戦の終結なり、領主権の返還なり、すべてが落ち着くまでに時間がかかってしまった。


 その後、その名前を頼りに彼女のことを探してみたところ、やはり彼女は貴族の娘で。そして結婚目前の婚約者のいる女性だった。


 ――そんな折で、よその男が出て行くなんて。


 おそらく彼女も覚えていないだろうし、下手に彼女の幸せの邪魔になるくらいなら。

 そんな傷心を慰めるため、彼女の幸せを願うため。


 人知れぬ協会で祈りを捧げようとした時だった。


『聖女カティナ、アイドル活動はじめます!』


 そんなポスターを見つけ、なんとなしに足を運んでみれば。

 なんと、あの時の少女が可憐な衣装を身に付けて歌っているではないか!


 ――は?


 名前が違う。髪色が違う。顔つきも違う。

 だけどその胸に訴えてくる澄んだ歌声は、間違いなくあの時の聖女のもの。


『カティナです~! 今日からみんな、応援してくれると嬉しいな!』


 あざとく笑う彼女は、ふと最後に見た聖女の笑みと重なる。

 しかも再び調査をしたところ、彼女が婚約者に捨てられたという噂があるではないか。


 足繁く彼女のライブに参加しているうちに、俺は自覚していた。


 ――どうしようもなく、彼女が好きだ。


 能力がままならずとも患者から逃げない彼女が。

 舞台の上で舞い踊るあざとい彼女が。


 その両方の顔を持つ彼女が、愛おしくて愛おしくてたまらない。


 そして俺は、まともに考える余裕もなく彼女に求婚の手続きをとっていた。


 しかし無事に彼女と結婚式を挙げて、屋敷に迎え入れた直後に気づく。


 ――ガチファンの夫に娶られたなんて、気持ち悪くないか⁉


 実際、彼女は俺にアイドル活動のことを隠していたいらしい。


 その意志は汲みたい。

 だけど彼女のアイドル活動は引き続き全力で応援したい。

 その気持ちは隠したくない。彼女に伝えたい。


 ――え、どうしたら……?


 俺の幸せで不格好な新婚生活は、こうして始まった――


  ※


 そして今、俺は血まみれのまま馬で駆けている。

 やはり恰好がつかない。どうせなら大きな花束を持っていきたいくらいなのに。


「それでも……」


 ふたたび傷が開き始めていた。だけど俺は馬の腹を蹴るのみ。

 自分の身を大切にするなら、もっと近くのルナ協会に行くべきだろう。ライブといっても、今日で最後というわけではない。きっとまた、来週も彼女がかわいく舞い踊るのだ。


「それでも、俺は……」



 やっぱり俺はバカな男なのだろう。

 どうしても俺は、今、彼女の歌が聞きたい。  


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